流星群の剣

カイシン便利サービス 田村 将のブログです。


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    男の道



                                   田村 将



校庭の桜がマンカイの中、はじめてこの学校に足を踏み入れてからもうすぐ三年という時間が経過しようとしている。



思いおこせばこの数年、実にたまんないことの連続だった。



先生(複数)にはしかられ、親にもしかられ、通りすがりのおっさんにまでしかられた辛い日々だった。



だが、バット、しかし。



学校をやめたいなんて思ったことは一度しかない。



ぼくは学校が好きだった。



だが、やめたいと思ったことが一度ある。



それは運動会の組体操の練習中だ。



なんとぼくの膝に針のごとく尖った砂が食い込んでいるではないか。



それはそれは痛くてたまんなかった。



しかし、その痛みをガマンして、血のにじむような練習をしたからこそ、さんさんと輝く太陽の中、なによりも美しい血と汗と涙の結晶である勝利のトライアングル、ピラミッドが完成したのだ。



完成した時の喜びと感動、そしてきらめくような仲間の笑顔。



ぼくの頭の中に一生こびりつくだろう。



ピラミッドは男の歩む道。



いや、男の道だったのだろう。



この三年間という、限られた時はとても短かったけど、感動や思い出、それに多くの仲間、どれも大切なものばかりたくさん得た、かけがえのない時間だったと思う。



そして、また。



いつか出会えることを楽しみにして、



笑顔で卒業するとしよう。









――――平成五年度。東京都練馬区立カイシン第2中学校、卒業文集より抜粋。








         ※         ※         ※         ※    





    


(タムコ・・・・)



緊張し、切迫した声。



(タムコ・・・・)



何かに怯え、ひどく切迫した声が遠くの方、はるか遠くの方からほんのわずかだけうっすらと聞こえたような気がしました。



深いまどろみの中、まだまだこの心地よい睡眠を貪りたいのにそのデリカ氏ーのない声の主はこちらの意思もまったく意に介そうとはせず、今度は肩の辺りを強く揺さぶってきました。



「・・・・なあ、タムコ。マジでちょっと起きろって」



これまでと違い、ひと際大きな声。



声の質に真剣さが強く滲んでいます。



夢と現実の狭間の世界で意識が朦朧としていた私(14)はそこで一気に現実の世界に引き戻されました。








―――1993年。春。京都・奈良。























「・・・・んあ?」



わずかによだれを垂らしながらうっすらと目を開けると、そこには『カイシン2中』の同級生で同じクラスのK太郎(仮名)がいました。



K太郎は茶色っぽいサラサラヘヤーをなびかせながら、ひどく興奮している様子でした。



「・・・・」



目をこすりながら周囲を見渡します。



そこはガタガタと揺れる移動中のバスの中。







私は一番後ろの後部座席でヨボヨボの爺さんと婆さんに挟まれる形で座っていました。



「・・・・」



その状況から自分が今、中3最後の修学旅行として京都・奈良方面に来ているのだと思い出すのに時間が掛かりました。



「なんだよ、K太郎。うるせえな。もうホテルに着いたのかよ?」



あくび。



両腕を天に掲げて大きく伸びをします。



なんだか、ずいぶんと長い間眠っていたかのような感覚がありました。



学ランの右ポケットに入っているしおりによると、確か旅行初日の今日はこれで全てのスケジュールと班行動が終わって、あとはこのままそれぞれの班でバスや電車に乗って、今夜泊まることになる宿泊先のホテルに集合する予定となっていました。



見ると車内の座席はすべて埋まっていて、かなり混雑しています。



また、乗客の半数以上が学ランやブレザー、それにセーラー服を着ている私たちのような関東から来たであろう修学旅行生のようでした。







「・・・・」



バスの最前列の方にはごく少数でしたが、よく見ると本格的なヤンキーもいてその中の1人と私は束の間見つめ合いました。



「いや、まだ着いてねえって」



K太郎は声を潜め、今度は内緒話をするようにして続けました。



「そんなことより、あっちにすげえ舐めた奴がいる。たぶんタムコキレちゃうぜ。アレだって絶対ヤバイもん。アレ、おれらに喧嘩売ってるぜ。マジ行ってみ。本当、ヤバイから」



K太郎からその聞き捨てならない言葉を聞いて、私のコメカミの辺りがピクンと反応しました。



「あ?喧嘩売ってるだと、このヤロ。またかよ!なんで、しょっちゅうしょっちゅうおればっかいつも喧嘩売られなきゃなんねんだよ、畜生。どいつだよ、マジぶっ飛ばしてやっからマジで」



