• 18 Nov
    • かじまやーを迎えた母

      11月12日に母のかじまやー祝い(97歳)を行った。母のたった一人の妹(ほかの姉妹はなくなった)と、7人の子、孫、曾孫の身内だけで53人が参加して行われた。母は、十数年前にアルツハイマーと診断された。その時の私はアルツハイマーは脳が委縮しすべてを忘れてしまうと思っていた。そして、ドラマでアルツハイマーになった母親が自分の子どもに対して、「どちら様ですか、私の子どもは、かわいい子でそんなおばさんではない」と言っていたことを思い出した。ただ、そのお母さんは、縁側に座りお人形さんを抱いて暖かな日差しをあび幸せそうであった。母が私を忘れたしまったらどうしようという強い不安と恐怖に襲われた。夜中に飛び起きて「いやだいやだ母が自分を忘れてしまうなんて嫌だ」と叫んでいるときもあった。それは、母に忘れられたくない。母が廃人みたいになったらどうしようというパターンから出てきたことである。その頃私は、ちょうどカウンセリングを学び始めたころで、先生にそのことを話すと、忘れるということは「余分なものを全部おいて、きれいな状態であちらにいく」ことなんだとおしゃった。それを聞いて私は心が軽くなった。母は子どもの頃は奉公にだされ、戦争で夫と娘、息子、弟を亡くし苦労した。そして、49歳で父と死別し、下の子は小学校3年生で5人はまだ学生でった。そのため50歳になってから、はじめて働きに出た。並大抵の苦労ではなかったと思う。それでも母は冗談を言ってよく私たちを笑わせた。強い人だったんだなあとも思う。ある時父が亡くなった時の年齢を超えた母に「お父さんより年上になったね」というと、向こうにいったら「まーぬ、はめーやみせが(どこのおばあさんですか)といわれんかね」と言って笑った。えっ!そんなこと思うんだとおもうと、なんだかすごく愛おしく感じられた。いまの母は、数年前に大腿骨を骨折し自力では歩けなくなり施設のお世話になっている。私が行くと誰だったかなという顔をする時もあるが、しばらくすると「いつ来たの?」と聞く。何度も同じことを聞く。また、私の子どもはまだ小学生位と思っているようで、「早く帰ってご飯作らんと」と言う。忘れるときと、つながるときがあるようである。アルツハイマーの進行状況も個々違うのかもしれない。今は、いろんなことがあった母が、余分なことをおいて、きれいな状態であちらに行くことを思うとうれしく感じる。以前のような不安はなく、母が私を忘れるのは寂しいかもしれないが、それを受入れられる自分がいる。苦労した母だから、自由で軽く幸せであって欲しいと思う。長生きさせてくださったことに感謝します。そして、介護してくださっている方々、兄弟妹、義理の姉妹、周りの人たちに感謝します。

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  • 08 Nov
    • 息子の結婚式

      沖縄のお祝いの幕開けは、かぎやで風で始まるのが恒例である。息子の結婚式もかぎやで風始まった。沖縄の結婚式はかぎやで風で始まり、親戚や新郎新婦の同級生、職場の同僚などの盛りだくさんの余興で舞台を賑わす。息子たちは、出席してい頂いた方々にあいさつしたり、みなさんがゆっくり歓談できる式にしたいということであった。。そのため、挨拶は息子の会社の社長おひとりに会社代表のご挨拶と乾杯の音頭をお願いした。キャンドルサービスは各テーブルを回り、その席で出席していただいた方々にお礼を述べ写真撮影をしていただくことに時間を増やし温かさを感じさせられました。そしてまた、私の母がかじまやーを迎えたということで、司会がインタビューをし、歌まで披露させていただき和やかに過ごすことができた。結婚式を迎える前は、余興もなくて大丈夫だろうかと思う自分がいた。そのパターンは何だろうかと見てみると、みんなと違うやり方をする勇気がない同じやり方をしていれば安心。みんなが何と思うだろう。満足して頂けるだろうか。もっと見てみると、親、兄弟から批判されたくないなどであった。参列者の出席者カードは新婦が手作りし、ウエルカムボードも娘の写真を披露するなど温かい、手作り感のある結婚式を行うことができました。口出ししなくて良かったと思う私です(笑)ご出席いただいた方々や周りの方々に感謝いたします。

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  • 28 Oct
    • 「思い通りじゃないと嫌」Ⅲ

