2010-02-15 09:46:28

第78回_野口英世_情熱が人の心を動かし前途が拓く

テーマ:研究者

本当にこれをやりたいという情熱が人の心を動かし運命を切り拓いていくことがあるようです。本気でやりたいと思うのであれば思いきって行動に移してみるのも一つの方法かもしれない。


1900年(明治33年)、ある日本の青年医師がアメリカのペンシルバニア大学の助手になり医学を研究したいと思い、僅かな寄付金を元手に単身アメリカに渡った。フレキスナー教授は目の前に立つ日本の青年医師が最初誰なのか分からなかったが、以前東京に行った時に通訳をしてくれた青年であることを思い出した。

「お約束通り先生の下で勉強するため、日本からやってまいりました。」そういわれても

フレキスナー教授は約束した覚えはない。たしかにアメリカに来い、といったかもしれないが社交辞令であり本気で来るとは思わなかった。もし来るとしても事前に連絡をとり一応の了解をとるのが礼儀である。それが大きな荷物を持って一方的に押しかけてきたのだ。

「一生懸命働きますから助手にしてください」「この大学の研究生は皆自費で勉強しているが、あなたはその費用はあるのか」「残念ながらありません」「じゃあどうするんだ」「ここで働かせてもらいながら勉強したいと思います」「突然そんなことを言われても無理だ、直ぐに採用はできん」いかな教授といえども大学本部に相談せずに助手を雇うことはできないのである。「私はなんでもしますから頼みます」フレキスナー教授は困惑するがこの青年も必死である。ここで追い返されたのであれば何のためにアメリカに来たのかわからない。しかしこの青年の図々しさには呆れるが、はるばる日本から来たものを直ぐに追い返すわけにもいかない。結局この青年を当時、不気味さと危険さで誰もやりたがらなかった毒蛇の蛇毒を抜く係としてポケットマネーで雇うことにした。この青年は死にものぐるいで働き勉強した。そして蛇毒というテーマの研究が与えられ、研究の成果を論文にまとめた。この論文はフレキスナー教授の上司であるサイラス・ミッチェル博士に絶賛され、この青年は一躍アメリカの医学界で名前が知られることとなった。この青年が世界的な細菌学者となる野口英世である。


また話は変わるがソフトバンクがまだベンチャー企業と言われていた頃、採用面接にジーパンで受けに来た兵(つわもの)がいたそうですが孫正義社長は直ぐに採用したという。よはやる気の問題であると孫社長はいいます。


本当にやりたいということがあれば、無理だと思わずにまずは行動に移してみると思わず前途が開けることがあるかもしれない。 

               


文責 田宮 卓





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2010-02-06 09:44:11

第77回_野口英世_ハンディを乗り越える逞しい精神力

テーマ:研究者

貧乏のどん底から億万長者にのし上がった鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは、医者の手も借りず、助産婦の世話にもならずに生まれた。そんなものを頼めないほどの貧乏世帯であったのだ。カーネギー語録に「金持ちになりたかったら貧乏人の家に生まれることだ」というのがある。同じように恵まれない環境で生まれてもカーネギーのようにハンディを乗り越える逞しい精神力を育むか、環境のせいにしてしまうかで大きくその人の人生は変わるのではなかろうか。


1868年(明治元年)に埼玉県比企郡に生まれた福沢桃介(とうすけ)は提灯屋の息子として生まれたが大変な貧乏だった。福沢は後に電力王といわれ企業立国日本に君臨した大物実業家である。小学生の頃、下駄を買ってもらえず、裸足で学校に通った。学校の井戸端で足を洗って教室に入り、帰りは裸足で家につき、足を洗って上がるので皆に笑われた。「私は貧乏人の家に生まれたから、富者に対する反抗心が強く、金持ちになって金持ちを倒してやろうと、実業界に進出したそもそもの原型は子供のころにつくられた」と後に福沢は回想している。


1876年(明治9年)福島県猪苗代町に生まれた清作は1歳の時囲炉裏で大火傷をおい、左手が不自由とった。小学校に入学した清作は「手ん棒」と学校でからかわれた。その後アメリカ帰りの医師渡部に左手の手術をしてもらい不自由ながらも左手の指が動くようになる。この手術をきっかけに清作は自分も人の体を治したいと医師を目指す。そして医師になるために上京し21歳で医師免許を取得した。この時点で故郷に帰り開業すれば錦を飾ることが出来、馬鹿にした人達を見返すことも出来たはずだが、障害が残る左手を患者さんに見せるのはら辛いと開業医の道を泣く泣く断念した。そして当時帝国大学を出ていないと出生が難しいとされていた、研究者の道で身を立てようと発奮した。この清作が後に世界的な細菌学者となる野口英世である。もし左手が不自由になっていなければ医師を目指さなかったかもしれないし、田舎の開業医で終わっていたかもしれない。世界的な大学者、野口英世は誕生していなかったでああろう。


