It is the only way to live with dignity and honesty.
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今さらながら、柳田国男の本にはまってる。「遠野物語」「山の人生」。
こうやって日本の民話というものを読んでみると、ホラー小説とか心霊写真とかそういうものよりおぞましいものがあって、結構怖いと感じる。すごく、いい意味で、怖い。悪寒がはしる。読み終わった後に、ぞくぞくする。都市伝説とかって結構面白い。
私の家の裏にはすぐ山があって、これが何十キロと続いてる山だから、少し山の中を入って歩いていると、鹿や猿が出たりする、なんて話を良くきく・・・。それで、この本を読んでると、神隠しや鬼の話、仙人の話とか、絶対なにか山や自然に絡んでいる話が出てくる。「山奥にはこの世と思えないものがいる」とか「山奥には発狂した人たちがかけこんでいく」・・・なんて書かれたりしているので、この山々にもなにか、そんなおかしな人たちや動物たちが住んでんのかなぁ・・・と妄想にふけってしまう。
民話って昔の人がその当時不可思議だと思ったことを誇張して面白い風に表現されているから読み応えがる。今じゃ、医学的に解明されて、皮膚病、精神病・・・あらゆる病気で診断され、決して発狂したからとか、容姿が普通じゃないからとか、変人扱いはされない。でも、昔の人はそんなこと知らないから、同じ人間なのに、妖怪扱いしてしまったんじゃないかな、と思う。
まぁ、なにしろ柳田国男はマイブーム。
あと、myspaceもはまってる。
また、Blogをしばらく更新できなかった。
アトランタから帰国してまだ何もしていない。私の人生に何の発展もない。
ただ、寝て、食べて、ネットサーフィンして、読書して・・・そんなやからで一日があっという間に過ぎていってしまっている。
社会じゃ、「ニート」とカテゴライズされるんだろうな、今の自分の身分は。「ニート」の身分じゃ、なんだか、肩身が狭い思いをさせられる。別に気にしてないけど、でも、なんだか後味が悪い感じをさせられるのは、この日本の社会の作った「肩書き」というやつなのではないかな、と思う。でも、アメリカじゃ私のような人はいっぱいいたし、「社会現象」とまくしたてる日本のマスコミやら、政治家やら、エライ人やらのせいで、変な取り扱いをさせられて、ほんとうに大きな迷惑だと思う。でも、一番は、マスコミや、世間にすぐに色を染められてしまう日本人たちによる差別的なものであって、それこそ本当にたちが悪いものだと、心の底から思う。
とにかく・・・。
「更新ができない」と言っておきながら、実はただ自分は怠けているだけだと思う。ただ甘えているだけだと思う。なんにしても、ただやる気がしない。力が出ない。けだるい。生きる気力がない。生きる意志がない。
だめだな、自分。ほんとうに。
頭の中に、地図が必要だ。
でも、地図が何処で手に入るかさえも分からない、今の自分は。
先週、ついに25歳になってしまった。また、ひとつ年をとった。また、ひとつせつなくなった。また、ひとつずるくなった。・・・そんな気がした。
誕生日に、唯一「おめでとう!」と声をかけてくれた友人は、アトランタからの友人たちだった。
わざわざ国際電話を使って、電話をしてくれたんだ。
いい人たちばっかだ、本当に。
・・・まさか、アトランタから電話をくれるとは思わなかったので、本当にうれしかった。涙が出そうなくらい幸せだった。そして、悲しいくらい、自分が寂しい生き物だな、と思った。
みんなの声を聞いて、本当に、またアトランタへ帰りたくなってしまった。
自分は、「人生でかけがえのないもの」の大半をアトランタに残してきてしまった・・・そんな気がした。
実家で親と一緒に暮らしている自分が情けなくなって、そして、自立できていない、そんな自分に本当に嫌気が差した。
去年の誕生日は、みんなでパーティーを開いた。カラオケ行ったり、バーベキューしたり、本当に楽しい誕生日だった。
今年は、寂しく、両親とケーキを食べた。
私は、こっちに誕生日を祝ってくれる友人たちなんていやしない。それは、自分が家に引きこもっているせいもある。
最近、おやじの代の、フォークソングにはまっている。
おやじのコレクション…とも言うべきか。うちの父は、本当にフォークソングレコードをクレイジーなほど持っている。いまだに、そのレコードの全てを聞いたわけではないが、そのコレクションたるや、私の好み100%とも言えるべき代物である。
昭和時代のフォークソングというものは、歌詞が本当に素晴らしい。
「翼をください」とか「今日までそして明日から」「風」「悲しくてやりきれない」「心の旅」・・・歌詞が、心にじーんとくるものばかりだ。
今日は、「心の旅」を聞いて、号泣した。
ケビンとの事をたくさん思い出した。
愛する人との思い出が溢れかえった。
悲しくなった。
切なくなった。
苦しくなった。
悔しくなった。
涙が止まらなかった。
ねぇ。思ったんだけど、「心の旅」の歌詞にあるように、
-愛に終りがあって、
心の旅がはじまる。-
・・・愛ってそういうものなのか。
愛には必ず終りがあって、それを受け止めなくてはいけないんだ。
愛には、必ず終りがあって、そして、必ず終りがくるものなんだ。
愛は、逃げられるものなんかじゃなくて、そして、愛は、逃げやしないものなんだ。
今、自分に必要なものなのは、「愛に終りがある」という現実を受け止めること。
ファンタジーや、漫画の中にあるような「永遠の愛」とか、「不朽の愛」とか、「永久に愛する二人」とか、そういうものは、やっぱり物語の中で起こっているものであり、現実に起こる、実際の「愛」というものは、その愛する人の死を受け止めた上で、そして、それを乗り越えた上で「永遠なる愛」なるものが生ずるものであるのではないかと思う。
つまり、現実の世界においては、死が生ずる事によって、愛というものが「永遠」と語れるのではないのかと思う。
だからね。
自分、元気だせよ。
と思う。
自分、愛に終りがあるという事を受け止めろよ。
と思う。それでね。
自分、今はおまえ、心の旅をしているんだよ。つらいけど、心のたびに一度出ちまったもんは、荒波に襲われようと、槍が降ってこようと、何があろうと、その旅に負けちゃぁいけないんだよ。だって、この旅は、人生で一番つらいもんだけど、人生で一番大切なもんなんだよ。
あんたとって、一番つらい試練だけど、一番大事な試練なんだよ。生死をかけた旅なんだよ、こいつは。行きたいか、止まりたいか。生きたいか、死にたいか。
と言う。そして。
"You know what?!"
