2010-09-26 20:45:01

第113回_ルーズヴェルト_人の心を開かせる達人

テーマ:外国人

朝まで生テレビでお馴染みのジャーナリストの田原聡一朗は数々の政治家、経営者にインタビューした経験から相手は自分の知っていること以上のことはしゃべらないといいます。インタビューで相手から何かを引き出そうとしたら相当調べないとだめで、「あいつ、あまり知らない」と思われたら相手にしてくれない。「あっ、なかなか知っているぞ」と思えばそこからどんどん深まっていく。

このことはインタビューに限らず、初対面の相手に心を開かせるのにもとても有効な方法ではなかろうか。初対面の人に会った時に出身地や出た学校など自分と共通項を見つけ出して相手との距離を縮める行為は誰でも無意識のうちにしていることであろう。この相手のことを事前に知るという準備を意識して普段から行っていたらどうであろうか、縁故の拡がるスピードは何倍も速くなるのではなかろうか。また遥かに目上の人が自分のことを知っていてくれたとしたら嬉しくない人はいないであろう。相手を知る準備をすることは自分のファンや協力者を作るスピードも上げていくことになるであろう。



アメリカの第26代大統領、セオドア・ルーズヴェルトを訪ねたものは、誰もが彼の博学ぶりに驚かされたといいます。何故ならルーズヴェルトは、相手がカウボーイであろうと義勇兵隊員であろうと、あるいは政治家、外交官、その他だれであろうと、その人に適した話題を豊富に持ち合わせていたからです。そのような芸当が出来た理由は簡単で、誰か訪ねてくる人が分かれば、その人の特に好きそうな問題について、前の晩に遅くまでかかっても研究していたといいます。他の指導者と同様、ルーズヴェルトも人の心を捉える近道は相手の最も関心のあることを話題にすることだと知っていたのである。



山之内製薬(現アステラス製薬)の創業者、山内(やまのうち)社長は、管理職だけでなく平社員の名前までも覚えていたといいます。機会あるごとに「君の誕生日は何月であったな」「君の子供は元気か」と声をかけたという、新入社員に対してもエレベータに乗ってくると「○○君、今日から出社かね」と声をかける。無論、声をかけられた社員は感激し期待にこたえようと大いに頑張る気になった。それだけでは終わらない、内社長は直筆の手紙で部下、社員に対して常に祝いの手紙、慰労の手紙を具体的なことを言及して送り続けたといいます。

 

田中角栄元首相は小学校卒の学歴であったが、39歳で郵政大臣(現総務大臣)、44歳という若さで大蔵大臣(現財務大臣)に就任したが東大卒のエリート官僚を見事に使いこなしたと言われます。何故か、一つには全省庁の課長補佐以上の役人について本人はもとより夫人、子供、親類縁者にまで及ぶ履歴をはじめ、仲のいい役人はだれか、近い政治家は誰か、誕生日、結婚記念日といったところまで事前調査をして頭の中に入れていたといわれます。「君、ところで来月は結婚十年だろ。よし、今度奥さんも連れてこい」こんな具合に声をかけていく。何故そんなことまで知っているのか不思議に思いながらも大臣に名前や結婚記念日まで覚えてもらっていて嬉しくない訳はない。役人は皆、田中角栄を慕っていった。

自民党の元竹下派の二階俊博衆議員議員のこんな話もある。「五八会」という自民党同期代議士の会があり昭和58年(1982年)の総選挙で当選した34人が先輩に名前と顔を知ってもらう目的の会を毎回、各派閥の領袖、幹部の方を招いて懇談をする。全員が名前の入ったバッジを胸につけているが、幹部は皆34人に「おめでとう」といい握手をするのが関の山だが、田中角栄だけは一味違っていたという。一人一人を回って34人全員と言葉を交わす。自分の派閥の人にはあんたは知っているなとサッと通り過ぎるが、その他の人にはバッチを見ながら、「あんたは○○さんの息子だな」「君の選挙区は大変だったな。よく頑張った」「○○君と同じ選挙区の出馬か」と事前の下調べが行き届いている。34人のほとんどが田中の吸引力のトリコになってしまったという。




文責 田宮 卓



参考文献

田原聡一朗 「僕はこうやってきた」 中経出版

田原聡一朗 「田原聡一郎の聞き出す力」 カナリア書房

D・カーネギー 「人を動かす」 創元社

山之内製薬㈱ 「万象皆師」 創業者山内健二言行録

小林吉弥 「人間田中角栄」 光文社文庫

小林吉弥 「田中角栄の3分間スピーチ」 光文社











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2010-08-07 23:16:48

第95回_マーガレット・サッチャー_国益を代表するトップセールス

テーマ:外国人

現、政権(民主党)が打出している新産業成長戦略は前政権(自民党)のと内容があまり変わらないと言われるが、限られた国家予算をこれから成長が期待される産業や分野にどう優先順位を決めて投資をしていくかということなので、成長する産業や分野がほぼ決まっている以上内容はそんなに違わなくて当然で、同じでも構わないと思う。


