狂直の日記

多摩武蔵守のブログです。
人並み程度には政治に興味のある人間です。国家の独立と国民の生活を保障することにとって有益かどうか、が物差しです。
Twitterアカウントは https://twitter.com/tama_musashi です。


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「碧志摩メグ」にまつわる一連の問題を覚えているでしょうか。
 この問題いったん決着してから1年以上が経ちますが、せっかく書いたのでお目にかけようと思います。「そんなこともあったなあ」と振り返るくらいの意味しかありませんが、よろしければおつきあいください。


0.目次

1.はじめに
(1)「碧志摩メグ」とは
(2)「碧志摩メグ」問題とは

2.経緯
(1)志摩市公認キャラ、「碧志摩メグ」と命名
(2)公認撤回要求運動
(3)公認撤回反対運動
(4)海女との協議
(5)公認撤回とその後

3.当事者主張・周囲意見
(1)公認撤回要求側の主張
(2)公認撤回反対派主張
(3)海女さん達の反応
(4)ネット上の反応

4.問題の所在
 以下、双方の主張の当否と、争点の検討を行います。
(1)女性差別・児童の人権の侵害か
(2)オタク文化への無理解と言えるか
(3)結局、何が問題だったのか?

5.終わりに
(1)なぜ問題になったのか
(2)相変わらず説得力がなく視野の狭い規制反対派
(3)美少女キャラクターと町おこし――無用のトラブルを避けるために

6.参考資料


1.はじめに
(1)「碧志摩メグ」とは
 株式会社マウスビーチが海女をモチーフに制作した美少女キャラクター。志摩市が公認。名前は公募で決定。
(2)「碧志摩メグ」問題とは
 志摩市が公認キャラとして採用したところ、一部の市民から公認撤回要求がなされ、志摩市が関係者と話し合った結果、公認が撤回されたという出来事。


2.経緯
(1)志摩市公認キャラ、「碧志摩メグ」と命名
 2014年11月、志摩市が美少女キャラクターの名前の募集を始める。
 美少女キャラクターは株式会社マウスビーチが制作。
 志摩市は制作の経緯について「三重県出身の元レーサー、現HAMAGUCHIレーシングTEAM監督の浜口喜博さんの呼びかけで、今やクールジャパンとして国策となっている日本の“萌え”文化を通じ、志摩市の観光PR・海女PR・地元愛につなげるべく、志摩市公認海女キャラクターを作成しました」と説明(注1)。
 12月、美少女キャラクターが「碧志摩メグ」と名付けられる。 


(2)公認撤回要求運動
 2015年4月、「明日少女隊」が公認撤回を求める署名を開始(注2)。
 8月、7000人分の署名を志摩市に提出。ただし全員が志摩市民のものであったかは不明。


(3)公認撤回反対運動
 8月、太田 久眞氏が公認撤回に反対してネット上での署名活動を開始(注3)。 


(4)海女との協議
 9月、志摩市と海女の間で協議。各地区の海女の代表者24人にアンケートしたところ、6人が公認撤回を求め、17人が「デザインを変更すれば公認維持でよい」と回答(注4)。


(5)公認撤回とその後
 11月、公認撤回。「碧志摩メグ」は非公認キャラクターとして存続、グッズの販売も継続。
 2017年1月、「碧志摩メグ」アニメ制作資金をクラウドファンディングで募集開始。目標金額4,000,000に対し、最終的に集まった金額は7,158,000円(注5)。


3.当事者主張・周囲意見
(1)公認撤回派の主張
「明日少女隊」の主張は、以下のように要約できるでしょう。 
・「碧志摩メグ」は性的に表現されたキャラクターである
・このようなキャラクターを行政がPRに使うことは、女性はモノ扱いしていいというメッセージを与えることである
 もっと煎じ詰めれば、「あんな表現は存在するだけで人権侵害!」「児童を性的搾取から保護すべき!」となるでしょう。こうした主張はフェミニズム運動がしばしば行っています。
「明日少女隊」がネット上に掲載した署名募集のPR文を読むと、以下のような記述が出てきます。
「行政が、未成年の女性を性的なものとして表現し、市の広報のための公認キャラクターとして利用し、市役所などの多くの公共の場所で公開をしていることは問題であると考え、志摩市に公認撤回をお願いするための署名運動を行う」
「上記のメッセージを繰り返し与えることで、このような性的搾取を受け入れ、そういうものだと思い込ませてしまう危険があります。私たちは、これは志摩市だけの問題ではなく、現在、日本中に蔓延している女性蔑視や、未成年の性の商品化といった風潮を追認するもの」