熟練した詐欺師ばりにペラ(トーク)が達者なK太郎に煽られ、一気に眠気が覚めた私は座席から勢いよく立ちあがりました。







―――K太郎。



学校の成績も含め非常に頭が切れる上にスポーツも万能。



私とも気が合うお調子者。



しかし、その一方でよく回るその口が原因で大きく分ければあの黒原などと同じ部類に入る男。







すなわち、虎舞竜(トラブル)を配達してくる、『虎舞竜メーカー』の正社員だということです。



「・・・・」



実はついこの間まで私たち『カイシン2中』と豊玉方面にある『トヨ中』は揉めていたのですが、その一件にもこのK太郎は一枚噛んでいました。







その辺でカツアゲなどの悪さをしまくっていた一コ下のダンカンが私たちの代の『トヨ中』の頭とされていたUたちに『タコ公園』という巨大なタコの滑り台がある公園で〆られ、反対に今度は仲間のリクオが個人的に揉めていた『トヨ中』の二番手と伝えられていたYと『一丁目公園』でタイマンを張って勝ち、流れ的に今度は私とそのUがぶつかる方向でコトは水面下で動いていたのです。



このUはあの『キョクトー』のI同様、稀にネットの掲示板にもその名前が載っているほど地元・練馬では有名な男でしたが、K太郎とは塾か何かを通して知り合いだったようで、私とU双方を知るK太郎が双方を煽り、結局奴の口車に乗せられて勢いづいた私はK太郎と2人でUたちがいるという、『練馬図書館』に出張って行ったのです。



ついこの間のことでした。











―――てめえがUか、コラ。おれが『カイ2』のタムラだ。おまえ、こいつから聞いたけどなんかおれのことヤルとかって吹いてるらしいじゃねえか。あ?舐めてんのか、コラ。



Uたちは眼鏡を掛けた真面目そうな奴らも含めその場に10人以上集まっていましたが、やはり先頭に立つUだけは一際筋肉質で只ならぬオーラを放っていました。



―――はぁーっ?なんだ、てめえ、いきなりこの野郎。



一瞬にして顔色を変えたUが眉間にシワを寄せて詰め寄って来ると、私たちはそのまましんと静まり返っていた『練馬図書館』内でお互いの襟首を掴み合い、今にも大地を揺るがす殴り合いの激しい喧嘩がおっ始まりそうな不穏な空気に包まれました。



―――・・・・。



―――・・・・。



しかし胸倉を掴み合ったその瞬間、私たちはお互いの戦闘力が丁度同じくらいであることに気付きます。



それはすなわち激突したらどちらもただでは済まないということです。



それによく考えてみればもともとの原因があのダンカンが『タコ公園』で〆られたなどと、かなりどうでもいい理由でした。



結局私たちはお互い痛い目に合うのが嫌だったのでその場でやり合うことはせず、最終的には移動先の『タコ公園』で話し合って和解することになるのですが、この『トヨ中』との一件に限らず、私はあの”キョクトー戦”以降もまるで運命に翻弄されるかの如く、しょっちゅう何かしらの虎舞竜に巻き込まれる日々を送っていたのです。



そして、恐ろしいことにその頻度は少しづつ、ですが確実に増えているようでもありました。











またその一方で、地元の特権で大量に出回って来る『としまえん』の券を入り口の真ん前で勝手に売り捌く、ダフ屋などの”手に職”をつけだしたのもつい最近のことでした。



「よう、なんかおまえ、おれらに喧嘩売ってるらしいじゃん」



爽やかで明るい口調。



座席から立ちあがった私はバスの真ん中付近に跳ねるようにして歩いて行くと、そこに座っていた坊主頭のイカつい風貌の男にいいました。



K太郎曰く、この男が私たちに喧嘩を売っているそうです。







その外見はまるで漫画『東京トライブ2』に出てくる怒った時のガリレオのようでした。







「は?知るか、ボケ。舐めた口利いてると殺すぞ、おまえ」



ガリレオは私に一瞥をくれるとまったく悪びれる様子もなくいいました。



それは目下の者に話しかける口調。



その様子を見守っていた私たちの班のメンバーと相手方の班のメンバーの間に緊張が走りました。



文字通り、ガリレオはハナからヤル気マンマンです。



私は口笛を吹きました。



「まあ、いいや。悪りぃけど、おまえそこちょっとどいてくんねえ?おれこのタコと話があっからさ」



私はガリレオの隣に座っていた奴の班のメンバーと思しき大人しそうな生徒の肩をポンポンと叩くとそういいました。



「あ、はい・・・・。どうぞ・・・・」



大人しそうな生徒は私と目も合わさずにそういうとすぐさま座っていた席を譲ってくれました。



そこに私がドカッと座り、私の班のメンバーと奴の班のメンバーが立ったままその様子を見守る形になりました。



無論、双方にはそれぞれ班行動を共にしている女子生徒も2、3名いて、女の目がある以上、私もガリレオも一歩も引けない状況となりました。



「おまえ、どこ中だよ」



私がお決まりのセリフでそういうと、ガリレオは私の顔に自分の顔を近づけてこういいました。



「1中だよ」



「は?てめえ、『カイ1』か?コラ。『カイ1』のくせにおれのこと知らねえのか?おれはなぁ・・・・」



そういって、負けはしましたがあの『キョクトー』とたった2人で戦った『カイ2』のタムラだぞ!と胸を張って言わんばかりに自分の中学を名乗ろうとした時、わずかに眉を潜めたガリレオが遮ってこういいました。



