流星群の剣

カイシン便利サービス 田村 将のブログです。


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「・・・・で、秋田はあのあとIとタイマン張って勝ったんだ?」









―――2015年。某日。東京・池袋。









これから友人のリクオやASHURASTAたちが主催し、渋谷のクラブで行われる”STEES”というHIPHOP系のイベントに向かう途中、私(36)と秋田(36)の2人は西武池袋線の準急電車からホームに降り立ちました。



「終点、池袋~、池袋。お手回り品、お忘れ物がないようご注意ください」



駅員の鼻にかかった独特のアナウンスが駅構内に響き渡ります。



久しぶりに来た池袋はその日もいつもと変わらず多くの人々が行き交っていました。



「ああ。勝ったよ」



切れるとおっかないですが、普段はいたってクールでクレバーな秋田は涼しげな顔をしていいました。



「やっぱそうなんだ。すげ~、噂には聞いてたけど、やっぱマジで勝ってたんだ」



私は何気なく話す秋田の表情を掛けていたサングラス越しにまじまじと見ながらいいました。



成人し、長い間仙台方面に行っていた秋田が練馬に戻ってきたのはここ最近のこと。



これまでリクオや翼などの共通の友人たちとは何度も会って呑んだりしていたようですが、私とはなかなかタイミングが合わず、こうして秋田とサシで話すのはかなり久しぶりのことでした。



話題は最近になって金銭虎舞竜(金銭トラブル)や女性問題で揉めているという、あのけしからん黒原のこと。



それに今からもう20数年以上も前になる都内のそういった有名アウトローの話が多かったように思います。



そこにはもちろん、中学の時に共通の宿敵であった『キョクトー』のIの話も出てきました。



「ねえ、ねえ、つうかどういう感じでいつ頃Iとやり合ったの?」



私は興味津々といった感じで秋田にコトの詳細を尋ねました。













脳裏にはあの日、初めて『キョクトー』の連中と対峙し、そのままタカイナリ公園や森公園で岡崎とやり合った時の記憶が鮮明に蘇ってきました。



おっかない先輩たちを含む、大勢の部隊を引っ張り、2つの中学を同時に攻めてきたI率いる『キョクトー中』。



それを迎え撃つ形で連中を出迎えたのは、我ら『カイシン2中』からは私とリクオの2人。



『3中』からはギャラリーのイカつい先輩たちを除けば、この秋田ただ1人でした。



あの日は確か森公園で行われていた私と岡崎の第2ラウンドの最中、途中で警察だか教師たちだかが騒ぎを聞きつけて集まり出したのでそのまま流れ解散になった筈です。



「あのあと、しばらくしたらいきなりあいつら家まできやがってさ。タンッタンッとかいって何度も家の前で舌打ちすっから出てみたら、Iたちがいて喧嘩売って来るもんだからそれでおれとIがやることになったんだよ」



あいつら家まで来たのかよ。



つくづく面倒くせー奴らだぜ。



私は内心そう思いました。



しかし、そんな不利な状況下でもIとタイマンを張って勝つとはさすがは秋田です。



そう。







一般的な知名度は恐らくIの方が高いですが、実はこの時点で私たちS53年世代による練馬区内の暫定王者はこの秋田に決定していたのです。



何せ、あの『キョクトー』のIを倒したのですから。







また、一方で”練馬の男・タムラ”としての異名を持つ、この私自身は非常に残念ながら深夜タカイナリ公園で激突したIとの戦いに惜しくも敗れていました。



「・・・・」



脳裏にあの時の忌々しい光景が蘇ります。







いざタイマンがおっ始まった時、前田太尊ばりのクロスカウンターをIの顔面に叩き込んで序盤優勢な場面もあった私ですが、続けて奴の喉元目掛けて本気で殺すつもりで放った手刀、必殺技の”タムラ・チョップ”を寸前のところでかわされてしまい、次の瞬間、なんとIから受けたたった一発の攻撃であえなく撃沈してしまったのです。



「・・・・」



そう。



そうなのです。



タイマンがおっ始まる前に余裕をこいて”おれは足を使わないでやるよ”という、あの約束のハンデは何処へやら。







私をマットに沈めた大魔王からの痛恨の一撃はあろうことか、紫色の稲妻を帯びた左右どちらかの膝蹴りだったのです。



「・・・・」



脳裏にあの時の忌々しい記憶が蘇ります。



―――オラーッ!