(2)公認撤回反対派主張
 これに対し、公認撤回反対派の意見を要約すると、以下のようになろうかと思います。
・反対派主張はオタクへの差別と偏見であり不当
・女性や子供を人質にとった表現の自由の侵害であり不当
 もっと煎じ詰めると、「オタク文化を排除するな!」「反対派は自分の嫌いなものを声高に批判しているだけ!」となるでしょう。
 太田 久眞氏が「志摩市公認キャラクターへの、当事者と無関係の団体からの圧力への抗議と表現の萎縮を防ぐ意思表示を!」公認撤回反対の署名を募集した時のPR文にはこのような記述があります。
「萌え絵を支えるオタク文化やそのような表現手法に対する著しい無理解と差別に基づく偏見」
「『セクシャルハラスメント』『子供も見ている』と言う呼びかけがされていますが、これは、1991年以降漫画を始めとするオタク文化に対して、それを弾圧して社会から排除し、出版社や書店だけではなく作家や同人誌即売会主宰者からの複数の逮捕者を出すような警察の強引な人権侵害行為を契機にした過剰な自主規制を後押しした、カルト宗教とフェミニズム運動による『有害コミック排斥運動』を行った人々と同じ」


(3)海女さん達の反応
 当の海女さん達は「碧志摩メグ」に抱いた感想は、「海女を馬鹿にしている」「ちょっとセクシーすぎる」という否定的な評価と、「いいよね」という好意的な評価の双方がありました。しかし海女24人にアンケートを取った結果、6人が公認撤回を求め、17人が「デザインを変更すれば公認維持でよい」と答えました。すなわち市の顔としてはふさわしくないと考える人がほとんどだったということです。
 ただし「女性蔑視」や「子供の人権」もまた問題にされていませんでした(注6)。


(4)ネット上の反応
 本件がヤフーニュースで取り上げられた際、「絵柄が性的すぎる」「街の顔としてはふさわしくない」というコメントが一番上に表示されていたと記憶しています。
 一方で、「2015年10月29日に中日新聞に掲載されたアンケートではデザインについて69.2%が問題ない、志摩市が『公認』したことについて70.1%が問題ないと回答している」(注7)との報道もあります。ただし、ネット上のアンケートだったとすればマルチポスト(注8)により結果が操作されている可能性があるので注意が必要でしょう。
 
4.問題の所在
 以下、双方の主張の当否と、争点の検討を行います。
(1)女性差別・児童の人権の侵害か
 この問題については、「存在するだけで差別・人権侵害か」「性的搾取を是認するメッセージを与えることか」と二つに分けて考える必要があると思います。
a.存在するだけで差別・人権侵害と言えるか
 言えないと考えます。なぜなら「差別・人権侵害」と認められるには、ある行いがこれに該当するという社会的合意が必要だと考えられるからです。そうでなければ、当事者が差別と感じたものはなんでも差別・人権侵害だということになってしまうでしょう。
 そして「碧志摩メグ」のような美少女キャラクターを描くことは「女性差別・児童の人権侵害である」という社会的合意を取り付けるには至っていないと考えられますし、「明日少女隊」もそうした合意が存在することを立証できていません。
b.性的搾取を是認するメッセージを与えると言えるか
 言えないと考えます。根拠は、海女さん達は児童の人権や女性の性的搾取を問題にしていなかったこと、公認撤回を求めただけで非公認キャラクターとして存続することには文句を言った形跡がないこと、ネット上の反応でも「絵柄が性的過ぎて市の顔にはふさわしくない」という反応はあっても児童への悪影響を心配する声は聞かれなかったことが挙げられます。
 つまり、性的搾取を是認するメッセージとして受け取ってはいないということです。