      「思い通りじゃないと嫌」というパターンへの語りかけをしてみた。そのパターンへの語りかけをどうとらえていいのか悩み三つの切り口を考えてみた。それは、①思い通りにならないのはなぜなのか。   自分が人より劣っていて、だめで価値のない人間だから。②何を思い通りにしたいのか。③黒パターンの王様として君臨していたいと言っている王様への語りかけ。でも、本当に先生は「思い通りじゃないと嫌」というパターンへの語りかけをそんな風に捉えているのだろうか。何故、思い通りじゃないと嫌なのか考えても中々出てこない。あとは、どんな切り口で考えたらいいのだろうかと思っていると。先生の「思い通りじゃないと嫌」再びが出てきた。まるで私の思いを見越したように。何故、思い通りじゃないと嫌なのか考えて見なさいと先生は言われている。そこで、何故思い通りじゃないと嫌なのか、もう一度よく考えてみると、自分は人より優れていると思いたい。自分の存在価値を感じたい。優越感を味わいたい、などと出てきた。ただそこは、もう少し熟考し語りかけワークをし、白パターンを選択していきたい。私が、今回感じたのは、私の3番目の切り口である黒パターンの王様は、王様として君臨していたいと思っていると捉えての語りかけであり、自分の存在を揺るがされたくないと黒パターンの王様は思ていると捉えていた。しかし、先生の日記では「私」が育っていないから、黒パターンの王様は自分が頑張らなければと思っているという事である。そういう風に捉え返してみると、日々のワークを怠ることなく、「私」を育て、早く黒パターンの王様を休ませてあげなくては、自分自身の王様である「私」を機能させていかなければと強く感じた。

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  • 18 Oct
    • 「気づくということ」

      前回のブログで、自分自身が理想通りの自分であれば思い通りにしたいというパターンは、自分や他人に対して生まれてこないじゃないか。そうではないからこそ、感謝の気持ちが生まれてくると書いた。では、そこに気づいたら、感謝し続けることができるかという事である。そこでためしてみた。感謝の気持ちが出てきたら、他者や自分に対するパターンをケアし、選択することなく、感謝し続けることができるのか?では、どうだったのでしょう?しばらくは、ほんのしばらくは、感謝の気持ちでいっぱいになり、心が満たされたようになりました。しかし、数日すると、やはりパターンが騒ぎ出します。感謝の気持ちが消えているわけではありません。でも、パターンは出てくるのです。何故なら、パターンは子どもだから理屈ではないんですね。ちゃんとケアしてもらいたいんですね。今回、このことがよく分かった気がします。感謝することに気づいたなら、それを選択し続けたいなら何が必要なのか?ただ気づくだけでは、それを実践し続けることはむつかしい。パターンに語りかけケアし、白黒ワークで選択し、それを実践し続ける、選択し続けることが自分を変化させることができる第一歩なんだと身をもって体験しました。

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  • 08 Oct
    • 思い通りじゃないと嫌Ⅱ

      前回のブログで思い通りにしたい自分自身のパターンについて述べたが、その後もいろいろと出てきた。今回は外側に向かっている「思い通りじゃないと嫌」というパターンについて考えてみたいと思う。私が一番思い通りにしたいのは夫だと思う。では、どんな風に思い通りにしたいのか。私は仕事をしているのだから、家事は夫がすべきだというパターンからいろいろと出てくる。もっと几帳面であって欲しい。もっと気づいて欲しい。いろいろと考えていると、前に述べた自分がすべてにおいてパーフェクトで理想通り自分であったならば、そんなパターンは出てこないのではないかと思った。自分が思い通りの自分であったならば夫にたよる必要もないし、すべては思い通りになっていない自分のパターンから出てきているんだなと思うと、いままで当たり前と思っていたことが感謝の気持ちに変わることに気が付いた。他の人に対しては、私の意見を聞いて欲しい。上から目線で扱われたくない。命令口調で言われたくない。認めて欲しい。正当に扱って欲しい。などのパターンがあるが、これも自分自身がパーフェクトで理想通りの自分であったならば他人から認められる必要もないし、なにを言われても動じることは無いと思う。時間がない時に道が混んでいるとスムーズに進んでほしいと思うし、ましてや赤信号にならないで欲しいし、割り込まないで欲しいと思う。これは、道の込み具合を予測しゆとりを持って行動すれば出てこないパターンで、自分がそこまで考えがおよぶパーフェクトな自分なら出てこないと思った。都合が悪い時に行事が入ると雨が降って延期になって欲しいと思うのに、通勤時間や出かける日は雨は降らないで欲しいと思う。毎日夜雨が降ってくれたら花に水やりしなくてもいいのにと思う。これらは、なんとも自分に都合のいいパターンである。この様に見ていくと、すべては自分自身が思い通りのパーフェクトで、理想通りの自分ではない自分への、腹立ちや苛立ちが外側に向かい(自分でも気が付いていないが)、他人に対する「思い通りじゃないと嫌」というパターンを生み出しているのだと思った。すべては、自分だ‼すべて自分自身が、理想通りの自分でないところから出てきていると思うと、他人を責めていると思っていたことが実は自分を責めていたんだと思った。しかし、この世の中にパーフェクトな人間はいないと思う。もしかするといるかもしれないが。私はそうではない。理想通りの自分ではないと、自分を責めても解決にはならない。それを責めているから、「思い通りじゃないと嫌」というパターンが大きくなり、すべてのパターンの王様として君臨しているのではないかと思う。パーフェクトでないからこそ、他の人に頼ったり、協力したりしていく必要があるのだと思う。そう考えていくと、うまくいかないことを責めたり、ジャッチしたりするのではなく感謝の気持ちが生まれてくる。では、感謝の気持ちが生まれてきたらどうするかである。