「は?なにいってんだおまえ。どこだと思ってんのか知らねえけど、おれら市川だぞ」



「イチカワ?なんだソレ?どこだソレ?」



イチカワという地名にまったくピンと来なかった私の頭にクエスチョンマークが浮かんでいると、そのやり取りを横で見守っていたK太郎が助け舟を出しました。



「タムコ、千葉だよ。千葉」



「ふんっ。千葉か。まあ、いいや。どこでも。とりあえず、おまえ反抗的でムカつくからバス降りたらヤルから。いい?」



一瞬だけ真顔で殺意を込めた目でそういうと、私は頭の中で奴の顔面に右ストレートを一発叩き込みました。



「ふっ、上等だよ」



ガリレオは鼻で笑いそういうと腕を組み、窓の外に目を向けました。



非常に落ち着き払っています。



よほど喧嘩慣れしているのでしょう。



車窓からは見慣れない京都・奈良方面の景色が広がっていました。



「・・・・」



「・・・・」



ヤルと決まった以上、それ以上お互い何もいうことがなくなり、私もガリレオもそしてお互いの他の班のメンバーたちもおのずと口数が減り、バスの車内は楽しい筈の修学旅行中とは思えないほど非常にどんよりとした空気が流れました。



バスの到着時間、すなわち戦いのゴングが鳴る時間が近づくにつれ、徐々に下腹の辺りからふつふつと湧き上がってくる喧嘩の前の緊張感。



あの、みぞおちの少し上の辺りが軽く気持ちが悪くなってくる感覚に襲われてきましたが、以前の”キョクトー戦”の頃よりもだいぶ喧嘩慣れしてきている私にとってはその嫌な感覚すら愉しむ余裕が生まれていました。



そうです。



その後も幾多の修羅場を潜り抜けて来た私は『キョクトー』と戦っていた中2の頃よりも強くなっていたのでした。



「・・・・で、どこでやんだよ?」







バスが終点と思しき、人通りの多い京阪三条駅というバスロータリ―に着くと、最初に降りた私の背後からガリレオの太い声が聞こえてきました。



「どこって、そんなもんどこでも・・・・」



そういって、勢いよく背後を振り返った私の目に飛び込んできたのはガリレオの想像を絶する規格外の”ガタイ”でした。







まさに超・スーパーヘビー級。



身長は中学生のくせに確実に1メートル90センチから2メートルはあろうかという超・巨漢。



スーパー・ウルトラ・ビッグサイズ。



「・・・・」



私の右の鼻の穴から鼻水が垂れてきました。



ガリレオは自身の反則的な”ガタイ”を見せつけるかのように仁王立ちし、ごく平均的な身長と体重である私をまるでフランケンシュタインのようにボーっと見下ろしていました。



その目はまるでこれから死にゆく者を見るような非常に白けた眼差しです。



―――チッ。しくじった!



また、K太郎にハメられた!!!



私は思いました。



そう。



そうなのです。



これまで座っていたからガリレオのその反則的な”ガタイ”にそこで初めて気がついたのでした。



ガリレオの馬鹿でかい”ガタイ”の向こうにいたK太郎とコンマ数秒の間見つめい合いました。







「・・・・」



唾をゴクリと飲み込みます。



K太郎は気まずそうにして、私から目をそらしました。



今更ながら、地元の虎舞竜メーカーたちの恐ろしさに気付かされました。



瞬間どうするか迷いましたが、女の目もあるしあれだけ粋がっておいて今更引き下がれる筈もありません。



そんなことをしたらこの”タムラ”の名前に傷がつくからです。



それにペラが達者なK太郎がこの場にいる以上、その噂は尾ひれをつけて瞬く間に練馬中に広まってしまうことでしょう。



私は”タムラ”の名において、逃げるという選択肢を排除しました。



つまり、楽しい筈の修学旅行中であるにも関わらず、よりによって”ボス戦”がやって来てしまったということです。



またしても『ろくでなしブルース』ばりに。



「ど、どこって・・・・」



私は見上げるようなでかさとゴツさを誇るゴーレムのようなガリレオからわずかに目をそらし、下を向くと呟くようにモゴモゴといいました。



「あっ?聞こえねえよ。どこでやんのかって聞いてんだよ。こっちはよ」



明らかに私がビビっていると悟ったのか、更に勢いづいたガリレオがその『はだしのゲン』に出てきそうなイカつい顔面を近づけてきました。



私はその一瞬のスキを見逃さず、瞬時に息を吸い込むと、”真・田村無双”を発動させました。



―――ドガッ!!!