(2)オタク文化への無理解と言えるか
 言えないと考えます。「明日少女隊」は(少なくとも最初のうちは)公認撤回を求めただけで、表現の禁止も規制も要求していないからです。海女さん達も表現するなは言っていません。
 理解とは「存在を認めること」であって、「好きになること、受け入れること」ではないと考えます。そして公認するということは「受け入れる、好きになる」ということです。
 また後述しますが、美少女キャラを描いたから批判されたわけでもなく、他の要素が複合した結果と考えられます。
 ただし、「公認撤回派は自分の嫌いなものを声高に批判しているだけ」という主張は当たっていると考えられます。


(3)結局、何が問題だったのか?
「碧志摩メグ」が志摩市の顔としてふさわしいかどうか、の一点であると考えます。
 なぜなら、女性や児童の人権の問題という考えは当事者も社会全体としても同意しておらず、さりとてオタク文化を排除しようとしているわけでもなく、表現を禁じられたわけでもないからには、問題は公認撤回派・同反対派の意思に関わりなく、「市の顔にふさわしいかどうか」にならざるを得ないと考えられるからです。


5.終わりに
(1)なぜ問題になったのか
 二つの理由があると思います。


a.絵柄が性的過ぎたから
「胸が大きい」「誘ってるポーズ」「乳首が透けて見える」の要素が複合した結果、「性的過ぎる」という受け止め方が多くなったのでしょう。
 ライトノベルに関する記事を手がけるライターの前島賢氏は、「『乳袋』というオタ(ク)にとっては見慣れた、単に胸があるというぐらいの記号的表現が、文脈を知らない人には、胸を過剰に強調した扇情的な表現に見えてしまう、というのが問題だった」と分析しています(注9)。
 ただし、美少女キャラを描いたから批判されたわけではないと考えます。なぜなら、同じように美少女キャラを使ったイベントやPRを行っている自治体は数多くあるにも関わらず、それらが同じように批判・攻撃されているわけではないからです。


b.フェミニストにたまたま目をつけられたから
 こういう不幸な要素は確かにあったと思います。しかしフェミニストの主張は社会的合意を得ているとは言えず、一般人を味方につけていれば公認撤回に追い込まれることにはならなかったかも知れません。太宰府市で開かれた「ももいろクローバーZ」の男性限定イベント「男祭り2015 in 太宰府」が差別だと攻撃されましたが、イベントは予定通り開催されました。


(2)相変わらず説得力がなく視野の狭い規制反対派
 ここまでフェミニストに対する批判的なことを折に触れて書いてきましたが、今回も規制反対派の説得力のなさ、視野の狭さが表れていると考えます。「オタク文化を排除するな」では、オタクだけでなく様々な人がいることを踏まえるという姿勢が微塵も感じられません。
 もう一つまずいと思うのは、女性や児童の人権が広がりつつあることに無頓着なことです。
 公認撤回派が持ち出したロジックには説得力がありませんが、これからどうなるかはわかりません。かつてはなんでもなかったことがセクハラと言われたり児童虐待と言われるようになったように、女性や児童の人権の範囲は広がり続けているからです。
 こうなると「オタク文化への無理解」を持ち出したのでは、「女性や児童の人権」と「表現の自由」が衝突します。成人女性の場合はまだ「人それぞれの問題」という反論ができますが、児童の人権は「児童は判断能力が未熟なのでどう守るかは大人が決める」ことになっているので、規制反対派が「表現の自由」を持ち出すことは、その代わりに子供の人権を制限しようとしているのと同じになってしまいます。
 そうした懸念について規制反対派は議論しているのでしょうか。
 またフェミニストが声高に騒いでいるだけだとしても、法律や条例に関する限り、議会の多数派の賛成を経てできるのですから、少なくとも過半数は消極的賛成であることの証明にはなります。
 結局は規制を求める社会の合意があるからだということを踏まえ、多数派を味方につけることを考えないと、過激な性描写を含む創作物の規制を通り越して「禁止」されても文句は言えないでしょう。実際、G8を初め世界各国には過激な性描写を含む創作物規制を通り越して「禁止」している国もあります(「碧志摩メグ」レベルでも禁止されるかどうかはわかりませんが)。
 ただし規制反対派にとっての救いは、海女さん達はフェミニストのロジックを問題にしていないこと、G8が集う伊勢志摩サミットの時期に本件は問題にすらならなかったことでしょう。