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  • 28 Sep
    • 思い通りじゃないと嫌

      9月18日の先生の日記で「思い通りじゃないと嫌」というパターンは、黒パターンの王様だと言われていた。私たちの中には、いろんなパターンが存在しているが、それらすべてのパターンは「思い通りじゃないと嫌」というパターンから派生しているという事である。4年ほど前のセミナーで、いつものごとく他に対するパターンの言い分をつらつらと述べていいる私に、先生は「思い通りにしたいんじゃないの」と言われた。その、ご指摘を受けて私は「思い通りにしたい」という黒パターンへの語りかけを行った。それには、なんでも思い通りになったら、悩むこともないし、人とぶつかることもないし、パターンに引っかかることもないし、人生バラ色だとあなたは思うんだよね。子どもも、旦那も、すべての人が思い通りになったらどんなにいいだろうとあなたは思うんだよね。動物や植物や自然現象さえも思い通りになったらどんなにいいだろうとあなたは思うんだよねと語っている。その時の思い通りにしたい対象は全て外に向かっている。今回の先生の日記には、自信がない、自分はだめだ、自分は劣っている、他人に認められたい、称賛されたい、愛されたい・・・などなど、ほとんどの人が共通して、持っているパターンであるが、これらはすべて「思い通りじゃないと嫌」(全部自分の思い通りにしたい、あってほしい)というパターンなんだと言われている。確かになと思った。自分の思い通りの理想通りの自分であったなら自信がない、自分はだめだ、自分は劣っていると思う事もないと。そして、思い通りにしたいのは外側だけではなかったんだと思った。自分自身さえも思い通りにしたいと思ているパターンがあるんだと。そして、自分自身の「思い通りじゃないと嫌」と思っているパターンの理想通りの自分について考えてみた。すべてにおいてパーフェクトでありたい。すべてとは何か。頭がよくて、語学堪能で、リーダーシップがあり、話術があり、仕事も、子育ても、料理上手で、聖人君子で、いつも笑顔で、誰でも平等に愛せて、美声で、容姿端麗で、色白で、健康でありたい、歌が上手くて、絵が上手で、お茶やお花も完璧で、字がきれいで、誰とでも上手く付き合えて、心豊かで、お金持ちで、すべてを受入れられて、何があっても喜びを感じられて、早く成長したい・・・などなど大なり小なり、あげればきりがない。こうして、考えてみると、「思い通りじゃないと嫌」というパターンは外側に向かう何倍も自分自身に向かっているんだと思った。そして、それが全部思い通りになっていれば、自分に自信がない、自分はダメだ、自分は劣っているというパターンは出てくることは無いと思った。なぜ、先生は「思い通りにしたいと」というソフトなパターンではなく、「思い通りじゃないと嫌」というパターンにしたのか。「嫌」とすることで、パターンがもの凄く強いのを感じる。それこそ、黒パターンの王として君臨しているそういう感じがした。パターンの王として君臨している「思い通りじゃないと嫌」というパターンにどのような語りかけをするのか。そして、白は何を選ぶのか。どう実践するのか。以前、選択した白は、一回目は、「もうそんなこだわりからは卒業しよう」、二回目は、「思い通りにならなくても良いのかもしれない」を選択している。しかし、今回は、そんなゆるいもでも心地よいものでもない、覚悟を決めて向きあうものを考えて欲しいと言われている。それなりの覚悟を決めて白を選択する必要があり、実践は、ただ今の自分を受け入れることだけではなく、それを受入れたうえで、どう努力していくかだと思う。思い通りになっていない自分を、そのままでいいよ、いまのままでいいよでははなく、それを超えるために何が必要かを考えベストを尽くすことだと思う。

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  • 18 Sep
    • えぇ~!そんなことで悩んでいたの?

