taksagawa

【PR】

1 | 2 | 3 |oldest Next >>

『丸山真男―リベラリストの肖像』

2009-01-30 16:42:09 Theme: 社会
苅部直、『丸山真男―リベラリストの肖像』、岩波書店

敗戦後まもない日本で熱烈な共感をもって迎え入れられた一人の政治学者は、ときに堕ちた偶像として追放されながらも、決して忘れられることはなかった。いつも愛憎入り混じった熱気に取り囲まれていた丸山眞男は、間違いなく戦後の政治を代表する人物のひとりなのだろう。丸山眞男について語る人は「何か熱病にとりつかれたようになってしまう(p.6)」、と語る本書は、彼を彩る多彩なエピソードを淡々とした筆致で描写している。

丸山の代表作のひとつである『現代政治の思想と行動』は、一見すると非常に明快である。しかし少し遠くからその言葉を改めて読み返してみると、途端に丸山の姿が霞んでしまうような気がする。丸山眞男の言説の色彩は微妙で、アクチュアルであり、その全体像を理解するためには途方もない努力が必要なのかもしれない。本書は、そんな丸山の輪郭を外側から少しずつ明確に描き出していくような、すぐれた入門書であると思う。

この中から印象的なエピソードをひとつだけ引用してみたい。丸山眞男は、1933年、19歳のとき「大した考えもなく」足を運んだ左翼系の講演会で、治安維持法違反の疑いで逮捕されてしまう。丸山はすぐに釈放されるが、留置所で一晩を過ごした経験は彼のその後の人生に少なからぬ影響を与えたという。

(引用開始)
「(丸山と)同じ一高・東京帝大で三年上に在学した文学者、中村光夫は、戦後に座談会で同席した丸山の見かたを批判し、「昭和の国粋主義っていうものはコッケイなもので、だれもあんまり本気では問題にしなかったんじゃないか」と語っている。これも、時代観として一面の真実ではあろう。このころはまだ、日中戦争・「大東亜戦争」期のように、戦争動員にむけて国民生活を幅広く統制することは行われていなかったし、共産主義者の弾圧については、報道が制限されたせいで、国民の多くが詳細を知らない。むしろこの1933年には、戦争のせいで都市部では景気が上むき、世間の空気も明るくなっていた。大衆雑誌や繁華街の風景はエロ・グロ・ナンセンスの風潮に彩られ、人々の反感はむしろ、軍部や国粋主義者よりも、あいつぐ疑獄事件に表れた政党政治の腐敗に向いていたのである。 」

「しかし丸山は、表面では明るくのどかな社会の、その裏をかいま見てしまった。恐ろしい拷問が行われ、叫び声が響く留置場から解放されて外に出てみると、街の風景は、まったくいつもと変わらない、のどかな日常生活である。「バナナ屋は相変わらず、バナナを人々の前にぶらさげて叩き売り、ゴモク屋の前には人だかりがしてみな言葉もなく、ゴハンの「問題」をみつめている。そうして、本富士署の壁一つ隔てたあのなかでは、すさまじい拷問がいま行われているのだ」。平和な世界の裏側に、反体制分子を巧みに排除していく、権力のはたらきが蠢いていることを知ってしまった者にとっては、そのうららかな空気が、むしろ不気味な窒息感をもってまとわりついてくる。 」

「おそらく逮捕のあとの夏、大阪を訪れた丸山は、六月に起きた警察官と陸軍兵との間のこぜりあい、「ゴー・ストップ事件」に関して、「一般の市民」の間では、知識人とは異なって軍に対する共感が強いのを目撃することになった。そのこともまた、人々の感情の奥に浸透している、軍国主義の気分の根強さを痛感させたことだろう。 」

