2010-12-28 00:18:26

第152回_明治の義理固い男たち①松永安左エ門

テーマ:電力

昨今、自分の身が危なくなると「部下がやったこと」、「秘書がやったこと」で自分は何も知らなかったといい逃れをするトップが多い。そもそも不正はあってはならないことなのだが、せめて身内や仲間を庇うことぐらいは出来ないのであろうか。責任を他人に押し付けて平気な顔をしているのは何とも人間が小さく恥ずべきことである。そういった面では明治の人達は実に義理堅く人物が大きかったといえる。



1948年(昭和23年)奥村綱雄(おくむらつなお)が45歳の若さで野村證券の社長に就任した時に、「電力の鬼」松永安左エ門(やすざえもん)のところへ就任の挨拶に行った。松永はこの時73歳。「人間は3つの節を通らねば一人前ではない。その一つは浪人、その一つは闘病、その一つは投獄だ。君はそのどの一つも経験していない」と一発かまされた。これには、意気軒昂(いきけんこう)の奥村もシュンとなったという。松永は確かに浪人、闘病、投獄の全てを経験している。


松永は1907年(明治40年)、32歳のとき、株式大暴落でスッテンテンになり家まで焼けた。神戸の灘の住吉の呉田の浜の家を借りて、二年分の家賃を前払いして籠城したことがある。 「闘病」は1890年(明治23年)15歳の頃、慶応大学在学中にコレラにかかって生死の境をくぐった。


「投獄」は1910年(明治43年)35歳の時であるがこの時の話が思わず凄いと思ってしまう。投獄の経緯はこうだ。当時、大阪市民の間に市政刷新の声があがり、それは司直を動かして、市助役などの実力者の身辺が洗われた。それで「箕面有馬(みのうありま)電軌」の市内引込線問題にからむ収賄事件が発覚し同社専務の小林一三(阪急グループ創業者)とともに松永は大阪警察に逮捕され、堀川の未決監に放り込まれたのである。松永は小林の2歳下でともに慶応義塾に学んだが学生時代は知り合いではなかった。小林が三井銀行に勤めるようになると、共通の先輩で三井銀行の大阪支店長だった平賀敏という男がいてこの先輩の紹介で最初に知合った。


電車の市内乗り入れには、大阪市会の承認がいる。そこで小林はどうすれ承認が得られるか平賀に相談した。すると「市長はロボットに過ぎない。実権は、助役の松村敏夫、七里清介、天川市会議員の三人が握っている。この連中を動かせばうまくいくかもしれない」そして平賀はこの3人に親しいのは以前紹介した松永だというのだ。そこで小林は承認を得られるように工作をして欲しいと松永にお願いをしたのだが、結果的に二人とも逮捕されることになってしまった。


ところが当時の法律では、贈った方は罪にはならない。松永も小林も自分のことだけ考える人間であるならば、ありのままを白状すれば解放されたことであろう。しかし二人ともそうはしなかった。「どうだ、贈賄しただろう」と係官は攻め立てる。「はい。やりました」と言えば助役たちの罪を確定させることになる。二人が口を割らなかったのはそのためであったが、それが検事を怒らせた。「証拠はあがっているのだ。当人たちは貰いましたと白状している。それをあくまでも、やっておらぬとシラをきるのであれば偽証罪だ。これだと懲役2年だぞ」と脅す。が、二人はそれでも口を割らない。1週間も2週間もたってもカタがつかない。貰った本人が白状してしまっているのにそれでも頑なに口を割らないのである。
結局、松永の兄貴分である福沢桃介(ふくざわとうすけ、実業家、福沢諭吉の婿養子)が東京から飛んできて、小林の親分、岩下清周(いわしたせいしゅう、大物銀行家)とともに「代理自白」ということをやった。「あの二人に、他人を傷つけるようなことを言わせるのは無理ですから、われわれ二人が代わりに自白します。小林と松永がやったにちがいありません。現に会社の帳簿を見ればはっきり分かることです」検察側も弁護側も福沢のいったことを認めるようにと、二人にすすめる。「認めぬとあれば、福沢、岩下を偽証罪で逮捕するぞ」との脅しもついていた。これには松永も小林も参ったようだ。なお、3日間、2人は考えたが、松永は「考えてみても小林としてはいえないことだ。自分が口を割れば、小林は救われるのだ」松永は覚悟を決め福沢の証言書に判を押した。そこでやっと監獄を出され、やがて30分後におくれて小林も解放されて一件落着となった。






文責 田宮 卓




参孝文献



小島直記 「逆境を愛する男たち」 新潮文庫

小島直記 「鬼才縦横 小林一三の生涯中巻」PHP文庫






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2010-11-28 09:11:41

第139回_クロヨンダム_決意が人の心を動かす

テーマ:電力

従業員の士気を上げるには何をすれば良いか?給与を上げるのが手っとり早いが先行きの見えない不景気の今、そんなゆとりのある企業はないであろう。ではどうすればいいか。それはトップが腹を括ることである。何時の時代もトップの決意が人の心を動かす。

 

1962年(昭和37年)、キューバに旧ソビエトのミサイル基地の建設が進められている事実をアメリカが知った時、ときの大統領ケネディはどうしたか。ミサイル基地はすでに90%まで出来上がっていた。一刻も猶予のならない緊張状態である。ケネディは敢然と立ちあがった。そしてソ連のフルシチョフ首相に対して、キッパリと言い放った。