"I want to LIVE!"
-That's my answer to this world!
真昼間から酒を飲む。
そして、泣く。
涙を流す。泣きたいだけ流す。
あの人のことを、また思う。
この世はいったい何なんだろう。
私はいったい何なんだろう。
愛とはいったい何なんだろう。
どうやって生きていったらいいのかわからない。
どうやって自分と向き合っていったらいいのかわからない。
何をどうしたらいいのかわからなくなってしまったんだ。
一人はいやだ。
生きるのもいやだ。
でも、みんなと居るのもいやだ。
私はわがままだ。
わがまますぎて、何をしたらいいのかただ途方に暮れて、生きたいままに、何もしないままに私の人生は過ぎて行く。
後悔するのはやめよう。
昔を思うのはやめよう。
過去を妬むのはやめよう。
自分を嫌いになるのはやめよう。
…そう言い聞かせているけれど、私にはそれ以外何もできない。
部屋にくもの巣がかかっていた。
そうか。もう12月か。渡米してから1年半以上も経っていたんだ。そして、ようやく日本へ帰国してきたんだな、と思った。
私の部屋は西日があたって午後はぽかぽかして、気持ちがいい。
今日は風邪がようやく完治したので、帰国以来、パソコンの前に座って、何十ヶ月ぶりかにブログを更新する・・・
あれから本当にいろんなことがあったな・・・
いろんな人に出逢ったな・・・
と、アトランタでの生活を顧みながら、これからはもっと頻繁にブログを更新して、心と人生の整理をしていかなければいけないと思った。
それにしても、我が家から望める八ヶ岳は本当に美しい・・・
帰国して、実家に移ってきて、両親と住み始めて気づいたこと・・・。
私の両親は本当に良く働く。勤勉な両親だ。
そんな両親を見ていると、私は自分の人生で一体何をやって生きたいのか途方にくれる。
私も、一社に就職して、そして家族を養う為に、その会社で一生働いて自分の人生を過ごしていくのかな?
毎日似たような仕事で、似たようなデスクで、似たような人達と一緒に、似たような人生を送っていく・・・それでいいのかな?やってみなければわからないけど、でも、もう、先が見えてるような気がする。
じゃぁ、一体私は私の人生を私によってどのように過ごして生きたいのだろうか?
ねぇ。だから夫は自殺を図ったのかな?
ある日、朝起きたら私が唯一できることは拳銃を手にとって、引き金を引くことしかないという日が来るのだろうか?まるで、それが彼の人生の一章に起きたように。
一度、そっちの方面を見たものは、二度と普通の人が生活するように考え、行動することができなくなってしまうんだろうか?
情報の嵐。その情報量に私はいつも圧倒され、エネルギーを失われていく。
人間という生き物。
そして、人間という生き物として生まれてきた私。
私という思考に、囚われ、一体何をして生きていけばいいのか全く分からず途方に暮れている毎日。
こんな自分に嫌気をさしながら24年間も生き抜いてきている自分。
私にはこの世界に私が果たせる使命があるのだろうか?
一体私の使命は何なのだろうか?
私には、使命さえ与えられるほどの命の価値があるのだろうか??
魂が叫んでいる。枯渇している。堕ちきっている・・・
こんな自分がいやだと、自分に絶望しているのに。それなのに、私はまだ生きている。
24年間、悩み、苦しみ、欲しながらも、まだ生きているのだから、これから先、私は何も変わることなく生きていくのだろう。だって、明日には全てが全ての方向へと変わりはしないのだから。そんなことはないのだから。
だから、私は生きていく。
世界も不変することなく、時をただ刻んでいく。そして、誰もとめられることのできない、成長と進化が繰り返されていくの。
これから先のことは不安でいっぱいで。
まして、この世界で一番大事な人を失った後は、寂しさでいっぱいで。彼が遥か彼方から私を呼んでいるような声を傍聴する・・・。
きっと錯覚だろうけど、この世界は彼との愛でいっぱいだったから、今は暗い闇が満ちている世界としか言いようがない。
Tamady・・・。
私という人間は何なのだろう。何の為に生まれてきたのだろう。
その答えを見つけたい。
でも、たまにどうでもいいと思ってしまう。
自分を変えなきゃ。
自分は自分の虜になってると思う。
きっと、書いていけば少しは楽になるのかもしれない。
そして、絶えず夫の書いたことを読んで、彼の理解に一歩ずつ近づける努力をすべきだと思う。
私は、私の為に本を書くことが必要なんだ。
私による、私のための本。
この世界に、こんな私でも何かできることがあるはずじゃないか。
とりあえず、本を書き終えてみよう。
いくら、何があっても、終えさせてみよう・・・。それが私のできる第一歩だと思う。
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