2012-01-22 18:13:03

第209回_国や企業の盛衰は人材にあり

テーマ:流通

国が根幹とすべき政策とは何か? と政治家に聞いてみると、ある人は「憲法」だ、ある人は「安全保障(国民の生命と財産を守る)」だ、ある人は「経済の繁栄」だと答えるだろう。その政治家の価値観によって様々な考え方があると思うが、確かにどれもこれも国の根幹をなす大事なことには違いない。しかし私が考える国がすべき最も大事な施策は何かといえば「教育」ではないかと思う。


幕末の長州藩に山田亦介(やまだ・またすけ)という海防や軍艦製造に関わり、兵制改革に当たって西洋式を採用した非常に先見性のある武士がいた。ほぼ無名といってもいい人物であるが、この男は日本史にはかりしれない大きな功績を一つ残していると思う。それは吉田松陰(よしだ・しょういん)という人材を育てたことである。松陰は幕末の思想家、教育者で、叔父の開いていた私塾・松下村塾(しょうかそんじゅく)を引き受けて主宰者となり、高杉晋作をはじめ木戸孝允、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、山田顕義(山田亦介の甥で初代司法大臣)など、維新の指導者となる人材を教え育てたことで知られるが、この松陰に長沼流兵学を教授し、世界の大勢に着目することを教えた師が山田亦介であった。松陰は29歳の若さで亡くなる。そして山田亦介も間もなく亡くなるが、この二人が亡くなった後、松陰や山田の教えを受けた弟子たちが明治という新しい国家をつくり上げていった。


私は教育の素晴らしさ価値というものはここにあると思う。山田が松陰という人材一人を育てたことで、極東の小国だった日本が明治時代に近代化を成し遂げ世界5大国の一国に仲間入りができるまでになったのだ(もちろん長州の人間だけで明治という国家がつくられたわけではないが)。


逆にもし人材を育てることをしなければどうなるか、間違いなく国は衰退するであろう。このことは企業においても同じことがいえると思う。世界の鉄鋼王・カーネギーは「財産を子息に残すのは、子孫に呪いをかけるようなものだ」と言ったがその通りだと思う、創業者が財産や土地などを子息に残してもろくなことがない。大抵、資産を食い潰して終わるのがオチである


残すものは物質的なものではなく。「商人道」や「商売道徳」といった経営をしていくための背骨となる指針であったり、考え方ではないかと思う。そのことを教えてくれる、いいお手本となる企業がある。それはイオンである。さらにいえば私はイオンほど物語チックな創業の話をほかに知らない。


イオンの創業者は三重県で250年続く老舗呉服屋の岡田屋7代目として生まれた岡田卓也である。卓也は大学在学中に軍隊入隊を余儀なくされ、20歳で終戦を迎え郷里の三重県の四日市へ帰ってきたが、岡田屋の建物は全焼していた。先代が営々と築いてきたものの全てが焼けてなくなってしまったのだが、一つだけ焼残っているものがあった。それは岡田屋の「土蔵」である。土蔵の中には、父親の日記が残されていた。父親は卓也が2歳の時に亡くなっているので会話を交わすことはなかった。しかしこの日記から父親から教えを受けることになる。日記には「すべての事業は、まず志を立てることが肝要だ」ということが雄弁に語られていた。さらに父親が1617歳の頃にあげた目標が記されていた。「行商をしながら、東海道をさかのぼり、東京に向かう。そして、当時の日本の産業の大立者、渋沢栄一翁に会いに行く」というものであった。そして、父親は本当に、四日市や桑名等の地元で産物を背負い、行商を重ねながら旅費を稼ぎ、東海道をさかのぼる。ついに東京にたどり着き、実際に渋沢栄一との面会を実現させたのである。その時の父親の感激が日記にありありとつづられていたという。


この父親の日記を焼残った土蔵の中で読んだ卓也は強い衝撃を受ける。「とにかく志を立てることが、事業を推進する最大の原動力だ」と奮い立ち、この父親の教えを商売の指針とし、裸一貫から家業の復興に取り組んだという。そして今日のイオンの土台を築きあげた。