大地を揺るがす鈍い音。



相手の鼻っ柱にクリーンヒットしたそのヘッド・バッド(頭突き)はきちんと額の一番強い部分で正確に相手の急所を捉えていました。



もう、『キョクトー』の”岡崎戦”の時のように頭頂部の弱いところで打って、そこに血を溜めて後で水風船のようにブヨブヨになる心配もありません。









「もう、始まってんだよ、オラーッ!」








”真・田村無双”から放たれたハリケーン・カトリーヌのような激しい風圧によって、他のバスから降りて来た女子中学生の一団のスカートがいっせいにめくれ上がり、近くを横断しようとしていたおっさんのズラが吹き飛ばされ、辺りが一時騒然となったのはその直後のことでした。








「きゃあ~っ」









千葉の怪物・市川ガリレオとの戦いが京都・京阪三条駅の地で白昼堂々、今おっ始まったのでした。




 






to be continued・・・・。下に続く。



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押忍。

 

 

 

皆さん、お疲れ様です。

 

 

 

毎度ご無沙汰しております。

 

 

 

便利屋のしょうちゃんです。

 

 

 

「へ~っくしょんっ!」

 

 

 

ズキンッ。

 

 

 

「うっ」

 

 

 

「へ~っくしょんっ!」

 

 

 

ズキンッ。

 

 

 

「ううっ」

 

 

 

ゴホンッ、

 

 

 

失礼いたしました。

 

 

 

実は一昨日、道路の縁石に使われているあのくそ重いL字型のコンクリートブロックを20枚ほど回収してくれNICEかという依頼が入ったので、これをいつものように筋トレ代わりに1人で軽トラに積んで回収したのはよかったのですが、ちょうど12、3枚目くらいを積んでいる最中に肋骨の右斜め下のあたりから”ミシッ”という、かなり嫌な音が聞こえ、それ以来、そこから激痛が走るようになって、かなりピヨっております(泣)。

 

 

 

今もなお(大泣)。

 

 

 

まるであの”キョクトー戦”や”ダーク・マコト戦”を彷彿とさせるかのようなこの痛み。

 

 

 

恐らく肋骨の右斜め下の辺りに結構なヒビが入ってる模様です。

 

 

 

この場合、特に警戒すべきはくしゃみで、本当にくしゃみをするのが毎回毎回かなりおっかNICE。

 

 

 

くしゃみをすると、その都度アバラに響いて激痛が走るので、埃アレルギーを持つ私は昨日の埃が立ちまくる現場でかなりピヨッていました。

 

 

 

―――へ~っくしょんっ!

 

 

 

ズキンッ。

 

 

 

―――うっ。

 

 

 

―――へ~っくしょんっ!

 

 

 

ズキンッ。

 

 

 

―――ううっ。

 

 

 

 

 

 

敵から攻撃を受けている訳でもないのに、くしゃみをする度に自動的にダメージを喰らって勝手に体力を消耗していくその光景は、まるで毒にやられいる『ドラクエ』のようでした。

 

 

 

そのうえ、昨日はそんな状態だったにもかわらず、午前中に家具の移動の案件が入っていたのですが、さらに最悪だったのはその移動する家具の中にピアノがあったのです。

 

 

 

 

 

 

唾をゴクリッと飲み込みました。

 

 

 

この肋骨がやられてピヨってる状態でまさかのピアノ。

 

 

 

代わりの人間がいれば良かったのですが、この忙しい時期に昨日の今日でピアノの移動を捌けるような貴重な人財がそう簡単に見つかる筈もなく、私は仕方なく肋骨の右斜め下のあたりに不安を覚えながらも予定通り自らやることにして車に乗り込んだのでした。

 

 

ただ、やはりためらいもありました。

 

 

ピアノはその恐るべき重量と運びにくさから運搬業界では難易度が高く、普通の引越し屋とは違い、本来奴の移動はそれを専門とする『ピアノ屋』がやる仕事です。

 

 

 

ピヨッた便利屋が相手をするにはちと危険な相手でした。

 

 

 

しかし、現場にはすでに私の到着を待つ同業者のGUCCI(山口さん)の姿もあります。

 

 

 

当然お客様もいて、納期や経費の関係もある以上、やらない訳にもいきません。

 

 

 

―――・・・・。

 

 

 

ただ、いくら”練馬の素手喧嘩伝説”の異名を持つこの私も、ピヨっているこの状態でのこのこと丸腰でピアノに挑むほど馬鹿でもなければ、お人よしでもありませんでした。

 

 

 

 

 

 

ジャン、ジャジャーン!

 

 

 

キャリーらくだぁ!