ドガッ!!!







―――んっ!



その瞬間、時が止まり、景色が一変しました。



”タムラ・チョップ”をかわされたと思った次の瞬間、まるで金属バットでフルスイングされたかのような濃厚で生々しい痛みが私の脇腹に突き刺さったのです。



そのダメージは脇腹から鬼の速さで内臓まで到達し、呼吸が完全に止まってしまうほど。



―――ぐぉぉぉぉ・・・・。



大魔王からの痛恨の一撃をモロに喰らい、一瞬にして瀕死のHPとなった私の嗚咽が深夜のタカイナリ公園に虚しく響き渡りました。








―――ぐぅぅぅぅ・・・・。



いっそのこと顔面にいいのを喰らって綺麗に記憶がなくなるくらい見事にぶっ飛ばされた方がどれだけマシなことか。



実際、顔面へのクリーンヒットは鎮痛効果のあるアドレナリンが脳内で分泌しまくっているせいか、やっている最中にそれ程痛みを感じることはありませんが、対照的にボディーへのクリーンヒットはまさに生き地獄そのもの。



痛いどころの騒ぎではありません。



私は両手で脇腹を抑えながら膝をつき、やがて立っているのもままならずそのまま地面をのたうち回りました。



―――はぁっ、はぁっ、はぁっ。・・・・痛ってえ~。はぁっ、はぁっ、はぁっ、マジ、もう無理。マジ、おれの負けだからもう勘弁してよ。



黄金色に変色していた私の髪の毛がみるみる内に元の黒髪サラサラヘヤーに戻っていってしまいました。



―――はぁっ、はぁっ、はぁっ。・・・・よしっ。じゃあ、この辺で勘弁しといてやるよ・・・・。



満月の月明かりの下、両目を異様に光らせた大魔王が私の頭上で勝ち誇ったようにいいました。



―――はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・。



私はその言葉を聞いてようやくこの戦いが終わったと思いホッとしましたが、一方で頭の中では「ずっちーな!(織田裕二風に)。さっき足、使わねえっていってたじゃねえかよ、この野郎!」という、往生際の悪い言葉がグルグルと回っていたのを20年数以上経った今でもよく覚えています。



そして、奴の背後にそび立つ樹齢千年を超える大木の遥か彼方でいつまでも鳴き続けるあのカラスたちの鳴き声を・・・・。









それはまさに大魔王の勝利を周辺の練馬区民に報せるかのような、私にとってひどく耳障りなものでした・・・・。



















※         ※         ※         ※













―――さて。



当時、練馬区内の私たちの世代における喧嘩はこれまでの話を通して伝えて来たように正々堂々とした武器なしのタイマンが主流でした。



例え、これまでの”キョクトー戦”のように多勢に無勢だったとしても武器を使ったり、または大勢で1人をボコったりという喧嘩のやり方はほとんどなかったのです。



喧嘩は武器なしのタイマンが基本。



私たちの代における練馬の不良はそうした暗黙のルールの中で戦っていました。



私にしろ、秋田にしろ、Iにしろ、この一件に限らず、それぞれ別件で他の中学の連中と揉めたり喧嘩をしたりしていた訳ですが、基本的にどの中学の連中とも暗黙の了解でこのスタイルは保たれていたように思います。



喧嘩はスポーツマンシップに則った武器なしのタイマンが基本である、と。



そして、そうしたスポーツマンシップに則った武器なしのタイマンを張ると、実力が近ければ近いほど喧嘩相手との間にもれなく”友情”が芽生えることがあるのです。



それは格闘技の試合後、お互いの健闘を称え合う格闘家たちのような心理が働くから。



実際、この喧嘩を機に秋田とIは仲が良くなってよくつるむようになり、Iの気まぐれなのか、Iは一時期秋田のいる『3中』に転校してきたほどです。



その後、この秋田とIを筆頭とした『キョクトー』の軍勢は大魔王の提案で、当時練馬区大泉方面で一番ワルが多くて有名だった『サクラ中』に攻めていくことになるのですが、流石にその嫌~な軍勢には敵わないと思ったのか、『サクラ中』のメンツは戦わずして降伏したといいます。



