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2016-10-12 23:09:04

第248回_昭和天皇の雑草観から適材適所を学ぶ

テーマ:ブログ

「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。どの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです」昭和天皇

 

 

先日、『宮中侍従物語』(入江相政編)という本を読んだ。この本は侍従から見た昭和天皇のエピソードが満載である

 

その中の一つに昭和天皇のお人柄やお心の広さが垣間見れる、強烈に印象に残るエピソードがあった

 

 

9月中旬、両陛下が那須の御用邸に行かれている間に、田中直(なおる)という侍従が、両陛下が普段、住んでおられる皇居内の吹上御所の庭をきれいにするため雑草を刈った

 

 

両陛下が戻られ、田中侍従は庭をきれいにしたのだから褒められると思ったが、昭和天皇は珍しく語気を強めてこのような内容で叱責したという

 

「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。注意するように」

 

 

アメリカの19世紀最大の思想家、エマーソンは

 

「雑草とは何か?それはその美点がまだ発見されていない植物である」

 

 

と言ったが、昭和天皇もこれと同じようなお考えであったのであろう

 

 

このエピソードで昭和天皇のお人柄が垣間見れると思ったのは、このことは人間の世界にもあてはまると思ったからである

 

 

この世に生まれてきた人は、どんな人であれ、何かしらの役割があり無駄な人は一人もいない。昭和天皇はこのような広いお心を持っていたのではなかろうか

 

 

このエピソードを知って、思い出されるのが、経営の神様、松下幸之助(パナソニック創業者)である

 

 

松下幸之助は

 

「この世に存在するものは一切不要なものはない。どのような悪人でも、毒物でも、使い方によっては全部役に立つ」

 

 

と語り、無口で物凄く暗い社員を葬儀担当に抜擢したという話を聞いたことがある

 

 

松下幸之助は人事の天才でもあった

 

関連サイト

昭和天皇語録http://meigennooukoku.net/blog-entry-347.html

松下幸之助語録http://meigennooukoku.net/blog-entry-59.html

名言の王国(収録人数3776人 収録語録数19612

http://meigennooukoku.net/

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2015-01-05 21:45:29

第245回_NHK大河ドラマ「花燃ゆ」

テーマ:ブログ
2015年度の大河ドラマ「花燃ゆ」が1月4日にスタートしました。そこで登場人物や、幕末の志士達の家系図や語録をまとめてみました。気になる人物を調べる時にご覧いただければと思います



■主人公:杉文(松陰の妹)http://goo.gl/4JC6cV 


■花燃ゆ(登場人物一覧)http://goo.gl/P9khjm


■幕末の志士(家系図一覧)http://goo.gl/obRRoF


■幕末の志士語録集http://bit.ly/zRORdP


■松下村塾の主な出身者http://goo.gl/m0BuVL


■明倫館の主な出身者http://goo.gl/pNYVlK


■作品内容
物語の主役は吉田松陰の末妹で、後に久坂玄瑞の妻となる杉文(後の楫取美和子)。主演を務めるのは、大河ドラマ初出演となる井上真央

兄である松陰と久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤俊輔、桂小五郎、品川弥二郎など松下村塾の弟子たちの人間模様を織り交ぜながら、幕末から明治維新へ向けた激動の時代を描いていく物語

後藤健二(ジャーナリスト)http://nihonnokakeizu.net/blog-entry-1257.html
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2014-09-04 21:43:46

第244回_飛鳥山の渋沢邸

テーマ:ブログ
本日、東京の王子の方面に用事があり、そのついでに飛鳥山の渋沢資料館に行ってきた。前々からどうしても見たかったものが二つあったからである。渋沢資料館は元々渋沢栄一(日本の資本主義の父と言われた実業家)の邸宅だったところで、30年以上ここに住み、国内外の要人の多くがここを訪れた


どうしても見たかったものの一つが庭園にある茶室「無心庵(むしんあん)」である。この茶室は今から100年程前に、渋沢が維新後まだ逆族扱いされていた旧主徳川慶喜公を大政奉還の名君として新政府に認めてもらうべく、伊藤博文公、大隈重信侯に慶喜公を引き合わせた場所である。


渋沢にとって旧主がいつまでも逆族扱いされるのが許せなかったのだろう。この茶席がきっかけとなり、明治35年(1902年)に慶喜公は公爵に叙せられた。渋沢の義理堅さが滲み出る話である。


ところが、資料館でもらった地図を頼りに無心庵(むしんあん)に行ったのだが、建物は焼失。戦争で焼かれて跡地があるだけであった。残念!

気を取り直して、もう一つ見たかった、晩香蘆(ばんこうろ)という西洋式木造茶席(重要文化財)を、庭園を歩き探した。この建物はあった。晩香蘆は清水建設の4代目当主の清水満之助が、渋沢の長年の清水建設への支援に対する お礼の気持ちから、渋沢喜寿の祝いを兼ねて寄贈したものである。


以前、清水建設の歴史を調べたことがあるのだが、清水は公共事業に頼らず、民間企業のビルを多く手掛けることで発展してきた。渋沢が「官庁工事をやるより、会社や、工場、一般家屋をやるのが良い」と忠告したことが、民間建築を柱とする方向性を決めたようだ。そして渋沢の支援があったからこそ、清水建設は信用を得ることができ、次々と受注することが出来た


それにしても渋沢資料館の受付でもらった案内書を良く見てみると、庭園には他に6、7ヶ所、建物がたっていたのだが、晩香蘆(ばんこうろ)以外は、東京大空襲で全て焼失となっていた。何故、晩香蘆だけは焼けずに残ったのだろう? 帰りに図書館で調べてみた。「祖父・渋沢栄一に学んだこと」という著書にその理由が書いてあった。


近所の人たちが「渋沢さんに日ごろからよくしていただいているから恩返しだ」とみんながバケツリレーをして水をかけて消したというのだ。


渋沢栄一は庶民にも好かれる、本当に立派な人物だったのだと改めて思った



関連サイト
渋沢栄一の家系図 http://bit.ly/1rhRo7h
渋沢栄一語録 http://bit.ly/xl7q0f
人物別名言集 http://bit.ly/1j4tg4M
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