 

 

 

 

 

 

 

そうです。

 

 

 

私は最後の禁じ手・きゃりーぱみゅぱみゅならぬ、キャリーらくだを使用することに決めたのでした。

 

 

 

しかし、ここからが私の本当の試練の始まりでした。

 

 

 

キャリーらくだを使い、弱々しいボディをかばいながらもくそ重いそのピアノを運び、なんとか作業が無事完了したのは良かったものの、今度はピアノを運ぶ時に踏ん張り過ぎてしまったのか、仕事が終わる頃にはアバラに続いて腰までやってしまったという、まさにしょうちゃんが腰とアバラをやっちゃってる、今日はそんなちょっと切ないお話でした(笑)。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと!玄関に靴を2足以上出してたら風水的に悪いんだからちゃんと毎回下駄箱にサンダルしまってっていってるでしょ!何回いえばわかんの、あんたは」

 

 

 

扉の向こう側から聞こえてくる掃除機の音。

 

 

 

心なしかその脇から妻が文句をいっているような気がしましたが、私はそれに構わず久しぶりに猛将伝(ブログ)の続きを書いていました。

 

 

 

「へ~っくしょんっ!」

 

 

 

ズキンッ。

 

 

 

「ううっ」

 

 

 

しかし、一見踏んだり蹴ったりでかわいそうに見えるこの状況でも、常日頃から民や動物や自然、さらにはゴミにまで親切でこの星(地球)に優しい、”練馬の尊師”を天は決して見放さないものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――2017年3月11日。AM9:08。

 

 

 

 

 

 

 

トゥトゥ、トゥルル。

 

 

 

トゥトゥ、トゥルル。

 

 

 

 

 

 

スマホの着信音に設定されている海外ドラマ『24』の内線着信音がディッキーズのチノパンの中で鳴り響きました。

 

 

 

「はい。もしもし―――」

 

 

 

私はアバラと腰の角度に注意しながらスマホを取り出すと電話に出ました。

 

 

 

「ああ、タムラさん。あと追加でもう一件聞きたいんだけどねえ・・・・」

 

 

 

相手は以前地元の先輩を通して紹介されたリフォーム会社の人でした。

 

 

 

「・・・・」

 

 

 

拳をぎゅっと握りしめます。

 

 

 

 

 

 

書いている途中だった猛将伝の下書きを一時保存し、パソコンの電源をオフにしました。

 

 

 

革張りの社長デスクの椅子から闘病中の老人のようなぎこちない動きでゆっくりと立ち上がると、私は壁に貼ってあるカレンダーを焦点の定まらない複視の目で睨みつけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はぐれメタル級の案件が3件同時に現れたのでした。

 

 

 

to be continued...☆

 

 

 

 

 

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「・・・・で、秋田はあのあとIとタイマン張って勝ったんだ?」









―――2015年。某日。東京・池袋。









これから友人のクニオやASHURASTAたちが主催し、渋谷のクラブで行われる”STEES”というHIPHOP系のイベントに向かう途中、私(36)と秋田(36)の2人は西武池袋線の準急電車からホームに降り立ちました。



「終点、池袋~、池袋。お手回り品、お忘れ物がないようご注意ください」



駅員の鼻にかかった独特のアナウンスが駅構内に響き渡ります。



久しぶりに来た池袋はその日もいつもと変わらず多くの人々が行き交っていました。



「ああ。勝ったよ」



切れるとおっかないですが、普段はいたってクールでクレバーな秋田は涼しげな顔をしていいました。



「やっぱそうなんだ。すげ~、噂には聞いてたけど、やっぱマジで勝ってたんだ」



私は何気なく話す秋田の表情を掛けていたサングラス越しにまじまじと見ながらいいました。



成人し、長い間仙台方面に行っていた秋田が練馬に戻ってきたのはここ最近のこと。



これまでクニオや翼などの共通の友人たちとは何度も会って呑んだりしていたようですが、私とはなかなかタイミングが合わず、こうして秋田とサシで話すのはかなり久しぶりのことでした。



話題は最近になって金銭虎舞竜(金銭トラブル)や女性問題で揉めているという、あのけしからん黒原のこと。



それに今からもう20数年以上も前になる都内のそういった有名アウトローの話が多かったように思います。



そこにはもちろん、中学の時に共通の宿敵であった『キョクトー』のIの話も出てきました。



「ねえ、ねえ、つうかどういう感じでいつ頃Iとやり合ったの?」



私は興味津々といった感じで秋田にコトの詳細を尋ねました。













脳裏にはあの日、初めて『キョクトー』の連中と対峙し、そのままタカイナリ公園や森公園で岡崎とやり合った時の記憶が鮮明に蘇ってきました。



おっかない先輩たちを含む、大勢の部隊を引っ張り、2つの中学を同時に攻めてきたI率いる『キョクトー中』。



それを迎え撃つ形で連中を出迎えたのは、我ら『カイシン2中』からは私とクニオの2人。



『3中』からはギャラリーのイカつい先輩たちを除けば、この秋田ただ1人でした。



あの日は確か森公園で行われていた私と岡崎の第2ラウンドの最中、途中で警察だか教師たちだかが騒ぎを聞きつけて集まり出したのでそのまま流れ解散になった筈です。



「あのあと、しばらくしたらいきなりあいつら家まできやがってさ。タンッタンッとかいって何度も家の前で舌打ちすっから出てみたら、Iたちがいて喧嘩売って来るもんだからそれでおれとIがやることになったんだよ」



