狂直の日記

多摩武蔵守のブログです。
人並み程度には政治に興味のある人間です。国家の独立と国民の生活を保障することにとって有益かどうか、が物差しです。
Twitterアカウントは https://twitter.com/tama_musashi です。


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「ただそこにいられること、邪魔されないこと」「人間として扱われること」と「受け入れられること」はまた別なのです。両者を混同して我が国の文化社会を攻撃したり、「差別だ!」と騒ぎ立てる人のなんと多いことでしょう。

 

 たとえば南海電鉄が「多数の外国人が乗車しており、日本人のお客様にご不便をおかけしております」とアナウンスした件ですが、多数の外国人乗客が通路を大型のキャリーバッグで塞いでおり、ネット上にはその場面と思われる写真もアップされていました。

 

 プライバシーの問題があるのでここでリンクを貼ることはしませんが、もしこういう状況があってアナウンスしたのなら、南海電鉄を責めることはできないと思います。他の乗客に迷惑をかけてはいけないのは日本人でも外国人でも同じです。

 

 まずいやり方をした、という指摘はあり得ますが、差別として攻撃するのは、「人間として扱われること」と「受け入れられること」を混同していると思います。むしろ「何をしても好きになれ、受け入れろ」という主張こそ、逆差別ではないでしょうか?

 

 古人も言っています、「郷に入っては郷に従え」と。

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 8日の衆議院予算委員会で、高市総務大臣が、放送局が「政治的に公平であること」と定めた放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及したというニュースが流れました。


http://this.kiji.is/69349696002752514?s=t


 この件についてツイッターでは「気に入らない放送をしたら電波を止めると言うのか」「情報統制だ」「安倍政権の独裁政治だ」など、非難の声が巻き起こっています。しかし私は、その非難は正しくないと考えています。以下、素人なりに説明します。


1.高市総務大臣発言の法的根拠


 高市総務大臣の発言の根拠は放送法第4条第1項と考えられます。


「(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」


 放送法は、行政庁が国民の権利義務を形作る法律の一つですから、行政法と考えられます。行政法では、国民の権利を制限しまたは義務を課す行為は、法律の定めなしにしてはならないという原則があります(法律の留保)。では放送法が、権利を制限し義務を課す行為の根拠となる定めを置いているのかというと、第174条がそれに当たるのではないかと考えられます。


「(業務の停止)
第百七十四条  総務大臣は、放送事業者(特定地上基幹放送事業者を除く。)がこの法律又はこの法律に基づく命令若しくは処分に違反したときは、三月以内の期間を定めて、放送の業務の停止を命ずることができる。 」


2.実際に処分をしようとしたらどうなるか


 処分をすると言っても、はいそうですかで終わるわけではありません。実際にはいくつかの手続きを踏む必要があります。


 放送法はそれだけで完結しているわけではなく、行政法の中の一つです。したがって、ここに書いていないことは行政法の一般原則(たとえば上記の法律の留保)や、行政法の一般法に従うことになります。
 行政法の一般法とは、行政手続法と行政不服審査法です。
 放送の業務の停止は行政手続法上の不利益処分に当たると考えられますが、このような不利益処分をするときは、事前に名宛人に対する「弁明の機会の付与」(書面)か「聴聞」(口頭)を行い、意見を聞かなければなりません。聴聞の方が手続が厳格です。業務の停止なら文言上は弁明の機会の付与で足りると考えられますが、「行政庁が相当と認め」れば聴聞もできます。


 放送法第4条の規定は処分基準としては曖昧なように感じられますが、行政手続法では、行政庁は不利益処分の基準を定めることと、その基準を公表することは努力義務とされていますので、現行法でも業務の停止を命じることはできると考えられます。
 ただし現行法のままで処分を下せば訴訟で負ける、逆に憲法違反とされるなどの逆ねじを食らう恐れもあると考えられます。ですので、放送法第181条に基づき、総務省の政令で具体的な基準を定めることになるのではないかと考えます。なお政令は内閣法制局の審査を経ないと閣議に出せないので、内閣提出法案と同じくらいの合憲性は保っているのではないかと考えます。


 また処分を下した後も、行政不服審査法と行政事件訴訟法で争う余地があります。いずれも行政処分の取り消しを求めて不服を申し立て、または争う手続きを定めた法律で、前者は行政庁に申し立てを、後者は裁判所に訴訟の提起をします。