(3)美少女キャラクターと町おこし――無用のトラブルを避けるために
 アニメのキャラクターや美少女キャラクターを使ったイベントやPRを行っている自治体や鉄道事業者もずいぶん増えました。私が知っているだけでも、羽後町(2011年で終了)、大洗町、湯涌温泉、宇治市、京阪電気鉄道、京都市営地下鉄などが思い浮かびます。
 これらが地元の人に好意的に迎えられ、長く続くイベントになったものもある一方で、トラブルを起こした例もありました。美濃加茂市の「のうりん」ポスター、くま川鉄道のキャラクター切符、東京メトロの「駅乃みちか」を「鉄道むすめ」化したキャラクター、が挙げられます。
 しかしこれらは扇情的であったり(美濃加茂・東京メトロ)、アダルトゲームのキャラクターの服装を変えただけ(くま川)など、トラブルの原因になり、世論を敵に回しかねない要素がありました。
 またフェミニストが自分の嫌いな表現に差別のレッテルを貼って攻撃しているのも確かです。しかし「彼らはとにかく極悪非道で、オタク文化を滅ぼそうと決意を固めている」にしては動きが散発的過ぎるのではないかと思われます。本気なら反原発運動のように仮処分申請でも裁判でもするでしょうし、裁判は起こそうと思えば起こせるのですから、いろいろアヤのつけ方はあろうかと思います。
 不幸にも「まなざし村」のようなフェミニストに目をつけられたときでも、このくらいなら一般人の理解は得られるというラインを見極め、危険な火遊びをしないでいれば、少なくとも世論を敵に回すようなことはなく、地元のバックアップも得られるのではないでしょうか。
 オタクだけでなく、色々な人がいることを踏まえることが大事ではないかと考えます。


(注1)wikipedelia「碧志摩メグ

 wikipedeiaをソースとして使うのは避けたいのですが、これしかなくて恐縮。

(注2)「三重県志摩市公認萌えキャラクター「碧志摩メグ」の公認撤回を求める署名運動

(注3)「志摩市公認キャラクターへの、当事者と無関係の団体からの圧力への抗議と表現の萎縮を防ぐ意思表示を!」

(注4)数字は当時の読売新聞ウェブ記事で見た記憶がありますが、すでにウェブ上には残っておらず、当時の縮刷版を見ても該当の記事が見当たりませんでした。間違いでしたら申し訳ありません。

(注5)https://www.makuake.com/project/aoshimamegu/

(注6)「てんたま(tentama_go)さんによる志摩市と海女さんとの意見交換会まとめと、その後」
 
http://togetter.com/li/881082

(注7)上記wikipedia記事より。

(注8)複数の掲示板で同じ文章を投稿すること。ネットアンケートでは結果をコントロールするために、特定の勢力に投票を呼びかけることがああります。

(注9)2015年12月2日の前島氏のツイート


6.参考資料
「伊勢志摩海女萌えキャラクター 碧志摩メグ公式サイト」
 
http://ama-megu.com/

「児童ポルノ法の保護法益が人権でも創作表現が規制される可能性」(「児童ポルノ法 ~規制反対派の断末魔が聞こえる~」内)
 
http://captain-nemo-1982.doorblog.jp/archives/54752306.html

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「ただそこにいられること、邪魔されないこと」「人間として扱われること」と「受け入れられること」はまた別なのです。両者を混同して我が国の文化社会を攻撃したり、「差別だ!」と騒ぎ立てる人のなんと多いことでしょう。

 

 たとえば南海電鉄が「多数の外国人が乗車しており、日本人のお客様にご不便をおかけしております」とアナウンスした件ですが、多数の外国人乗客が通路を大型のキャリーバッグで塞いでおり、ネット上にはその場面と思われる写真もアップされていました。

 

 プライバシーの問題があるのでここでリンクを貼ることはしませんが、もしこういう状況があってアナウンスしたのなら、南海電鉄を責めることはできないと思います。他の乗客に迷惑をかけてはいけないのは日本人でも外国人でも同じです。

 

 まずいやり方をした、という指摘はあり得ますが、差別として攻撃するのは、「人間として扱われること」と「受け入れられること」を混同していると思います。むしろ「何をしても好きになれ、受け入れろ」という主張こそ、逆差別ではないでしょうか?