      ノートの整理をしていると、7年前のワークノートが出てきた。いろんな黒パターンへの語りがなされていた。そこに、え? 自分の中にそんなパターンがあったの?と、ビックリするものがあった。それは、「人はわけはだてなくどんな時でも平等に愛すべきだ」というものであった。人を嫌ってはいけない。人間として成長し何事にも動じないどんなことでも受け入れることのできるすばらしい人間でなければいけない。それができないのは未熟な人間で大人ではないすべて自分が悪いんだ。中学の頃イエスの「隣人を愛せよ」「右の頬を叩かれたら左の頬を出しなさい」という言葉を聞いたとき感動し、わたしもそんな人になりたいと感じたのに全然そうなれていない自分はダメだ。成長できない自分を許せない。そんな自分を見ているのがつらい、恥ずかしいと責めているパターンに語りかけワークをしていた。そして、「もうそのことから卒業して自由になろう」という白パターンを選択していました。今では、人を嫌ってもいい。人を平等に愛せなくてもいい。という自分がいます。そのことで自分を責めることもありません。なぜなら、それはすべてパターンだからです。人を嫌っているものも、平等に愛せないと言っているものも、それを責めているものも。黒パターンなのです。本当の自分ではありません。あの頃の自分は、「私」=本当の自分が育ってなく、「私」=本当の自分とパターンとの分離感を感じることができず、パターンに翻弄され自分を責め苦しんでいたのです。今では、語りかけワーク、白黒ワーク、中立ワークを通して、「私」=本当の自分を育てパターンとの分離感を持つことで、どんなことがあっても、どんなパターンと出会っても大丈夫。ワークをすることで、それを、受入れ、愛し、許し、超えていかれると信じている自分がいます。腹が立つ、悲しい、恥ずかしい、つらい、イライラするなどという感情はパターンが生みだしているのです。その時はその感情を生み出しているパターンを見つけ語りかけワーク、白黒ワークをすることで自分を変化させていくことができるのです。

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  • 08 Sep
    • 生意気な女(先生の日記)を読んで

      先生の日記の生意気な女を読みながら、ニヤニヤ、ワクワクしている自分がいた。『従順な女は天国に行くけど生意気な女はどこへでも行ける』、ドイツの心理学者ウーテ・エーアハルト氏の言葉。へぇ~、実に面白いと思った。生意気な女は自分の意見を持っていて、自分がどう生きたいかハッキリしているから、自分でどこに行くか決めることができるということなのだろうか。しかも、女性ではなく女と言い切っているところがまたいい。高校生のころの私の代名詞は「くそが付くほど真面目」であった。真面目って何?自分の意見、自分の考えがないから、校則を破るだけの勇気がないから、従順に校則を守っているだけ。自分で道を切り開いていく勇気がないから、親が引いたレールの上を歩いているだけ。人から白い目で見られたくないから、常識的に生きているだけ。そんな風に感じていた。不良少年少女と呼ばれている人たち(その呼び方は適切ではない)先生の日記を読んで彼らは、その頃の生意気な少年少女だった、その表現が適切な感じがする。私は、その人たちを自分の考えを持って行動をしていると感じていたし、友達にそのように言っていたことを思い出した。そして、私も人の目を気にせず、自分の考えを持って、自分で自分の道を切り開いて生きていけるようになりたいと思っていた。実にいいね! 生意気な女!私にとっての生意気な女は、自分らしく、周りの人も巻き込んで、周りの人まで明るくする、そんな女をイメージする!これを書きながらも、なんだか自然と口元が緩んで笑みが浮かんでいる私(笑い)。

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  • 28 Aug
    • 闘わなくてもいい

      8月5日のサワコの朝に出演されていたギターリストの村治佳織さんが舌腫瘍を患い手術をした時のことを「闘うということではなくて起きたことだから受け入れようと考えた。いつまでに復帰しようとか、制限をかけなかった吉永小百合さんに支えてもらった」小百合さんのご主人から「人生成り行きでいいんだよ。長い人生で考えたら2、3年ぐらい休んでもいいと思うよと励ましてもらった」というお話しをされていた。私は、「闘うということではなく起こっていることを受け入れた」という言葉が妙に腑に落ちた。そうだよね。闘う必要はないんだよね。それは、自分とも。病気とも。他人とも。自然とも。あらゆる事象をただ起きているものとして受け入れることだよね。闘う必要なないんだよね、と思うと体が軽くなる感じがした。そうだよね。自分のできないところに目を向けそこを責めなくてもいいんだよね、そこに気づけたことに感謝してケアしていけたらいいよね。腰が痛い肩が痛い疲れると愚痴をいったり自分の身体を責めるのではなく、若い時のように元気でなくても感謝してケアしてあげられるといいよね。他人のことを自分の価値観やパターンで判断し批判するのではなく、自分の内側と向きあい成長させる存在なんだと感謝し受け入れる心を持てたらいいよね。自然に対しては、その中で生かされていることに感謝していけたらいいよね。もう、何かと、闘うことにエネルギーを使うのではなく、自分の内側に目を向け成長し、進化することに使っていきたいものだ。