そして、この『サクラ中』は中でも特にKという男と”スドー”という男が有名でしたが、この”スドー”は後に練馬の都立高校でリクオと一緒になり、互いに音楽好きだったことからか、かなりの友好関係になったといいます。



「でも、ショウね、いっとくけどおれらの代の練馬ははっきりいってユルイよ。よその区はそんな甘くないからね。特に杉並、世田谷なんてハンパじゃないし、それこそなんでも有りだから」



池袋から地下通路を歩き、山手線の改札口に向かう道中、私が目の前を歩くやたらとEケツをしたねーちゃんのケツに見とれていると、同じようにそのケツに見とれていた秋田がいいました。



「・・・・」



それは私も同感でした。



その後中学を卒業し、『京北商業高校』という文京区にある私立の男子校に進学することになった私の耳にもよその区の喧嘩情報が頻繁に入って来るようになるのですが、それは私たち練馬の不良の喧嘩とは違い、それこそ聞けば聞くほどなんでも有りといった印象を受けました。



時はチーマー全盛期。



―――オヤジ狩り。



―――腰パン。



―――コギャル。



―――援助交際。



―――ルーズソックス。



そうした言葉が一般的に知られるようになってきたのもこの時代。



都内各地にはそれこそチーマーや暴走族を始めとする大・中・小・様々なグループが乱立し、そうした中で武器有りの刺し喧嘩や大人数によるボコリは当たり前になっていく傾向にありました。



むしろ素手のタイマンなんて甘っちょろいルールは軽視され、時には奇襲により拉致され、監禁先で執拗な暴行を受けるなどという、背筋の凍るような話も頻繁に入って来るようになり、私自身よその区の喧嘩の仕方に脅威を覚えた記憶があります。



もっともその後の(高校編)や(練馬サリン編)などでは私自身、持ち前の目付きの悪さと運の悪さから様々な虎舞竜(トラブル)に見舞われ、練馬の上の世代や下の世代と揉めた際には大人数でボコられたり、囲まれて刃物を向けられたリ、または拉致られたリする羽目になっていくのですが、それはこれまでの(中学編)よりも随分と先の話になります。



そう。



そうなのです。



繰り返すようですが、時はチーマー全盛期。



思えば、同じ練馬区内といえど”ユルくてガバガバだった”のは何故か私たちの世代だけ。



上の世代や下の世代ではそれこそよその区の連中のようになんでも有り的な危険な集団も数多く存在していたのでした。



「・・・・」



しかし、私はその当時も今も”ユルカッタ”方でむしろ良かったと思っています。



何故なら武器を使ったり大人数でボコったりする問答無用の喧嘩は武器なしのタイマンとは違い、憎しみや怨恨といったマイナスの感情を残すことになるからです。



そうしたマイナスの感情は時を超え、場所をかえ、そして元々は関係のない様々な人間をどんどん巻き込んでいき、最終的にはそこに関わったすべての者を後悔させるような極めて恐ろしい結果に繋がっていくケースを私はこれまでにたくさん見聞きしてきました。



その模様は今もなお地球上のあちこちで延々と繰り返されている無意味な戦争のようであり、さながら小さな小さな縮図のようなものでした。



素手の喧嘩は殴られる方はもちろん痛いですが、殴る方だってもちろん痛いもの。



いずれ懲りてどちらもやりたくなくなるものです。



反面、武器にはそれがヤッパ(刃物)であれ、ハジキ(拳銃)であれ、それを手にした者はどういう訳か必ず使いたくなるという、性質というか魔力のようなものが秘められています。



