1 | 2 次ページ >> ▼ /
2009-09-25 08:52:44

第58回_加藤辨三郎_産業人が失いつつある精神

テーマ:製薬

戦後は政治家も経営者も国民を飢えさせないことを第一に考えそれぞれの立場で日本の経済復興に全力で取り組んできました。そこには名誉欲、金銭欲といった私利私欲はあまりなかったでしょう。このことを医薬の分野で経済復興に貢献した加藤辨三郎(かとうべんざぶろう)という人物のエピソード通じて一例を述べてみます。


1950年(昭和25年)の夏、協和発酵工業(現協和発酵キリン)の創業者、加藤辨三郎は発酵バイオビジネスで世の中に貢献するという壮大のビジョンを携えアメリカに行った。目的は米国メルク社と結核治療薬ストレプトマイシン製造の技術導入に関する契約を結ぶためだ。契約の交渉は交渉というよりも先方の提案を丸呑みさせられる結果となった。


しかしこのことが、日本人の死亡率の最高が結核によるものであったのが、それを一挙に6位にまで下げることができた。協和発酵工業は利益を上げることが出来、日本の結核撲滅に大きく貢献した。


それから数年後の1956年(昭和31年)協和発酵工業はグルタミン酸製造法で画期的な発明をした。グルタミン酸はアミノ酸の一種で「味の素」の主成分である。味の素社は創業以来、これを小麦または大豆のタンパク質を塩分で分解して造っていた。


そこへ、協和発酵工業はそれと全く異なる方法を発明したのである。澱粉(でんぷん)または糖蜜とアンモニアを原料とした発酵法で造るのだが、分解ではなく合成によるものである。原料も安く工程も簡単なためグルタミン酸の原価が大幅に下げられることが予想された。


この発明が海外にもいち早く報ぜられ、数社から技術を買いたいと申込みが来た。その一社がメルク社であった。メルク社にはかつてストレプトマイシン製造の技術導入をした時の契約書を題目とアメリカとあるところを日本にすりかえた程度でそのまま提示した。メルク社は条件が厳しすぎるといったが、「これはかつてあなたがたが私を説得したそのままの条件ですよ。ご不満はよく分かるが、かつての私の不満も察してもらいたい」といったところ契約は原案がそのまま通った。こうしてわずか数年の間に協和発酵工業は外国から特許料を受け取る会社に成長したのである。


加藤辨三郎は食料とも、医薬品ともなるアミノ酸類が大量に安価に生産されることは将来、人間の生活の上で大きな貢献をするのにちがいないと確信したという。

医薬品産業の特色は研究開発指向という点であり、売上に対する研究開発費の比率が10%を超えるといわれ、全産業でトップクラスである。新薬(自社品)として市場に出る確率は、10000分の1~20000分の1ともいわれる。それだけ、ハイリスク・ハイリターンな産業といえます。リスクが高い分、成功すると新薬は何万人もの医師に匹敵をするともいわれるように人類に大きな貢献をもたらすことが出来ます。


しかし私利私欲に囚われた利益だけを考えての新薬の開発は必ず失敗します。過去の成功したケースを調べてみると、加藤辨三郎のように世のため人のためという純粋な精神が必ずあります。新薬にかかわらず、どの産業にもいえることだと思いますが、現代の産業人はこの純粋な精神を失いつつあるような気がします。 

 



文責 田宮 卓                         








AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2009-09-23 08:49:56

第57回_津村重舎_製薬メーカーは倫理感が欠如すると即破滅につながる。

テーマ:製薬

今から2200年前、日本では縄文時代から弥生時代に移り変わろうという時期、中国では秦の時代で不老長寿の呪術、祈祷、医薬、占星術、天文学に通じた徐福(じょふく)という学者がいた。あるとき不老不死の仙薬を求めいていた始皇帝より仙薬の入手を命ぜられ、はるか東方に不老不死の薬を求める旅に出ることになった。」


これは司馬遷の「史記」にある徐福伝説になりますが、健康で何時までも長生きをしたいというのは昔からある人間の本能かもしれない。


津村重舎(じゅうしゃ)という男の母方の藤村家には、中将姫(ちゅうじょうひめ)から直接処方の仕方を授けられたという薬が先祖代々伝わっていたという。中将姫は聖武天皇の天平19年(747年)、かねて子がなく神仏に願いをかけていた豊成(藤原鎌足の孫)と柴の前(品沢親王の息女)との間に生まれた一女であるという。中将姫が家を出て最初に身を寄せたのが津村重舎の母方の実家・藤村家といわれ、それを契機に交流がはじまり、中将姫は当麻寺で修業していた頃、薬草の知識も学び庶民に施していたが、その処方の仕方を藤村家に伝え、それが藤村家の家伝の薬になったという。


