2011-01-08 22:49:37

第159回_土光敏夫_再建時に必要なトップの条件(公明正大)_第1話

テーマ:造船

会社であれ、行政であれ、再建、改革をするのにトップに立つ人間が最も必要とする要素は公明正大さである。まして痛みを伴うものであればトップに一点の曇りもあってはならない。


そのお手本となる人物で真っ先に名前があがるのは土光敏夫(どこうとしお)であろう。 


土光敏夫(どこうとしお)(明治29年~昭和63年)は石川島播磨重工業(現IHI、)東芝の社長となり再建を成功させ第4代経団連会長を務めた後、臨時行政調査会会長に就任「増税なき財政再建」を基本理念とした最終答申を出して解散後、臨時行政改革推進審議会の会長を務めた。財界の頂点に君臨した男であったが、横浜市鶴見区の自宅は古色蒼然とした平屋でとても財界人の家とは思えなかった。質素な生活は有名で経団連会長時代でも月10万円で過ごしたという。社長になってもバスと国鉄(現JR)で会社まで通勤した。贅沢をすることはなく歯ブラシも戦前から50年以上使っていたといわれる。土光ほど公明正大で公私混同がなく私欲のない男はいなかった。だからこそ従業員もついてきて会社の再建を成し得たといえる。



1954年(昭和29年)4月、土光に思わぬ災難が降りかかってきた。政財界を震撼させた造船疑獄事件を起きて、土光は東京地検に逮捕された。石川島重工業社長であり日本造船工業会副会長だった土光は、飯田海運にリベートを贈り、そのリベートが時の自民党幹事長佐藤栄作(後に首相)に渡ったという容疑であった。造船疑国事件は、海運、造船業界ぐるみで政界と癒着した典型的な構造汚職であり、検察側が取り調べた政・官・財界人は8200余名にのぼり、逮捕者は100名を超えた。


当時、造船会社から海運会社へのリベートを支払うのは慣例となっており、しかもリベートは、会社の正規の帳簿には載らず、決算の対象にはされない。いわゆる裏経理、裏勘定の扱いであった。従って、会社社長や幹部たちが、政界への贈賄資金に当てようが、私腹を肥やそうが、まったくの自由であった。しかし土光にとってこの逮捕は不当であった。私生活をみてもとても私腹を肥やすとは考えられない。


42日午前6時半、東京地検の捜査官は横浜市鶴見区の土光宅にやってきた。土光の寝込みを襲う作戦であったのだ。ところが検事は土光宅を見て驚く「これが一流企業の社長の家か」門を叩くとエプロン姿の女の人が出てくる。検事はてっきりお手伝いさんだと思い「奥さんか社長さんはいませんか」「私が土光の家内ですが何か・・・」「社長にお目にかかりたいのですが」「主人は出かけたばかりでいません」「?」検事たちは青ざめた。てっきり捜査の手が伸びたのを感づかれて逃げられたと思ったのである。「どこに行きましたか」口調を厳しくする。「会社です」「えっ、こんなに早く、会社に車で・・・」「とんでもない。今出かけたばかりですから、近くのバス停でバスを待っているかも知れません」検事たちは慌てて近くのバス停に向かった。そこに土光は立っていた。それが石川島重工業の社長だとは信じられなかった。土光はバスで鶴見駅まで出て、国鉄に乗り換えて東京駅まで通勤していたのである。この土光の姿をみて検事は「この人はやってないと直感した」という。


だが、土光は逮捕され拘置所に21日間収容される。東京拘置所に収監された土光は厳しく取り調べられたが、質問に対しては毅然として迎合せず必要なことを的確に述べる。まことに立派な態度であったという。


土光は当然不起訴となったが「ボクは何も悪いことをしていないから、家宅捜索を受けようが身柄を拘束されようが全く不安はなかった」「しかし人生どんな思いがけない出来事が待ち受けているかわからない。日ごろから厳しく公私のけじめをつけ、いやしくもその行動を疑われるようなことがないようにしなければならない」この事件以来、土光は公私の区別をより厳しく行うようになった。



第2話に続く



関連サイト

土光敏夫語録集

率先垂範編  http://bit.ly/qN4vdU

経営編    http://bit.ly/reMlal

教育編    http://bit.ly/qpMifu

仕事編    http://bit.ly/oiNTxb






文責 田宮 卓 





AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2010-12-06 09:01:44

第143回_出資をしてもらうには(情熱が人の心を動かす)①土光敏夫

テーマ:造船

一流の国際的な経営コンサルタント、浜口直太(はまぐちなおと)(株式会社JCI代表取締役)の講演を先日聞く機会があった。浜口は自身の体験を語っていた。ビジネスコンテストがありそこで自ら考えた事業計画をプレゼンしたところ、審査員をしていたソフトバンクの孫正義社長が絶賛し投資をしてもいいということになった。後で孫社長に何が良かったか聞いてみたら、「浜口さんの凄い情熱だ」と言われたとのこと。確かに情熱を持って熱く語ったが、事業計画の中身は何もなかったと浜口は笑いながら話をした。浜口自身もあらゆる経営者を見ていて、事業が成功するかどうかはどれだけの情熱を持って挑むかで決まるという。


どんなにいい事業計画があったとしても、それだけでは成功することはないのであろう。ましてや資金的な協力を得ようとするならば経営者が情熱や熱意を持っていることが必須となる。




土光敏夫(どこうとしお)(現IHI、東芝の社長歴任。第4代経団連会長)が石川島芝浦タービンの社長に就任した時、受注はしても運転資金がない状況であった。そこで土光は何とか銀行に融資をしてもらおうと不退転の決意で挑む。東京駅で駅弁をしこたま買い込んで、丸の内の第一銀行本店(現ミズホ銀行)に朝一かけつけた。正門が開くのを待ち受け、営業部次長の長谷川重三郎(後の頭取)の席に直行。長谷川はまだ到着していない。そこで近くの椅子でずっと待った。長谷川が出勤すると、開口一番「今日は、どうしても融資していただきたい」すると長谷川は「いつも来ていただいておりますが、こういうご時世なので、とてもご要望には応じかねます。どうぞ、お引き取りを」「いや、今日は帰らん。この通り、駅弁を買ってきた。貸してくれなければ、明日の夜明けまで頑張りますよ」土光はそういって営業部次長席の隣にどっかり腰を降ろしてしまった。長谷川は知らんふりして仕事をしているが、土光は動こうとしない。そのうち長谷川は外出した。帰ってみると、まだ座っている。昼が近くになった。「一緒に、駅弁を食べましょう」と、長谷川はじめ、営業部の面々に配る。午後になっても土光は動こうとしない。夕方になってついに長谷川が音を上げた。「いやあ、参りました。融資をいたしますからお引き取下さい」土光の気魄が銀行からの融資を引出すことに成功した。


関連サイト

土光敏夫語録集

率先垂範編  http://bit.ly/qN4vdU

経営編    http://bit.ly/reMlal

教育編    http://bit.ly/qpMifu

仕事編    http://bit.ly/oiNTxb


文責 田宮 卓





参考文献


志村嘉一郎「土光敏夫21世紀の遺産」







AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

相互フォロー大歓迎!リフォロー率99% follow me Twitter
ツイッタータイムラインブログパーツ Taku Tamiya

バナーを作成

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。