「アメリカとの目と鼻の先のところに、ソ連のミサイル基地がつくられていることを黙認出来ない。アメリカとして許容出来ない。だから、その基地をソ連の手で撤去してほしい。もし、ソ連の手で撤去しないのであれば、アメリカの手で撤去する」この敢然たる通告に対して、ソ連のフルシチョフはどう対応したか。結論として、そのミサイル基地をソ連自身の手で撤去したのである。一兵を損せずして、アメリカは自分の主義を通した。ケネディの断固たる決意がソ連を動かし、アメリカの望むとおりの決定をさせたのである。


トップの決意が国を動かした一例だが、当然普段の企業活動においてもトップの決意が大きく影響する。


関西電力初代社長に就任した太田垣士郎(おおたがきしろう)は大型水力発電所の建設に踏み切った。当時、関西方面は深刻な電力不足に見舞われ、たびたび停電が発生する惨憺たる状況だったからだ。これが有名な黒部川第4発電所(いわゆるクロヨン)である。

1956年(昭和31年)、太田垣の決断で関西電力が黒部川第4発電所(クロヨン)の建設を着手した時、日本アルプスの山脈をぶち抜いて建設資材の運搬道路(現・関電大町ルート)をつくり、そのうえで黒部川の上流に世界最大級のアーチ式ダムを建設するという超ビックプロジェクトは世界で反響を呼び、やがて無謀そのものという非難の集中砲火を浴びることになった。着工して8ヶ月後、心配していた破砕帯(はすいたい)に遭遇。大量の冷水が吹き出して工事は中断を余儀なくされた。内部は滝か川かとみまがうばかり。地下水の噴出を止める手当てはことごとく失敗する。「クロヨン絶望か」「関電、経営危機」などと報道された。計画中止もやむ無しの状況であった。しかし太田垣は腹を括り計画続行を決断するのだがこの後の太田垣の行動が現場で働いている作業員の士気を上げた。現場はトンネル崩壊の危機に浮足だっていたが、なんと社長自らが現地入りし、制止を振り切り危険な破砕帯にずぶ濡れになりながら足を踏み入れていった。「でかい仕事に困難は当たりまえじゃないか。私は絶対に諦めない。クロヨンはあなたがたにかかっている。一緒に苦労して、一緒に喜びあおう」太田垣は作業員の肩をたたき励まして廻った。2時間もトンネルから出てこなかった。忙しい中5日間も現場にとどまったという。この社長の捨て身の行動に作業員の士気は一気に高まった。


クロヨンは1963年(昭和38年)に完成へとこぎつけた。総工費513億円と延べ一万人の労力を注ぎ込み、さらに167人もの犠牲者を出すという、8年間に及んだ難工事の末での完成であった。

 



文責 田宮 卓





参考文献


 

20世紀 日本の経済人」 日経ビジネス文庫

「名言物語 人生の極意、経営の勘どころ」

青野豊作 講談社

「心を強くする指導者の言葉 逆境に克!」

ビジネス哲学研究会【編著】 PHP
松下幸之助 「人を活かす経営」PHP文庫












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2010-11-06 20:33:44

第129回_平岩外四_外国人を唸らせたかっこいい日本人②

テーマ:電力

戦後のわが国での外務省の新人研修で「外交官というのは、外交、政治、経済、哲学、歴史、文学、芸術が分かって人間を完成させ、その人間的魅力で相手とわたりあう仕事である」と教えていたらしい。教養がない人とは話もしたくないという外国のエリートは多い。外国のエリートとわたりあうにはなによりも深い教養が求められ、それに基づく人間力が必要であるが、そういった点で外国人を唸らせた「かっこいい」日本人がかつての財界にはいた。




財界で外国人を唸らせた日本人に平岩外四(ひらいわがいし)(東京電力会長、第7代経団連会長、歴任)がいる。当時財界きっての読書家といわれた平岩は自宅の蔵書は2万冊を超え、床が軋み穴があきそうなくらいであったという。


日米貿易摩擦の問題でアメリカに行って、向こうの学者グループと会った時のこと。平岩は「自分はユリシーズ(アイルランド出身のジェイムズ・ジョイスの小説全18章)が好きで、その決定版がニューヨークの出版社から出たということを聞いたので買おうと思った。しかし、幾ら頼んでも日本では取り寄せられないので、ニューヨークにいる友人に頼んでやっと手に入れることができた。本国のイギリスでさえも出さないユリシーズを、アメリカが出されるというのは非常に偉い。敬意を払う。でも、そんなにいいものを出しながら、簡単に買えないところにアメリカの問題があるんじゃないですか」と言った。すると向こうはみんなシーンとなった。日本の財界人はユリシーズの決定版を探して買ってしかも原書を読むのかと見直し、二の句がつげなかった。以後向こうの態度がずいぶん変わったという。これがアメリカはけしからん。売るのが下手だという話から入れば態度が軟化することはなかっただろう。


また平岩がフランスに行った時のこと。ゴンク-ルの館というところで食事を御馳走になった。その時に日本美術の良き理解者であった作家・ゴンクールの作品は日本で訳されたことがあるかと訊かれた。ゴンクールの日記は全集としてあるのだが、平岩はこの全集を持っていた。そこで後日それを相手の経済人に全集を贈った。すると彼は別荘へそれを喜んで持っていって大事に飾ったという。 

 

文責 田宮 卓




参考文献

大野誠治「人間 平岩外四の魅力」中経出版
城山三郎(平岩外四)「人生に二度読む本」 講談社文庫







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