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2009-07-25 08:12:20

第49回_高峰譲吉_今こそパイオニア精神を

テーマ:製薬

わが国で研究開発型ベンチャーの草分けは誰かと聞かれれば、私は真っ先に高峰譲吉(タカミネジョウキチ)の名前を挙げるが今、彼の名前を知っている人がどれほどいるであろうか。決して忘れてはいけない誇り高き日本人の一人だと思います。


ニューヨークのブロンクスに広大で有名なウッドローン墓地というのがありますが、その案内書によると「科学・発明」の分野でここに眠っているのはたった4人、そのうちの二人が日本人で野口英世ともう一人が高峰譲吉である。案内書には高峰は「近代バイオテクノロジーの父」と紹介されております。


高峰譲吉は、安政元年(1854年)越中国(現在の富山県)に生まれた。明治12年(1897年)、工部大学(現在の東京大学工学部)応用化学科を卒業し、翌年イギリスに留学、その間高峰の脳裏には「欧米に大きく遅れた日本の化学工業をいち早く立ち上げる」という使命感がついて回ったという。帰国後、農商務省に入った。農商務省に職を得た高峰は、肥料による日本の農業改良に乗り出します。高峰がただの頭でっかちの科学者と違っていたのはこれからの動きである。単に日本の土壌にあった肥料を探したり研究するだけでなく、製造、販売を目的とした会社設立を考えた。産業界の重鎮である、渋沢栄一や三井物産の益田孝に対して、わが国の農業経営の特徴からみた人造肥料の効果と意義を力説し、彼らも高峰のビジネスプランに賛意を示し渋沢栄一を社長にした東京人造肥料株式会社を設立した。この会社が日産化学工業株式会社として現在に至っている。


その後アメリカに渡米して研究を続けることになるが「タカジアスターゼ」という消化酵素を発見します。これをデトロイトの医薬品会社パーク・デービスが消化薬として商品化した。胃のもたれがなくなると全米で大評判になりまたたく間に世界に広がった。


高峰は日本での販売権だけを契約から除外しておいた。その2年後、明治32年(1899年)に、日本でタカヂアスターゼを販売する三共商店(旧三共、現第一三共)が塩原又策、西村庄太郎、福井源次郎の3人によって設立され、1913年(大正2年)に三共株式会社となり、高峰は初代の社長となった。これが、世に言う「三共胃腸薬」の第一歩であった。


その後、高峰は医学界の大発見といわれる「アドレナリン」を発見する。「アドレナリンなくして医学会なし」と言われたほどの「世紀の発見」であった。


彼が発見した「タカヂアスターゼ」は100年経った今も胃腸剤、消火剤として使われ、日本だけで年間100万トン生産されていると言われます。もう一つの大発見 「アドレナリン」は、世界最初のホルモン物質(内分泌物質)である。これも今もなお医療の最前線で使われる新薬でその強い止血作用は手術の現場では不可欠だという。これを使うと出血はそれまでの10分の1で済み。「奇跡の薬」「世紀の薬」と称される。


高峰は化学技術を産業に結びつけた最初の日本人であり研究開発型ベンチャーの草分けである。


医薬品の開発はハイリスクハイリターンと言われます。またジェネリック医薬品のグローバル化が進んでおりますが、日本の製薬メーカーはそれに負けることなく高峰のようにパイオニア精神を持って新薬の開発をすることで世界の外資系製薬メーカーと堂々と戦ってほしいものです。


文責 田宮 卓










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2009-07-17 08:08:45

第48回_山本為三郎_今こそ共存共栄の精神を

テーマ:食品

1963年(昭和38年)洋酒大手の寿屋(サントリー)社長の佐治敬三はビール事業進出を決断していたが、ビール市場は朝日麦酒(アサヒビール)、日本麦酒(サッポロビール)、麒麟麦酒(キリンビール)3社の寡占市場であった。


全国の卸屋(東京・横浜は除く)はすべて、キリン、サッポロ、アサヒ何れかのビールの特約卸売店に指定され、しかもそのほとんどが専売契約に縛られて一社の製品しか扱えなかった。蟻の這いいる隙間もない状況でした。実際に数年前、宝酒造が新規参入を試みましたが撤退を余儀なくされている。