「したがって丸山の目には、「国粋主義」の主張を不合理と批評するだけですませ、その問題を自分とは無関係のものとして切り捨てる、中村のような態度は、呑気なものにしか映らない。神話に由来する「國體」の観念など、深く信じている者は少ないはずなのに、それが初等教育の現場をはじめ、一般の人々に強烈な威力を放ち、公開の批判を、国家権力だけでなく、社会の空気それ自体が強固に封じている。その上に、平和で穏やかな生活がなりたっている現実が、すでに恐ろしいのである。」(p.56-58)
(引用終了)

「バナナ屋は…」のくだりは、ダルフール、イラク、チベット、チェチェン、パレスチナ、ソマリア、と同じ地球上で、それらの場所とは遠く離れた華やかさで進行する現代の消費社会を、なんとなく連想させる。

丸山は「西洋近代の理念で大衆を高みから批判した」とか「西洋近代を愚直に賛美して日本に輸入しようとした」とかいったレッテルを介して理解されることがある。しかしこのようなレッテルは、一片の真実を含んでいるにせよ、政治的発言者としての丸山眞男の本質を汲み取りきれていないようにも思う。たしかに、丸山が「西洋近代」を高みから提示しているように見えることは少なくない。しかし、50-60年代の政治的発言の奥底に、丸山が1933年に見た日本社会――それは1945年を境に断絶することはなかったのだろう――の底知れぬ不気味さがあるのだとしたら。彼は「あえて」高みに立ったかのように振る舞っていたのであり、それは一種の「アイロニズム」であった――少なくともそういう側面があった――とは言えないだろうか?丸山は、高みから現実を裁断しようとしたのではなく、かといって現実の中に埋没することもできず、理想極限として措定された「西洋近代」と目の前にある「現代日本」との間で宙吊りにならざるを得なかった存在、境界線の両側を知りながらどちらの側に立つこともできなかった存在だったのかもしれない。そのような姿勢はエドワード・サイードのいう「亡命者」をどこか連想させる。そして丸山が提起した問題は、私達の世代と、現在の日本にも、依然として存在し続けているように思えてならないのである。
同じテーマの最新記事

金融危機の本質とは?(3)

2009-01-19 14:34:48 Theme: 経済
以前の記事:
(1)http://ameblo.jp/taksagawa/entry-10183079831.html
(2)http://ameblo.jp/taksagawa/entry-10194798469.html

前回までの記事で、21世紀のバブルの構造と、その構造を可能にしたのが「証券化」と「住宅バブル」であったことを見た。そこで、締めくくりとなるこの記事では、

3.バブルの発生は偶然だったのか、それとも必然だった(構造的な要因があった)のか?

という問題をまとめることにしたい。


*****

まずは、住宅バブルの発生原因について議論しよう。ここには様々な要因が関係しており、どの要因を重視するかは経済学者の間でも議論があるようだ。

たとえば、住宅価格が上昇するはずだという予想(心理的な要因)もバブルのきっかけになったと思われる。さらに、たとえ価格上昇がバブルであっとしても、「この価格上昇は実際の資産価値を反映しているから、今後も上昇を続けるはずだ」と錯覚することが、さらにバブルを加速させることになる。

一方で低金利も原因の一つになっていたと考えられる。以下では、低金利の原因として、主要なものを二つ取り上げることにする。

<FRBによる金融緩和>

2000年のITバブル崩壊のあと、不況を避けるために強引に実施した金融政策によって低金利となり、それが住宅バブルを生んだ。つまりアメリカは、ITバブルから住宅バブルに乗り継ぐことで過剰消費を維持し、それによって好況を維持しようとしたが、結局はより大きな不況につながってしまった。


<新興国の貯蓄過剰>

前述の金融政策は主に短期金利と深い関係があるが、住宅ローンに関係するのは長期金利である。ということは、長期金利が低下した背景には、別の構造的要因もあったはずだ。それは、新興国(たとえば中国)から先進国へ資本が移動しているという現象である。