 

 古人も言っています、「郷に入っては郷に従え」と。

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 8日の衆議院予算委員会で、高市総務大臣が、放送局が「政治的に公平であること」と定めた放送法の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を命じる可能性に言及したというニュースが流れました。


http://this.kiji.is/69349696002752514?s=t


 この件についてツイッターでは「気に入らない放送をしたら電波を止めると言うのか」「情報統制だ」「安倍政権の独裁政治だ」など、非難の声が巻き起こっています。しかし私は、その非難は正しくないと考えています。以下、素人なりに説明します。


1.高市総務大臣発言の法的根拠


 高市総務大臣の発言の根拠は放送法第4条第1項と考えられます。


「(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」


 放送法は、行政庁が国民の権利義務を形作る法律の一つですから、行政法と考えられます。行政法では、国民の権利を制限しまたは義務を課す行為は、法律の定めなしにしてはならないという原則があります(法律の留保)。では放送法が、権利を制限し義務を課す行為の根拠となる定めを置いているのかというと、第174条がそれに当たるのではないかと考えられます。


「(業務の停止)
第百七十四条  総務大臣は、放送事業者(特定地上基幹放送事業者を除く。)がこの法律又はこの法律に基づく命令若しくは処分に違反したときは、三月以内の期間を定めて、放送の業務の停止を命ずることができる。 」


2.実際に処分をしようとしたらどうなるか


 処分をすると言っても、はいそうですかで終わるわけではありません。実際にはいくつかの手続きを踏む必要があります。


 放送法はそれだけで完結しているわけではなく、行政法の中の一つです。したがって、ここに書いていないことは行政法の一般原則(たとえば上記の法律の留保)や、行政法の一般法に従うことになります。
 行政法の一般法とは、行政手続法と行政不服審査法です。
 放送の業務の停止は行政手続法上の不利益処分に当たると考えられますが、このような不利益処分をするときは、事前に名宛人に対する「弁明の機会の付与」(書面)か「聴聞」(口頭)を行い、意見を聞かなければなりません。聴聞の方が手続が厳格です。業務の停止なら文言上は弁明の機会の付与で足りると考えられますが、「行政庁が相当と認め」れば聴聞もできます。


 放送法第4条の規定は処分基準としては曖昧なように感じられますが、行政手続法では、行政庁は不利益処分の基準を定めることと、その基準を公表することは努力義務とされていますので、現行法でも業務の停止を命じることはできると考えられます。
 ただし現行法のままで処分を下せば訴訟で負ける、逆に憲法違反とされるなどの逆ねじを食らう恐れもあると考えられます。ですので、放送法第181条に基づき、総務省の政令で具体的な基準を定めることになるのではないかと考えます。なお政令は内閣法制局の審査を経ないと閣議に出せないので、内閣提出法案と同じくらいの合憲性は保っているのではないかと考えます。


 また処分を下した後も、行政不服審査法と行政事件訴訟法で争う余地があります。いずれも行政処分の取り消しを求めて不服を申し立て、または争う手続きを定めた法律で、前者は行政庁に申し立てを、後者は裁判所に訴訟の提起をします。


 放送法には行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法の適用を除外する規定はありません。

 上記のとおりコントロールは行き届いており、したがって、「気に入らない放送をしたら電波を止めると言うのか」「情報統制だ」「安倍政権の独裁政治だ」という非難は失当であると考えます。


3.高市総務大臣が今回の答弁をした理由


 私は、自民党がかねてより一部メディアの偏向報道を問題視してきて、それがついに公に噴出したのではないかと考えています。そのきっかけになったのが椿事件です。椿事件とは当時のテレビ朝日報道局長が「なんでもいいから反自民の政権を誕生させる手助けになる報道をしよう」と会合の席で発言していたという事件です(ただし具体的な指示をだしたことについては否定されています)。

