2010-11-05 23:52:43

第128回_石坂泰三_外国人を唸らせたかっこいい日本人①

テーマ:石坂泰三

戦後のわが国での外務省の新人研修で「外交官というのは、外交、政治、経済、哲学、歴史、文学、芸術が分かって人間を完成させ、その人間的魅力で相手とわたりあう仕事である」と教えていたらしい。教養がない人とは話もしたくないという外国のエリートは多い。外国のエリートとわたりあうにはなによりも深い教養が求められ、それに基づく人間的魅力が必要であるが、そういった点で外国人から尊敬された「かっこいい」日本人がかつての財界にはいた。




財界で外国人に尊敬された日本人といえばまず名前があがるのが石坂泰三(いしざかたいぞう)(第一生命社長、東芝社長、第2代経団連会長、万国博会長等、歴任)であろう。世界各地に一流の人物を友人、知人に持っていた石坂は英語ならシェイクスピア、テニソン、エマーソン、カーライル、バイロン、スコット、ドイツ語ならゲーテ、シラー、アンデルセン等、全て原書を読破して教養を身につけていたという。


ある時、石坂がスコットランドを訪れた時のこと。石坂を招待してくれた英国の実業家と月夜の晩一緒に散歩をした。ゆっくりと歩きながら、石坂がスコットの「湖上の美人」の一節を朗々と吟じ出したので同道した英国人が驚嘆した。英国人でも滅多に諳んじている人がいないのに、東洋の実業家が英国の古典を朗々と吟じたのだから無理はない。逆に考えれば、こちらが外国人を地方に案内したら、その外国人がその地のゆかりの謡曲、民謡を唸りだすようなものだ。


スコットランドのような例はいくらでもあり、石坂はスイスではシラーの「ウィルヘルム・テル」の一節を披露し国際会議でやんやの喝采を受けたこともあった。かくして年ごとに、石坂の英語、ドイツ語の教養の深さは世界の実業家の間で有名であり、外国人に尊敬された日本での最高の国際人であった。 

 


文責 田宮 卓



参考文献

梶原一明「石坂泰三 ぼくは仕事以外の無理は一切しない」三笠書房

城山三郎「もう、きみには頼まないー石坂泰三の世界」文春文庫






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2008-12-23 15:43:44

第18回_石坂泰三_地位は求めてなるものではない

テーマ:石坂泰三

麻生首相が誕生してから3ヶ月になりますが、これほど身内からもボロクソ言われる総理大臣は今までいなかったのではないかと思います。ここまで総理大臣の椅子も軽くなったかと情けなく思います。



昔は周囲から押されて地位に就くケースがただありましたが、近年は能力も覚悟もないのにただ自分がなりたいから地位につくというケースが多いように思います。 



私は麻生首相の祖父にあたる吉田茂首相が大蔵大臣を要請しても、それを断った石坂泰三のことを懐かしく思います。



当時石坂泰三は第一生命の社長をしていましたが、戦後GHQによる公職追放の憂き目にあい第一生命の座を追われておりました。昭和23年いち早く追放を解除され、他の人はまだ追放が解除されていないという背景はありますが、東大の同期の親友、五島慶太から東急社長就任の要請が来ましたがこれを断ります。他数社の社長の就任の要請、吉田茂首相から大蔵大臣、国鉄総裁就任の要請が来ましたがこれも辞退し、結局、東芝の社長を引受たのですが、当時の東芝は激しい労働争議に見舞われ、資金問題、経営問題で問題山積みの会社でした。



東芝の再建が出来るのは石坂しかいないと周囲から押されてのことですが、石坂が東芝の社長を引き受けた理由が、「月給も貰えず、家も売らなければいけなくなるかもしれないが、東芝の再建は日本復興の一手であり、特に労働問題は、一東芝の問題ではなく、わが産業界の代表問題であり、資本主義と共産主義の問題であるからだ」というのである。



社長に就任するや、石坂は労働争議を解決し、朝鮮動乱による日本経済に特需が起きるという追い風もありましたが、どん底の東芝をものの見事に再建しました。



昔は石坂のように周囲から押されてトップの座に就く人材が綺羅星のごとくおりましたが、現在はどうであろうか? 政治家であれ経営者であれ、この不況の難局を打開出来るのは人望があり命をかけて事にかかる覚悟のある人材ではないだろうか。



文責 田宮 卓

                                                                                   
















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2007-07-20 14:28:56

第5回_石坂泰三_私心のない志

テーマ:石坂泰三

戦後の日本の経済の復興に経営者、経済人として貢献した人物に、真先に石坂泰三(イシザカタイゾウ)の名前を上げて異論のある人は多くはないであろう。



石坂は逓信省に四年、スカウトされた第一生命に入り昇進して同社社長を8年、戦後は倒産が危ぶまれ組合との労働争議の折合いも付かず、誰もなりてがいなかった東芝の社長を引受け見事に再建し8年社長を勤め、経団連の会長を612年、そして日本万国博覧会会長を務めた人物である。



それまで数々の輝かしい業績を遺してきたが、なかでも経団連会長時代にアラビア石油の創業者山下太郎のアラビア湾での海底油田発掘を全面的にバックアップをし、日本の国益に貢献したことを忘れてはならないだろう。



山下太郎は大正6年、ロシア革命で混乱しているウラジオストックに大量の缶詰めの滞貨があるのを知って輸入し大儲けをしたり、戦前、戦中を通じて満州、朝鮮、台湾を舞台に財産を築き、その山師ぶりのスケールの大きさから「満州太郎」と言われていた人だ。



その山下が戦後に情熱を傾けたのが石油ビジネスだ。それもアラビア湾の海底油田を自らの手で発掘しようというのだから並の考えの持主ではない。発掘には当然巨額の投資が要り最初は、中東の海底油田を開発するなんて夢だか寝言みたいな話だと、銀行も財界人も相手にしなかった。それはそのはずで、まず油田を開発するのに開発する権利をサウジアラビアから巨額のお金を払って買わなければならないが、仮に権利を獲得出来ても石油が出る保障はどこにもなかった。また山師が大法螺吹きを吹いているとしか思われていなかったからだ。



そんな時、最初に山下の支援を名乗り出たのが石坂であった。日本が第2次世界大戦に突入したのは石油がなかったからで、この事業は日本にとって必要なことというのが大きな理由だったようだ。



石坂が凄いのはこの事業に90億円近い金が要るため、借りるのに個人保障をして全財産をかけたことだろう。家族にはもし石油が出なければ山下君と2人で首を吊ると何とも不気味な冗談を言ったと言います。



記者からも、知人のリコーの創業者、市村清からも心配されて何故あんなペテン師に肩入れをするんだと聞かれて、「何故ってそれは、かれがペテン師だからさ」とこのような大博打を打てるのは山下のようなペテン師しかいないと擁護したといいます。



結局、石坂が山下が設立したアラビア石油を全面的に支援することで、銀行からも財界からも融資を受けることが出来、見事に石油を掘り当てることに成功しアラビア石油は28億円の純利益を計上、数年後1割配当を実施すまでになった。

 

私たちは戦後日本の経済の復興に命をかけた人達がいることを忘れてはいけないと思う。

また、今は大きな会社であっても独立系であれば最初に必ずリスクをとった創業者や株主が要る筈だ。今その会社の株主や従業員である人達はそのことを忘れてはいけないと思う。

 



文責 田宮 卓

 



















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