津村重舎は1893年(明治26年)、23歳の時にこの藤村家に伝わる家伝の薬を「中将湯」という名前で売り出した。津村重舎と聞いてもピントこない方が多いかもしれないが、漢方の津村順天堂(現、株式会社ツムラ)の創業者といえば頷く人もいるだろう。


明治後期は明治政府が西洋医学偏重の医療政策を打ち出したため、漢方は片隅に追いやられていました。しかし津村は「良薬は必ず売れる」を信念に様々な製品を開発し、漢方を守り続けました。


そして1976年(昭和51年)3代目の津村昭が社長の時、ツムラが研究開発した医療用漢方製剤のうち、33処方が薬価基準に収載されます。つまりそれまで家庭薬としてしか服用されていなかった漢方薬が、病院や医院の医師が患者に保健薬として使えるようになったのです。漢方の薬価収載は「漢方の復権」と言われ、ようやく国に認められたことになります。初代から約80年の歴史を得ての画期的な出来事であった。


健康で長生きしたいというのは人間の本能であり、それを満たす薬であれば津村の「良薬は必ず売れる」の信念の通り、必ず世に受け入れられるはずです。また、メルクの創業者ジョージ・メルクは「医薬品は利益を上げるためのものではなく、人々を救うためのためだ。そのことさえ忘れなければ、利益は自然についてくる」と言っていたといいます。


しかし製薬メーカーは利益を出し続けなければ生き残っていけないという焦りから、利潤だけを追い求め、時として倫理感が欠けることがあります。かつての日本ケミファ事件もその一例といえましょう。また薬害エイズ問題、肝炎問題など薬害の問題も後を絶たないが、結局自分で自分の首を絞めていることを知ることである。




文責 田宮 卓                         









AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2009-09-12 12:47:14

第56回_後藤新平_ベンチャー企業を支援した政治家後藤新平

テーマ:政治家

昭和通り、日比谷通、墨田公園、墨田川の名橋これらの都市構造物は大正時代、東京市長の後藤新平が手掛けたものである。後藤は台湾総督府民政長官、南満州鉄道初代総裁、内務大臣、外務大臣、東京市長等を歴任、行革と都市政策の先駆者と言われた男であるが、

この後藤という政治家が異色だったのは実に多くの実業家を支援し育てたことではないだろうか。

後藤新平の関与を受けたという実業家を上げればきりがないが。鈴木商店の金子直吉は後藤が台湾総督府民政長官の時、台湾の樟脳油65%の販売権を取得し鈴木商店大飛躍のきっかけをつくった。

西武王国を築くルーツとなる軽井沢の沓掛(くつかけ)地区の開発を「今は経営者にしても気宇広大な奴がおらん。この軽井沢あたりも君のような若い者が50年ぐらいの計画で開発したらいい」と、まだ30歳にもみたない堤康次郎(西武グループ創業者)に勧めたのは後藤である。

読売新聞の再建を頼まれた正力松太郎が訪ねてきて「十万円(今なら数億円)貸してほしい」とお願いされた後藤は「新聞経営は難しいと聞いている。失敗しても未練を残すなよ。金は返す必要はない」と言い十万円を貸したという。当時、正力は政治家のことだから、どこかから都合したのだろうと思ったという。しかし、後藤の死後、実は後藤が自宅を抵当に入れ、無理して借金をした金であることを遺族から聞かされて知ることになり、正力は号泣したという。

また、後藤のもう一つの特徴は医療・医薬に携わる人達を支援したことであろう。星一(はじめ)が星製薬株式会社を設立する時支援をしている。

日本の細菌学者の父、北里柴三郎を支援したことでも知られ、漢方薬の津村順天堂(現、株式会社ツムラ)の創業者、津村重舎(ジュウシャ)をとても可愛がったといわれる。

株式会社クラレの前身となる倉敷絹織株式会社を創設した大原孫三郎が倉敷中央病院を創設すると、開院式にわざわざ岡山の倉敷まででかけて参加するなど、医療に携わる人達との交流にとても熱心であったようだ。

それはそのはずで後藤新平自身、元々医者であったので自然と医療・医薬に携わる人達の支援に力が入ったのだろう。明治15年(1882年)4月、自由民権運動を進める自由党総裁板垣退助が岐阜で演説中、暴漢に刃物で襲われ「板垣死すとも自由は死なず」と有名な言葉を叫んだ事件があったが、この時真っ先に岐阜に駆けつけ板垣の治療をしたのは実は後藤であった。 

業界団体や財界の利益誘導をして見返りに献金をもらう政治家はいても、後藤新平のようにベンチャー企業を支援する政治家はなかなかいないのではないか。

政権交代目前で大きく政治が変わろうとしている今、後藤のような政治家が出現することを期待したい。人材の育成こそが産業発展の要である。


文責 田宮 卓

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
1 | 2 次ページ >> ▼ /

AD

相互フォロー大歓迎!リフォロー率99% follow me Twitter
ツイッタータイムラインブログパーツ Taku Tamiya

バナーを作成

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。