2009-12-27 09:29:40

第71回_山内健二_終身雇用崩壊とともに失われたもの

テーマ:製薬

終身雇用が崩壊したと言われ何年経つだろうか、日本独特の終身雇用制度が一慨に良いとも悪いともいえないだろうが、終身雇用を支えていた大切な精神が失われてしまったことだけは確かなようだ。では終身雇用を支えていた精神とは何であろうか、旧山之内製薬のある社員が山内健二社長の想い出を語ったエピソードからそのことを垣間見てみよう。


兄が昭和20418日満27歳で戦死したので、残された母と二人で、泣き泣き野辺の送りをすることになった。医師、市役所の手続きも終り、葬儀屋に出かけた。ところが、(棺桶)がない。当時は空襲の最も激しい時であり、材木がほとんど手に入らない状態で「材木を持って来れば棺を造りますから」と断られてしまった。一時途方に暮れたが、思い直して心あたりを一日尋ねて廻った。しかし、材木は手に入らなかった。その時、本社前の空地に建物を解体した古材木があったことを思い出し、翌朝自転車にリヤカーをつけ、本社に行った。その日は日曜日であったので当直の社員がおらず、玄関口で階段に腰をかけて思案に暮れていた。


すると二階から人が降りてきたと思うと山内健二社長であった。「休日なのになぜ出勤したのか、大分疲れているようだが・・・」と優しく声をかけられた瞬間、今までの緊張が一挙に崩れた。不覚にも涙が出てしまい、ようやく気を取り直して兄が前日亡くなったが、納棺することが出来ないので、やむを得ず会社へ古木材を頂に来た事情を話すと、私の肩に手をかけて慰められながら力強く励まされ、私と一緒に古材の山の中から、特に新しい平板や角材を選んでリヤカーまで運んで下さった。山ほどの古材がリヤカーに積まれた。さあ、これで納棺が出来ると、心から社長にお礼を述べて帰る間際に、呼び止められ、当時二階にあった社長室に来るように言われた。


部屋に入ると、社長は手ずからお茶を入れられ、飲むようにすすめて下さった。社長は机の上の真白な紙を広げ、上着のポケットから取り出された札入れを逆さにして、紙幣や硬貨を全部出すと丁寧に紙に包まれた。そして「これは少ないが、仏前へのお供えと何かの足しにしなさい。」と私の固辞するのを構わず両手で手渡たされ、これからは亡兄の分まで元気で長生きし、一生懸命に頑張るようにと重ねて励まして下さった。おかげで無事に亡兄の野辺の送りを済ますことができた。この時飲んだお茶の熱くおいしかったことと、社員の悲しみをともに悲しんでいただいたこと、力強く励ましていただいたことなど、昨日の出来事のように有難く想い出す。私の青春時代の悲しい想い出の中でも、山内社長の恩情は生涯忘れ得ない想い出として残っている。


終身雇用が守られていた時は、経営者は社員を家族同然に大切にし、生涯社員の家族と生活を守るという気持ちを持っていました。だからこそ社員も、この社長のために頑張ろう、この会社で骨を埋めるつもりで頑張ろうと思い仕事をしていました。経営者や会社と社員の間にはそういった信頼関係があったからこそ終身雇用制度も保たれたのではないだろうか。


今は、経営者は業績が悪くなれば直ぐに人員整理をします。好きこのんでする人はいないであろうが、逆に業績が悪いのに人員整理をしないのは経営者のエゴといったような風潮さえあります。そこには社員を大切にする精神や社員の家族や生活を守るといった精神が失われているような気がします。そして社員も会社から明日にでも解雇を言い渡されるかもいれないという状況であれば、とても愛社精神というかこの会社のために頑張ろうという気持ちにはならないであろう。社員のモチベーションも求心力も低くなるので会社の組織力はますます弱くなります。これでは会社も社員も不幸です。


今一度終身雇用の良さを見直してみるべきではないだろうか。



文責 田宮 卓









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2009-12-19 09:27:00

第70回_戦争で発展する医薬品産業

テーマ:製薬

アメリカの文豪ヘミングウェイの名著「武器をさらば」(新潮文庫)の解説で高見 浩は、1914年(大正3年)7月に西欧諸国大国の利害の衝突から勃発した第一次世界大戦は、日本を含めた十数ヶ国を巻き込み、毒ガス、戦車、潜水艦、飛行機といった近代兵器を誕生させたあげく、兵士と民間人合わせて1400万人の死者を生むという大惨禍をもたらした。と書いている。「武器をさらば」はヘミングウェイの自己の戦争体験をもとに書かいた小説であり、その書かれた背景、説明をする流れの中での一文である。



確かに人命を奪い合う戦争は悲惨である。そして人命を奪う軍需産業やそれに関わる産業が発展するのも事実であるが、戦争が起こると軍需関連以外でも発展する産業がある。それが医薬品産業である。



例えば、日本は第一次世界大戦で起こるまでは医薬品は依然として輸入に頼っており、しかも敵国のドイツからの輸入が一番多かった。医薬品の輸入は途絶え、価格は高騰し、治療上支障を招く恐れが出てきたことから、政府は臨時薬業調査会を設置し、医薬品の国産化に向けての調査を開始し、1915年(大正4年)の議会で「染料・医薬品製造奨励法」を公布した。染料も医薬品同様輸入に頼っていたからである。その内容は、新たな医薬品や染料の製造を始める者に国庫から補助金を交付するというもので、この法律に基づいて新たに内国製薬株式会社、東洋製薬株式会社が政府の保護会社として設立され、解熱鎮痛剤のアミノピリン、アスピリン、消毒剤の石炭酸、麻薬など輸入の途絶えた医薬品を国産化することになった。



