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2011-05-30 19:14:54

第183回_岩波茂雄_意欲が危機を脱する(大災害から立ち上がった男達⑭)

テーマ:出版

182回の続き


大正1291日午前1158分、関東大震災が直撃する。岩波書店の店員たちは重要書類だけ持ち出して避難する。しばらくして店の様子を見にいこうとするが神田は火の海で近づくことができない。神保町も今川小路も焼けてしまった。結局、岩波書店は神田神保町にあった書店2棟、今川小路の持家倉庫3棟、有楽町の印刷工場なども全て焼失した。岩波書店は再起不能と言われ、普通であれば落ち込むところであろうが岩波は違った。



岩波は20数人の店員および家族の何れも命に別条がなく負傷者もいなかったことを知ると、多大なる興奮を持って感謝し、再起の元気に燃え立ったという。


この状況で悲観も落胆もせず感謝とは驚きである。幸い原稿は持ち出していたので著者には感謝されたが、それ以外の店や倉庫や工場など商業用の財産は全て焼けているのだ。それだけ岩波が何よりも人を大事にしてきたことが伺える。


 

後に岩波は「負傷者がいなかったことと、罹災することで試練を与えられたこと、新生活を開拓する勇気と確信と喜悦を与えられたことに感謝した。実際に感謝という気持ちをあれ程味わったことはない」と告白している。



また、こういう危機の時にこそ、その人の本質が出るものである。魚河岸(うおがし)では焼けた倉庫から人々が魚を持ち出していた。それを見た店員が一匹持ってきましょうかというと、岩波は「よせ、焼けたって、人のものをとってはいけない」といった。側近の一人が書著の印税を引き下げて岩波の損失を幾分か救おうと考えるが、これまた岩波は一蹴する。


 

岩波は真っ先に復興の先頭に立ち上がる。地震の災厄で少しもへこたれることはなく、むしろ前より元気になり自転車でしきりに著者のところを訪ねてまわったという。




ほとんどの印刷所が焼け、焼けなかった印刷所に出版社が殺到するが、岩波は他の出版社よりも信頼されていたため、印刷や製本を依頼しても優先的に快く引き受けてもらえた。どんな天災も物質的な財産を奪ってもその人の信用まで奪うことはできない。信用がものをいい復興は順調に進む。とりあえず「哲学辞典」の改訂版、「カント著作集」の刊行をもって危機的状況の脱出に成功する。



そして次に打ち出したのが、わが国の文庫文化を創り出す先駆となる「岩波文庫」の創刊である。しかし社内では反対するものも多かった。文庫は薄利多売で採算が合わない。文庫本はまともな本ではないという意見があったが、岩波は自身の信念にもとづき強硬に推し進め創刊した。



古今の名著から、哲学、社会科学、自然科学、文芸、芸術まで網羅する岩波文庫の登場は人々を驚かせた。貧乏学生でも買える値段設定とポケットに入る手軽さから読者層を一気に増やした。



賛美、激励、希望等の書信が数千通に達した。「私の教養の一切を岩波文庫に托する」などという感激の文字もあったという。



岩波は一部のインテリ層だけに読まれていた書物を一般市民に普及させることに成功させた。



そして最後に岩波文庫発刊に際しての書き出しの言葉を紹介したい。全文はどの岩波文庫の最後に掲載されている。 



「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめた学芸が最も狭き堂宇(どうう)に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭に隅なく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。・・・」



注意:堂宇・・・堂の建物


岩波は関東大震災で商売上の財産を全て失ったが、負傷者がいなかったことと、試練を与えられたことに感謝し、これが原動力となり岩波文化をつくりあげていった。



岩波は昭和20年多額納税議員として貴族院に列せられるまでになり、昭和21年には第5回文化勲章を受章する。文化勲章受章から2ヶ月後、熱海の別荘で没した。享年66歳であった。



文責 田宮 卓



参考文献



加来耕三 「成せば、成」 一二三書房

小林 勇 「荘主人」 岩波書店

安部能成 「岩波茂雄傳」岩波書店

岩波茂雄 「岩波遺文抄」株式会社日本図書センター










































































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2011-05-27 22:17:18

第182回_岩波茂雄_意欲が危機を脱する(大災害から立ち上がった男達⑬)

