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2011-01-20 22:38:48

第162回_岩田弍夫東芝元社長_その場で日本一になれば必ず道は開ける(左遷をばねに)

テーマ:家電

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」


これは阪急グループの創業者、小林一三(いちぞう)の言葉であるが私はこのフレーズが好きである。


昔のあらゆる実業家、経営者の人生を調べてきたが道を切り開いて来た人のほとんどが、不本意であっても与えられた職場で何かを掴み次のステージに進んでいる。この生き方は現在にも通じることだと思うが、状況によっては環境を変えた方がいい場合、環境を変えて成功するケースもあるだろう。しかし先人のケースを見る限りはほとんどのケースが逃げ出さずに、その場で何かを掴みとり這い上がってきている。




1934年(昭和9年)、岩田弍夫(いわたかずお)という男は東京大学法学部を卒業した。成績があまり良くなかったことから官吏や財閥系の企業への就職は諦め、東京電気という会社に入社した。後に芝浦製作所と合併して東京芝浦電気(現東芝)となるが当時はエレクトロニクスが産業の中心になるとは誰も予測は出来なかった。


岩田は早くからプリンスと言われ注目された。トントン拍子に出生をしていき重役候補である本社の部長まで登りつめたが、歯に衣きせず思ったことをずばり言う性格が災いし、幹部と激突して左遷をくらってしまった。本社の部長から子会社の副部長への降格であった。上司は岩田の性格を気に入らず放り出したのだが、岩田はもう辞めてしまおうと辞表を認めた。しかし先輩に「理想の職業など、最初からあるものではない。それは自分でつくりだすものだ」と説得され破棄する。


そして心機一転新たな職場で真面目に働きはじめた。廻りからは岩田は再起不能と見られていたが、元々得意であった経理、財務のスキルを東芝で誰にも負けないぐらいになろうと徹底的に磨いた。それから数年が経つと東芝本体が一時財政危機に陥る。すると今度はこの危機を救えるのは岩田しかいないということになり、急に本社に呼び戻され財務部長に抜擢された。


そして東芝の財務を立て直した岩田は同期で一番で取締役になる。その後2年で常務を飛び越え専務に昇進。4年後に副社長とスピード昇進していき、あれよあれよという間に社長にまで登りつめた。




1912年(大正元年)、原安三郎(はらやすさぶろう)という男が早稲田大学商学部を首席で卒業した後、日本化薬の前身である日本火薬製造会社に入社した。化学会社に就職したのに、配属された先が飯場の炊事係であった。思ってもなかった職場であるが原という男は腐らず逆に徹底的に勉強した。米の仕入れ一つにしても「どこの米がうまいか」「米の値段にどういう違いがあるのか」「品質の違いとどう関係があるのか」「どういう流通経路で来るのか」「肥料には何をつかっているのか」等々、調べる気になれば勉強する材料はいっぱいあった。そして、勉強していくと、次から次へと、また勉強の材料が出てくる。最初はつまらないと思っていた日々の仕事にもはりが出てきたと言う。


この原という男は後に日本化薬の社長にまで登りつめる。1935年(昭和10年)に同社の社長になると会長になるまでの38年間社長を務めるというレコード記録まで作る。また幾多の経営不振の会社を再建し、「会社更生の名医」と賞賛された。1970(昭和45年)には勲一等瑞宝章を受賞する。 






文責 田宮 卓




参考文献


ビジネス哲学研究会【編著】

「心に響く名経営者の言葉決断力と先見力を高める」PHP

伊藤 肇 「瀬戸際で問われる経営者の倫理」ごま書房

城山三郎 「打たれ強く生きる」 新潮文庫

城山三郎 「静かなタフネス」文春文庫

城山三郎 「サラリーマンの一生 対談」 角川文庫

城山三郎 「ビジネス・エリートの条件」 講談社文庫














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2011-01-17 11:00:15

第161回_実行は読書の価値を数倍にする

テーマ:政治家

「読書は生きるための知恵の宝庫である」このことはきっと読者家といわれる人ほど、読者をする目的など考えるまでもなく、人生を有意義に生きていくためには当りまえのこととして気づいたら読書をしていることだろう。


読書は一瞬で現実と違う世界に導いてくれるという楽しみがある。新たな気づきや考え方が得られることや、視野が広がることもある。また人に会った時に読んだ本がきっかけで会話が弾むこともあるだろう。読書はインプットするだけでもそれなりに価値があるといえるであろうが、学んだことを実行に移すことで数倍の価値が出てくる、それもたった一歩の実行でも非常に貴いことである。



もう十数年前の話になるが、私は学生時代に衆議員宿舎で守衛のアルバイトをしていたのだが、ひょんなことがきっかけで大学卒業後、守衛から国会議員の秘書になってしまった。私がついた代議士は松下電器(現パナソニック)の創業者、松下幸之助が日本の真のリーダーを育てるために、晩年私財を全て投げ打って設立した松下政経塾(2期生 出身であった。


秘書になり国会で働き出した当時、松下政経塾出身の国会議員が20数名いたと記憶する。そして議員会館の一室を借りて松下政経塾出身の国会議員だけが集まる会議が月に2回ぐらいのペースで行われていた。その会議の事務局を私が使えることになった代議士がしていたことがあり、秘書になると直ぐに私もこの会議に末席ながら同席することになった。