それよりも外国は閣僚級の政治家が自国の製品を外国に売込んだり経済的に不利なことは是正するよう、国益を代表して平然と物を申すが、日本の政治家はあまりそういうことをしない。 例えばイギリスの元首相のマーガレット・サッチャーはどうであったかその例をてみよう。


アサヒビールを再建した樋口廣太郎はサッチャーが来日され初めてお目にかかった時、サッチャーはまずは外交辞令としてアサヒビールが英国の大手菓子メーカー・飲料メーカー、キャドバリー・シュウェップ社と提携したことに対するお礼を言ったという。


次に出た話しが豪州最大のビール会社、フォスターズ・ブルーイング社のことであった。同社は当時英国の第2位のビール会社を傘下に持ち、株を100%保有していた。ところが英国の会社が豪州の会社の株を持とうとすると、26%以上株を持てない決まりになっているのです。現代は自由競争が前提なのに、これは不公平だと思いませんかと言われたそうだ。


サッチャーは事前に、アサヒビールがフォスターズの株を14%弱持っていることを調べており、株主としてこの問題の改善に力を貸して欲しいと言うのだ。ここまで具体的にミクロなことを調べているのだから驚きである。 

 

サミット開会前にトルコのダーダネルス海峡に架ける橋を受注する一件では、その工事を日本企業が請負うと、サッチャーはサミット開会前にわざわざ中曽根首相(当時)の席までやって来て、「我が英国の勢力圏のダーダネルス海峡の橋まで日本が持っていくのはひどいじゃありませんか」と言ってきたという。中曽根首相は「入札だから仕方ないでしょう」と言い返したが、サミットの席上、しかもこれから開会という時に文句を言ってくるのには驚いたという。中曽根首相はこのサッチャーの自国の企業のために国益を代表して物申すことを恐れない心に感じることがあり、翌年、スリランカで発電所の工事を日本企業が受注した時は、スリランカは旧英国領ということもあり色々と手をつくし日英のジョイント・ベンチャーに仕立て上げた。次のサミットでそのことを伝えるとサッチャーは本当に喜んだという。


19881月に当時通産大臣であった田村元はイギリスに行き、サッチャー首相に会うと「日本は自分のウイスキーを優遇して、スコッチをいじめているのはどういうことだ」といきなり切り出してきたという。事実、輸入ウイスキーの税率は高く、普通に買うと高かったそうだ。


田村通産大臣はすかさず「ちょっと待って下さい。あなたの国はどうですか。イギリスの業界は日本の物はウイスキーじゃない。よく似た蒸留酒だと言っておられる。それでは税率が高くても当然ではないか」と言い返した。これはなかなか上手い切り返しである。


日本の政治家は外国に対して自国の利益と思ってもなかなか物申すことをしない。特にここ数年は1年ごとに総理大臣が変わり、首相としてサミットに出席するのが初体験であったり、各国の首脳に会うのも初対面であったりするので余裕がないからかもしれないが、菅総理には日本の国の経済、企業のために国益を代表してどうどうと物を申してもらい、トップセールスをしていただきたいものです。 




文責 田宮 卓









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2010-02-21 09:48:52

第79回_チャーチル_先人の言葉に学ぶ

テーマ:外国人

「われわれは自分たちの建物をつくりあげる。すると今度はわれわれがつくった建物がわれわれをつくりあげる」1940年から1945年、1951年から1955年の2度にわたって、英国の首相をつとめたウィンストン・チャーチルが投げかけた言葉である。


戦後、戦災を受けたイギリスの国会議事堂を改修する時に、元通りの姿に戻すべきだと主張して、議事堂を近代的に改修する案を退けたが、議事堂の姿を変えることによって議会精神までもが変えられてしまうことへの危惧の表明であったとされる。


チャーチルの優れた文章及び演説は「英語とともに残る」とノーベル文学賞を受けた程だが確かに彼ほど優れた名文を残した政治家はいないであろう。彼は人間と環境総体との相互関係に関する考えを上記のような素晴らしい文章で表現したと言われます。生物学者・疫学者としてノーベル医学生物学賞を得た、ルネ・デュボス(19011982年)は、このチャーチルの言葉は、人間生活と環境とのあらゆる面について当てはまるものだといいます。


日本ではマネージメントの神様PFドラッカーを慕い、東京大学教育学部で心理学を学んでいた江副浩正が在学中に求人広告の仕事を手掛け現代のリクルートを創業しました。リクルートの社員は猛烈に働き数々の人材が排出されていきますが、リクルートの社員の机の前には「自ら機会をつくり出し、機会によってみずからを変えよ」というプレートが置かれております。江副が自ら実践し社員皆にも実践させたこのフレーズはモチベーション経営を集約した言葉としてあまりにも有名である。


政治家、医学者、実業家とそれぞれ表現は違えども同じようなことを言っているようでて面白い。それぞれが非常に含蓄のある言葉であり、人によって解釈は違うかもしれないが、私は人は環境によってつくられるが、その環境は自分自身がつくり出すものと解釈し日々己を磨いていきたいと思う。

               


文責 田宮 卓






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