 放送法には行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法の適用を除外する規定はありません。

 上記のとおりコントロールは行き届いており、したがって、「気に入らない放送をしたら電波を止めると言うのか」「情報統制だ」「安倍政権の独裁政治だ」という非難は失当であると考えます。


3.高市総務大臣が今回の答弁をした理由


 私は、自民党がかねてより一部メディアの偏向報道を問題視してきて、それがついに公に噴出したのではないかと考えています。そのきっかけになったのが椿事件です。椿事件とは当時のテレビ朝日報道局長が「なんでもいいから反自民の政権を誕生させる手助けになる報道をしよう」と会合の席で発言していたという事件です(ただし具体的な指示をだしたことについては否定されています)。

 ただしちょっとやそっとのことで処分を下したら訴訟で負けるなどの逆ねじを喰らう可能性もありますし、世論のバックアップも得られないと考えます。ですので、椿事件レベルの本当に悪質な事件だけを念頭に置いていると考えるのが妥当ではないかと考えます。


 テレビの報道番組に対しては、ネットや保守層を中心に偏向・捏造を問題視していました。それらの評判は差し引いて考えるべき部分もあると思います。


 しかしテレビは自民党を叩きまくったくせに民主党政権に対しては歓迎ムード一色、幹部の失言や汚職に対しては異常に甘かったし、失政に対してはほっかむりしていましたから、ネットや保守層の評価は「当たらずと言えども遠からず」といったところでしょう。


 そして明白に違法である椿事件レベルの事件を起こせばさすがに言い逃れはできないと思います。

 どこの業界でも業務に対する品質や社会的責任は厳しく問われます。会社が粉飾決算をすれば上場廃止の憂き目に遭いますし、福島第一原子力発電所の事故を起こした東京電力を、マスコミはこれでもかというくらい叩きました。マスコミは法令違反、事故や事件を起こしても埒外でいいとは、虫が良すぎるのではないでしょうか。


4.参考資料

 放送法(昭和二十五年五月二日法律第百三十二号)

 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO132.html

 行政手続法(平成五年十一月十二日法律第八十八号)

 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H05/H05HO088.html

 行政事件訴訟法(昭和三十七年五月十六日法律第百三十九号)

 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S37/S37HO139.html

 行政不服審査法(平成二十六年六月十三日法律第六十八号)
 http://law.e-gov.go.jp/announce/H26HO068.html

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 児童ポルノ法や東京都条例に限った話ではありませんが、ネットにおいてフィルタリングなどの規制を行うべきかという議論の際、規制反対派がよく主張するのが「情報から遠ざけるより教育をすべき」という意見です。中には「親や教師は規制を唱える暇があったら子供を教育しろ」という向きもあります。


 しかし私は、こうした主張は基本的に、ためにする議論であると考えています。


(1)規制と教育は「あちらを立てればこちらが立たず」という関係にはなく、両立するものです。したがって、「両方やればいい」で片が付いてしまいます。


(2)規制賛成派は「教育はいらない」とは言っていないし、現にソーシャル・ネットワーキング・サービスの使い方など、教育を行っています。しかしそうした教育が常に狙った効果をあげるとは限りませんし、教育をしていてもなおトラブルに巻き込まれることがあります。教育ですまないからこそ別の手段が模索されているのだし、親や教師から規制を求める声も上がるのだと考えます。それに対して、「教育すれば済む」というのは、親や教師に対する責任の押し付けであると考えます。


(3)規制に反対するのであれば、規制反対派は規制によって失われる利益があり、それが規制によって得られる利益より大きいことを論証しなければなりません。しかしフィルタリングや年齢制限の対象になったり、規制の是非が議論されるのは、過激な性描写や犯罪の手口などのアングラな情報であったり、それ自体が犯罪に使われるものだったり、刑法上の名誉毀損罪や民法上の名誉毀損、不法行為に該当するものです。それらを子供に見せるべき、社会が受け入れるべきだという理由がどこにあるのでしょうか。


(4)「規制より先に教育をすべき」というのであれば、規制反対派は「子供への悪影響がある、または危険を及ぼす」ということを認めなければなりません。子供への悪影響や危険がないのであれば、教育の必要もないからです。したがって規制反対派は、どのような教育をするかを具体的に提案するか、悪影響や危険を否定しなければなりません。それができないのであれば、規制されるのがいやだから屁理屈をこねて反対していると判断せざるを得ません。


