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2010-01-24 09:41:55

第75回_伊藤忠兵衛_自分に魅力をつけろ、座談の天才になれ

テーマ:商社

交流会やパーティの場で名刺交換をすると、有名企業の人に自分はどこどこ会社の者だと誇らしげな態度をする人をたまに見かけるが、そのくせ話をしてみると自分の関わっている仕事以外のことになるとからきし分からない。また他にも何の話題もなく会話が乏しいことが多い。有名企業に属していることにしか価値がないというのではあまりにも寂しくないだろうか。一流大学を出て一流企業に勤めると、それだけで人は関心を示してくれるかもしれないが、いつの間にか自身に魅力をつけることを忘れてしまうのかもしれない。せっかっく優秀な人達なのにそれではあまりにももったいない。


ここでは座談の天才と言われた実業家から座談のコツを学んでみたい。


「勉学が目的だが、実家の織物の仕事もあるから有名大学をさけて最初ロンドン大学に行った。経済学部で講義を受けたがさっぱり分からぬ。ところが下宿屋へ帰って教科書を読むと大半理解できる。これで私は通学しなくとも勉強できると考え、本ばかり買い入れて商売の方に精を出した。」これは伊藤忠商事の実質的な創業者、2代目伊藤忠兵衛の述懐である。


滋賀から大阪に進出し、呉服や綿糸などを中心に事業を拡大していた初代忠兵衛が亡くなったのが1903年。その時に東京高商(現一橋大)への進学を断念し家督を相続し2代目を襲名したのが忠兵衛17歳の時であった。翌年、伊藤本店に入店。そこで奉公から行商まで修行を積み、1908年、伊藤家の事業をまとめて伊藤忠兵衛本部を設立、代表に就任したのが若干22歳の時であった。それ以来商売一筋、会社を日本有数の繊維商社に発展させた。


大学で学問は学ばなかったが、伊藤忠兵衛を知る人は皆彼を一言でいえば「博覧強記の人」と評した。知識をひけらかすのではなく、話題を提供して座を白けないようにする心配りがある。だから誰からも慕われた。


戦後は親善外交としても活躍する。1958年、忠兵衛は貿易使節団団長として、オーストラリアを訪問する。前年に訪豪した首相の岸信介が強く残る反日感情を何とか和らげたいために、忠兵衛を見込んで要請した。豪州側に招かれた宴席が盛上がらないでいると、忠兵衛はお礼に炭坑筋を披露しようと隣席の者を促し突然踊り出す。団員もこれに倣うと、あちらの大臣・次官の面々も連なって「月が出た出た」と始め、その後は打解けた懇談になった。


忠兵衛はまさに座談の天才、愛すべき人であった。大学を出ている出ていないは関係ない。有名企業に属していなくとも肩書きがなくても、どんな人とも話が合わせられ、どんな人に会っても物怖じしない、こういう人が真に魅力のある人物でなかろうか。                        



文責 田宮 卓









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2010-01-17 09:37:39

第74回_長谷川慶太郎_在野に生きる人を目指せ

テーマ:エコノミスト

手塚治虫の漫画の主人公ブラック・ジャックは医師免許がない、病院もない、医師チームもない、最新鋭の機器もない、武器は自分の腕だけでまさに徒手空拳の外科医である。それでも「3000万円出すから手術をしてください」とわざわざ患者さんが訪ねてくる。彼が「私は医師免許を持っていないですよ」と患者を突き放すようにいうと、患者さんは「そんなことはどうでもいい。私は、助かりたいからあなたに手術を頼んでいるのだ」と決意を語る。どんな難しい手術も成功させるブラック・ジャックには大病院の看板も肩書きも必要ない。ブラック・ジャックのように真に価値があれば組織に属さなくてもお客様も、お金も向こうから勝手にやってくる。このような人に成れればどんな不況でも喰うに困ることはないであろう。実際にブラック・ジャックのような人はどの分野にも存在する。


1977年、エコノミストの長谷川慶太郎のところに韓国のある情報機関の日本支局の責任者から電話がある。「北朝鮮が日本から5000トンもの鋼板を、現金で買い付けたらしい。本国がこれは戦車をつくるためではないのか、と言ってきています。けれど裏付けがとれないんです。」と彼は悲壮な声でいう。「もう僕らでは手に負えない。北朝鮮がなんのために5000トンもの鋼板を買ったのか必死に調べたがさっぱり分かりません。全く見当もつかない。しかし本国から早く結果を出すようにせかされている。長谷川先生どうしたらいいでしょう?」


長谷川は直ぐに自身の人脈を使い調べる、そして5000トンの鋼板が北朝鮮の順川(スンチョン)という地域に運ばれたことを突き止める。この地域には大きなセメント工場があるところであり、デンマークのスミスという会社がスーパーパイザーをし、実際の業務は、日本の三井物産とスミスが共同出資をしてつくった日本スミスという会社が行っていた。直ぐに銀座にある日本スミスの本社に訪れて聞いてみる。工場にトラブルが起こり急遽、5000トンの鋼板が必要になったことが分かった。北朝鮮が戦車を作っているのではないことも、また大量の鋼板を何のために買い付けたのかも確認がとれた。