 ただしちょっとやそっとのことで処分を下したら訴訟で負けるなどの逆ねじを喰らう可能性もありますし、世論のバックアップも得られないと考えます。ですので、椿事件レベルの本当に悪質な事件だけを念頭に置いていると考えるのが妥当ではないかと考えます。


 テレビの報道番組に対しては、ネットや保守層を中心に偏向・捏造を問題視していました。それらの評判は差し引いて考えるべき部分もあると思います。


 しかしテレビは自民党を叩きまくったくせに民主党政権に対しては歓迎ムード一色、幹部の失言や汚職に対しては異常に甘かったし、失政に対してはほっかむりしていましたから、ネットや保守層の評価は「当たらずと言えども遠からず」といったところでしょう。


 そして明白に違法である椿事件レベルの事件を起こせばさすがに言い逃れはできないと思います。

 どこの業界でも業務に対する品質や社会的責任は厳しく問われます。会社が粉飾決算をすれば上場廃止の憂き目に遭いますし、福島第一原子力発電所の事故を起こした東京電力を、マスコミはこれでもかというくらい叩きました。マスコミは法令違反、事故や事件を起こしても埒外でいいとは、虫が良すぎるのではないでしょうか。


4.参考資料

 放送法(昭和二十五年五月二日法律第百三十二号)

 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO132.html

 行政手続法(平成五年十一月十二日法律第八十八号)

 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H05/H05HO088.html

 行政事件訴訟法(昭和三十七年五月十六日法律第百三十九号)

 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S37/S37HO139.html

 行政不服審査法(平成二十六年六月十三日法律第六十八号)
 http://law.e-gov.go.jp/announce/H26HO068.html

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 児童ポルノ法や東京都条例に限った話ではありませんが、ネットにおいてフィルタリングなどの規制を行うべきかという議論の際、規制反対派がよく主張するのが「情報から遠ざけるより教育をすべき」という意見です。中には「親や教師は規制を唱える暇があったら子供を教育しろ」という向きもあります。


 しかし私は、こうした主張は基本的に、ためにする議論であると考えています。


(1)規制と教育は「あちらを立てればこちらが立たず」という関係にはなく、両立するものです。したがって、「両方やればいい」で片が付いてしまいます。


(2)規制賛成派は「教育はいらない」とは言っていないし、現にソーシャル・ネットワーキング・サービスの使い方など、教育を行っています。しかしそうした教育が常に狙った効果をあげるとは限りませんし、教育をしていてもなおトラブルに巻き込まれることがあります。教育ですまないからこそ別の手段が模索されているのだし、親や教師から規制を求める声も上がるのだと考えます。それに対して、「教育すれば済む」というのは、親や教師に対する責任の押し付けであると考えます。


(3)規制に反対するのであれば、規制反対派は規制によって失われる利益があり、それが規制によって得られる利益より大きいことを論証しなければなりません。しかしフィルタリングや年齢制限の対象になったり、規制の是非が議論されるのは、過激な性描写や犯罪の手口などのアングラな情報であったり、それ自体が犯罪に使われるものだったり、刑法上の名誉毀損罪や民法上の名誉毀損、不法行為に該当するものです。それらを子供に見せるべき、社会が受け入れるべきだという理由がどこにあるのでしょうか。


(4)「規制より先に教育をすべき」というのであれば、規制反対派は「子供への悪影響がある、または危険を及ぼす」ということを認めなければなりません。子供への悪影響や危険がないのであれば、教育の必要もないからです。したがって規制反対派は、どのような教育をするかを具体的に提案するか、悪影響や危険を否定しなければなりません。それができないのであれば、規制されるのがいやだから屁理屈をこねて反対していると判断せざるを得ません。


 私は規制賛成派の主張も支持していませんが、規制反対派の言うことに説得力がないのであれば、民主政治のルールに従って消極的にでも賛成せざるを得ないと思います。お互いに説得力がなければ、最後は多数決で決めるしかないからです。