 私は規制賛成派の主張も支持していませんが、規制反対派の言うことに説得力がないのであれば、民主政治のルールに従って消極的にでも賛成せざるを得ないと思います。お互いに説得力がなければ、最後は多数決で決めるしかないからです。

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 5月20日、安倍総理と共産党の志位党首の党首討論が行われました。党首討論において志位党首は、安倍総理に対し「過去の日本の戦争は『間違った戦争』との認識はあるか」と質問しました。さらに「ポツダム宣言」を引用して、「同宣言は日本の戦争を『世界征服』のための戦争だったと明瞭に規定し、日本の戦争を『侵略』と規定し、カイロ宣言にしたがって『暴力と強欲』で奪った地域の返還を求めている。ポツダム宣言のこの認識を認めないのか」と質問しました。


 それに対し安倍総理は、村山談話(1995年)など「節目節目に出されている政府の談話を全体として受け継いでいく」と述べ、「ポツダム宣言についてはその部分をつまびらかに読んでいない。論評は差し控えたい」と答えました。


 安倍総理が答えると、志位党首は「私はそのようなことを聞いているのではない。善悪の判断について尋ねている」と問い質し、「『侵略戦争』はおろか、『間違った戦争』だともお認めにならない」と詰め寄りました。


 共産党は今回の答弁を根拠に安倍総理を攻撃していますが、今回の答弁は法的にも、政治的にも攻撃の論拠にはならないと考えます。


1.法的問題
(1)ポツダム宣言は「日本はここに書かれた条件を受け入れて降伏せよ」というもので、いわば「条件付降伏」。それ以上のことは求めていないし、ましてや我が国がポツダム宣言の事実認定と違った歴史認識を持つことを禁じているわけではない。
(2)ポツダム宣言第6項「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス」は、各個人について述べたものであって、「日本が世界征服を企んだ」というポツダム宣言の歴史観まで受け入れることを求めたものではない。
(3)ポツダム宣言第8項では「カイロ宣言の各条項は履行されるべし」と求めているが、「カイロ宣言」は正確には「カイロ会議」であって、「宣言」ではない。さらにその内容は、我が国が正式な国際条約によって取得した領土を、「日本国が」「奪取」「占領」「盗取」「略取」したとし、日本国から剥奪、駆逐するという連合国の意向を示したものであって、我が国に義務を課すものではない。
(4)「これらの両宣言(ポツダム宣言・カイロ宣言)は、単に連合諸国の意向を表明しただけのことである。法律上、価値あるものではない。それ自体だけでは国際社会に法律上の権利を生じさせるものではない。」(パル判決書)
(5)したがってポツダム宣言・カイロ宣言で「侵略」と述べたところで、それは我が国の行った戦争が国際法上侵略に該当するということにはならない。さらに、侵略を定義した国際法や国際条約は当時存在せず、パリ不戦条約においても侵略の定義は戦争当事国しだいだった。


2.政治的問題
(1)国会は歴史を議論する場でもなければ、個人の歴史認識を開陳する場でもない。安倍総理には個人の思想信条がどうあれ、あくまで我が国政府の公式見解に則った回答が求められる。さらに事実は異なることがわかっていても、政治的判断で認めることもある。言わば安倍総理は手足を縛られていたのであって、そこで「議論に勝った」と宣伝したところで、それは志位氏の認識が正しいことを何ら証明しない。
(2)戦争の善悪は個人的な思想信条の問題。それを裁けるのは一人ひとりの良心だけであって、国会で問い質すようなことではない。


 なお松井孝治氏が今回の党首討論について分析しています(同氏のフェイスブック )。松井氏は「それなりにかみ合った質疑を行うためには、ある程度どのような事柄をただすのかを事前通告することが国会の慣行となっている」が、志位氏は「戦後レジームからの脱却を唱える総理が、ポツダム宣言を読んでないとは言いにくいことを承知の上で、恐らく事前通告なしに、ポツダム宣言の連合国側の認識に重ねて総理の戦争観を訊ねた」と分析しています。
 私もその分析は正しいと思いますが、松井氏の「(安倍総理は)志位氏の術数にはまり恰も王手飛車取りに遭った如き感がある」との評価には賛成できません。安倍総理は手足を縛られていたのであって、志位氏が「王手飛車取り」なのではなく、安倍総理が「飛車角落ち」で勝負していただけであると考えます。