佐治は意を決して、朝日麦酒社長の山本為三郎の門をたたきました。山本は佐治の父親の信治郎(寿屋の創業者)とは同じ大阪の船場の育ちで竹馬の友でした。佐治は無理を承知で頭を下げると、意外にも山本は「よし、わかった。うちの販売網を貸そう」と言ってくれた。「わが国のビール生産者は世界に類を見ないほど数少ない。業界の健全な発展のためには一つくらい新しい会社が育つようにしてやらなくてはならない」これが山本の門戸開放の弁であった。


山本の家は生粋の大阪町人である。大阪人を知りたければ山本の家にいけば一番正統な大阪が残っていると言われるぐらいであった。大阪商人の商人訓で「近所に同業ができたら誼みを厚くして相励め」というのがあります。同業は競争者ではないという精神である。 

「大阪の道修町の街は端から端まで薬屋が並んでいるが食うか食われるかの激しい競争ではなく共存共栄の精神で徹してきたのだと思う。これが本当の大阪商人である」と山本は生前語っていたという。


サントリーにビールの門戸開放を決断したのも山本が大阪商人の共存共栄の精神を受けついでいたからではないかと思います。


またパナソニックの創業者、松下幸之助は仕入先との共存共栄を常に考え自分のところだけ儲けることはしなかったと言われています。仕入先に値下げをお願いする時は、仕入先の工場を見せてもらい、この点を改善すればもっと安く出来るのでないかと先方と一緒に検討し、十分得心してもらってから値下げをしてもらっていたそうです。


しかし今はどうでしょうか。少しでもコストを削減したいがために一方的に発注者側が価格を叩くということが行われていると思います。発注先が損をしてもそんなことは気にもしないのでしょう。


この不景気でどこも苦しいのは同じです。私はこれから自分だけ生き残ればいいという発想の会社は行き詰り、苦しい時こそ共存共栄の精神で取組んでいける会社が生残るのではないかと思います。


 

文責 田宮 卓








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2009-07-11 08:05:40

第47回_井上貞治郎_苦境でも志を失ってはいけない

テーマ:パルプ・紙

「寝れば一畳、起きれば半畳、五合とっても三合飯」の明るさと「今にえろなったるぞ」この気持をどんな苦境の時でも持ち続けた。


1909年(明治42年)、井上貞治郎が29歳の時、「紙にしようか、メリケン粉にしようか」迷っていた。朝鮮から満州、香港と流れ歩いた末やっと見つけた東京での2畳の部屋。そこへ大の字にひっくり返って、天井の雨漏りのしみをながめながら考えていた。


兵庫県姫城市郊外(播州平野)の農家で生まれた井上は15歳時、「商売を覚えてえろなったる」という大きな志を立て神戸の商家に丁稚奉公に出たが、井上の志はいつも空回り。洋支店、回漕店、活版屋、中華料理店、銭湯、酒場、パン屋、散髪屋、石炭屋・・・と転職は三十数回繰返した。その間、神戸から横浜、大阪、京都に住居を移し、さらに、韓国へ渡って満州にも足を伸ばして「新天地で一旗揚げよう」という夢を描いたものの、どの仕事も失敗に終わった。やがて大連から上海、さらに香港へと渡るが、夢は破れ、日本に戻るしかなかった。


日本に残していた妻は病気で亡なっており、裸一貫からのスタートだった。井上は今度は独立自営を目指そうと思いメリケン粉を練ってパン屋をやるか迷ったが、結局紙を選ぶことにして三盛社(さんせいしゃ)を興した。


シワを寄せた紙がガラス製品などを包む緩衝材として使われていることに目をつけた。その紙は「なまこ紙」と呼ばれていたがブリキ屋や焼芋屋が片手間につくっている程度で、それに比べてドイツ製の輸入品は高品質で高価であった。そこでこの「なまこ紙」のドイツ製に負けない国産品を作ろうと思いたったのだ。試行錯誤のうえ出来上がった「なまこ紙」に井上は「段ボール」と命名した。この三盛社が発展したのが現在のレンゴーである。井上は段ボールの生みの親でありレンゴーの歴史はわが国の段ボールの発展史といってもいいでしょう。


井上はどんな苦境の時でも上記に挙げた「今にえろなったるぞ」という気持ちを持ち続けたという。


今、不景気で仕事が見つからない、住むところがない等、苦境に立たされている人は多いと思います。しかし意欲や気持まで失ってしまっては苦境から抜出すことは出来ずそれまでです。井上貞治郎のように志しを持ち続けていればきっと明るい兆しが見えるはずです。


 

文責 田宮 卓








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