この資本の「逆流」の原因としては、先進国の過剰支出と新興国の過剰貯蓄という二つが考えられる。仮に前者ならば資金需要が逼迫するだろうから「世界金利」は上昇するはずだ。しかし実際は「世界金利」は低下傾向にある。これは、新興国から先進国への資本移動の原因が、新興国の過剰貯蓄にあることを意味している。

多くの新興国ではセーフティ・ネットがしっかりしていないため、万が一の事態や退職後に備えて人々が貯蓄せざるを得ないという事情が考えられる。また、この過剰貯蓄のきっかけの一つは、1997年のアジア通貨危機であると考えられる。バーナンキによると:

「この危機をきっかけにして、アジアの新興国は資本輸入に依存した経済発展を嫌い、むしろ国内投資を抑制してまでも国内貯蓄の余剰を創出して、それを海外に輸出するようになった。その資本がますますアメリカに向かうようになった結果、アメリカの経常収支赤字が膨張した。」([4], p.63)

結局、新興国の過剰貯蓄を重視する立場からは、新興国に真正な投資対象が不足していることが、バブルの根本原因だということになる。その結果、あふれたマネーを吸収する先として、「バーチャルな投資対象」すなわち「バブル資産」が次々と作りだされたのだ。


*****

以上で、低金利の主な要因二つ――FRBによる金融緩和と新興国の過剰貯蓄――をまとめた。この二つは、低金利の様々な要因のうち、対極にあるものを示している。とにかく構造的な要因があったのは確かであり、複数の要因の複合がバブルにつながったのだろう。

そしてその住宅バブルが、より巨大なバブルすなわち「リスク・テイク・バブル」を生んでいた。バブルがただの住宅バブルで終わらなかった原因の一つは、一回目の記事で述べたように、顧客に資金運用を任されたファンドが「チキンレース」を繰り広げ、リターンに見合わないようなリスクさえとっていたことだ。またそのような行動を、証券化技術が容易にし、さらに格付け機関が正当化していたのだった。

そこで改めて、この巨大なバブルの根本的な原因を改めて考えると、言い古されたことではあるが、やはり「実体経済に対する金融資本の過剰」ということに行き着くのではないかと思われる。そこで、少し長くなるが、小幡績の著書から引用しよう。

「経済を成長させるために投下された金融資本が、経済において利益を生み出す決め手になると、その金融資本が主役になり、こちらの目的が優先されるようになります。経済と金融が主客逆転し、金融資本が利益を上げ、自己増殖するための収益機会として経済は存在することになるのです。
 しかし、ここでも問題なのは、この金融資本がどのようにして自己増殖の持続に成功するのか、という点です。金融資本が利益を得るためには、投下された金融資本に対価を払ってくれる人がいないといけません。市場経済においては、全てのものに価格が付きますが、その価格は、需要と供給で決まります。つまり、価格が高いものというのは、需要が多く、供給が少ない者であり、そのものには希少性があることになります。
 すなわち、金融資本が自己増殖するためには、金融資本自身が稀少でなくてはいけません。経済においては、希少性がないと、お金を払ってくれる人がいなくなってしまうからです。金融資本は自己増殖を続けていますから、その増殖した金融資本以上に経済が拡大して、収益機会、投資機会が増えていないといけないのです。しかし、実体経済の成長には限界があり、未開のフロンティアにも限りがあります。
 結局は、このフロンティア(=新しい需要)がないと経済成長はできず、生産規模の拡大のための金融資本は必要とされなくなってしまいます。この結果、自己増殖し続ける金融資本へ対価を払う人がいなくなってしまい、行き詰ってしまうのです。
 この難問を解決するのが、金融手法の高度な発達です。実物的に付加価値を生み出さなくても、金融の世界の中で、富を生み出せばよいのです。」([1], p.13-14)

この帰結が、まさにバブルであった。バブルは金融資本主義が自分自身を維持するために必然的に生じてきたと言えるかもしれない。その結果として生じた現在の経済危機を乗り切ったとき、世界はどのような変貌を遂げているのだろうか。

金融危機の本質とは?(2)

2009-01-19 14:32:43 Theme: 経済
以前の記事:
(1)http://ameblo.jp/taksagawa/entry-10183079831.html

前回の記事では、21世紀のウォール街で起きた信用バブルの本質が「ネズミ講」であることを見た。そこでこの記事では次の問題、

2.なぜ、そのような「ネズミ講」が、ウォール街で成立したのか?