 それにしても驚かされたのは、言葉を荒げ、問い詰める志位氏の姿勢です。共産党は警察権力に常々批判的だという印象がありますが、その党の党首がどうして、こんな誘導尋問めいたやり方をとり、個人の思想信条を問い質すような真似を平気で行うのでしょうか。

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【要旨】
・国民世論の過半数は「原発はいずれはなくすべき」という立場。原発賛成派の活動は成果を上げられていない。
・「原発はいずれなくすべき」というほど国民の不安が広がるなら、その不安の原因を考え、それを手当てする必要がある。


【本文】
 川内原子力発電所が原子力規制委員会の書類審査をパスし、使用前検査に入ったので、7月にも再稼動する運びとなりました。これ以外にも審査入りしている原発があるので、今後、これらの原発が順次再稼動することになるでしょう。


 しかし原発に対する国民の世論はなお厳しく、新聞社やテレビ局の世論調査では、私の見てきた限り、再稼動への賛成が国民の過半数を上回ったことはありません。
 またおおかたの国民は原子力発電は役に立つことを認めてはいるものの、いずれはなくすべきだと言う考えが半数近くを占めています(注1)。 


 原発賛成派は様々な議論を展開し、情報を提供してきました。発電効率、エネルギーの安全保障、原発の安全対策、放射能の情報、世界的にはむしろ原発推進であること、化石燃料の供給問題。しかし上記の世論調査を見る限り、原発賛成派は成果を上げられていないのが実情でしょう。


 国家の存立と国民生活のためには原子力発電は必要ですが、原発に対する国民の不安を無視することもできません。だから政府は「原発は減らしますが、やめません」という姿勢をとっているのだと思います。

 新しい原発を作ることは無理と言い切りたいくらい、原発賛成派にとって状況は絶望的です。


 今回は個別の論点から離れて、なぜ国民が脱原発を求めるまでに不安が広がったのか、その原因を考え、そしてそれを手当てするにはどうすればいいのかを合わせて考えたいと思います。
 私はかつて「問題意識は、エネルギー政策の自由度を損なうことなく、国民の原発に対する不安を手当てするにはどうるえばいいかということでなければならない」と書いたことがあります。その割には原発反対派へのカウンターばかりやっていたのですが、いかに不完全な形になろうと、言い出した手前、書かねばならないと思っていました。それをお目にかけたいと思います。


 なお、今回は相当程度、印象論と直感に頼った話であることを予めお断りします。


1.不安の原因
(1)「絶対安全」という前提の崩壊
 我が国で原発の建設計画がスタートしたのは、昭和30年代です。この頃は原子力発電のイメージは明るく前向きなものであり、新聞の論調も原子力の明るい未来を書くというものでした。
 しかし昭和40年代に入ると、公害が大きな社会問題になり、科学技術や経済成長に疑問が投げかけられるようになります。原子力へのまなざしも変わり、「被爆国だからこそ」放射能を拒絶するようになります(注2)。

 そして原子力船「むつ」の事故が起きたとき、国民は科学的な説明に耳を貸しませんでした。さらにアメリカ・スリーマイル島やソ連・チェルノブイリの原発事故が発生し、原子力へのまなざしはますます厳しくなっていきました。自治体が原発の建設を断るケースも出てきました(注3)。


 にも関わらず、福島第一原発の事故まで原発の新規建設は続きました。しかしそれは絶対安全という虚構の上に立ったものでした。また国民の側が、そうした虚構の上でしか原子力発電を許してこなかったのです(注4)。

 自民党の議員が「原発を作らせてください」と地元に土下座して回ったと言う話もあります。真偽はわかりませんが、このような話が真実味を持って受け入れられること自体が、原子力発電の持つ独特の重みやデリケートさを表していないでしょうか。

 東海村の放射能漏れや、中越沖地震に伴う柏崎刈羽原発の火災については、被害が局所的であったため、国民はまだ飲み下していたのでしょう。しかし「絶対安全以外認めない」という前提が変わったわけではありません。その前提を福島第一原発の事故が壊してしまったのだと考えられます。

