2012-08-25 08:38:58

第223回_量が質を生む

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「成功の秘訣は、いかなる職業であっても、その第一人者たることを期することである」

アンドリュー・カーネギー(鉄鋼王)

 

 

人類の文字以来の革命的発明といわれるものにコンピュータの「検索」がある。中でもグーグルの「検索」は世界で110億回ユーザーが使用しているという。我々の暮らしにはもはやこの「検索」抜きでは考えられない。あまりにも、当たり前のように「検索」が日常化しており、この「検索」の何が凄いのかを説明できる人は案外少ないかもしれない

 

 

楽天グループの創業者、三木谷社長がこの検索について次のように述べている。

「情報をデータベース化し、インデックス化しなければ、積み上げたゴミの山よりも無意味だ。干し草の山から一本の針を探すという喩(たと)があるけれど、インターネット上に存在する何億という情報源の中から一本の針、つまり必要な情報を瞬時に探し出すテクノロジーがなければ、インターネットの価値は半減する。この意味において、グーグルの果たした役割は大きい。その他の検索エンジンの開発者には申し訳ないけれど、グーグルが存在しなかったら、インターネットはこれほど普及しただろうかとすら思う」

 

 

検索の凄さは必要な情報を瞬時に探し出してくれることである。もし必要な情報が瞬時に探し出せなければ、インターネット上に蓄積されている膨大な情報も単なるゴミの山でしかなくなる。

 

 

グーグル社はアメリカのスタンフォード大学の学生であったラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの2人により1998年に設立された。それまでに検索エンジン自体は存在していたが、精度が悪くあまり重要視されていなかった。検索エンジンの精度を格段に上げ、世界中に普及させたのがこのグーグルであった。創業からわずか9年で時価総額18兆円に達し、IBMやインテルを抜き去ってしまった。

 

 

私も便利なのでこの検索を毎日使っているユーザーの一人ではある。しかしこの検索に頼り過ぎることに警鐘をならす人もいる。

 

 

東京大学総長の小宮山宏が東京大学の入学式の式辞でこのように述べている。

「最近は、インターネットを駆使して誰でも大量の情報を短時間のうちに入手できるようになった。このような情報環境の中で育った皆さんは、学術情報は簡単に手に入るのが当然だと思っているだろう。しかし、ひと昔前は全く違っていた。私が若い教授だったころ、学術情報を入手するためには、多くの論文に目を通したり、人に話を聞いたり、カードを作って整理したりと、大変な手間が必要だった。もちろん現在の方が便利に決まっている。しかし、その便利さにこそお落とし穴がある。情報収集にかけた膨大な手間と時間は、無駄なように見えて、決して無駄ではなかった。その作業を通じて頭の中で多様な情報が関連付けられ、構造化され、それが『閃(ひらめ)き』を生み出す基盤になっていたからだ・・・」

 

 

結局、その分野の第一人者になろうとするならば、膨大な手間と時間をかけて情報収集することや研究をすることは絶対不可欠といえるであろう。

 

ノーベル物理学賞を受賞したキュリー夫人はこのように語る。

「偉大な発見は、いきなり完全な姿で科学者の頭脳から現れるわけではない。膨大な研究の積み重ねから生まれる果実なのだ」

 

 

また万有引力を発見したニュートンはどうやって重力の法則を発見したのかと聞かれて、「年がら年中、そのことばかりを考えていただけです」と答えている。公園のベンチで居眠りをしていて、ふと目が覚めた時、木からリンゴが落ちるのを見て、アイデアがまとまったとされるが、偶然閃いたのではなく、それまでずっと考え続けていたからにほかならない

 

芸術の世界をみても同じことがいえる。天才といわれたピカソは8万点の絵があるといわれる。8万点描くには、10歳から描いたとして、90歳までの80年間、毎日3枚描く計算になる。とてつもない量だ。ピカソは質と量の両方を兼ね備えた天才といえるが、実は質だけの天才というのは存在しない。1点しかない天才の名作は存在しないといわれる。そもそも1枚しか絵がなければ画商がつくこともない

 

 

ビジネスマンにおいても同じことであろう。良くいわれるのが、抜きん出ようと思うならば、今与えられている業務について誰よりも精通すること、その道の第一人者になることである。そのためには圧倒的な量をこなす。これ以外に方法はないであろう

 

 

そこで私が最近、自分に言い聞かせていることがある「うだうだ言わずにとにかく量をこなせ」である!(^^)!