を考えることにする。

この問題の答えとして、二つの要因を議論したい。第一は「証券化」という技術、第二は「住宅バブル」である。

その前に、サブプライム・ローンについて簡単にまとめておこう。サブプライム・ローンとは「信用力の低い個人向け住宅融資」である。「普通」の住宅ローンすなわちプライム・ローンには、政府による与信審査のガイドラインがあり、金融機関はそれに従って審査をする必要がある。サブプライム・ローンはこのガイドラインに従わない。したがって、プライム・ローンを申請しても承認される見込みのない「信用力の低い個人」が、サブプライム・ローンの対象になる。サブプライム・ローンは最初は低金利なので、借りる人にとっては敷居が低く感じられるが、数年たつと金利が跳ね上がるようになっている。


*****

さて、住宅ローンの証券化の手続きは以下のようである。

まず、たくさんの住宅ローンを集めてきて「プール」をつくる。もとの住宅ローンがサブプライム・ローンの場合、このプールにはリスクの高い債券がたまっていることになる。そのプールから住宅ローン抵当証券(RMBS)を発行する。このとき、ハイリスク・ハイリターンのものやローリスク・ローリターンのものといったように、リスク・リターンの段階に応じた多様なRMBSができる。なお、このときのリスクには、主に

(1)ローンを借りた家計が、低金利の時に住宅ローンの借り換えをすることで、投資した資金がすぐに戻ってきてしまうリスク
(2)ローンを借りた家計がそれを返済できなくなるリスク、すなわちデフォルトのリスク

の二種類がある。(2)の方が明らかに深刻なリスクである。一斉にデフォルトするリスクを低くするためには、様々な地域の(したがってデフォルトのリスクが相関していないと思われる)住宅ローンをプールで混ぜ合わせることが有効である。もっとも、たとえばアメリカ全体の景気が悪くなるような場合は相関が生じるので、このような方法は無力なのだが。

次に、RMBSの中で、リスクを積極的に取る投資家でさえ持て余すようなハイリスクの部分をどうするかが問題になる。そこでこれを別の抵当証券(デフォルトのリスクが住宅ローンと相関していないような証券)と一緒にして、再びプールをつくる。それをまたリスクに応じて分割し、仕組み債(structured products)をつくる。これは債務担保証券(Collateralized Debt Obligation, CDO)と呼ばれる。こうしてできたCDOには、RMBSの高リスクの部分が混ざっている。しかし、全体としては、高リスクの「有毒」の部分は薄まっていることになる。これが証券化のマジックだ。実際、CDOのうちの最もリスクが低い部分は、格付け機関によってトリプルAの格付けが与えられていた(これは米国債とほぼ同じ程度である)。もっとも、格付け機関は、格付けする証券を作る機関から報酬をもらっていたので、「グル」という側面があったことは否めない。

こうして作ったCDOには、またリスクの高い部分(「有毒廃棄物」!)ができる。これをまた別の抵当証券などと混ぜ合わせ、プールを作る。そうして「有毒廃棄物」を薄めるのだ。それをまたリスクに応じて分割し、仕組み債をつくる。これはCDOをもとにして作られたCDOなので、CDO-squaredとでも言うべきものだ。CDO-squaredのうちのリスクが低い部分には、また高格付けが与えられる。こうして、最初のサブプライム・ローンがもっていた「毒性」は、様々な証券に複雑に混ぜ合わされ、薄く広がっていった。