あいつら家まで来たのかよ。



つくづく面倒くせー奴らだぜ。



私は内心そう思いました。



しかし、そんな不利な状況下でもIとタイマンを張って勝つとはさすがは秋田です。



そう。







一般的な知名度は恐らくIの方が高いですが、実はこの時点で私たちS53年世代による練馬区内の暫定王者はこの秋田に決定していたのです。



何せ、あの『キョクトー』のIを倒したのですから。







また、一方で”練馬の男・タムラ”としての異名を持つ、この私自身は非常に残念ながら深夜タカイナリ公園で激突したIとの戦いに惜しくも敗れていました。



「・・・・」



脳裏にあの時の忌々しい光景が蘇ります。







いざタイマンがおっ始まった時、前田太尊ばりのクロスカウンターをIの顔面に叩き込んで序盤優勢な場面もあった私ですが、続けて奴の喉元目掛けて本気で殺すつもりで放った手刀、必殺技の”タムラ・チョップ”を寸前のところでかわされてしまい、次の瞬間、なんとIから受けたたった一発の攻撃であえなく撃沈してしまったのです。



「・・・・」



そう。



そうなのです。



タイマンがおっ始まる前に余裕をこいて”おれは足を使わないでやるよ”という、あの約束のハンデは何処へやら。







私をマットに沈めた大魔王からの痛恨の一撃はあろうことか、紫色の稲妻を帯びた左右どちらかの膝蹴りだったのです。



「・・・・」



脳裏にあの時の忌々しい記憶が蘇ります。



―――オラーッ!



ドガッ!!!







―――んっ!



その瞬間、時が止まり、景色が一変しました。



”タムラ・チョップ”をかわされたと思った次の瞬間、まるで金属バットでフルスイングされたかのような濃厚で生々しい痛みが私の脇腹に突き刺さったのです。



そのダメージは脇腹から鬼の速さで内臓まで到達し、呼吸が完全に止まってしまうほど。



―――ぐぉぉぉぉ・・・・。



大魔王からの痛恨の一撃をモロに喰らい、一瞬にして瀕死のHPとなった私の嗚咽が深夜のタカイナリ公園に虚しく響き渡りました。








―――ぐぅぅぅぅ・・・・。



いっそのこと顔面にいいのを喰らって綺麗に記憶がなくなるくらい見事にぶっ飛ばされた方がどれだけマシなことか。



実際、顔面へのクリーンヒットは鎮痛効果のあるアドレナリンが脳内で分泌しまくっているせいか、やっている最中にそれ程痛みを感じることはありませんが、対照的にボディーへのクリーンヒットはまさに生き地獄そのもの。



痛いどころの騒ぎではありません。



私は両手で脇腹を抑えながら膝をつき、やがて立っているのもままならずそのまま地面をのたうち回りました。



―――はぁっ、はぁっ、はぁっ。・・・・痛ってえ~。はぁっ、はぁっ、はぁっ、マジ、もう無理。マジ、おれの負けだからもう勘弁してよ。



黄金色に変色していた私の髪の毛がみるみる内に元の黒髪サラサラヘヤーに戻っていってしまいました。



―――はぁっ、はぁっ、はぁっ。・・・・よしっ。じゃあ、この辺で勘弁しといてやるよ・・・・。



満月の月明かりの下、両目を異様に光らせた大魔王が私の頭上で勝ち誇ったようにいいました。



―――はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・。



私はその言葉を聞いてようやくこの戦いが終わったと思いホッとしましたが、一方で頭の中では「ずっちーな!(織田裕二風に)。さっき足、使わねえっていってたじゃねえかよ、この野郎!」という、往生際の悪い言葉がグルグルと回っていたのを20年数以上経った今でもよく覚えています。



そして、奴の背後にそび立つ樹齢千年を超える大木の遥か彼方でいつまでも鳴き続けるあのカラスたちの鳴き声を・・・・。









それはまさに大魔王の勝利を周辺の練馬区民に報せるかのような、私にとってひどく耳障りなものでした・・・・。



















※         ※         ※         ※













―――さて。



当時、練馬区内の私たちの世代における喧嘩はこれまでの話を通して伝えて来たように正々堂々とした武器なしのタイマンが主流でした。



例え、これまでの”キョクトー戦”のように多勢に無勢だったとしても武器を使ったり、または大勢で1人をボコったりという喧嘩のやり方はほとんどなかったのです。



喧嘩は武器なしのタイマンが基本。



私たちの代における練馬の不良はそうした暗黙のルールの中で戦っていました。



私にしろ、秋田にしろ、Iにしろ、この一件に限らず、それぞれ別件で他の中学の連中と揉めたり喧嘩をしたりしていた訳ですが、基本的にどの中学の連中とも暗黙の了解でこのスタイルは保たれていたように思います。