テーマ:出版


「困難が来るたびにぼくは元気になるよ」

岩波茂雄(岩波書店創業者)




逆境はその人に与えられた尊い試練であり、この境涯に鍛えられたひとはまことに強靭であると思う。古来、偉大なる人は、逆境にもまれながらも、不屈の精神で生き抜いた経験を持つ人が多いが、その一人が岩波茂雄(いわなみしげお、1881年~1946年)であろう。


岩波は1881年(明治14年)に長野県(現・諏訪市)で農家の子として生まれた。帝国大学(現・東京大学)哲学科を卒業すると神田高等女学校の教師になる。教育熱心でその授業も献身的であったため教頭にまでなるが、経営方針でぶつかったのか辞めてしまう。




そして始めたのが神田神保町(かんだじんぼうちょう)での古本屋であった。名前も「岩波書店」とした。岩波書店のスタートは古本屋であった。この時、

大正2年岩波33歳のときである



商売の家系でもなく経験もなかった岩波がなぜ商売で成功できたのか、私は大きな要素が2つあると思う。


一つは何処まで誠実であったこと。

一つは困難に立ち向かう精神力があったこと



である。
古本屋を開業する前に岩波は郷里の長野県出身で、これまた商売には全くの素人であったが既に成功しつつあった新宿中村屋を経営している相馬夫妻に相談をしている。商売のことを色々と教えてもらったが、相馬愛蔵自身も誠実の塊のような人であった。




そんな相馬のことを後に岩波がこう語っている


「私が畏敬する大先輩であり、敬服するのは商売気質に堕せず志業を大成したこと。氏の如く独立独歩自由誠実の大道を闊歩して所信を貫くことは至難である」


しかしながら岩波も相馬に負けず、

およそ誠実以外に生き方を知らない男でった。




岩波が古本屋を始めたのは自由人でいられて、

とりあえず生活が出来ればいいといった消極的な理由で、

後に志す「日本文化への貢献」という大それた気持ちが

最初からあったわけではなかったようだ。




しかし頑固たる道徳信念だけは持っていた。

それが古本の正価販売である。




当時の古着屋や古本屋は正礼など明示していない。

その場での顧客との交渉で値段が決まり売買をし

いた。


にもかかわらず岩波の店の古本には正礼

をつけたのである。



なんだそんなことと思うかもしれないが、

これは当時としては東京中の商習慣に全面的に
反逆する行動であって確固たる信念がないと

きることではなかった。



正直では商売ができないというのが世の常識であったが、岩波は「書物が文化財であるからには、その取引も公正明大にすべきである」という信念があり何よりも掛け引きや虚偽が嫌いだった。 



最初は客とのトラブルもたえなかったようだ「なぜ古本なのに正礼などがつくんだ」と客は怒る。説明してもなかなか理解されない。



また岩波のもう一つの信念は「他より幾分でも高く買い入れ、また幾分でもこれを他より安く売る」であった。晩年も商売の秘訣を聞かれれば、これ以外に答えようがないと言っていたという。これで本当に商売が成り立つのかと思えるが、徐々に岩波の考えは理解され受け入れられていく。



一般に古本屋は信用できないと思われていたのか「あなたの所なら幾らでもよいから買ってくれ」といって全国各地から古本を送りつけてくるようになった。やがて正価販売も定着していく。



そして古本屋を開業した翌年には出版事業に乗り出すが、処女出版となったのが文豪・夏目漱石の「こころ」であった。漱石といえば国民的人気作家である。まだ海のものとも山のものとも分からない、岩波を何処か見所があると思い信用したのか、漱石は心地良く出版を承諾したという。しかも漱石が店の看板の字まで書いてくれたというから驚きである。



漱石の「こころ」を皮切りに、出版業界へ進出した岩波はまもなく、古本屋から撤退。その後は「哲学叢書」を刊行。続いて漱石の遺作「明暗」を出版。さらに「漱石全集」を刊行し出版界にその地歩を固めていく。



そこで関東大震災が直撃する。




次回に続く




文責 田宮 卓






















































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2011-05-16 10:56:35

第181回_相馬愛蔵_客様本位の商売(大災害から立ち上がった男達⑫)