そこに自分以外の人間が多数加われば争いは必ずエンドレスなものになっていく傾向にあります。









だから喧嘩で武器を使うのはイカン!大人数によるボコリはアカン!という訳です。









先月、誕生日を迎えた私も気が付けば38歳という、かなりいい年齢になってしまいました。



俗にいう、アラフォー世代という奴です。



日本人の平均寿命からするとすでに人生の折り返し地点となる年齢で、私と同世代の友人や知人の多くはすでに結婚しており、そのほとんどが子供を持つ親となっています。



私に子供はいませんが、私たち親の世代は自分の子供たちの世代に”喧嘩をするのなら武器なしのタイマンにしとけ!”と、強く伝えていかなければなりません。




















何故なら、争いにおいて武器も使わず素手のタイマンだけにしておけば、いずれこの地球上からは無意味な戦争はなくなり、地球人皆がもっと豊かで幸せに暮らせるような、そんな”素晴らC星”になれると思うからです。








※         ※         ※         ※









私と秋田が池袋から山手線に乗り換え、渋谷の109付近に着いたのはそれから3、40分後のことでした。








電車に乗っている間に日は大分暮れ、渋谷の街は昼の貌から徐々に夜の貌へと変貌を遂げようとしていました。



「・・・・」



その景色を見て、不意に私とIとの間にはこんな後日談があったことを思い出します。








それは今と同じような夕暮れ時。



あれは確か中学を卒業して私が高校1年か2年だった頃。練馬区早宮付近にある小さな公園でIと電話で話した時のことです。



その時、Iは自身の夢を叶えるべく大阪に渡るのだといっていました。



―――おれ、来月から大阪に行くんだ。ボクシングしに。



それはこれまで聞いたIの声の中で一番穏やかなものでした。



―――・・・・。



ボクサー。



Iからその言葉を聞いて私の胸が熱くなりました。それは私自身の将来の夢でもあったからです。



―――へ~、そうなんだ。Iボクシングやりに大阪行くんだ。







大阪にはあの辰吉丈一郎が所属していた名門、『大阪帝拳ジム』があります。



まさか、Iもその『大阪帝拳』に入門するつもりなのでしょうか。



だとするならば、非常に厄介です。Iはまた一段と強くなってしまうことでしょう。



―――おれもいずれやるつもりだよ、ボクシング。



私が受話器に向かってそういうと、電話の向こう側でIは少し笑いこういいました。



―――そっか。じゃあ、タムラとはいずれリングの上で再戦だな。



―――・・・・。



Iとリングの上で再戦。







想像すると少し嫌な気もしましたが、このまま負けたままではやはり悔しいものです。



それにその頃には私もきっと今よりも強くなっていることでしょう。



望むところでした。



―――ふっ。そうだね。次は負けないよ。



しばらく沈黙した後、私はいいました。



―――へっ、よくいうぜ。じゃあな。



―――うん。頑張ってよ。









私がIと話したのはそれが最後になりました。



Iがその後大阪に渡りボクサーの道をどうしたのかは私は知りません。



また、私自身は21歳の頃にボクシングのプロテストに合格したものの背中に刺青が入っていた為にプロとしてデビューすることは出来ず、結局Iと交わしたいつかリングの上で再戦するという約束は永遠に果たされることはありませんでした。



「・・・・」



非常に長く、私にとって中学の時に構えることになった”キョクトー戦”はひどく億劫で生涯で二度目となる敗北を味わった非常に嫌な喧嘩でしたが、今思えば、その中で得るものも沢山あったように思います。









朝倉・・・・。









「このビルっぽいね」



「・・・・え?」



私が歩きながらボケ~っとかつての回想シーンに浸っていると、リクオから手渡されたフライヤーを手にした秋田がいいました。



見ると道玄坂だか宮益坂だかを上がっていったところにある雑居ビルの地下一階に目当てのクラブが入っていて、私たちは早速そのビルのエレベーターを使ってクラブ内に入っていきました。