喧嘩はスポーツマンシップに則った武器なしのタイマンが基本である、と。



そして、そうしたスポーツマンシップに則った武器なしのタイマンを張ると、実力が近ければ近いほど喧嘩相手との間にもれなく”友情”が芽生えることがあるのです。



それは格闘技の試合後、お互いの健闘を称え合う格闘家たちのような心理が働くから。



実際、この喧嘩を機に秋田とIは仲が良くなってよくつるむようになり、Iの気まぐれなのか、Iは一時期秋田のいる『3中』に転校してきたほどです。



その後、この秋田とIを筆頭とした『キョクトー』の軍勢は大魔王の提案で、当時練馬区大泉方面で一番ワルが多くて有名だった『サクラ中』に攻めていくことになるのですが、流石にその嫌~な軍勢には敵わないと思ったのか、『サクラ中』のメンツは戦わずして降伏したといいます。



そして、この『サクラ中』は中でも特にKという男と”スドー”という男が有名でしたが、この”スドー”は後に練馬の都立高校でクニオと一緒になり、互いに音楽好きだったことからか、かなりの友好関係になったといいます。



「でも、ショウね、いっとくけどおれらの代の練馬ははっきりいってユルイよ。よその区はそんな甘くないからね。特に杉並、世田谷なんてハンパじゃないし、それこそなんでも有りだから」



池袋から地下通路を歩き、山手線の改札口に向かう道中、私が目の前を歩くやたらとEケツをしたねーちゃんのケツに見とれていると、同じようにそのケツに見とれていた秋田がいいました。



「・・・・」



それは私も同感でした。



その後中学を卒業し、『京北商業高校』という文京区にある私立の男子校に進学することになった私の耳にもよその区の喧嘩情報が頻繁に入って来るようになるのですが、それは私たち練馬の不良の喧嘩とは違い、それこそ聞けば聞くほどなんでも有りといった印象を受けました。



時はチーマー全盛期。



―――オヤジ狩り。



―――腰パン。



―――コギャル。



―――援助交際。



―――ルーズソックス。



そうした言葉が一般的に知られるようになってきたのもこの時代。



都内各地にはそれこそチーマーや暴走族を始めとする大・中・小・様々なグループが乱立し、そうした中で武器有りの刺し喧嘩や大人数によるボコリは当たり前になっていく傾向にありました。



むしろ素手のタイマンなんて甘っちょろいルールは軽視され、時には奇襲により拉致され、監禁先で執拗な暴行を受けるなどという、背筋の凍るような話も頻繁に入って来るようになり、私自身よその区の喧嘩の仕方に脅威を覚えた記憶があります。



もっともその後の(高校編)や(練馬サリン編)などでは私自身、持ち前の目付きの悪さと運の悪さから様々な虎舞竜(トラブル)に見舞われ、練馬の上の世代や下の世代と揉めた際には大人数でボコられたり、囲まれて刃物を向けられたリ、または拉致られたリする羽目になっていくのですが、それはこれまでの(中学編)よりも随分と先の話になります。



そう。



そうなのです。



繰り返すようですが、時はチーマー全盛期。



思えば、同じ練馬区内といえど”ユルくてガバガバだった”のは何故か私たちの世代だけ。



上の世代や下の世代ではそれこそよその区の連中のようになんでも有り的な危険な集団も数多く存在していたのでした。



「・・・・」



しかし、私はその当時も今も”ユルカッタ”方でむしろ良かったと思っています。



何故なら武器を使ったり大人数でボコったりする問答無用の喧嘩は武器なしのタイマンとは違い、憎しみや怨恨といったマイナスの感情を残すことになるからです。



そうしたマイナスの感情は時を超え、場所をかえ、そして元々は関係のない様々な人間をどんどん巻き込んでいき、最終的にはそこに関わったすべての者を後悔させるような極めて恐ろしい結果に繋がっていくケースを私はこれまでにたくさん見聞きしてきました。



その模様は今もなお地球上のあちこちで延々と繰り返されている無意味な戦争のようであり、さながら小さな小さな縮図のようなものでした。



素手の喧嘩は殴られる方はもちろん痛いですが、殴る方だってもちろん痛いもの。



いずれ懲りてどちらもやりたくなくなるものです。



反面、武器にはそれがヤッパ(刃物)であれ、ハジキ(拳銃)であれ、それを手にした者はどういう訳か必ず使いたくなるという、性質というか魔力のようなものが秘められています。