テーマ:食品

311日の東日本大震災が起きて以降、被災地のあるスーパーの品物が値上がりしていて、消費者がこんな時になんで値上げをするのだろうと不快感を示している映像がテレビで放映されていた。テレビ局の人が店員にインタビューすると、値上げをしたのではなく今まで大量仕入れが出来ていたので値段を下げられたが、震災の影響でそれが出来なくなり、値下げが出来なくなったので定価で販売することにしたということであった。








 このことは店側を攻められないし当然の商行為というべきであろうが、お客様の気持ちを損なっては、後々の商売は先細るだろう。普段から本当にお客様本位の商売をしている人はもう一歩踏み込んだ対応をしており、こういう緊急事態にこそ、そのことが現れるものであろう。










 1917年(大正6年)明治から昭和初期に活動したアジア主義者の巨頭、頭山満(とうやまみつる)や犬飼毅(いぬかいつよし)(後に第29代内閣総理大臣)らに頼まれ、新宿を拠点にパンや菓子の販売をしていた相馬愛蔵(そうまあいぞう)はインドの独立運動家のボースを匿うことにした。ボースは故国をイギリス植民地政府に追われ日本に亡命してきていたのである。店の裏にあるアトリエを隠れ屋に4ヶ月間ほど匿った。その間、お互いに情けも移り家族同然の仲になり、頭山の勧めもあり相馬の娘、俊子がボースと結婚する。間もなく日英同盟破棄により英国の追求は終わり、ボースは日本に帰化したが不幸にも俊子は28歳の若さで亡くなってしまう。





 


 1927年(昭和2年)、相馬は喫茶店の開業を手掛けることを決めた。この時に相馬家に強い愛情と感謝を抱いていたボースは恩返しをするため、故国の純インド式カレーを伝授した。当時の日本には英国から入ってきたカレーはあったがインドの本場のカレーとはほど遠かった。ボース直伝のこのカレーが日本初の純インド式カレーと言われ、現在も同店のメインメニューとなっている。この相馬愛蔵が中村屋の創業者である。


 







 相馬が郷里の長野県から東京の本郷に出てきたのは1901年(明治43年)で32歳の時であった。商家の家系でもなく商売の経験もなかったが勤め人は性に合わないと夫婦で商売をすることを考えた。そんな時に帝国大学(現東京大学)前でパン屋をしていた中村屋の中村店主が店を譲りたいと言ってきた。米相場で失敗して経営が成り立たなくなっていたのだ。相馬夫妻が店を譲り受けてからが現在の中村屋の創業といわれるが、何故、商売に素人の相馬が成功できたのか色々な要素があるだろうが、一つにはどこまでも誠実に、従来の商習慣にとらわれず、掛け引きなどもせずお客様本位の正道を貫いたことであろう。








 同郷の長野県出身の後輩にあたる岩波茂雄(岩波書店の創業者)は教員を辞めて神田神保町で古本屋を開いたのが商売のスタートであったが、始める前に相馬夫妻に色々と教えを受けている。そんな岩波は後に相馬のことを「私が畏敬する大先輩であり、敬服するのは商売気質に堕せず志業を大成したこと。氏の如く独立独歩自由誠実の大道を闊歩して所信を貫くことは至難である」と語っている。







 このことは関東大震災時の相馬の行動で伺い知ることが出来る。1923年(大正12年)91日に大震災に遭遇するが中村屋は幸運にも被災は免れた。しかし店頭には食なき人々が押し寄せてくる。相馬は商人の義務として中村屋の社員一同毎晩徹夜で製造を続けた。そして小麦粉は原価で販売し、パンや菓子は普段よりも1割安く販売した。平素のお客様本位の考えがそうさせたのであろう。










 ところが結果的に中村屋は震災を機に売上が34割増加していた。後で分かったことが他の店の多くが幾割か値上げをしていたが、中村屋はそれをしなかったことに好感を持った人が増えたということであった。 


  




                             以上






偉人列伝【昔の創業者、名経営者、政治家の秘話、エピソード大公開】          -一商人として
偉人列伝【昔の創業者、名経営者、政治家の秘話、エピソード大公開】          -相馬愛蔵






相馬愛蔵の著書「一商人として」 岩波書店


岩波茂雄が商売を志す人の教科書と評した





文責 田宮 卓










参考文献





相馬愛蔵「一商人として」岩波書店

加来耕三 「日本創造者列伝」 人物文庫 学陽書房

加来耕三 「成せば、成」 一二三書房





























































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