そこにはすでに地元の仲間たちが来ていて、DJブースの中でヘッドホンをしながら音の調節をしていたDJのリクオとラッパーのASHURASUTAにこういわれました。



「あとでタムコのために一曲特別なのやるからさ。楽しみにしててよ」



そういったリクオの目がいつものイタズラをする時の目だったので私は若干不安になり、



「あ、ああ・・・・」



とだけいいました。



どうやら今日は楽しくも長い夜になりそうです。









そうそう。








そういえば、文中、秋田とIを筆頭とした『キョクト-』の軍勢が当時練馬区大泉方面で一番ワルが多くて有名だった『サクラ中』に攻めていったとありましたが、その『サクラ中』の”スドー”という男が後に『練マザファッカー』という、HIPHOPグループのリーダーとなる、あのDOになっていくのはここだけの話です。

















以上、ここまでが私の視点から見た東京アウトローズ(中学編)でした☆。








「タムコ、なにそんなところで突っ立ってんだよ。もうすぐ始まるぜ!」









to be continued....




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―――S53年世代、練馬区暫定王者の男・3中の秋田(仮名)。









押忍。



お疲れ様です。



便利屋のしょうちゃんです。



こうして、これまでの(中学編)第一話から第四話までのダルくて非常に嫌~な経緯があった後、ついに私(13)は練馬の宿敵・恐怖の『キョクトー中』の頭である、あのIと深夜のタカイナリ公園で激突したのでした。







「じゃあ、しょうがねえからハンデやるよ。おれは足使わないでやっからよ。なっ?」



耳元でささやくような声。



そういうと、Iはこちらが返事をする間もなく吸っていた煙草を地面に落とすと、突然物凄い勢いで私に襲い掛かってきました。



「!」



喧嘩の時の視界。



ひどく狭まり、やたらと臨場感がアップする独特の視界。



視界が瞬時にバトルモードに切り替わり、束の間物凄い勢いでこちらに襲い掛かって来るIの動きがスローモーションに見えました。



「・・・・」



八方塞がり。



四面楚歌。



逃げようにも周囲はIの仲間に囲まれています。



例え、逃げようとしたところで逃げ切れる保証はどこにもありません。







せいぜい、タカイナリコロシアムの辺りでとっ捕まるのがオチです。



ならば・・・・。



「・・・・」



その時、私の両目にわずかな炎が灯りました。



どれだけ誠意を込めて命乞いをしても何処にも逃げ場がないことをようやく理解した私はこれまで腹の底に溜めていたIに対する濃厚な怒りをついに大爆発させました。







「チッ、上等だよ、このヤロ!んなにやりてえならやってやるよ、クソがっ!」



窮鼠猫を噛む。



両目から勢いよく炎を噴出させ、瞬時にファイティングポーズを取った私はこちらに向かってくるIの顔面に研ぎ澄まされた右ストレートを思い切り叩き込みました。







これ以上ないくらいのタイミングで奴の顔面にモロに入ったカウンター。



前田大尊ばりの見事なライトクロス。



大地が揺れ、周囲に”バチッ”という、肉を打つ鋭い音ととも青白い閃光が走りました。



「・・・・」



殴り終わった直後に猛烈な勢いで襲ってくるやっちまった感。



この先に訪れるであろう未来のことを想像すると頭が痛くなりました。



しかし、もう後へは引けません。



なにせあの、『キョクトー』のIをぶん殴ってしまったのですから。



そうです。



私は練馬で一番やってはいけないことをやってしまったのでした。



外野の不良どもから、



「おぉぉ~っ!」



という、熱の入った歓声が上がりました。



「てっ・・・・」



思わぬ反撃を受け、一瞬だけ膝の折れたIとコンマ・数秒の間見つめ合ったのはその直後のことでした。



「・・・・」



見開かれたIの目は怒りに震え、真っ赤に充血していました。



まるで大魔王を思わせる底なしに恐ろしいIの目。



それは気を抜くと金縛りに合ってしまいそうな魔力を秘めていました。



そのとき、タカイナリ公園の各所に植わっている樹齢千年を超える古くて巨大な大木からカラスたちがいっせいに飛び去っていきました。









『練馬・カイシン2中』VS『練馬・キョクトー中』の最終決戦がついに幕を開けたのでした。









...to be continued☆






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