ところで、こういったプロセスを繰り返してもやはり残る(たとえばCDO-squaredで証券化のプロセスをストップしたとすると、CDO-squaredのもっともリスクの高い部分として残る)「有害廃棄物」は、いったい誰が引き受けているのだろうか?――それは主にヘッジファンドであった。ヘッジファンドは極端に高いリターンを求めて積極的に高リスクの証券を引き受け、有毒廃棄物を転がしていた。

以上が証券化のプロセスである。なお、アメリカの住宅ローンの証券化率はきわだって高かったことを付記しておきたい。2004年末の時点でアメリカは60%、EUは15%であった。


*****

では、証券化の意義とは何だろうか?

教科書的な説明によれば、それは、リスクを個々の投資家にフィットしやすいものにアレンジできることだ。たとえばリスクの小口化により、少ない元手でも、住宅ローンが組みこまれた証券を買うことができる(住宅ローン一つをそのまま引き受けようとすると、それなりに元手がいるしリスクも大きい)。また、個々の投資家の好みに合わせて様々なリスクの証券が用意できる(ハイリスク・ハイリターンを好む投資家にはハイリスクの証券を、ローリターンでもいいからローリスクを好む投資家にはそのような証券を、ということである)。ただし、この場合、リスクの総量は全く変化していないことに注意が必要である。変化したのはリスクの(様々な投資家への)配分であり、その配分の仕方が証券化によって柔軟になったのだ。個々の投資家にフィットする多様な証券を作り出せることが、証券化技術のメリットである――これが教科書的な説明だ。

しかし、小幡績によれば、証券化の本質は、実はもっと別のところにある。それは、「原資産を金融商品に変質させるメカニズム」([1], p.34)である:

「金融市場に対して最も大きな影響を与えた現象としての証券化の本質とは、資産が証券化されると同時に「商品化」され、価格がつくということなのだ。」([1], p.34)

つまりこういうことである。証券化によって、どんな複雑な投資商品も、リスクとリターンという二つの軸(パラメータ)だけで記述されるようになる。これは一種の「標準化」である。そうすると、投資家はその二つの軸だけを見て投資するかどうかを決めればよくなり、原資産の個別の事情(たとえば、元々の住宅ローンの借り手がどんな人物であったか、など)を無視できるようになる。こうして、証券化された投資商品は、世界中のあらゆる投資家の投資対象になる――「商品」になる。

「今まで見向きもされなかった資産が、突然、世界中のあらゆる投資家の投資対象となるのは、個別の住宅の個別の要素に対する分析、評価が捨象され、その資産が投資商品として、リスクとリターンという標準化された評価軸の上で示されるからである。そうでない現物の不動産や不動産ローン債権は、本当は貸し倒れる確率がゼロに近くても、リスクとリターンを分析することが一般的な投資家にはできないから、そもそも投資対象にならない。」([1], p.37)

結局このような「商品化」によって、投資家が売りたいときに売れなくなるというリスク(流動性リスク)が著しく減少することになる。


*****

では、それは「ネズミ講」のプロセスとどのように関わっていたのであろうか。前回の記事と多少重複になるけれど、重要なのでもう一度詳しく記述しておきたい。まず、あるハイリスク・ハイリターンの証券があったとする。最初にそれに目をつけた著名投資家が、大量にそれを買う。この投資家がネズミ講の「親」だ。

著名投資家が買ったとなれば、次にたくさんの投資家がその証券を欲しがり始める。こうして需要と供給のバランスによって、証券の値段は上昇する。このとき、最初の投資家は買っていた証券を転売し、価格の上昇に伴う利益を得る。

ここで重要なのは、証券化によって、この商品が非常に売れやすくなっていることだ。すると投資家たちは次々に転売することが可能になる。ここでリスクの根本的な変質が起こっている。つまり、投資家たちにとって重要なのは、もはや元々のリスクではなく、次に転売できるかどうかのリスクになっている。そして、転売が確実な限り、(元々のリスクはもはや重要ではないので)実質的に「ノーリスク」が実現しているのだ。そして、欲しがる投資家が多くいる限り価格は上昇していくので、転売によって必ずリターンが生じる。