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  • 18 Aug
    • 誤解されてもいい

      以前の私は、白黒はっきりさせないと気が済まないというパターンが強く、誤解されるなんてとんでもないと思っていた。ところがある日の会合で、「あれ、ちょっと?」と思うようなことがあった。しかし、それはその日の会合の準備の段階のことでその日の議題とは関係のないことであった。なので、その場では、あれ?と思うパターンは傍に置いて置いて会議を進め順調に終えることができた。その後、「ちゃんと釈明しないと誤解されるのではないか」とうパターンが出てきた。そして、電話しようかメールしようかなどと考えながら悶々としていた。すると「連絡しなくてもいい」と出てきた。「でも、誤解されるよ」と言うと「誤解されてもいい」と言って、涙が出てきました。「じゃ、なんで泣いているの」と聞くと「誤解されてもいいという白パターンを選択できたのが嬉しい」と言うのです。その白パターンは、スーッと出てきたそんな感じでした。えっ?そんなことってあるの?この感覚はなに?と思いました。よく考えてみると、それはある日突然出てきたのではなく、「誤解されたくない」と言うパターンに何度も何度も語りかけワーク行いケアし、「もうそんなこだわりからは自由になろう」という白パターンを選択し続けて来たからなんだという事です。それがあったから、「誤解されてもいい」という白パターンを無理なく選択できたという事なんです。すると、別のパターンが言います「なぜそんなパターンを選択できたのか理解できない」と。これに対しては、自分の心は自分の王国ということを考えてみると納得がいきます。「私」は王様、パターンは国民、国民の中には白と黒がいる。自国の王様が認め理解してくれれば、自国の国民、ましてや他国の王様や国民に誤解されても構わないというなんですよね。また、このことは、自分の内側を「私」が観察し、「私」がケアし、「私」が選択し、「私」が実行しつづけることで、中々成長しないと思っていた自分が少しづつでも、着実に成長し、変化していたんだ。黒パターンの対極にある白パターンを選択できるんだということであり、それは、やり続けることで、誰でも成長し、変化できるという事なんですよね。

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  • 08 Aug
    • 即答する自分

      最近、人の要望に対して、直ぐに「いいよ」と承諾している自分がいることに気がついた。そして、後になって何故?どうして?それってどういうこと?と思考している自分がいる。その時「ん?」とセンサーが働いているのにも関わらずそれをスルーさせている自分がいた。何故か?何故、即座に「いいよ」と応えたのか?何故、センサーが働いたのにスルーさせたのか?と、よく自分を見てみると、「そんなこと言ったらおかしいと思われる」「嫌われたくない」というパターンが働いている。しかも、それは、意識することなく瞬時に癖のようにパターンを働かせている。ただ、即答していても「私」として選択し応えている時もある。そして、その時はスッキリ感があり「私」として選んだという自負を感じている。その違いは何なのかと見てみると「私」として応えることができているのは、ある程度相手の言うことが予測できる、今までにも経験したことがあるなどの時である。そうやって自分の内側を観察してみると、予測してないことや経験したことがないことが起こると即座にパターンで反応している自分がいる。どんなことが起こってもパターンで反応しないために、語りかけワーク・白黒ワークを行い、常に意識的に「私」として選択し実行していける自分を創っていきたい。

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  • 28 Jul
    • こどもは小さな芸術家

      こどもは小さな芸術家とはよく言ったものだと思う。こどもたちと関わる仕事をしていると本当にそうだなあと感激することが多々ある。家にある廃品、古新聞やチラシ、大小いろんな空き箱、ペットボトルの蓋、トレー、トイレットーパーやキッチンペーパーの芯、ゼリーなどの空き容器等々。大人にとっては、ゴミでしかないものがこどもの手にかかるといろんな芸術作品に変化していく。ティシュの空き箱からハンドバック、車、シーサー、楽器など創り上げていく。ひとつのものがいろんなものに変化していくのを見るのは実に楽しい。家に廃品が出るとこれを何に変身させてくれるだろうとワクワクしながら集め持っていく。それを見ている子の目が輝く.......。純粋で固定観念のないこどもたちは何ものにもとらわれることなくいろんなものを創造していくのだろう。こどもたちの発想力・想像力・創造力・感性の豊かさに驚き感動する。小さな光る石を見つけ「ダイヤモンド見つけた預かっていて」と持ってくる。えっ!!こんな高価な物なくしたらどうしよう(笑)と思いながら、ほっこりする。

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  • 18 Jul
    • こどもたち

      私は、今子どもたちと関わる仕事をしている。毎日のように「○○が自分に何をした」「自分はあやまったのに○○が許さん」などなどと訴えてくる。「まずは、自分たちで話し合ってね」と自分たちで解決するようにと促す。その様子を見ていると、一つのパターンがあることに気付く。まず、真っ先に大人に訴えることで、自分が怒られることを防ごうとしている感じがする。「自分は、悪くない」と主張してくる。そして、相手の子も自分の方が正しいと主張する。その様子を見ていると、私たちは、子どもの頃から「自分は正しい」という強いパターンを持っているんだと感じる。そして、他人から責められたくないと、自分を守ることに必死になる。これは、私たち大人の縮図であると感じる。子どもだから、ストレートにそれが現れる。子どもだから理論も何も通じない。感情をあらわにしてぶつかり合う。実に面白い。「自分は正しい」というパターンをどんどん強くしながら大人になっていく。そして、なってきたんだろうと思う。子どもの頃にそれをケアすることができたら鎧を着て生きなくてもいいのかもしれたい。