 福島原発の事故で放出された放射性物質によって健康被害は生じませんでした。福島第一原発1~4号機以外に津波に襲われた原発は、地震や津波にも耐え、事故に至りませんでした(注5)。様々な人(注6)がこうした事実を示して放射能デマや原発反対派へのカウンターを行いましたが、今なお不安はわだかまっているように思います。


 それを合理主義から教条主義への後退と言えば、そのとおりでしょう。しかし感情論といって片付けられないから、ことは深刻なのです。このことを論じるために、日本人の「疲れ」について考えてみます。


(2)日本国民の「疲れ」
 福島原発の事故が起きたとき、我が国は不況の真っ只中でした。それもバブルの崩壊から数えて、20年近くデフレ不況が続いていました。リーマンショックに襲われ、曲がりなりにもなんとか立て直したところに今回の事故が襲ったときの人々の反応を考えてみてください。
 加えて、多くの人が、我が国の衰退は避けられないことであり、経済成長はできないと思っていました。そうした中で人々の態度が消極的になり、発展よりも安心を求めるようになったのは無理からぬことではないかと思います。一言で言えば、日本国民は「疲れてしまった」ということです。
 こうした態度が、リスクが大きい(と認識されている)原子力発電を避けさせ、重大事故が起きないという一点において安心できる火力発電や再生可能エネルギーに向かわせているのではないかと思います。


 福島原発の事故を契機に全ての原発に不安と不信の眼差しが向けられるようになった理由はそこにあると考えていますが、信頼を回復できないでいる理由は、上記に加えてまた別にあると思います。


(3)安全対策への不安と不信
 上記の世論調査でも、「原子力発電の安全を確保できると思うか」という問いに対しては、「思わない」「どちらかと言えば思わない」という回答が合わせて過半数を占めています。電力各社は福島原発の事故を受け、さらに原子力規制委員会の指示を受けて様々な安全対策を行っていますが、これも国民にはあまり訴求できていないということでしょう。
 それは本当に有効な対策かどうか、国民にわかりやすく示されていないからではないでしょうか。科学者の目から見れば有効であり、理論上は安全なのでしょう。しかし人間は必ずしもそれだけで有効かどうかを理解できないのであり、だからこそ物を作る企業はデモンストレーションやプロモーションに力を入れているのだと思います。自動車で言えば、F1やラリーのレースで優勝することです。
 また専門家は「物事に絶対はない」ことを知っており、「100%ある・ない」との断言はできないので、「99%ある・ない」という言葉を使います。これは専門家にとっては「ない」と言っているに等しいのですが、そうでない一般人には「可能性がある」と受け取られてしまうようです。これも、信頼を回復できない原因ではないかと思います。


 上記に述べた原因は、以下のように要約できると思います。
(1)原子力アレルギー
(2)日本国民の後ろ向きな気持ち
(3)危険なのではないかという疑い

 次はこれらの原因を手当てするにはどうすればいいかを考えます。


2.不安を手当てするための方策
(1)原子力アレルギーの解体
 原子力はなんだかよくわからないけどとにかく危ない、という思い込みをなくすこと。それにはネット上で有志がやっている情報提供だけでは足りません。学校教育のカリキュラムに組み込むなど、全国民に等しく行う必要があるでしょう。
 欲を言えば誤った報道で不安を煽り、風評被害をもたらしたマスコミを規制したいところです。検閲ではなく、捏造にはしかるべきペナルティを科すということです。
 
 しかしこれだけでは、国民の多数が原発賛成に転じることはないと思います。それは、我が国で放射能について一番勉強している福島県民が、県内からの全ての原発をなくすよう求めていることからも明らかだと思います。


(2)日本国民の気持ちを前向きにすること
 ともすれば原子力発電の是非はシングルイシューであるかのように扱われがちです。しかし原子力発電は目的ではなく、手段です。国民生活と経済成長に必要なエネルギー需要を満たすためのものです。
 そこで、一度原発の是非と言う論点を離れて、日本国民の気持ちそのものに目を向けるのです。「日本の衰退はもう止められない」「経済成長はできないし、必要ない」という後ろ向きな気持ちと疲れを克服して前向きな気持ちにすることを目指します。目標は「優雅な衰退なんて無理。自分達の暮らしを守るためには強国であったほうがいいし、日本はそうなれる」という認識を皆が共有すること。そのためにアベノミクスのようなデフレ脱却策と経済成長策をとります。安全保障も充実させる必要があるでしょう。
 そして日本国民が「そのためなら原発のリスクを受け入れてもいい」と思ったら、そこで初めてチャンスが生まれると思います。