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 5月20日、安倍総理と共産党の志位党首の党首討論が行われました。党首討論において志位党首は、安倍総理に対し「過去の日本の戦争は『間違った戦争』との認識はあるか」と質問しました。さらに「ポツダム宣言」を引用して、「同宣言は日本の戦争を『世界征服』のための戦争だったと明瞭に規定し、日本の戦争を『侵略』と規定し、カイロ宣言にしたがって『暴力と強欲』で奪った地域の返還を求めている。ポツダム宣言のこの認識を認めないのか」と質問しました。


 それに対し安倍総理は、村山談話(1995年)など「節目節目に出されている政府の談話を全体として受け継いでいく」と述べ、「ポツダム宣言についてはその部分をつまびらかに読んでいない。論評は差し控えたい」と答えました。


 安倍総理が答えると、志位党首は「私はそのようなことを聞いているのではない。善悪の判断について尋ねている」と問い質し、「『侵略戦争』はおろか、『間違った戦争』だともお認めにならない」と詰め寄りました。


 共産党は今回の答弁を根拠に安倍総理を攻撃していますが、今回の答弁は法的にも、政治的にも攻撃の論拠にはならないと考えます。


1.法的問題
(1)ポツダム宣言は「日本はここに書かれた条件を受け入れて降伏せよ」というもので、いわば「条件付降伏」。それ以上のことは求めていないし、ましてや我が国がポツダム宣言の事実認定と違った歴史認識を持つことを禁じているわけではない。
(2)ポツダム宣言第6項「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス」は、各個人について述べたものであって、「日本が世界征服を企んだ」というポツダム宣言の歴史観まで受け入れることを求めたものではない。
(3)ポツダム宣言第8項では「カイロ宣言の各条項は履行されるべし」と求めているが、「カイロ宣言」は正確には「カイロ会議」であって、「宣言」ではない。さらにその内容は、我が国が正式な国際条約によって取得した領土を、「日本国が」「奪取」「占領」「盗取」「略取」したとし、日本国から剥奪、駆逐するという連合国の意向を示したものであって、我が国に義務を課すものではない。
(4)「これらの両宣言(ポツダム宣言・カイロ宣言)は、単に連合諸国の意向を表明しただけのことである。法律上、価値あるものではない。それ自体だけでは国際社会に法律上の権利を生じさせるものではない。」(パル判決書)
(5)したがってポツダム宣言・カイロ宣言で「侵略」と述べたところで、それは我が国の行った戦争が国際法上侵略に該当するということにはならない。さらに、侵略を定義した国際法や国際条約は当時存在せず、パリ不戦条約においても侵略の定義は戦争当事国しだいだった。


2.政治的問題
(1)国会は歴史を議論する場でもなければ、個人の歴史認識を開陳する場でもない。安倍総理には個人の思想信条がどうあれ、あくまで我が国政府の公式見解に則った回答が求められる。さらに事実は異なることがわかっていても、政治的判断で認めることもある。言わば安倍総理は手足を縛られていたのであって、そこで「議論に勝った」と宣伝したところで、それは志位氏の認識が正しいことを何ら証明しない。
(2)戦争の善悪は個人的な思想信条の問題。それを裁けるのは一人ひとりの良心だけであって、国会で問い質すようなことではない。


 なお松井孝治氏が今回の党首討論について分析しています(同氏のフェイスブック )。松井氏は「それなりにかみ合った質疑を行うためには、ある程度どのような事柄をただすのかを事前通告することが国会の慣行となっている」が、志位氏は「戦後レジームからの脱却を唱える総理が、ポツダム宣言を読んでないとは言いにくいことを承知の上で、恐らく事前通告なしに、ポツダム宣言の連合国側の認識に重ねて総理の戦争観を訊ねた」と分析しています。
 私もその分析は正しいと思いますが、松井氏の「(安倍総理は)志位氏の術数にはまり恰も王手飛車取りに遭った如き感がある」との評価には賛成できません。安倍総理は手足を縛られていたのであって、志位氏が「王手飛車取り」なのではなく、安倍総理が「飛車角落ち」で勝負していただけであると考えます。


 それにしても驚かされたのは、言葉を荒げ、問い詰める志位氏の姿勢です。共産党は警察権力に常々批判的だという印象がありますが、その党の党首がどうして、こんな誘導尋問めいたやり方をとり、個人の思想信条を問い質すような真似を平気で行うのでしょうか。

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