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2009-05-31 01:19:43

第41回_山下俊彦_その他大勢から抜け出す

テーマ:家電

日々転職活動をしている人達と接していて感じることは、仕事のことで悩んでいる人があまりにも多いということです。真剣に将来の自身のキャリアを考えてこのままでいいのだろうかと悩んでいる人もいますが、悩みを分析してみると大抵が上司と合わない、仕事がつまらない、仕事がきつい、残業が多い、給与が低い、休みが少ないと悩みというよりも職場や会社に対する愚痴、不平、不満であることが多いと思います。社会で働く以上、何も不平、不満のない人はいないと思います。また理不尽なことがあるのが現実だと思いますが、どんな環境であろうと愚痴、不平、不満を言わず黙々と仕事に打込みむしろ楽しんで取組もうと努力する人も中にはいます。どのような気持ちで仕事に取組むかは様々だがその他大勢から抜け出す人は後者のタイプではないかと思います。


1938年、山下俊彦という男が工業高校を卒業して松下電器(現パナソニック)に入社した。当時松下電器は4000名程の中堅企業で、たまたま学校の先生に勧められたので受けたという。松下電器に入ってからは主に現場で働いていたが仕事は面白くなく、いつのまにかマンネリになってしまい、このままでいいのだろうかと悩んだという。そんな時、山下が手にした1冊の本が彼の生涯働くうえでの精神的なベースとなった。ゴーギリーの「どん底」という戯曲で、そこに「仕事が楽しみならそこは楽園だ。仕事が義務ならそこは地獄だ。」という台詞があった。同じ仕事でもそれを楽しんでやるのと義務でやるのとでは天と地ほどの違いがある。仕事がつまらないか面白いかは誰のせいでもない。自分の心の中にあると強く感じたという。その後、「それを知るものはそれを好むものに如かず。それを好むものはそれを楽しむものに如かず。」という論語の言葉に出会い、仕事は楽しむからこそ良い仕事が出来るのだということを確信したといいます。それから実際に山下はどんな時でもこのことを貫きました。


1962年に山下は松下電工の系列企業のウエスト社に常務として出向させられます。当時の同社は資本金6千万円に対し負債が5億円、しかも労使関係も劣悪という最悪の状態でした。しかし山下は「ガラス張りの経営」を徹底させ3年で再建します。


それから1965年に本社に戻され冷機の事業部長に任命されます。しかしこの事業部は赤字続きのお荷物事業部でした。ここでも山下は「品質でどこにも負けないものを作るまでは売るな」という思いきった方針を打出し、同社のエアコンを4年後には業界トップシェアに導きます。いずれの場合も普通ならば腐ってしまってもおかしくない場面ですが、山下は前向きに考えむしろ楽しみながら再建に取組んでいきました。この功績が認められ1974年には26人中25番目という末席ながら役員にも選ばれ役員会にも顔を出すまでになります。

それから3年後の1977年山下にとって晴天の霹靂というべき出来事がおきます。相談役の松下幸之助が山下を社長に指名したからです。当時マスコミの間で「山下跳び」「25段跳び」とかなり話題になりました。高卒で役員の末席にいたものが突然社長に大抜擢されたのであるから無理もありません。山下は9年社長を務め、大企業病が蔓延していた松下電器の大改革を行い、家電メーカーから総合エレクトロニクス企業へと見事に脱皮させることに成功させました。後に山下はウエスト社と冷機事業部長時代の経験が私にとって実に貴重だったと語っています。


山下のようにどんな環境に置かれても、愚痴、不平、不満を言わず黙々と仕事に打込む人が頭角を現しその他大勢から抜け出せるのではないでしょうか。


「自己の職を耐え忍び、沈黙を守っていることが中傷に対する最上の回答である」これはアメリカ初代大統領、ワシントンの言葉ですが古今東西を問わず、愚痴、不平、不満を言わず自分が成すべきことを黙々と実行することがその他大勢から抜け出す方法のようです。


 文責 田宮 卓







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2009-05-24 01:17:14

第40回_石橋湛山_大器晩成

テーマ:政治家

1884年東京都麻布区で仏門の息子として生まれた石橋という男は学生時代優秀とはいえなかった。甲府中学を2回落第し、卒業して一高を受験するも2回スベっている。2回浪人して早稲田大学に入学する。大学こそ首席で卒業するが就職浪人をして東京毎日新聞に入社。しかし社内で内紛があり在職8ヶ月で退職。学生時代、社会人のスタートはどう見ても順調とは言えなかった。

しかし、石橋はその後東洋経済新報社に入社するとジャーナリストとしてメキメキと力をつけます。あっというまに社長にまで登りつめ日本の言論界のリーダーとなります。戦後はジャーナリストから政治家に転身し、第1次吉田内閣蔵相(議席はなかったが)、鳩山内閣通産相を歴任。この石橋という男がその後日本の総理大臣になる石橋湛山です。