(3)安全性のデモンストレーション
 自動車会社がF1レースやラリーの大会に出場するのは、技術の難しい話より、わかりやすく効果的な宣伝だからです。それと同じで、安全であることを人々にわかりやすくデモンストレーションすることができれば、人々の不安に対する大きな手当てになるでしょう。まさか実際に災害を起こすわけにも行きませんが、実験でわかりやすく示すことはできると思います。
 現在の原発で主流なのは、核分裂反応を利用した軽水炉。常に水で冷やし続けていないと勝手に核分裂反応が進んで燃料棒が高熱を出し、最後には溶けます。発電機が津波で壊れて冷却ができなくなったことが福島原発の事故の原因でした。最新型の原子炉は自然通風機能を盛り込むなどして、燃料を冷やし続けることができるようになっています。
 また高温ガス炉や核融合発電は軽水炉と根本的に原理が異なるので、軽水炉のような水素爆発やメルトダウンは起こりません。


(4)関係者に対する信頼
 人間、難しいことはわからなくても、人間性はわかります。したがって、政治家や関係者が安全性に自信を持っていることを示して国民を安心させるという方法があります。スリーマイル島原発は、市長がそのような姿勢をとることで市民との信頼を築き、再稼動することができました(注7)。


 上記(1)~(4)の方法は、口で言うのは簡単ですが、実行は簡単ではありません。技術開発も必要ですし、技術開発も含めて実際にやれるだけの資源を揃えようと思えば、政治力が必要です。 要するに問題は余りに大きく、解決策も今すぐにできることではありません。だから、あえて放射能や原子力に関する情報提供と、原発反対派へのカウンターだけに対策を絞るのも一つの方法でしょう(注8)(注9)が、劣勢を強いられているのも確かだと思います。


 原発賛成派の皆さんはどうお考えでしょうか。


【注】
(注1)2015年3月31日産経新聞「原発とどう向き合うか 有識者に聞く」より。

(注2)「Theリーダー第6部 失敗に学ぶ(6)世界一の原発、みな信じた」(MSN産経ニュース)より。http://sankei.jp.msn.com/economy/news/121008/biz12100808400001-n1.htm

(注3)巻・串間・久御山・日置川・珠洲は、原発の建設を断念しています。

(注4)ただ、福島原発の事故までは我が国の原発は世界トップクラスの安全性を維持していたことは付け加えておきます。実際、欧米の原発とはトラブル率の桁が違いました。

(注5)女川・福島第二・東海第二の各原発。特に女川原発は、地震や津波に耐えただけではなく、震災の避難所としても使われました。

(注6)原発そのものへの賛否とは関係なく、「デマはいけない」「福島の力になりたい」という人がこうした情報提供をしていたように思われます。

(注7)2011年3月、産経新聞に掲載された「米スリーマイル島原発は今 『安全』への信頼と『恐怖』が交錯」より。 

(注8)チェルノブイリでも、放射性物質に関する情報が提供されなかったことがさらに被害を拡大させました。すなわち、住民の精神的健康に悪影響を及ぼしたのです。何もしないで事態がとめどなく悪化していくよりははるかによかったでしょう。……というのは論旨からそれるので、「多数派がなんと言おうと私はこう思う」という人間がいないと見直しや修正は進まないから、と言い直しておきます(4/1 1:29追記)。

(注9)少なくとも、事実の有無をめぐる問題なら客観的に決着がつきますし、「事実はその通りなので、個人的心情はどうあれ、同意する」という人も現れるでしょう。原発賛成派がそれで勝てるかは、わかりません。しかし自分たちが少数派であるという現状を踏まえれば、直接政治力の戦いを仕掛けるのではなく、事実の有無に焦点を絞り、同意してくれる人を増やすという方法もあると思います(4/1 1:52追記)。


(公開日:2015/4/1 0:54)

(2015/4/1 21:40 注2・4を追記)

(2015/4/2 21:58 注5・7を追記) 


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