一方、医薬品の輸入が止まって困ったのは病院や診療所だけではない。防腐剤サリチル酸をドイツから輸入していた清酒業界も困惑した。サルチル酸がなければ醸造した日本酒の貯蔵ができず、政府は屈指の財源を失い財政が破綻するからである。



大蔵省の依頼でサリチル酸の国産化に当たったのが三共株式会社(現、第一三共)。原料の石炭酸を米国から輸入して清酒100万石用のサルチル酸の製造に成功した。貴重な財源を確保できた大蔵省は、後に三共株式会社に感謝状を送っている。



その後、大学、衛星試験所などの医薬品製造法の研究が進んだことや、各製薬会社での生産増強などがあって医薬品の不足は解消に向かった。日本の製薬業界は第一次世界大戦のお陰で発展したといえよう。



海外はどうか、ペニシリンは1928年(昭和3年)、細菌学者アレクサンダー・フレミングによって発見され、感染症との闘いに重大な医学的価値をもつものとさてきたが、しかし、量産を可能にする工業化の目処が立たず、十分な量のペニシリンを生産することができなかった。 



1941年(昭和16年)、ファイザー社ではペニシリンの可能性に着目し、人命を救う新薬の量産を成功させたいという思いから、リスクの高い開発に着手。クエン酸生産で培われた技術を利用することで、当初の予想を5倍も上回る量のペニシリンの生産に成功した。



そしてファイザー社が開発した深底タンク発酵技術を用いたペニシリンの量産化技術がアメリカ政府から認められ、ファイザー社は同技術を競合メーカーに提供することで、第二次世界大戦中、19社がペニシリンの製造をアメリカ政府から委託されます。25万人以上の患者を治療きるまでに量産ができ、ファイザー社のペニシリンは兵士たちの傷をいやし、多くの人々の命を救うことに貢献することとなった。



しかし人命を奪う戦争がきっかけに人命を救う医薬品産業も発展するというのはいかにも皮肉であるが紛れもない事実である。



 

文責 田宮 卓
























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2009-12-12 09:24:26

第69回_早矢仕有的_医師から実業家への転身

テーマ:流通

鎌倉時代のすぐれた医書である「頓医抄」に「ヨノツネノ医師ノ、或ハ利潤ヲ専ラニシテ、ヤスキコトヲカクシ、或ハ偏執ヲサキトシテ、益アルコトヲ秘す」(巻8)と医療の営利主義をなげいていることが書かれているが、医療サービスの充実と利潤の追求と相反するものを同時に満たして、開業医や病院の経営をしていかなければならないことに悩むのは今も昔も同じだったようだ。このことは会社の経営においてもいえることであるが、何時の時代にもそんな悩みを吹っ飛ばす、壮大な志を持ってことにあたる人間がいるものである。


1837(天保8)年、美濃国(現岐阜県)で生まれた早矢仕有的(ハヤシユウテキ)は父親と同じ医師を志し、18歳の時に郷里で医師を開業した。後に早矢仕は医学の勉学のため江戸に出る。世界の覇権がオランダからイギリスに移り、日本でも知識人の興味は英学へと移っていたことがあり蘭学だけでなく英学を学ぶ必要性を感じた早矢仕は、慶応31867)年、当時評判の福沢諭吉の私塾(後の慶應義塾の門を叩く。


塾の主宰者・福沢諭吉から英学はもちろん「経済」を学び、医業以外の自己の可能性を拡げていく。早矢仕が医師から実業家へと転身していくきっかけとなる。福沢は早矢仕を医師としての才能だけでなく、実業家としての才能も認め、西洋の文物の輸入を早矢仕に任せるようになる。福沢の勧めに応じて早矢仕は西洋の書籍を主体に薬品や医療器具や雑貨の輸入業務に本格的に乗り出すことを決心する。そして早矢仕は書店の開業にこぎつけることにし、丸屋と号した。出資者である福沢とも相談のうえ、世界相手の商売という意味で地球の球屋(マルヤ)、誤読を防ぐために転じて丸屋とした。この書店が現在の丸善の前身である。


同書店の創業理念が「丸屋商社之記」として公表されるが、これが日本初の会社設立趣意書とされる。この設立趣意書に早矢仕は、鎖国によって西洋に遅れをとった日本の早急な近代化と、その手段として貿易事業が社会的要求を充たすことを名分化、そして文明開化がはじまるも、いまだに何事も備わってないものがおおく、特に人の世の急務である教育や人の命を救う職業のようなものにおいて、洋書が少なくあるいは薬品や医療器具が乏しいのでまずはこれらを専業にすることを名分化している。


一開業医であった早矢仕が世界に目を向け、日本の近代化に貿易業をもって貢献しようという壮大な志が芽生えたのは福沢との出会いであり福沢の影響を受けたことは間違いないであろう。


そして早矢仕が明治7年に社員の福利厚生のために定めた「死亡請合規則」が、我が国最初の生命保険会社(後の明治生命保険)へと発展し、明治13(1880)年には外国為替銀行として政府と民間の出資で発足した横浜正金銀行(旧東京銀行)の設立に参画(初代頭取は丸善重役の中村道太)する等、金融業の近代化にも関与していった。


人間には2種類あり、志や信念のある人間とない人間に分けることが出来る。しかし何時の時代も歴史を作っていくのは早矢仕のような志や信念の持っている人間であろう。



文責 田宮 卓












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