人間の一生には学校の点数とは別の要素も必要なようです。石橋の場合その第1に「出会い」がありました。中学を2回落第したことが幸いをもたらし最終学年で大島正健校長と出会うことができます。大島校長は札幌農学校の第1回卒業生でクラーク博士の教えを受けておりました。大島校長からクラーク博士の教訓を聞くことができ、これが石橋にとって一生を支配する影響だったといいます。大島校長に出会えたことで学問や生活の覚悟なりを全て切り換えたという、つまり生きるための指針、羅針盤を得ることができたのである。2回落第をしたことで出会えたのだから人生どこでどんな偶然があるか分かりません。

2に大学を卒業してからの本格的な勉強があります。東洋経済新報に入社して経済記者になってから猛勉強をはじめます。通勤電車の中で、経済学の原書を読了していきます。経済学文献、古典まで読破していきました。この根気と情熱があったために昭和時代「金解禁」論争がおきた時、文字どおりのオピニオンリーダーになりました。

学校秀才であれば将来性があり、そうでなければ望みがないと一般的に思われがちですが、他にそれ以上に大事な要素があるようです。もちろん学校の成績が悪い方がいいとは言いませんが、エリートコースを只管歩んできた人が人生の後半で晩節を貶すことや、失敗をして立直れなくなるケースが多いのも事実であります。

人生早咲きする必要はありません。花を咲かせるのは遅くても構わないのでそれまで自分を磨きあげることが大事でしょう。何れ花が咲くとき大きな可憐な花が咲くか、小さなみすぼらしい花になるかはそれまでどれだけ自分を磨いてきたかにかかわるでしょう。

  

 文責 田宮 卓

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2009-05-18 01:13:23

第39回_宮崎 輝_その道のエキスパートになれ

テーマ:化学

1934年日本窒素肥料(現旭化成)に旧東京帝大(現東大)の法学部を卒業した男が入社した。この男が最初に配属されたのが旭化成の子会社である旭ベンベルグの庶務課だった。庶務課は大阪商大や早稲田大学商科や商業学校を出た即戦力集団で固められていて、法学部出身はこの男一人だった。仕事はソロバンと手紙書きであったが学生時代法律の本しか読んでおらず、ソロバン等触れたこともなかったこの男はどうしてもうまくいかない「東大出の法学士なのに仕事は何も出来ない」と陰口をたたかれ、それがいやで会社を辞め、もう一度勉強し直して裁判官か弁護士になろうかと本気で悩んだという。



しかしこの屈辱が負けず嫌いのこの男の闘志に火をつけた「得意の法律を勉強して、会社で一番の法律通になって、まわりを見返してやる」と決意し夜の街で酒を飲みにいく同僚を横目にみながら独身寮の図書館で猛勉強をはじめた。会社の手続き業務には民事、刑事、特許の出願手続きまでいろいろあるが、これらに関連する法律から社債を出す時に必要な法律の信託法、工場で大量の水を使っていたので河川法とか、会社の業務の実際に役立つ各論を毎晩図書館から一歩も出ずに勉強した。



3年も勉強を続けていると社内で「若いけれど法律をよく知っている、恐らく会社で1、2の法律通だ」と評価する人が出てきます。そしてこの努力が意外に早く報われる時がきます。同社が開発した「旭ダイヤライザー」というカセイソーダの回収装置をめぐって帝人と特許紛争がおき、責任者として1年間担当させられます。この男の豊富な法律の知識が功をそうし、結果は同社が勝訴。帝人が10万円払うということで和解に至る。この活躍がこの男が引き立てられるきっかけになりました。32歳で総務課長、37歳で取締役に就任、以後社長、会長として31年もの間経営トップとして旭化成の采配をふるいました。この男が旭化成中興の祖といわれる宮崎 輝です。




その道のエキスパートになれば必ず道が開かれます。例えば銀行員であれば為替なら為替のことを誰よりも知識を持っているという人になれば為替のことになれば上役であろうと何であろうとその人に聞きにくるようになります。そうなればその人の地位は安定することはもちろん、昇進の道は当然開かれるでしょう。さらにこれが1つの銀行にとどまらず、ある銀行界を通じて為替のエキスパートだという事になれば、さらにその人の活動範囲は広くなります。そうなればその人の前途は1銀行家にとどまらず、どこでも迎えられるだけの可能性があるのは当然です。さらにそれが日本で第1の人だということになれば、絶対にかけがえのない人物になり周りがほっておかなくなります。




その道のエキスパートになれば、どんな不況がこようが職に困らなくなります。所属している会社が倒産しようが、例えアフリカの奥地にいても他の会社から必ず引っ張られるでしょう。




会社に不満や、仕事の愚痴を言っている暇があればその道のエキスパートになるように努力をして転職活動をしなくても職に困らない、そのような人物になれるように頑張りたいと思います。                         




文責 田宮 卓







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