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  • 08 Jul
    • 分離感

      分離感。「私」=本当の自分とそうではないもの(パターン)たちとの分離感。ある日、仲間の一人と分離感について話した。その仲間は分離感を感じられるという。しかし私は、「私」と卵型の部屋に住むパターンをイメージしながら語りかけをしていたとはいえ、身をもってそれを体験していない気がした。それから数日、「分離感てどんな感じだろう」「どうやったら感じられるんだろう」と思考していた。ある日、車を運転しながらそのことについて考えていた。すると、「そんなこと考えるよりもっとワークしなさいよ」とパターンの声がした。きっと、ハトが豆鉄砲食らったような顔をしていただろう。これは、「そんなこと考えなくてもワークをしっかりやっていればおのずと感じられるんだ、ちゃんとやれ」というパターンからの叱咤激励だと受け止めた。なんだかうれしかった。なんだか笑えた。一人で大声で笑った(車の中なので誰も聞いていないし)。そして感謝した。パターンたちは理解し受け入れられることで協力者になっていく。それを体験した気がした。別の体験になるが、先輩から頼まれごとをした。私は、自分の予定を変更してそれを受け入れた。ところが、なぜかスッキリしない自分がいる。何故だろうと、聴いてみると「自分の言うことが聞けないの」と責められたから。とパターンは言うのです。「えっ!」先輩はそんなことは一言も言っていない。それどころか、丁重に頼んできたのである。そして、私の耳もそんな言葉としては聞いていないのだ。それなのにパターンは全然違う言葉として受け取っている。びっくりした。こんなことってあるの?と思った。そこで気づいたのは、私たちは、「言った」「言わなかった」と争う光景を目にしたり、耳にしたり、自分自身が体験したことがあるのではないかと思う。そんな時、私は、どちらかが嘘をついていると思っていた。しかし、この体験をして思ったのは、どちらも本当のことを言っており嘘をついているわけではないんだという事である。つまり、「私」とパターンの存在をしらないし、ましてや分離感はなおさらない。だから、パターンが聞いた言葉をそのまま相手が言ったこととして受け取っているだけなのだという事である。そして、言う側も意識的に発言しているわけでわなくパターンで言っているのだと思う。これは本当に貴重な体験でした。

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  • 28 Jun
    • 慰霊の日

      沖縄の戦争が終わった日、6月23日慰霊の日。その日は沖縄は休日で、正午になると列島にサイレンがなり、島民はすべての人が、戦争で亡くなった御霊の慰霊のため黙祷を捧げる。その日は、テレビで特集が行われていた。戦後72年。平和の礎を訪れた遺族たち。涙を流しながら辛そうに家族が眠っていることを語っている年老いた女性がいた。中には、家族11人の名前が書かれていると言いながら、涙している年老いた男性もいた。それを見ていると、72年経っても、癒えることのない悲しみや痛みを心に残しているんだと思った。沖縄は日本で唯一地上戦になった島だ。北部に逃げた人達と南部に逃げた人達がいたという。南部に逃げた人達のなかには一家全員亡くなるという悲劇に見舞われた人達もいたようだ。私の知人に、家族の反対を押し切って学徒兵に志願して戦地に出向いたという方が、戦争が終わって帰ってくると、家族は南部に逃げた為に、お兄さんのお子さん一人残して、全員亡くなっていたという。また、本土の方で、沖縄の地上戦が始まった年に生まれたという知人は、長い間沖縄には来ることが出来なかったという。何故なら、沖縄は自分と同じ年齢の人口が少ない。戦争で多くの子どもたちが亡くなったから、観光で来るなんて、とても出来なかった。長い間沖縄に来ることが出来なかったと。沖縄戦は、いろんな人に、いろんな思いを残している。そして毎年6月23日、学校でも平和の尊さを学び、平和について語られる。二度と戦争のないことを願い、地球の平和を祈る。

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  • 18 Jun
    • 久しぶりの熱

      久しぶり熱を出した。私は、かぜを引くと、鼻水、咽痛、咳、と長引くことが多い。何故、熱を出したか?というより、何故、風邪を引いたかである。ここ数日の行動を振り替えって見ると、パターンで行動している。それは、どういうこと言うと夫の実家での行事に、頭いたいなぁ~、疲れているなぁ~と思いながら、みんな来るからとか、相手の目を気にして、体の言い分を聞いていない自分がいた。それから数日、同じように、約束だからとか、みんなに迷惑かかるからというように、バターンの言い分を優先して行動していたのである。その結果として、もっと自分を大事にして、という体からのメッセージである。ただ、たまには熱を出した方がいいらしい。 熱を出せないのは、熱を出すだけの体力がないからとも言われている。そういう意味では、熱を出せたのは良かったのかもしれない。また、39.3度でガン細胞が死滅すると言われている。残念ながら、私は、38.9度しか出なかった(笑)何はともあれ、バターンで行動しないようにしていきたいものだ。今回は、まだまだ、パターンで行動する自分がいるんだということに気づかされた貴重な体験でもあった。 