この会議の主な参加メンバーは当時まだ皆123生議員と駆け出しの一平議員に過ぎなかったが、名前をあげると、野田佳彦衆議院議員(現財務大臣)、前原誠司衆議院議員(現外務大臣)、玄葉光一郎衆議員議員(現国家戦略担当大臣兼民主党政調会長)、原口一博衆議院議員(前総務大臣)、逢沢一郎衆議院議員(現自民党国対委員長)、福山哲郎参議院議員(現内閣官房副長官)中田宏(前横浜市長)、松沢茂文(現神奈川県知事)、鈴木康友(現浜松市長)、樽床伸二(たるとこしんじ)衆議院議員、松原仁衆議院議員といった人達であった。ほぼ皆、松下政経塾時代に松下幸之助から直接指導を受けた経験があるのだが、当時はこんなに皆な偉くなるとは想像が出来なかった。私が人を見る目がなかったともいえるし、人はどこでどう化けるか分からないともいえるだろう。 


起業家志望であった私はこの会議に同席するのが何より楽しみであった。何故ならそれまで松下幸之助に関する本は何冊も読んでいたが、本では得られない松下幸之助の教えや秘話やエピソードなどを聞けると思ったからである。


ところが約一年間、会議で末席に座り話を聞いていたが、そこで知り得た松下幸之助に関する情報は、23れは知らなかったなという話はあったが、ほぼ本に書いてあることと同じであった。


ということは何も松下幸之助に直接会わなくても、本を読めば松下幸之助の教えやエピソードは知ることが十分できる。つまり読書は時空を超えて誰でも何時でも古今東西の偉人とアポイントがとれ対話ができるということではないか。読書はそれだけでも価値がある。


またようやく本題に入るが、松下政経塾出身の議員の中に松下幸之助の言っていることと真逆と思える言動をする議員もいた。いったい松下幸之助から何を学んだのだろうと疑問に思わざるおえない。直接薫陶を受けても実行しなければなんの意味もないではないか。


逆にいえば直接薫陶を受けなくともその人の本を読んで一つでも実行すればその方がずっと上ではないか。そう考えると読書をして実行に移すことは何とも価値があり貴いことだと思う。 




文責 田宮 卓




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2011-01-09 09:46:19

第160回_土光敏夫_再建時に必要なトップの条件(公明正大)_第2話

テーマ:家電

第159回第1話の続き



東芝は名門意識からくる奢りから経営が傾いていた。そこで再建を期待され土光は1965年(昭和40年)に社長に迎えられた。


前任の社長は11時出社するは、業者からリベートはもらうはで社内のムードは沈滞ムードであった。企業は人なりというがまさに土光が社長に就任すると大企業病が蔓延していた東芝の空気は一変した。


土光は就任早々の訓示で経営の責任は社長にあることを明言し「社員はこれまでの3倍頭を使え、重役は10倍働け。自分はそれ以上に働く」と宣言。土光は宣言通り誰よりも働いた。


まず土光は必ず7時には出社した。会社の始業時間は、9時から夕方5時までである。朝の7時から始業時間の9時までは「誰でも自由に俺の部屋に入って来い」といってオープンにした。実際に役職のない平社員でも来れば大真面目に話し合った。土光は自分が早朝出勤しても決して部下には強制しなかったが、社長が7時に来ているのに部下たちが9時に出社するわけにはいかない。自然と重役や幹部社員の出社時間も1時間ないし2時間近く早まったといわれる。土光は自ら率先垂範することで東芝から「重役時間」を追放してしまった。 


社長に就任して間もなくすると、ある専務が「石川島の造船所をみたい」と、土光にいった。「よし、今度の日曜日にボクが横浜造船所を案内してやろう。朝9時に、造船所正門の前で待っている」その専務は、東芝の社用車を自宅に呼んで現地へ向かった。ところが、土光は一足先に自宅からバスと電車で造船所に着き、門の前で待っていた。専務は「石川島の造船見学も、仕事のうち。まして日曜日に出かけるのだから、会社の車を使って当たり前」と考えていたのである。ところが土光は違った。「ボクは、石川島の役員も兼務しており、造船所に行くのは仕事といえるかも知れない。しかし、今日の工場見学はあくまでも個人的なもの。私用なのだ。そんなことに、会社の車を使ってはならない」と判断したのであった。


これを知った東芝の全役員は、土光の公私の峻別を目の当りにして震え上がった。以来、公私混同をしていることの多かった東芝の社風が改まった。役員の専用者も、合理化した。「重役が乗らないときは、部長に使わせろ。一日に一時間も乗らないのに、一台あてがう必要はない。そんなことをするから、公私混同するのだ」土光の裏も表もない徹底した公私混同のない姿を見て、もはや誰も後ろ指を指す人はいない。社長の姿を見て勝手に合理化は進んでいった。業績は回復していき土光は東芝の黄金時代を築いていく。

 

組織を再建、改革する時にトップは公私において一点の曇りもあってはならないが、一つだけ土光に注文をつけるならば、質素な生活はいいが財界のトップがこれでは下の者が夢を持てない。成功した後は多少の贅沢をしても良かったのではなかろうか。




関連サイト

土光敏夫語録集

率先垂範編  http://bit.ly/qN4vdU

経営編    http://bit.ly/reMlal

教育編    http://bit.ly/qpMifu

仕事編    http://bit.ly/oiNTxb



文責 田宮 卓




参孝文献


佐藤正忠 「わが戦後財界秘史①身命、果てるとも」経済界

志村嘉一郎「土光敏夫21世紀の遺産」

宮野 澄 「土光敏夫次世代へ申し送りたく候」PHP

小堺昭三 「人望 この人間的魅力を見よ!」三笠書房

三鬼陽之助 「東芝の悲劇」 光文社







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