一年数か月ぶりの投稿である。



その間 身辺にも 行動範囲内の環境的にも 大した変化はなく いつものビヘイビアに


沿って なんとなく 身体を動かしていたに過ぎない・・・・・と思う。


しかし 自分自身/家族/(社会との繋がりという位置づけでの)仕事/(趣味としての)観劇/アルコール


・・・・・という基本として据えた「五本柱」は意識をしてバランスをとってきたつもりである。


とくに 観劇。


ここには詳細を書かないが つとめて対象を拡げてきた。 心情的には 自分の殻が すこし大きくなった


気がしている。 それも ひとりよがりの 感覚にすぎないが。


今日 久々に筆を執るきっかけを あたえてくれたのは昨晩観た 『ボビー・フィッシャーはパサデナに住


んでいる』 (シアター風姿花伝プロデュース) という小劇場の作品である。


家族のあり方・・・・などという大上段の構えではないが  2時間40分に及ぶ 会話劇の中で


あらためて 考えさせられた 「血の繋がり」と「共同体の歴史」 (演出家のコメントそのまま)。



私はある一時期から 哲学的なヒントをもらい 


「哲学的な真理として 自分一点を中心に据えて 血脈的過去を振り返るとき 無量数千の祖先が


厳然と存在し・・・・つまり 逆ネズミ算式に・・・・・また 血脈的将来を展望するとき  ネズミ算式に


子孫の連環が伸びてゆく」 という 考えてみれば 当たり前のような また 宇宙の深淵を覗き込んだよう


な考え方を 持つにいたった。


これは 核家族化が進み 自分のごく周辺にしか 意識が届かなくなった 戦後の世の中では


見過ごされがちな事実ではないだろうか?


経済的な理由、身体的理由、結婚そのものへの抵抗・・・・・もちろん さまざまな要因がある。


しかし くどくどしい言い方で恐縮だが 営々と繋がれてきた 先祖から子孫へのバトンタッチが


子を残さない(残せない)ことにより 途切れてしまうことは まぎれもない事実だと思う。


兄弟の複数いる世代はまだ良いが 一人っ子の場合には リスクが高い。


・・・・・・いやいや 昨日の舞台に触発されて やや方向が 逸れてきた感があり。


今日はこの辺にいたしましょう。(●´ω`●)ゞ