この2週間はまるでヒマの無いスケジュールでした。
あんまり時間に流されるような過ごし方は良くないのですが(・Θ・;)
先々週の週末は被災地ボランティア&キックオフのため、東北に行ってきました!
表彰の場面。私ももらい泣きしそうになりました・・・
今回のキックオフは今までで一番充実していたと思います。盛り上げてくれたキックオフ委員の皆さん、本当にありがとう(・ω・)/ 本業の仕事もかなり多忙だと思いますが、あれだけ完成度の高い演出が出来るのは本当にスゴイ事だと思います
そして、深夜まで仙台の繁華街で騒いだ後、足掛け二日間のボランティアをしてきました
初秋のみちのく路。
金色の稲が頭を垂れています。
この米ははたして売れるのでしょうか?そう考えるとちょっと寂しくなりました
仙台から車で二時間半
南三陸町に到着。テレビで見馴れていたはずの光景ですが、想像以上に状況が進んでいなくて暫し唖然としていました
これ、線路です。半年たっても途切れたままの。
こんな感じで瓦礫拾いをしてきました。
何にも無いように見えますが、ここ一帯は住宅街だったそうです
給食の献立表。こんなの見てたら悲しくなりました。
この家の方々はどうしているのでしょうか。当然知る由もありませんが、知りたいとも思いませんでした。
子供からの親への手紙
赤ちゃんの遊び道具
半年も経ってこの状態って・・・・・・遅くないか?と思ったり
津波の被害エリアに我々が参加したボランティア以外に瓦礫撤去している人がほとんどいなかったり
そして正直、ボランティアの仕切り方も悪かった。もっとマンパワーを有効に生かす方法もあったと思います。
事実上の指揮官不在・・・・
でも、それを含めてすべてが現実の今なのです。すべてが震災被害
今回、みんなでボランティア&キックオフをしてきたのも、今起こっている事実をこの目で直視して、当たり前の日常を過ごせている事に感謝して、そして東北にお金を落とそう、という目的でした
後日知ったのですが、南三陸町は、最近二つの町が合併して誕生したのだそうです。そして新町長になった方が、あの有名な、庁舎につかまって命拾いをした人なのです。そして、津波が来るアナウンスを町の職員が自分の危険を顧みず、マイクを通じて叫び続けた様は全世界の美談になっていました
のですが、あの津波被害にあった庁舎は合併したての頃、高台への移転が議会から提案されていたそうです。
しかしながら町長は教育と医療に予算を使いたかったために、提案を却下。
そしたら程無くしてこの津波。町長も奥様を亡くしましたが、議員や職員の家族も多くの方が亡くなりました
それが理由で現在、町長と議会が対立して、膠着状態が続いているそうです。なんにも進まない状態が半年。。。すべてが悲劇です
それから帰京してそのままシンガポールに飛ぶのですが、その様子は次回にします