ギタリスト行政書士 岡田秀樹(大阪市)

大阪市中央区谷町6丁目
行政書士とクラシックギターと週末音楽起業塾のブログ    

「落語とギターの会」

2月2日(日)14時~ 城北市民学習センター アトリエ

【出演】
・大川亭星香(落語)
・大川亭美凛(落語)
・岡田秀樹(ギター)


詳細はこちら のサイトをご覧下さい。


テーマ:

玉造


古墳時代(邪馬台国の卑弥呼様とかの時代)に勾玉

(まがたま)などを製作する玉造(たまつくりべ)

(大和朝廷の職人集団)がこの地に置かれていた。


地下鉄玉造駅で勾玉をデザインした方位盤を見ること

ができるそうです。

どこにあるんでしょう・・・。


★古墳時代の勾玉
勾玉


★三光神社
三光神社1

三光神社2

榎木大明神3

真田広之じゃなくて真田幸村でおなじみです。

一番下の地図の右下にも「真田幸村」って書かれてます。

来年の大河ドラマは半沢直樹が真田幸村を演じるそう

ですな。



★二軒茶屋・石橋
二軒茶屋(石碑)

二軒茶屋(解説)

JR環状線・玉造駅のちょっと向こうにあります。

猫間川が流れてたってことで、長堀通りは川だったって

ことですな。

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天下茶屋


天下茶屋の地名は、かつてこの地にあった茶屋に由来する。


古代には「天神の森」と呼ばれるうっそうとした森の茂った

土地だった。そこに湧く水の良さに着目して茶室を建て、森を

切り開いて道をつけたのが、千利休の師にあたる武野紹鴎

だった。


阪堺電車に「天神ノ森駅」があります。



天生年間(1573-92)には、楠木正行の十世孫である初代芽木

小兵衛光立がこの森の西側を開き、茶屋をだした。そして三代目

芽木小兵衛昌立のとき、住吉神社を参拝した豊臣秀吉がこの

地に立ち寄り、この芽木家の茶屋から清泉を汲んでお供の千利休

に茶をたてさせたところ、味の良さに感激。そこで、この泉に「恵の

水」の銘を、芽木家に玄米年三十俵の朱印を与えた。


関白殿下の「殿下茶屋」、天下人の「天下茶屋」などの名が知られ

るようになったという。


ここでも豊臣秀吉さんが関係してたんですな。



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梅田


現在の大阪駅周辺は、豊臣秀吉の頃は大坂の北のはずれでした。

淀川のすぐ南にあたるこの地域は海抜ゼロメートルの低湿地でたび

たび川が氾濫した。


この低湿地を埋めて田畑にしたところから「埋め田」と呼ばれ、後に

めでたい「梅」に変えられたのではないかというのが由来の定説に

なっている。


「埋め田」→「梅田」 なるほどですな。


地名の由来を調べると当時の地形の様子がわかりますな。

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銅座公園


銅座とは江戸時代の銅の取引や銅の鋳造した場所。


銅座公園1

銅座公園2


大阪では銅の鋳造は大坂銅吹屋で行われてたそうです。

銅吹屋っていうのは下の地図の東横堀川と長堀川の角に

あります。で、住友って書いてますが、ここが住友の発祥の

になって、今でも住友の施設があります。


大坂銅吹屋

ちゃんと歴史の記憶が地名として残ってますな。


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難波宮(なにわのみや)



難波宮2

難波宮5

難波宮4

「難波(なにわ)」は古代大阪の地名で、大坂城・難波宮跡から

南に、四天王寺・住吉大社に延びる小高い地の「上町台地」

周辺です。



上町台地の北は、浪の流れが速く「浪速(なみはや)」と呼んで

いたそうで、これが訛って「難波」と言われるようになりました。



都(首都)があった「飛鳥」では、有力な豪族である蘇我氏が

勝手な振る舞いをしていたので、皆が困っていました。

蘇我氏に反発する天皇一族や有力な豪族が力を合わせて、

蘇我氏をたおしました。



そのあと、外国にも対抗できる「天皇を中心とした新しい国

作りを始めようと、



1.蘇我氏やこれに味方した豪族の影響を避け

2.新しい宮殿で、国内や外国に天皇の力を示し

3.海と河の水運の要の地で、人の往来や全国各地から

  品物を運んでくるのに便利なところ



を求めて都を「飛鳥」から「難波」に移しました。

これが「大化の改新」です。


でもって、655年に都が「飛鳥」に移された後、難波宮は

火事で燃えてしまし、726年に聖武天皇が難波宮再建の

命令を出し、744年に難波に都を移したものの、すぐに

「紫香楽宮」に都が移された。 ←忙しいやっちゃな、ほんま。


【大化の改新】←中大兄皇子&藤原固まり

1.天皇家や豪族が支配していた「人と土地」を国が直接

  支配をする。<公地公民の制>


2.都と地方制度を定める<国・郡制度>


3.人口調査を行う。<班田収授の法>


4.税制を定める。<租庸調制>


5.役人が仕事をする時間帯(日の出から正午まで)を定める。


6.孝徳天皇が仏教を熱心に信仰した。


↑今と一緒ですな。

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高津宮


高津宮の由来については高津宮のサイト をご覧下さい。


<梅乃橋>
梅乃橋1

梅乃橋2

梅乃橋3


この梅乃橋の下を流れてた梅川は「道頓堀川の源流」

って書かれてます。下の地図には道頓堀川に流れて

るのがわかります。


高津神社・地図


で、「二ッ井戸」と道頓堀川から高津新地に流れてる川の

痕跡が現在の国立文楽劇場の前にありました。



二ッ井戸1

二ッ井戸2

この地図でも道頓堀川から高津入掘川が流れてるのが

わかります。この高津入掘川は埋め立てれてまして、

現在は下のようにラブホテル街になってます・・・。アセアセ


ホテル


【その他の高津宮】

<相合坂>
相合坂1

相合坂2

<西坂(縁切り坂)>
縁切り坂1
縁切り坂2

<桂文枝石碑>
桂文枝1

桂文枝2


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元禄時代の大阪


島之内



東横堀川・長堀川・西横堀川・道頓堀川に囲まれた地域で、

人工の堀川開削によってできた島の内側であることから

島之内と呼ばれた。



 ・東横堀川→1585年完成、現存。

 ・長堀川  →1622年完成、1970年埋立。

 ・西横堀川→1617年完成、1962年埋立。

 ・道頓堀川→1615年完成、現存。



船場


土佐堀川・長堀川・西横堀川・東横堀川側に囲まれた地域で、

名前の由来は、かつてその一帯が船着き場だったことから「船場」

と名付けられたという説が一般的なようだ。軍馬を水浴させた「洗

場」やよく戦争の地になったことから「戦場」などの諸説も残っている。


漢字からすると船着き場でしょうな。


両方とも土地の記憶が地名として残ってるわけですな。

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四ツ橋


長堀川と西横堀川(両方とも埋立て)が交差する

「ロ」の字型に架けられていた4つの橋の愛称。


・上繋橋(かみつなぎばし)

 西横堀川に架かる北の橋。1964年撤去。


・下繋橋(しもつなぎばし)

 西横堀川に架かる南の橋。1964年撤去。


・炭屋橋(すみやばし)

 長堀川に架かる東の橋。1970年撤去。


・吉野屋橋(よしのやばし)

 長堀川に架かる西の橋。1970年撤去。



四ツ橋1

四ツ橋3

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