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  • 08 Jun
    • 『てん』

      ピーター・レイノルズ作、谷川俊太郎訳の『てん』という絵本。・・・「子どもとかかわるすべての大人の必読の絵本」・・・中井貴恵さんのメッセージがついていた。読んでみて、子どもに関わる人も関わらない人もすべての大人に読んでほしいと思った。この絵本は、ワシテという小学校高学年位の女の子が主人公である。ワシテは、絵を書くことが苦手で劣等感すら持っていた。おえかきのじかんがおわったがワシテの紙はまっしろで、ふてくされて椅子に座っている。そんな情景からはじまるストーリである。そのまっしろの紙を見て先生は、「あら! ふぶきの なかの ほっきょくぐまね」とユニークな言葉をワシテにかけるのである。しかし、ワシテは、「やめてよ!かけないだけ!」と反発する。すると、先生はにっこりして、「なにか しるしを つけてみて。」という。ワシテは、反発しながらも、マーカーを、ちからいっぱい紙におしつけた。「これで どう!」それを見た先生は、「さあ、サインして」とワシテの前に紙を置いた。意外な言葉にワシテは、「いいわ えは かけなくたって なまえくらい サインできるもん!」と言ってサインをする。次の週お絵かきの教室に入ると、先生の机の上に金色の額縁に入ってワシテのてんが飾られていた。ワシテはびっくりした。ちっぽけなワシテのてんがりっぱな額縁に入って飾られていたからです。「ふーん!もっと いい てんだって わたし かけるわ!」ワシテはあけたこともない、水彩セットをあけて、いろんな色のてんを、いろんな色を混ぜたてんを、ちいさなてん、おおきなてん、てんを書かないでまわりに色を塗って、てんをつくった。たくさんたくさん書いた。何週間か後の学校の展覧会でワシテの、てんは、大評判になった。そこで、ワシテのことを見上げている男の子に出会う。男の子は「おねえちゃんは ほんとに すごい えかきだね。ぼくも かけると いいけど」といった。「かけるわよ」とワシテ。「ぼくが? だめだよ じょうぎ つかったって まっすぐな せんが かけないんだ!」と男の子ワシテは、にっこり笑って、男の子にしろい紙を渡して言った。 「やってみて」線を書こうとすると男の子の鉛筆はぶるぶるとふるえた。ワシテは その くねくねした せんを みつめた。そして、いった・・・・「おねがい・・・・サインして!」と この絵本は、絵を書くことが苦手で、劣等感すら持っていた、女の子が先生の関り方ひとつで、自分に自信を持ち絵を書くことが大好きになっていく。そして、絵に自信のない子へ先生と同じ関り方をすることでその子に自信を与えていくそんなストーリである。この絵本を読んで、これはすべての教育の原点であると感じた。そして、すべての人と人との関わりの原点でもあると。では、何故、先生は、絵の時間に何も書いていないワシテにそんな関り方ができたのだろうか?。小学校の授業時間は1コマ45分だと思う。すると、ワシテはその時間の間、何も書けずにずっと机の前に座っていことになる。他の子たちが、どんどん仕上げていくのを横目で見ながら。いったいワシテはどんな気持ちだったのだろうか?辛くて、悲しくて、腹立たしくて、その場から逃げ出したい思いでいっぱいだったのではないだろうか。きっと先生はワシテのそんな様子をずっと見ていたに違いない、だからワシテの心の痛みを感じとり、それをまるごと受けとめ、共感し「小さなしるしでもいい書けたことが大事、行動することが大事なんだ」というメッセージを込めてワシテの小さなてんを額にいれて張り出したのだろう。それが、ワシテの自信につながり、天才画家の誕生と、その在り方で他の子へ関ることのできる子を育て、そのサイクルを創り上げていったのだと思う。私もこの先生のように子どもたちに関わっていきたいと思った。そして、人との関わり方を常に誰にでも「私」として関りそのサイクルを次世代に伝えることが大事だと感じた。そしてそれは、伊藤洋子先生のカウンセリングを学ぶものとしての責務であると。

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  • 28 May
    • 気づき

      2017・5・16 先生の日記にセンサーについて書かれていた。それは誰の中にもあって、いつも働こうとしているが、頭がそれを邪魔することが多いという事である。これは、前回、日記に書いたレストランで感じたことである。「エビを抜くことできますか?」と言って「できますよ」という応えが返ってきた時「ン」と違和感を感じた。それは、「あなたの期待通りのものは出てきませんよ」という私の中のセンサーが働いたのだと思う。ところが、「同等のものが出てくるだろう」とか「今から、自分の欲しいものをいうのは変だ」というように黒パターンの働きを優先させ、センサーの働きを無視してしまった。その結果が自分の望む通りにならなかったという事ではないだろうか。これまでも後なってから、「あの違和感はこういう事だったのね」と思った経験が多々あった気がする。センサーが働いても、「そんなわけはないとか」「勘違いだとか」思考しスルーしてしまったり、無視してしまったりしてきた。あるいは、センサーなのか黒パターなのか分からない。だから自分のセンサーを信じられない。先生が言われているのは、センサーが感じる違和感には感情は入ってこない。黒パターンには、感情が含まれているという事である。これから自分のセンサーを先鋭にしていくためにも、違和感をどう感じ取るのかスルーしたり無視したりすることなく内側を観察し見極めていきたい。