自分の境遇が不幸だと思うか、それをバネにして発奮するかで大きく人生変わるのではないであろうか。


               

文責 田宮 卓





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2009-11-27 09:19:31

第67回_北里柴三郎_石碑から学ぶ美しい人間関係

テーマ:研究者

日比谷通りの御成門交差点にある東京パナソニックビル1号館に接する形で「傳染(デンソ)病研究所発祥の地」という石碑が立っているのを知っているであろうか。この研究所は細菌学者、北里柴三郎によるペスト菌の発見、破傷風菌の純粋培養、ジフテリアの血清開発や、野口英世の輩出など伝染病撲滅に多大な貢献し世界的にも多くの学術的功績を残した研究所である。

東京パナソニックビルの脇に何故このような石碑があるのか不思議に思い調べてみた。この石碑には明治の近代化に貢献した人達の無償の支援と恩義に満ちたストーリーが詰まっていることが分かった。

明治になっても 公衆衛生水準は上がらず, 国外からは コレラなどの伝染病がたびたび持ち込まれ国内に大流行を引き起こしていた。ドイツ留学から帰国した 北里柴三郎はこの事態を憂い伝染病の研究所をつくりたいと思ったが、歯に衣を着せぬ物言いで東京帝大から冷遇されていたため研究所の設立は頓挫してしまう。


北里が内務省の当時の衛生局長の後藤新平等にはたらきかけることにより伝染病研究所をつくる案がまとまったが、これに文部省がまったをかけた。文部省は東京帝大にこそ伝染病研究所を新設すべきだと主張し、そこに北里の名前はない。あくまでも北里憎しとする東京帝大の動きが、内務省と文部省の対立を背景に、猛然と起こってきたのである。そして北里は研究の場をなくしてしまった。



そんな時、福沢諭吉を紹介された北里は福沢の自邸で自分の思いをぶつけてみた「伝染病をいかに予防し、撲滅するか。そこにこの国の将来がかかっているといっても過言ではありません。伝染病との戦いはこれからだと思います」と力説する。その卓見に福沢は感心しつつ「学問は国の礎だ。それには自由でなければならない。」と持論を展開する。それに北里は「学問の自由が阻害されては学問の進歩と発展は望めません」と応じた。39歳の北里の若々しい情熱に感じ入った福沢は「ついては出来るだけのことはしよう。学者を助けるのが私の道楽だ。」と言い、そして、御成門近くの土地千坪の借地を提供しようと申し出たのである。そこに研究所を立てればいい。建物や器材はどうするか。福沢は親しかった実業家、森村市左衛門にお願いする。


森村はこれに心地よく応じた。突貫工事で建設が進められ、研究所が開設された。森村は現ノリタケの創業者でありその後も研究所の支援を惜しまなかった。


北里は帰国して僅か半年で日本初の伝染病研究所を、福沢と森村の援助で設立されスタートした。そしてこの年から9年にわたる福沢と北里の師弟の厚誼が始まった。福沢57歳、北里40歳のときである。つまり福沢が亡くなるまで厚誼が続いたことになるが、福沢亡き後も、北里は慶応義塾に医学部が設立されると初代医学部長に就任するが福沢への恩義からずっと無給のボランティアで勤めたという。


北里を支援した福沢も森村も無欲であれば、その恩義を生涯忘れずにお返しをしようとする北里も立派である。この伝染病研究所は幾度かの変遷を経て現在に至っており石碑は創立100周年を記念して平成4年につくられたものである。


見返りを期待して支援をすることや、受けた恩を一時だけで忘れてしまうのが昨今あたりまえになっている気がするが、そうではない美しい人間関係があることをこの石碑は教えてくれる。 

                 文責 田宮 卓

参考文献

土屋雅春 「医者のみた福沢諭吉」 中公新書

佐高 信 「福沢諭吉伝説」 角川学芸出版

宇田川 勝 「日本の企業家史」 文眞堂

郷 仙太郎 「小説 後藤新平」 人物文庫 学陽書房


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