突然ですが、皆さんは自分の生き方というものがありますか?
漆黒は実存主義で、個人主義です。
個人主義と言うと、なんだか利己主義の様に聞こえてしまいますが違います。
個人単位で人を評価するのです。
そもそも漆黒は人の集団が好きじゃありません。
この場合の集団とは国、社会、組織などといったものです。
なぜ、集団が嫌いなのか、それは人間が欠陥品だからです。いかにどのような集団であっても、人が集まると問題的な人が出てきます。
また集団になると、途端にやる気をなくしたり、無責任だったり、対人関係の悪化のエスカレートなどなど、とにかく『人間』は社会的動物でありながら、永遠に完璧な社会を形成できない欠陥品だからです。
よく地域のコミュニティーは有事の際にとてもいいものだと言う人がいますが、それはどうかと思います。
さきの大震災の際に、大人が子供を押しのけて我先にと配給物資を奪い合ったりしたケースがあるそうです。それに、『コミュニティーは頼りになる』と、そのコミュニティー全員が頼って動かなかったりしてはどうしようもないと思います。
その上、有事じゃない際はコミュニティーは何をしてますか?(ちゃんとしているとこもあるでしょうが)
個人主義は集団を信じません。その人自身を信じます。ですから、集団で働く人と怠ける人がいたら、その集団ではなく、働いた人を評価する。
有事の際はまず集団まかせではなく個人=自分からすることが重要なんです。
集団とは個人の集まり。個人が動かなければ集団は動きません。
逆に、みんながみんな個人の意識を持ち、それぞれ動けば地域社会、国でもちゃんとした動きが可能なんです。(まあ、それができないから人間はダメなんですが)
そして、個人主義と言うと、他者との繋がりが薄いように思えますが逆です。個人との繋がりを意識するんです。
『敬意を払え。だれにも敬意を払わない者は誰からも敬意を払われない。
敬意を払う者は他者からも敬意を払われる。
つまり、敬意を払う事は自己を認めてもらうことだ』
……とまあ、ずらずら書いていたら稚拙でぐちゃぐちゃになってきたのでここで切ります。
漆黒『個人』としては確立されているのですが、最近『日本人』としての漆黒はどうなんだろう?と、思ってきました。
さきにも述べたように、漆黒は集団が嫌いなので、『日本人』としてよりも『個人』を重視していたんです。
ですが、最近のニュースを聞くと憤る事がしばしばありました。
そんな時『日本人』としての漆黒も確かにいるのだと思いました。
しかし、『個人』を意識しすぎたあまり、いまいち『日本人』として思考できなくなってしまいました(極論にすると『個人は集団を変えられない』でつまってしまうんです)
しかし、昨日こんな本を見つけました。
友達と一緒に本屋に行ったら友達が「押井守じゃん!」と見つけたのでパラパラとみたらけっこうよかったので買いました。
感想は、かなり良かったです!!
長さも170ページと比較的短くてお手軽に読めるのでオススメです!
詳しい内容は読んで欲しいんですけど、補足を少し。
題名や、ツイッターを批判しているような帯で眉をひそめる人が多いでしょうけど違うんです!
簡単にまとめるとですね、日本人は感情で議論していて理論的に議論してないってことです。
例えば、「原発が危ない!」→「原発が怖い!」→「原発反対!」
と言うことではなくて、「なぜ原発があったのか、必要だったのか」「なぜ旧式の原発を建てる必要があったのか」というとこまで遡って、ちゃんと順序立てて議論する必要があるってことです。
ですから、ツイッターで感情まかせに反対運動する上っ面の『コミュニケーションは要らない』と言うことなんです。
本筋とは関係ありませんが、この本を読んでいかに自分が平和ボケしているかもわかりました・・・・・・