2010-10-27 09:33:02

第124回_久原房之助_明治生まれの気骨な精神

テーマ:財閥

物余り時代に生まれ育った現代人は豊かになった反面、昔の人より精神が脆くなってしまったと思うがどうだろうか。とくに明治時代の人達は何もないところから創り上げていったので現代の人とは比べものにならないぐらい気骨な精神を持った人が多くいた。そのことは先人達が残してくれた言葉から伺いしることが出来る。



久原鉱業を創業し鉱山王の異名をとり、政界にも進出し逓信大臣、立憲政友会の総裁を歴任した久原房之助(くはらふさのすけ)(明治2年~昭和40年)は波乱万丈な人生を振り返り「人間は、一度へこたれたら、それでもうおしまいだ。ただ、へこたれるということは自分の心が決めることで、他人の決めるところではない。人が何と言おうが、自分の心がへこたれなければ、へこたれたことにはならない」

どんな状況でもへこたれたと思わなければへこたれたことにはならない。ごもっともである。なんと逞しい精神力であろうか。




浅野財閥を創業しセメント王の異名をとった浅野総一郎(あさのそういちろう)(嘉永元~昭和5年)は郷里の越中富山にいたころ様々な商売に手を出したもののことごとく失敗した。夜逃げ同然の姿で東京に出てきたが、仕事にありつけず食うに困る状況が続いた。その後、石炭の販売をきっかけに大成功をしていくのだが浅野は「私は楽天主義である。元来、物に凝滞(ぎょうたい)しない性質で、いまだかつて失望落胆したことがない」と言った。
何度も商売に失敗し、食うに困る生活が続いても失望落胆したことがないと言い切るのだからこれまた凄い。


日本の段ボールのパイオニア井上貞治郎(いのうえていじろう)(明治14~昭和38)は現レンゴーを創業し成功したが、15歳の時に神戸の商家に丁稚奉公に出てから洋支店、回漕店、活版屋、中華料理店、銭湯、酒場、パン屋、散髪屋、石炭屋・・・と転職は三十数回繰返す。どんな仕事も失敗した。しかし井上は「寝れば一畳、起きれば半畳、五合とっても三合飯」の明るさと「今にえろなったるぞ」このハングリー精神はどんな苦境の時でも持ち続けたという。日本の経営史上、私は井上ほど転職を繰り返した人間は知らない。普通であれば投げ出してしまうところ、何とも粘り強く逞しい精神力であろうか。



文責 田宮 卓






参考文献

日本経済新聞社 「経済人の名言・上」 堺屋太一 監修

日本経済新聞社 「私の履歴書 経済人3」日本経済新聞社

青野豊作 「名言物語 人生の極意、経営の勘どころ」講談社

日本経済新聞社 「20世紀 日本の経済人」日経ビジネス文庫










PR

コメント

[コメントをする]

コメント投稿

[PR]気になるキーワード

相互フォロー大歓迎!リフォロー率99% follow me Twitter
ツイッタータイムラインブログパーツ Taku Tamiya

バナーを作成