余談になるが政治の世界では24日から通常国会が始まるが、先日、副総理に就任したのがこの岡田卓也の息子の岡田克也である。日本の将来の道筋を示す社会保障と税との一体改革を成し遂げられるか、どうかはこの男の力量にかかっているともいえるだろう。克也は、元々は政治家になろうと思っていたわけではない。幼小の頃はタクシーの運転手になりたかったという。イオンの倅がそんな普通のことを考える子供だったのかと思うかもしれないが、克也が生まれたのは昭和28年。まだ実家は呉服と日用衣料品を売っているにすぎず、地元のちょっとした小金持ちの名士といったところであろうか。しかし父親の背中を見て育ったからか、学生時代に公のための働きたいという気持ちがふつふつと沸いてきたという。そして東大を卒業後、進路に選んだのが通産省(現・経産省)であった。この時もまだ政治家になることはまったく考えていなかったが、通産相にいる時に米国に留学したことがきっかけとなったようだ。宇宙戦チャレンジャーの爆発事故があり、当時、大統領であったレーガンの4分間の真摯な演説を聞く。犠牲者を心から悼みながらも、宇宙計画は断固続行するという力強いものであった。この演説を聞いた国民がとても勇気づけられていることを実感する。この瞬間、米国の地で政治や政治家の果たす役割の大きさ、政治の可能性の大きさに気づき、政治家を志すことを決意したという。そして通産省を辞めて36歳で国会議員になった。


今回、副総理を引き受けたことは評価したい。社会保障と税との一体改革の取りまとめを期待されてのことであろうが、取り巻く状況は非常に厳しい。その上、失敗すれば総理のポストは遠のく。もし総理になることを一番に考えるならば副総理を引受ない方が無難であったであろう。それをあえて引き受けたところに覚悟だけは感じる。


世論調査で消費税の増税に約半分が賛成、半分が反対であるが、どちらにしても国民感情としては、増税の前に議員定数の削減、公務員の給与カットが先であろう。通常国会冒頭にまずこの二つを取りまとめられるかどうかが鍵になる。取りまとめが出来なければ、国民は増税に納得しないだろう。ここは総理の道や政治生命が断たれようが、国益のために働くことを期待したい。


関連サイト

山田亦介(吉田松陰の師)語録 http://p.tl/Llp0

吉田松陰語録 http://p.tl/XbJ3

岡田卓也(イオン創業者)語録 http://p.tl/WXDU

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2011-04-08 21:24:13

第174回_東日本大震災が教えてくれたこと(大災害から立ち上がった男達⑤)

テーマ:流通

「終焉の日は音を立てずにやってくる」

ウィリアム・シェークスピア(英国の文豪)


 

東日本大震災は多くの尊い人命を奪った。余りにも失ったものは大きいが得られたこともあるはずである。家族や、大切な友人、知人を亡くしたことは言葉では表せない程の悲しみであろう、しかしそのことによって初めて死というものを意識した人も多いのではなかろうか。「人は必ず死ぬ」「人生長くはない」「生きていることに感謝」この当たり前の現実を意識出来た人は今後の人生が大きく変わるかもしれない


 

阪神・淡路大震災の時、実家の兵庫県明石市が大きな被害を受け、大好きだった叔父夫婦が亡くなり学校の体育館で無言の対面をした人がいた。そこには叔父達だけではなく、昨日まで元気にしていた沢山の人達が一瞬にその命を奪われ遺体となった。この悲しい光景を目の当りにした時、この男は悟った「命がいかに儚(はかな)いものかということを、僕は言葉ではなく、胸が張り裂けそうな悲しみによって知った。そして、心と体の奥深い部分で、自分の命も儚いものであるということを悟った。命がいかに儚いもので、そしてそれゆえにどれだけ大切なものかということを」

 

 

そして、この男は「人生長くはない、であれば好きなことをした方がいい」そう思い勤務していた日本興業銀行(現みずほ銀行)を退職して起業した。この男が楽天グループの創業者、三木谷会長である

 

 

三木谷会長は個人で10億円寄付を発表した。また、ツイッターのツイートを見ていると計画停電が発表された時、真っ先に全面的に協力するように呼びかけている。阪神・淡路大震災で、実家が被災した経験があり、人ごとだと思っていないのであろう。「悲しみを乗り越えて頑張れ!」ときっと心からエールを送っているのだろう。この悲しみのどん底から必ずや、第二、第三の三木谷が出てくると確信する
 

 

