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2010-12-31 07:48:43

第155回_明治の義理固い男たち②田宮嘉右衛門_第3話

テーマ:鉄鋼

第154回_第2話の続き


第一次世界大戦を契機に売上で三井、三菱を凌ぐほどの大総合商社になった鈴木商店であったが投機的な経営が仇となり1927年(昭和2年)の昭和恐慌で倒産してしまう。


金子は鈴木商店没落の全責任を一身に負い第一線を退く、そして晩年は有馬の銀水荘に蟄居した。太平洋戦争が起きるといよいよ食糧事情が窮迫する。金子から受けた知遇を万に一つでも報いようと田宮は、オリエンタルホテルのドイツパンを分けてもらって毎日金子のもとに届けた。これには金子も涙を流して喜んだという。それだけではない、田宮は金子の息子の文蔵が札幌農大を出てドイツに留学する時も学費を出しており最後まで金子の恩に報いようとした。1944年(昭和19年)226日、春を待たずして金子は世を去った。田宮はその臨終の床にいたが、金子が最後の息を引き取った瞬間、むせび泣きしてしばらく顔を上げられなかったという。


金子の79年の一生は自分を顧みず事業一筋に貫かれた。産業立国を理念に明治、大正、昭和と日本の産業発展に貢献した功績は大きい。鈴木商店は倒産したが子会社だった神戸製鋼所、帝人、日商岩井(現双日)、豊年製油(現J-オイルミルズ)、石川島播磨(現IHI)等、多くの企業が今も存在しているが全て金子が種を蒔いたものである。


また田宮の義理堅い生き方は生涯変わらなかったようだ。1947年(昭和22年)、神戸製鋼所の経営の第一線からはおりていた。45日のことである。大阪築港出帆の氷川丸で上京する予定であった。その朝自動車で兵庫県の芦屋から大阪築港に着き、氷川丸に乗船したが、出帆前になってにわかに上京を中止して下船してしまった。たまたま当日は公職選挙法が施工されて初めての知事および市長の公選を行われる日であったことを田宮は氷川丸に乗船してから思い出したのである。もし棄権して乗船すれば国民の義務を怠るばかりでなく、当時兵庫県知事および神戸市長にそれぞれ立候補していた旧知の岸田幸雄、原口忠次郎の両氏に対しても義理を欠く結果になるというのが上京を中止した理由であった。


 



文責 田宮 卓



参孝文献


田宮記念事業会編・刊 「田宮嘉右衛門伝」

宇田川 勝 「日本の企業家群像」文眞堂






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2010-12-30 07:37:20

第154回_明治の義理固い男たち②田宮嘉右衛門_第2話

テーマ:鉄鋼

第153回_第1話の続き



1905年(明治38年)、金子直吉は設立して直ぐに経営が息詰まった小林製鋼所を買収することを決めた。「製鋼業は海のものとも山のものとも分からないが国家的事業だ」というのがその理由であった。金子の嗅覚といっていいだろう。そしてこの製鋼所の支配人に、金子はどこまでも義理堅く誠実な人柄に惚れ込んでいた田宮を大抜擢した。田宮31歳の時である。


同年9月に小林製鋼所を神戸製鋼所と改称して創立された。これが神戸製鋼所のスタートであった。しかしながらスタートは苦しかった。製鋼技術は幼稚で5回のうち4回は満足のいくものが出来ない有様であった。神戸製鋼所の赤字は年々月々累積するばかりで金子は三井か三菱に売却することを考えざるおえない状況であった。


そのことを今日こそは田宮に告げようと工場に金子は足を運ぶが、田宮の真剣で一生懸命な姿と田宮の指揮の下で作業員が無心に仕事に打ち込む姿を見ると金子はなかなか売却を言い出すことが出来なかったという。


神戸製鋼所は、3年間は赤字続きであったが、田宮と作業員の努力のかいがあり4年目に軌道に乗り出した。日清、日露の二つの戦争がすんで、日本海軍はにわかに艦船、建造、兵器の製造を民間に発注する意向を示し、その部品を納入することに成功したのだ。その後も海軍から継続的に注文がくるようになった。そして1911年(明治44年)、神戸製鋼所は鈴木商店から独立して株式会社として発足する。


