2015-01-05 21:45:29

第245回_NHK大河ドラマ「花燃ゆ」

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2015年度の大河ドラマ「花燃ゆ」が1月4日にスタートしました。そこで登場人物や、幕末の志士達の家系図や語録をまとめてみました。気になる人物を調べる時にご覧いただければと思います



■主人公:杉文(松陰の妹)http://goo.gl/4JC6cV 


■花燃ゆ(登場人物一覧)http://goo.gl/P9khjm


■幕末の志士(家系図一覧)http://goo.gl/obRRoF


■幕末の志士語録集http://bit.ly/zRORdP


■松下村塾の主な出身者http://goo.gl/m0BuVL


■明倫館の主な出身者http://goo.gl/pNYVlK


■作品内容
物語の主役は吉田松陰の末妹で、後に久坂玄瑞の妻となる杉文(後の楫取美和子)。主演を務めるのは、大河ドラマ初出演となる井上真央

兄である松陰と久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤俊輔、桂小五郎、品川弥二郎など松下村塾の弟子たちの人間模様を織り交ぜながら、幕末から明治維新へ向けた激動の時代を描いていく物語

後藤健二(ジャーナリスト)http://nihonnokakeizu.net/blog-entry-1257.html
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2014-09-04 21:43:46

第244回_飛鳥山の渋沢邸

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本日、東京の王子の方面に用事があり、そのついでに飛鳥山の渋沢資料館に行ってきた。前々からどうしても見たかったものが二つあったからである。渋沢資料館は元々渋沢栄一(日本の資本主義の父と言われた実業家)の邸宅だったところで、30年以上ここに住み、国内外の要人の多くがここを訪れた


どうしても見たかったものの一つが庭園にある茶室「無心庵(むしんあん)」である。この茶室は今から100年程前に、渋沢が維新後まだ逆族扱いされていた旧主徳川慶喜公を大政奉還の名君として新政府に認めてもらうべく、伊藤博文公、大隈重信侯に慶喜公を引き合わせた場所である。


渋沢にとって旧主がいつまでも逆族扱いされるのが許せなかったのだろう。この茶席がきっかけとなり、明治35年(1902年)に慶喜公は公爵に叙せられた。渋沢の義理堅さが滲み出る話である。


ところが、資料館でもらった地図を頼りに無心庵(むしんあん)に行ったのだが、建物は焼失。戦争で焼かれて跡地があるだけであった。残念!

気を取り直して、もう一つ見たかった、晩香蘆(ばんこうろ)という西洋式木造茶席(重要文化財)を、庭園を歩き探した。この建物はあった。晩香蘆は清水建設の4代目当主の清水満之助が、渋沢の長年の清水建設への支援に対する お礼の気持ちから、渋沢喜寿の祝いを兼ねて寄贈したものである。


以前、清水建設の歴史を調べたことがあるのだが、清水は公共事業に頼らず、民間企業のビルを多く手掛けることで発展してきた。渋沢が「官庁工事をやるより、会社や、工場、一般家屋をやるのが良い」と忠告したことが、民間建築を柱とする方向性を決めたようだ。そして渋沢の支援があったからこそ、清水建設は信用を得ることができ、次々と受注することが出来た


それにしても渋沢資料館の受付でもらった案内書を良く見てみると、庭園には他に6、7ヶ所、建物がたっていたのだが、晩香蘆(ばんこうろ)以外は、東京大空襲で全て焼失となっていた。何故、晩香蘆だけは焼けずに残ったのだろう? 帰りに図書館で調べてみた。「祖父・渋沢栄一に学んだこと」という著書にその理由が書いてあった。


近所の人たちが「渋沢さんに日ごろからよくしていただいているから恩返しだ」とみんながバケツリレーをして水をかけて消したというのだ。


渋沢栄一は庶民にも好かれる、本当に立派な人物だったのだと改めて思った



関連サイト
渋沢栄一の家系図 http://bit.ly/1rhRo7h
渋沢栄一語録 http://bit.ly/xl7q0f
人物別名言集 http://bit.ly/1j4tg4M
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2014-07-06 00:23:07

第243回_言葉は時空を超えて生き残る

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賢人、偉人、達人たちが遺した名言や語録や格言は、時代を超えて人の心に宿り、励まし、英知の源泉となり続ける。どんな英雄も必ず死ぬが、その人が遺した言葉は時空を超えて生き続ける。最近、そのことを思わずにはいられない。

1920年、第一次世界大戦の好況で飛躍的に伊藤忠合名(現・伊藤忠商事)は事業を拡大するが、一転、取引先の相次ぐ倒産により経営危機に陥る。当主の2代目伊藤忠兵衛が34歳の時である。この時に発生した損失は現在に換算すると数千億円にもなり、日本一の借金王と呼ばれた。

忠兵衛は突然の不運にただ呆然とするのみ。対策を見出せぬまま考えあぐねる日々が続いた。そんなある日のことであった。忠兵衛が若い日に知合い、その後人生の師と仰いでいた、井上準之助(当時、日銀総裁)から一通の手紙が届いた。中から出てきたのは一編の書で、次のように記されていた。

「名を成すは常に窮苦の日にあり、事の敗るるは多くは得意の時による」進退きわまる窮苦の今こそ、名を成す時である。死力を尽くして戦え━という激励の書であった。忠兵衛にとって目頭が熱くなる書であった。

忠兵衛は、ここが生涯の勝負どころと、奮い立った。彼は全財産を投げ出して会社再建に取り組む。それは自宅の庭の灯籠や庭石までも売却したほどの徹底したものであった。その甲斐があり忠兵衛は会社を再建し危機を乗り越えることが出来た。

ちなみに井上準之助が忠兵衛に送った
「名を成すは常に窮苦の日にあり、事の敗るるは多くは得意の時による」

この言葉は、中国・明代末期に編さんされた「酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)」に出てくる言葉である。恐らく井上はこの言葉を引用したのだろう。明代末期といえば300年以上前である。この言葉は300年の時空を超えて伊藤忠兵衛の心を打った。

中国といえば孔子の言葉を記した『論語』がある。日本でも資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一をはじめ、今でも多くの経営者や指導者がこの『論語』を道徳的規範としている。

孔子は2500年前の人物であるが、この『論語』に『温故知新(おんこちしん)』という言葉がある。前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見い出し自分のものとする、という意味だ。つまり、2500年前に生きた孔子もそれより前の先人達から学んだものを、弟子たちに語っていたのだ。ということは『論語』は2500年より遥かに昔の人達の言葉が詰まった書といえる。

良い言葉はこれからも生き続け、将来生まれてくる人も励まし勇気づけるだろう。

しかし、歴史は繰り返すというが、人間は何故か同じ過ちを何度も繰り返してきた。人間が歴史から学ばなければならないのは、何も学んでこなかったことではなかろうか。

先人達が遺してくれた英知の詰まった言葉を無駄にしてはいけない。

関連サイト
伊藤忠兵衛語録http://bit.ly/wErETR
渋沢栄一語録http://bit.ly/xl7q0f
孔子語録http://bit.ly/K2tiGD

後藤健二(ジャーナリスト)http://nihonnokakeizu.net/blog-entry-1257.html
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