そこに自分以外の人間が多数加われば争いは必ずエンドレスなものになっていく傾向にあります。









だから喧嘩で武器を使うのはイカン!大人数によるボコリはアカン!という訳です。









先月、誕生日を迎えた私も気が付けば38歳という、かなりいい年齢になってしまいました。



俗にいう、アラフォー世代という奴です。



日本人の平均寿命からするとすでに人生の折り返し地点となる年齢で、私と同世代の友人や知人の多くはすでに結婚しており、そのほとんどが子供を持つ親となっています。



私に子供はいませんが、私たち親の世代は自分の子供たちの世代に”喧嘩をするのなら武器なしのタイマンにしとけ!”と、強く伝えていかなければなりません。




















何故なら、争いにおいて武器も使わず素手のタイマンだけにしておけば、いずれこの地球上からは無意味な戦争はなくなり、地球人皆がもっと豊かで幸せに暮らせるような、そんな”素晴らC星”になれると思うからです。








※         ※         ※         ※









私と秋田が池袋から山手線に乗り換え、渋谷の109付近に着いたのはそれから3、40分後のことでした。








電車に乗っている間に日は大分暮れ、渋谷の街は昼の貌から徐々に夜の貌へと変貌を遂げようとしていました。



「・・・・」



その景色を見て、不意に私とIとの間にはこんな後日談があったことを思い出します。








それは今と同じような夕暮れ時。



あれは確か中学を卒業して私が高校1年か2年だった頃。練馬区早宮付近にある小さな公園でIと電話で話した時のことです。



その時、Iは自身の夢を叶えるべく大阪に渡るのだといっていました。



―――おれ、来月から大阪に行くんだ。ボクシングしに。



それはこれまで聞いたIの声の中で一番穏やかなものでした。



―――・・・・。



ボクサー。



Iからその言葉を聞いて私の胸が熱くなりました。それは私自身の将来の夢でもあったからです。



―――へ~、そうなんだ。Iボクシングやりに大阪行くんだ。







大阪にはあの辰吉丈一郎が所属していた名門、『大阪帝拳ジム』があります。



まさか、Iもその『大阪帝拳』に入門するつもりなのでしょうか。



だとするならば、非常に厄介です。Iはまた一段と強くなってしまうことでしょう。



―――おれもいずれやるつもりだよ、ボクシング。



私が受話器に向かってそういうと、電話の向こう側でIは少し笑いこういいました。



―――そっか。じゃあ、タムラとはいずれリングの上で再戦だな。



―――・・・・。



Iとリングの上で再戦。







想像すると少し嫌な気もしましたが、このまま負けたままではやはり悔しいものです。



それにその頃には私もきっと今よりも強くなっていることでしょう。



望むところでした。



―――ふっ。そうだね。次は負けないよ。



しばらく沈黙した後、私はいいました。



―――へっ、よくいうぜ。じゃあな。



―――うん。頑張ってよ。









私がIと話したのはそれが最後になりました。



Iがその後大阪に渡りボクサーの道をどうしたのかは私は知りません。



また、私自身は21歳の頃にボクシングのプロテストに合格したものの背中に刺青が入っていた為にプロとしてデビューすることは出来ず、結局Iと交わしたいつかリングの上で再戦するという約束は永遠に果たされることはありませんでした。



「・・・・」



非常に長く、私にとって中学の時に構えることになった”キョクトー戦”はひどく億劫で生涯で二度目となる敗北を味わった非常に嫌な喧嘩でしたが、今思えば、その中で得るものも沢山あったように思います。









朝倉・・・・。









「このビルっぽいね」



「・・・・え?」



私が歩きながらボケ~っとかつての回想シーンに浸っていると、クニオから手渡されたフライヤーを手にした秋田がいいました。



見ると道玄坂だか宮益坂だかを上がっていったところにある雑居ビルの地下一階に目当てのクラブが入っていて、私たちは早速そのビルのエレベーターを使ってクラブ内に入っていきました。



そこにはすでに地元の仲間たちが来ていて、DJブースの中でヘッドホンをしながら音の調節をしていたDJのクニオとラッパーのASHURASUTAにこういわれました。



「あとでタムコのために一曲特別なのやるからさ。楽しみにしててよ」



そういったクニオの目がいつものイタズラをする時の目だったので私は若干不安になり、



「あ、ああ・・・・」



とだけいいました。



どうやら今日は楽しくも長い夜になりそうです。









そうそう。








そういえば、文中、秋田とIを筆頭とした『キョクト-』の軍勢が当時練馬区大泉方面で一番ワルが多くて有名だった『サクラ中』に攻めていったとありましたが、その『サクラ中』の”スドー”という男が後に『練マザファッカー』という、HIPHOPグループのリーダーとなる、あのDOになっていくのはここだけの話です。

















以上、ここまでが私の視点から見た東京アウトローズ(中学編)でした☆。








「タムコ、なにそんなところで突っ立ってんだよ。もうすぐ始まるぜ!」









to be continued....




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