1915年(大正4年)頃には神戸製鋼所は鋳鍛鋼メーカーとしての確固たる地位を固め、機械メーカーとしての地歩も固めつつあった。そこに目をつけて神戸製鋼所を買収したいという男が現れた。鉱山王の異名を持つ久原財閥の久原房之助(くはらふさのすけ)である。久原は金子に直談判する。価格の折衝がまとまり受渡しの段階になり久原は「田宮はもちろんついているんだろうな」と言うと金子は「いや田宮はいかんと言っている」と言うと、買収してもそれを運営できる人物がいないのであれば意味がないと、結局神戸製鋼所の買収を断念するということがあった。その後も金子と田宮の関係は金子が亡くなるまで揺るぐことはなかった。


第3話に続く

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2010-12-29 07:27:52

第153回_明治の義理固い男たち②田宮嘉右衛門_第1話

テーマ:鉄鋼
一昔前は人から受けた恩を何時までも忘れない、どこまでも義理堅い人達が多くいた。昨今、そういった人が少なくなったのは残念である。


1905年(明治38年)、日本で初めて製鋼の企業化が試みられた頃であった。まだ6時前の早朝の工場内、静まりかえっている機械の間をくぐるようにして、一人の小柄な男がゆっくりとした足どりで歩いていた。カーキ色の作業服を着ている30歳そこそこの小男は、ふと足をとめ、腰をかがめ床の上に手をのばして、何か小さなものを拾いあげた。小男は釘を拾って屑箱に入れる。屑箱の表に「宝箱」と書いてある。あちらにもこちらにも同じ箱が置かれ、小男は落ちている釘やボルトを、工場内を廻り拾うのを日課にしていた。工場の整理整頓を自ら率先して行うことで皆もそれに習い無駄が省け合理化が図れるからだ。

この小男が後に神戸製鋼所の社長となる田宮嘉右衛門(たみや・かうえもん)(明治8年~昭和34年)である。田宮は神戸製鋼所の実質的な創業者である。

田宮はどこまでも義理堅く誠実以外に生き方を知らない男であったといわれる。


郷里の愛媛から田宮が大阪に働きに出てきたのは1892年(明治25年)、18歳の時であった。職を転々とした後、住友樟脳精製所に会計係として勤めることになる。その間、結婚もして子供も出来る。二年ほど勤めると経営不振となり工場長の落合に「最近は経営不振が続いているがどう思うか」と尋ねられる。同じ頃、同社の高木支配人にも同じことを尋ねられる。落合工場長と高木支配人は日頃から意見を異にして言い争う仲であった。そのことを知っている田宮はどちらにも返答が出来ず責任を感じて辞職をしてしまう。妻子がおり生活に困るのに辞職してしまうのだから余程二人の間の板挟みになるのが耐えられなかったのであろう。そして田宮が辞職して、まもなくして住友樟脳は潰れてしまった。

捨てる神あれば拾う神ありで、しばらくすると何とか食い繋いでいた田宮に、当時神戸で急成長中であった鈴木商店の大番頭、金子直吉(かねこなおきち)から鈴木の樟脳工場で働かないかと声がかかった。辞職した住友樟脳は鈴木商店の樟脳部と競合し潰されたようなものでその後、鈴木商店に買収されていたのであった。金子は田宮の経験を買って声をかけたのである。定職のない田宮にとっては願ったり叶ったりの話であった。

「明日から出勤するように」と金子はいい、田宮は当然承諾した。それから金子は次のような注文をつけた。「君も知っているように樟脳という商売は同業者間の競争が激しい。君は樟脳工場にいたことだし、その間の事情もあることだろうが、鈴木に入社した以上は、どんなことがあっても商売上の秘密は守ってもらわなければならない。これを約束できるか」至極当然なことだと思った田宮は躊躇なく「承知しました」と答えてその場を辞した。

しかしその晩田宮は考えた。住友樟脳の工場長の落合には同社在職中はもとより住友樟脳を辞職してからも何かとお世話になっていた。落合は新しい会社を興してなお樟脳の商売をしている。その落合からもし商売上の秘密を問われたら、自分としては到底断ることは出来ないであろう。それならば金子との誓訳は初めから守りきることは出来ないという結論にいたった。何の思慮もなく職に飛びついた自分があさましく思えた。翌朝、重い足どりで金子を訪ねた。鈴木の樟脳工場入りを辞退するためであった。

「そうか秘密を守る自信が持てないのならしかたがない」と金子は田宮の辞意をあっさり認めたが、信義に厚い正直な男だと認め「この男なら使って間違いなし」と思ったという。

ところが翌年になると樟脳業者間の競争に終止符が打たれ、協定も結ばれて秘密保持の必要がなくなった。そこで金子からまた鈴木の樟脳工場で働かないかと声がかかる。今度は断る理由は何もないので田宮は喜んで鈴木商店へ入社した。

第2話に続く
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