寿都五十話の世界

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「寿都五十話」という本を、かつて寿都測候所(北海道)に勤務した山本竜也さんが上梓した。

784ページの大作。

寿都町をメーンに、隣の島牧村や黒松内町のことも一部収容している。

ブログ「南後志をたずねて」を開設しているので、本が手に入らない人は、そちらから内容を見ることができる。


著書の山本さんを私は地元の郷土史家と思っていたが、まだ30代の大阪出身の青年だという。かなりの驚きである。

地元の人ですら知らない、あるいは関心のない寿都の歴史の闇を照らしたのだから、大変価値ある仕事を為したというほかはない。

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寿都は北海道民ですら知らない人が増えているので、まして本州の人が知るはずがない。

かつてニシンで栄え、明治時代の終わりには日本の水揚げ量の10分の1を占めた。


ちなみに、ニシンは最盛期には100万トン近く獲れた(今の水揚げ量トップは鯖の50万トン)。全部人力で獲ったのだから、労働力として明治初めから大正終わりまで、全国各地から人がやってきた。


日本の近代期に、民族大移動のエネルギーをなした魚種といえるだろう。


民謡「江差追分」でうたわれる「忍路(おしょろ)、高島及びもないが、せめて歌棄磯谷(うたすつ、いそや)まで」。

歌棄、磯谷が今の寿都町の管内である。町村信孝の父親、北海道知事を務めた金吾が書いた碑が鰊御殿のある歌棄に建っている。

ちなみに、女優の上戸彩のお父さんは歌棄の人。沖縄と北海道の血が混じって上戸彩は誕生した。

「寿都、島牧ベッピンさん」と昔から言われ、寿都は美人の産地である。ニシンの産地だった小樽もそんな印象がある。小樽から木ノ内みどり、余市から坂口良子が出ている。


さて、歌棄の近くにある作開地区は維新後、青森県の斗南藩で塗炭の苦しみを味わった会津藩士が再起を賭して入植した土地である。

会津の入植地といえば余市町黒川が有名(黒川は会津若松の旧名。この辺の果樹は会津の入植者がつくった。ちなみに次のNHKテレビ小説の主役であるニッカウイスキーの竹鶴政孝は広島県竹原市の産)。

会津藩士は同じ時期に黒松内町作開にも入り、農業の開拓に従事した。しかし、食い扶持を求めて、歌棄のニシン獲りの日雇い仕事に出る人が少なくなかったという。


なかには、当時始まった屯田兵に志願して札幌に向かい、それから西南戦争に駆り出され、命を落とした人もいた。


野口英世とともに北里柴三郎の研究を支えた小池毅は、会津藩医の息子で歌棄の生まれである。惜しくも二十代で亡くなった。

父親の藩医は斗南藩から、さらに歌棄まで藩士と行動をともにした人。寿都、島牧まで往診に行ったという。


そういう話はこの本では書いていないが、ニシンとともに栄枯盛衰の道を歩んだ寿都町の歴史と庶民の生活を実に良く浮き彫りにしている。


毎晩、すこしずつ読んでいきましょう。













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