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  • 18 May
    • 自己責任の体験

      先日、急用で、遠出することになり、雨も降っていて道のりも遠いので息子に一緒に行ってもらった。それで、息子に何か美味しいものを食べさせたあげたいと思って、以前、食通の友人に紹介されたレストランに連れた行った。私は、その店一押しの定食を注文した。それは、寿司とてんぷらがセットになっていた。私は、エビにアレルギーがあるので「エビを抜くことできますか」と聞いたウエイトレスは「できますよ」と応えた。定食が出てきて、「あれ」と思ったエビの代わりがかんぴょう巻きだったからである。。私の中にエビは高価なものでかんぴょうは低価なものだという思いがあったからだ。私の中の「損したくない」というパターン損得感情が出て来たのである。だが、直ぐに思ったのが、自己責任だなということだ。私は、今まではエビがあると「何かに代えてもらう事できますか」と確認するが、今回は、「エビを抜くことできますか」と聞いている。向こうとしては、何もいれないのは申し訳ないので、かんぴょう巻きをサービスしたつもりだったのかもしれない。しかし、私の中に、何も言わなくても同額位のものに代えてくれるだろうという期待感(パターン)と、「抜くことできますか」と言っても気を利かして「何かに代えましょうか」と聞くのがプロだというパターンがあったのだと思う。ちょとした出来事の中にいろんなパターンがあることに気づいた。いつもは「何かに代えられますか」というのを「抜くことできますか」と言わされたそんな気がした。小さなことではあるが、自己責任ということを体験するために、そして、自己責任ということを感じ取ることができるかを試されたそんな気がする。

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  • 08 May
    • 先生の日記から学ぶ

      2016.9.18 耳タコですが、の日記で先生がカウンセリングを学んでいるころ、その先生から言われたこととして、「たとえ、相手が故意に自分を傷つけようとして、言ったことであっても、それを言わせるような自分の在り方に問題がある」嘘をつかれた、うらぎられた、いいように利用された、暴力、暴言をあびせられた、上から目線で扱われた、馬鹿にされた、低く評価された、孤立させられた、人から受け入れてもらえなかった・・・・・どれもすべて「そう扱ってもらっていいですよ、私」という心の在り方をしているからということでした。そして、そういう心は同じことを他人にもします。というのくだりがあります。私はそれを読んで、えっ!「相手が故意に自分を傷つけようとして言ったことでも、それを言わせる自分に問題がある」???一体どういう意味???相手が故意にやったのなら相手に問題があるんじゃない?と、ふと感じる自分がいました。でも読み進めていくと相手が何をしても、すべて「そう扱ってもらってもいいですよ、私」という心の在り方をしているから。「そう扱ってもらってもいいですよ、私」という心の在り方ってなに???考えてみるとこのカウンセリングを学ぶ前の私は、どうだったのだろうか。自分はだめだと思い、自分を卑下し、自分のことを評価できず、自分のことを受け入れることができず、何かと自分を責め、自分を許すことができず、自分に自信がなく、自分を低く評価し、自分の事を愛することができず、相手の顔色を気にして、自分の体調や都合が悪くても大丈夫と自分に嘘をつき相手を優先し、自己犠牲的に、自分をごまかして生きていた気がする。それこそが、「そう扱ってもらってもいいですよ、私」という心の在り方なんだろうと思った。自分が自分のことを、そのように扱っているのだから、他人から同じ扱いをされるのであって、相手に問題があるのではなく、自分に問題があるといことなんだと思う。そして、そういう心は他人にも同じことをします。とある。確かに自分も、何かあると相手のせいにして、相手を責め、受け入れることができず、自分が無理しているから相手にもそれを要求する自分がいた。そういうことを言っているのだと思う。この心の在り方を変えたとき、意識は今までとは違うところで生き始める。常に自分の内側とみていく、そうすることで自分を変化させていく、自分が何を選択していくのか、自分の今の状態がどうなのか正直に見ていく。そして、自分を理解し許し愛していく。そんな心の在り方に自分を変化させていくことが大事なんだと感じた。そして、そういう自分を作っていくためには、語りかけワーク、白黒ワーク、中立ワークをしていくことで自分を変化させていくことができるのだと思う。これからも、、自分の魂を成長させ進化させていくために、もっと深く学び、もっと正直に自分の内面を見つめていきたい。そして、他に対しても「私」の資質で接していける自分を創っていきたい。全ては、「自己責任」ということの意味を改めて認識することができました。

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