そして最後に、今までにゆうに4000名を超える病人の臨終に立ち会った経験がある90歳を超えてもなお現役で診察もする聖路加国際病院の日野原重明(ひのはらしげあき)理事長(現在100歳)の言葉を紹介したい

 

 

「人間は老いと死に向かって歩く。今日一日を生きることは、死に近づくことであることを心底からもちたいものです。今日を精一杯大切に、真摯に生きることが一番大切なことであり、それが死をどう生きるか、死への挑戦状ともなるのではないか」日野原重明


 

自分が空きしく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日である。人生に二度はない。たった一度の人生、もっと志や夢を抱き情熱を持って生きていきたい

 

以上

 

参考文献

三木谷浩史 「成公の法則92ケ条」幻冬舎

シェイクスピア 「ジュリアス・シーザー」岩波文庫

日野原重明 「生き方哲学」中央法規

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2010-12-03 18:18:27

第142回_岡田卓也_ 苦境でも志を失わず未来を語る経営者

テーマ:流通

経営危機になると経営者は目の前の売上げや資金繰りに血眼になって駈けずりまわる。藁をも掴む思いになるのは当然であろう。しかしこういう状況でも志を持ち未来を語れる経営者が危機を突破し会社を大きく飛躍させるのではなかろうか。



世界のホンダにも過去に何度か経営危機があった。なかでも1954年(昭和29年)の経営危機は最大のものであった。当時のホンダは資金繰りが悪化し、わずか5万円の金すら右から左に支払えぬ状況にあった。


そんな中、創業者の本田宗一郎は創立6周年の記念日でホンダの行く末に不安を感じている社員を前に、熱っぽく語りかけた。


「現在は微々たる会社であるが、諸君の生活に不安を持たせるようなことは絶対にしない。この会社は永遠に発展しなければならない。大きくするために私は努力する。そして、この会社は将来は諸君によって受け継がれるべきものである。私のあとは社員から、社員にいなければ日本中から、日本にいなければ世界から選ぶ・・・」 


これが経営危機の最中の企業トップのスピーチとはとても思えないであろう。本田が語ったのはホンダの厳しい現状ではなく、輝かしい「明日」である。主力銀行である三菱銀行(当時)のお目付け役で来ていた高橋健介(元常務)は社員以上に本田の話に感動する。お目付役で来たにもかかわらず高橋はホンダの未来を確信したという。


社員を奮い立たせ、販売店店主の心を一挙につかみ、銀行からのお目付役をも味方にした本田は見事に経営危機を切り抜けた。




いまから250年前に創業された岡田屋という老舗呉服屋の7代目として生まれた岡田卓也(イオンの創業者)は大学在学中に軍隊入隊を余儀なくされ、20歳で終戦を迎え郷里の三重県の四日市へ帰っていった。


岡田屋の建物は全焼していたが、たった一つだけ焼残っているものがあった。それは岡田屋の「土蔵」であった。土蔵の中には、父親の日記が残されていた。父親は岡田が2歳の時に亡くなっているので会話を交わすことはなかった。しかしこの日記から父親から教えを受けることになる。日記には「すべての事業は、まず志を立てることが肝要だ」ということが雄弁に語られている。さらに父親が1617歳の頃にあげた目標が記されていた。「行商をしながら、東海道をさかのぼり、東京に向かう。そして、当時の日本の産業の大立者、渋沢栄一翁に会いに行く」というものであった。渋沢栄一は、第一銀行(現ミズホ)、東洋紡績、王子製紙などの企業をつくり、東京商業会議所(現東京商工会議所)の初代会長となった人物である。そして、父親は本当に、四日市や桑名等の地元で産物を背負い、行商を重ねながら旅費を稼ぎ、東海道をさかのぼる。ついに東京にたどり着き、実際に渋沢栄一との面会を実現させたのである。その時の父親の感激が日記にありありとつづられていた。


この父親の日記を焼残った土蔵の中で読んだ岡田は「とにかく志を立てることが、事業を推進する最大の原動力だ」と教えられ、裸一貫から家業の復興に取り組んでいき今日のイオンを築きあげていった。



文責 田宮 卓



参考文献

イオンの基本「岡田卓也の十章」商業界

上之郷利昭 「本田宗一郎の3分間スピーチ」 光文社






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