また韓国の青瓦台(大統領官邸)に行った時、長谷川は経済担当の主席補佐官に質問をした。「お国には民主主義がありませんが、どうされるつもりですか」いきなりきついことを聞く。「どうしてあなたはそう思うのですか」と聞き返してきた。「あなたのお国は1962年の維新革命の時、地方自治体法を施工停止された。従って、お国には地方自治法がありません。すべての地方自治の首長は政府が任命しているので、民選ではない。だから民主主義がではありませんね。」と長谷川は言った。相手はかなり驚いて「いやあ、驚いた。地方自治法が施工停止になったことを、日本人から質問されたのは今日が初めてだ」と言った。「実は、これから民主主義に戻さなければならない。その戻すためのプロセスは、こうです」とびっくりするほど率直に話してくれたという。この男は経済企画院の長官、副総理を経て韓国銀行の総裁になった。長谷川は優秀な人間ほど情報を持っている人には敬意を持って接してくれる。将校のバッチをつけているのと同じだという。


長谷川慶太郎は情報王である。政府がどう発表しようが、長谷川が一人「こうなります」という予測が世界を動かし、人を動かしていく。「まさに一人シンクタンクである」。通勤電車、寝床、食事中でも何時でも本を読み普段から情報収集を怠らない。年間の書籍代だけで1000万円位使うというから驚きである。


アメリカのロサンゼルスに有名なウェイターがいると聞く。彼は笑顔が素晴らしく1回来たお客様の顔と名前は絶対忘れないという。そのウェイターを見にお店に来る人が毎日沢山いて、中には記念写真を撮る人もいるというから驚きである。チップだけで1500ドル以上になるというのだから凄い。この道を極めているというか、彼がいればお客様が来るのだから、どこのレストランも彼を欲しがるであろう。


どんな職業であれその道の第一人者になれば仕事もお金も向こうから勝手にやってくる。不況であろうが政府がどんな施策を出そうが関係ない。このように在野で生きられる人間を目指したいものである。 





文責 田宮 卓









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2010-01-10 09:34:58

第73回_坂口力元厚生労働大臣_医療に差別なし

テーマ:政治家

医師である坂口力元厚生労働大臣が自ら書いた自叙伝ともいうべき本「タケノコ医者―差別なき医療をめざしてー」を読んでいると、医師の医療に対する本質的な考えが分かるくだりがありなるほどと思った。

テロ対策法案が審査されている時に野党の女性議員が「日本が医療などの支援をする時、負傷したアメリカの兵士も治療をするつもりか」と総理に迫った。その兵士はふたたび戦場に戻り、戦闘に参加するに違いない。そうした医療行為は、間接的ではあるが戦闘に参加することになるのではないか、というのが発言の主旨で住民の治療をするのとはわけが違うという。

このやりとりを聞いていた坂口はかつて三重県赤十字血液センターに勤めていた時のことを思い出したという。

そのころ血液不足が続き、特に0型血液が不足することが多かった。そこでO 型の人達にお願いをして約70人の人達に献血をしてもらったという。夜勤明けで疲れた体であるにもかかわらずかけつけてくれた企業従業員や身体障害者の人も含まれていた。しかし翌日、血液供給担当課長と看護師に涙ながらに苦情を言われたという。「昨夜数回にわたってO型血液の要請が伊勢病院からあり、結局80本を使い、一命をとりとめました。しかし、この患者は暴力団で喧嘩の末に刺されて大出血となり市民病院に担ぎこまれていたのです。」職員のいいたいのは、血液不足で多くの皆様に協力をお願いしようやく集めた大切な血液を、喧嘩の末に刺された暴力団員になぜ与えなければならないのか。そのおかげで血液を保存している冷蔵庫は、ふたたび空になってしまったということであった。「血液を50本以上使った患者はほとんど死んでいます。しかし、この暴力団は80本使って命をとりとめました。全快してまた市民を脅かすのでしょうか。これからのこともありますが、こんな人間にも血液を出さなければならないのですか」と言う。坂口は少し間をおいてから「医療は人の善し悪しを問わない。その団員も、80本もの血液をもらって自分の命が助かったことを知れば今後の人生が変わるかもしれない」言ったという。「医寮に差別なし」健康な体に戻すのが医療の本質であること坂口は語っている。

では「医療に差別なし」この概念はいったいどこからきたのであろうか。ふと疑問に思い考えて思い浮かんだのが、江戸時代後期、大坂船場に蘭学の私塾、適塾を開いた蘭学者であり医者である緒方洪庵である。緒方は常々塾生に医師たるもの間違っても貴賤貧富をかえりみてはならない。医術をもって、よろずの民の病苦を救済すべしと説いていた。少なくとも日本では江戸時代後期には「医療に差別なし」という考えに基づき治療をしていた医師がいたことが分かる。そして適塾で緒方洪庵の教えを受けた人物に福沢諭吉がいる。福沢の「学問のすすめ」の冒頭に有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり」とあるが、これはきっと緒方の影響を受けたのであろう。                

文責 田宮 卓

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