 

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2012-08-05 10:19:21

第222回_失われる日本の経営の良さ

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私は日本的な経営の良さに「助け合いの精神」「人を大切にする心」というものがあると思う。しかしながら昨今、経営の合理化が第一に考えられ、経営に私情を持ち込んで合理化を進めないのは悪、生き残るためには心を鬼にして合理化を進めるのを善とする傾向が強くなりすぎ、本来の日本の経営の良さが失われ、人に対してどことなく冷たくなり「情け」の部分が経営から消え失せているような気がしてならない。昔の経営者には美談として語り継がれる話が山ほどあったが、最近はこういった話が残念ながら聞かれない。いうまでもなく企業は人で成り立つ。長い目で見れば人を大切にする企業が発展するということを見落としがちではなかろうか。


繊維専門商社であった伊藤忠商事を総合商社化し伊藤忠商事中興の祖といわれた越後正一(えちご・まさかず)は社長時代の昭和39年の不況で会社が経営危機に陥ったことがあった。いよいよ伊藤忠も整理しなければいけないかという時に、メインバンクであった住友銀行(現・三井住友)の堀田頭取が救済してくれて、なんとか経営危機を脱することができる経験をした。


その後、社長を後進にバトンタッチしてから、当時10大商社の一角であった安宅産業(あたかさんぎょう)が経営危機になり、安宅のメインバンクでもあった住友銀行から安宅を合併してほしいという話が伊藤忠に持ち込こまれた。後進の経営陣が「伊藤忠にとってプラスにならないので安宅の話から下りたい」と越後に報告した。すると越後は「住友から伊藤忠はえげつないから下りてくれと言われたら仕方がないが、相手が何も言わないのに下りる手があるか」と叱り飛ばした。この越後の一言で昭和52年に大企業であった安宅産業を伊藤忠は吸収合併することになったが、これは住友銀行に昭和39年に救済してもらった恩があるからに他ならない。越後は「いくら苦しくても恩義を忘れたらいかん」という。


こういう越後を採用したのは実質的な創業者といえる2代目伊藤忠兵衛(いとう・ちゅうべい)であった。まだ15歳であった越後を面接し、見所のある男と認めたのか「八幡商業を卒業してから入社せよ」と好条件を提示した。自分の会社で働いてもらうには商業高校ぐらい出ていなければと思ったのであろう。そして八幡商業の卒業が近づくと、今度は神戸高商(現・神戸大学)への進学を勧めた。ところが越後は神戸高商の受験に落ちてしまい忠兵衛に合わせる顔がない。しかし不合格になったことを忠兵衛が聞くと「ああそうか、今度頑張るんだな」と一言つぶやいただけだった。「さすがは大人物」と越後は思ったという。2度目の受験は見事に合格し、神戸の住吉にあった忠兵衛の本宅に書生として住込みをしながら神戸高商に通った。そして卒業後に伊藤忠に入社する。越後は後に、もし「私が伊藤忠兵衛さんに会い、見出される幸運がなかったら今の自分はなかった」と述懐している。またこの越後が結果的に伊藤忠の危機を救い、さらなる発展に繋げたのだから、やはり越後を学校に通わせ長い目で育てた忠兵衛が偉かったといえるだろう。


萩原吉太郎(はぎわら・きちたろう)という男は慶応大学を卒業し、三井合名に入社したが、わずか4日で肺の病気を患い、2年余り休んでしまった、いったんは常務理事の有賀長文に退社を申し出るが慰留される。そして体が良くなったので恐る恐る出勤してみると思いの他、感激させられる。その時のことを萩原はこのように述懐する。


「昭和32月、大雪の降った日だったが、なんの前ぶれもなしに出社した・・・調査課へ行けというので、おっかなびっくり入っていった、とりあえず入社したときに座った机の前にいってみたら、チリ一つとどめず、きちんと二年前のままになっていた・・・一生ここで働こうと決心した」

荻原は後に三井合名を出て、三井グループの北海道炭礦汽船・通称北炭(ほくたん)に行き社長となる人物である。三井の大立者として活躍した。



阪急グループ(東宝、宝塚歌劇)の創業者、小林一三(こばやし・いちぞう)の『小林一三翁の追想』の中に収められている長谷川一夫(戦前から戦後の長きにわたって映画・舞台で活躍した大スター)の追想文にもこんな印象深いエピソードがある。

「・・・それは東宝入社第一回作品『源九郎義経』の撮影に入った草々、私は暴漢に顔を切られるという不祥事に遭遇し、その上、林長二郎(はやし・ちょうじろう)の芸名も返上を迫られるという苦境に追い込まれたのです。長い間、売り込んできた芸名は、俳優にとってはトレードマークのようなものだと考えるのが常識で、いまやマークのない商品に等しい私を、そのまま東宝においておくかどうか、社内でも問題になってきたのでした。ところが先生(小林一三)は次の一言で、社内の動揺をピタリと納めてしまわれたのです。『東宝は、林長二郎の名前と今後を誓ったのではないよ。人そのものと誓い合ったのだ』このことを知らされて、傷心のどん底に打ち沈んでいた私は、感動のあまり声を上げて泣いたくらいです。そして同時に私の体内に新しい希望と闘志が湧き上がってきたのです(中略)芸名は名ではなく人だ!


この世紀の二枚目スターは後年、宝塚の園に「ベルバラ」ブームを演出し大きく貢献していく。


会社が越後も、荻原も、長谷川も目先の損得で切り捨てなかったことが結果的に会社に大きく貢献することになった。「情けは人のためにならず」というがこのことは企業経営にも当てはまるのではなかろうか。


関連サイト

越後正一語録 http://bit.ly/zg2My6

伊藤忠兵衛語録 http://bit.ly/wErETR

萩原吉太郎語録 http://bit.ly/OHxZWH

小林一三語録 http://bit.ly/yMvvrW

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