「自分が投資したことにより他の投資家が追随し、その追随が次の追随を呼ぶようになれば、流動性不足により売りたいときに売れないという、流動性リスクは消滅する。投資家の流入が価格上昇傾向を生み出すことになるのだ。ここに、流動性リスクは、自己の投資及びそれに追随する他の投資家の買いにより、消失してしまったのである。投資家の追随が追随を呼ぶプロセス、これがリスクをリスクでなくすプロセスなのだ。」([1], p.47)

見かけ上はリスクなしでリターンが得られるという、ネズミ講がここに発生した。ここで格付け会社が現れて重要な役割を果たす。格付け機関は、転売の繰り返しという「ネズミ講」が生み出した「キャッシュフロー」をもとに、証券に格付けを行ったのだ。この「格付け」は、もはや最初の(もともとの資産の実体に伴う)リスクやリターンとはあまり関係がなくなっている。格付け機関は、流動性リスクの消失と価格の上昇に伴う「転売の繰り返し」で得られる利益をいわば実体的なキャッシュフローとみなすことで、「ネズミ講の正当化」を行っていたと言えるかもしれない。

「証券の価格が上昇してきたという事実も、リスクが低いという評価を裏付けることになる。この価格上昇は、これから下落する可能性が高まっていることを示す単なるバブルかもしれないのだが、この危険性については、格付け機関は考慮しない。市場全体、経済全体の構造への洞察なしに、その証券だけを部分的に分析しているのである。」([1], p.50)

そして実際、これはバブルであった。


*****

さて、この構造を振り返ってみると、そこには最初に「リスクの高い資産」があればよいだけであり、それがサブプライム・ローンである必然性はまったくないことがわかる。つまり、証券化と流動性リスクの消失によって、元々の「実体」が何であっても、同じ構造のバブルが生まれるのだ。

とはいっても、実際の歴史においては、サブプライム・ローンが重要であった。その大きな要因は、アメリカで「住宅バブル」が発生していたことである。この意味で、住宅バブルを「きっかけ」にして、より壮大で構造的な「リスク・テイク・バブル」(「リスク安すぎバブル」)が発生していたと言える。

では具体的にはどのようにして、住宅バブルが重要な役割を果たしたのだろうか。結論を言えば、住宅バブルによって、サブプライム・ローンのデフォルト・リスクが著しく低くなっていたのだ。このときに重要なのは、
・サブプライム・ローンの担保が住宅そのものであったこと
・サブプライム・ローンは最初の数年は低金利だった(数年たつと金利が跳ね上がる)こと
の二つであるだ。その結果として、家計は以下の二つのような典型的な行動をとっていた:

1.担保にしていた住宅の売却。住宅価格が上昇していれば、ローンを全額返済してもまだ手元に現金が残ることになる。それを元手にして、もっと広い別の住宅のローンを組むことさえできた。
2.ローンの借り換え。担保の住宅の価格が上昇しているので、最初の低金利の期間が過ぎれば別のローンに借り換えることができ、また低金利から出発することができた。

住宅価格が上昇している限りは、このような行動は、長期的な返済の見込みがない人々の場合でさえも、破たんしなかった。少なくとも担保の住宅の価格が下がってさえいなければ、それを売却することでデフォルトだけは避けられるのだ。これが、サブプライム・ローンの安全性が過大評価されていた、個別的な理由である(一般的な理由は証券化技術だ)。

しかし実際には、住宅バブルは崩壊し、住宅価格は下落を始めた。すると上記のような行動は成立しなくなり、デフォルトが急増していった。それは、サブプライム・ローンが組みこまれた証券のバブルの崩壊をも意味していた。
1 | 2 | 3 |oldest Next >>
powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト