『丸山真男―リベラリストの肖像』
苅部直、『丸山真男―リベラリストの肖像』、岩波書店
敗戦後まもない日本で熱烈な共感をもって迎え入れられた一人の政治学者は、ときに堕ちた偶像として追放されながらも、決して忘れられることはなかった。いつも愛憎入り混じった熱気に取り囲まれていた丸山眞男は、間違いなく戦後の政治を代表する人物のひとりなのだろう。丸山眞男について語る人は「何か熱病にとりつかれたようになってしまう(p.6)」、と語る本書は、彼を彩る多彩なエピソードを淡々とした筆致で描写している。
丸山の代表作のひとつである『現代政治の思想と行動』は、一見すると非常に明快である。しかし少し遠くからその言葉を改めて読み返してみると、途端に丸山の姿が霞んでしまうような気がする。丸山眞男の言説の色彩は微妙で、アクチュアルであり、その全体像を理解するためには途方もない努力が必要なのかもしれない。本書は、そんな丸山の輪郭を外側から少しずつ明確に描き出していくような、すぐれた入門書であると思う。
この中から印象的なエピソードをひとつだけ引用してみたい。丸山眞男は、1933年、19歳のとき「大した考えもなく」足を運んだ左翼系の講演会で、治安維持法違反の疑いで逮捕されてしまう。丸山はすぐに釈放されるが、留置所で一晩を過ごした経験は彼のその後の人生に少なからぬ影響を与えたという。
(引用開始)
「(丸山と)同じ一高・東京帝大で三年上に在学した文学者、中村光夫は、戦後に座談会で同席した丸山の見かたを批判し、「昭和の国粋主義っていうものはコッケイなもので、だれもあんまり本気では問題にしなかったんじゃないか」と語っている。これも、時代観として一面の真実ではあろう。このころはまだ、日中戦争・「大東亜戦争」期のように、戦争動員にむけて国民生活を幅広く統制することは行われていなかったし、共産主義者の弾圧については、報道が制限されたせいで、国民の多くが詳細を知らない。むしろこの1933年には、戦争のせいで都市部では景気が上むき、世間の空気も明るくなっていた。大衆雑誌や繁華街の風景はエロ・グロ・ナンセンスの風潮に彩られ、人々の反感はむしろ、軍部や国粋主義者よりも、あいつぐ疑獄事件に表れた政党政治の腐敗に向いていたのである。 」
「しかし丸山は、表面では明るくのどかな社会の、その裏をかいま見てしまった。恐ろしい拷問が行われ、叫び声が響く留置場から解放されて外に出てみると、街の風景は、まったくいつもと変わらない、のどかな日常生活である。「バナナ屋は相変わらず、バナナを人々の前にぶらさげて叩き売り、ゴモク屋の前には人だかりがしてみな言葉もなく、ゴハンの「問題」をみつめている。そうして、本富士署の壁一つ隔てたあのなかでは、すさまじい拷問がいま行われているのだ」。平和な世界の裏側に、反体制分子を巧みに排除していく、権力のはたらきが蠢いていることを知ってしまった者にとっては、そのうららかな空気が、むしろ不気味な窒息感をもってまとわりついてくる。 」
「おそらく逮捕のあとの夏、大阪を訪れた丸山は、六月に起きた警察官と陸軍兵との間のこぜりあい、「ゴー・ストップ事件」に関して、「一般の市民」の間では、知識人とは異なって軍に対する共感が強いのを目撃することになった。そのこともまた、人々の感情の奥に浸透している、軍国主義の気分の根強さを痛感させたことだろう。 」
「したがって丸山の目には、「国粋主義」の主張を不合理と批評するだけですませ、その問題を自分とは無関係のものとして切り捨てる、中村のような態度は、呑気なものにしか映らない。神話に由来する「國體」の観念など、深く信じている者は少ないはずなのに、それが初等教育の現場をはじめ、一般の人々に強烈な威力を放ち、公開の批判を、国家権力だけでなく、社会の空気それ自体が強固に封じている。その上に、平和で穏やかな生活がなりたっている現実が、すでに恐ろしいのである。」(p.56-58)
(引用終了)
「バナナ屋は…」のくだりは、ダルフール、イラク、チベット、チェチェン、パレスチナ、ソマリア、と同じ地球上で、それらの場所とは遠く離れた華やかさで進行する現代の消費社会を、なんとなく連想させる。
丸山は「西洋近代の理念で大衆を高みから批判した」とか「西洋近代を愚直に賛美して日本に輸入しようとした」とかいったレッテルを介して理解されることがある。しかしこのようなレッテルは、一片の真実を含んでいるにせよ、政治的発言者としての丸山眞男の本質を汲み取りきれていないようにも思う。たしかに、丸山が「西洋近代」を高みから提示しているように見えることは少なくない。しかし、50-60年代の政治的発言の奥底に、丸山が1933年に見た日本社会――それは1945年を境に断絶することはなかったのだろう――の底知れぬ不気味さがあるのだとしたら。彼は「あえて」高みに立ったかのように振る舞っていたのであり、それは一種の「アイロニズム」であった――少なくともそういう側面があった――とは言えないだろうか?丸山は、高みから現実を裁断しようとしたのではなく、かといって現実の中に埋没することもできず、理想極限として措定された「西洋近代」と目の前にある「現代日本」との間で宙吊りにならざるを得なかった存在、境界線の両側を知りながらどちらの側に立つこともできなかった存在だったのかもしれない。そのような姿勢はエドワード・サイードのいう「亡命者」をどこか連想させる。そして丸山が提起した問題は、私達の世代と、現在の日本にも、依然として存在し続けているように思えてならないのである。
敗戦後まもない日本で熱烈な共感をもって迎え入れられた一人の政治学者は、ときに堕ちた偶像として追放されながらも、決して忘れられることはなかった。いつも愛憎入り混じった熱気に取り囲まれていた丸山眞男は、間違いなく戦後の政治を代表する人物のひとりなのだろう。丸山眞男について語る人は「何か熱病にとりつかれたようになってしまう(p.6)」、と語る本書は、彼を彩る多彩なエピソードを淡々とした筆致で描写している。
丸山の代表作のひとつである『現代政治の思想と行動』は、一見すると非常に明快である。しかし少し遠くからその言葉を改めて読み返してみると、途端に丸山の姿が霞んでしまうような気がする。丸山眞男の言説の色彩は微妙で、アクチュアルであり、その全体像を理解するためには途方もない努力が必要なのかもしれない。本書は、そんな丸山の輪郭を外側から少しずつ明確に描き出していくような、すぐれた入門書であると思う。
この中から印象的なエピソードをひとつだけ引用してみたい。丸山眞男は、1933年、19歳のとき「大した考えもなく」足を運んだ左翼系の講演会で、治安維持法違反の疑いで逮捕されてしまう。丸山はすぐに釈放されるが、留置所で一晩を過ごした経験は彼のその後の人生に少なからぬ影響を与えたという。
(引用開始)
「(丸山と)同じ一高・東京帝大で三年上に在学した文学者、中村光夫は、戦後に座談会で同席した丸山の見かたを批判し、「昭和の国粋主義っていうものはコッケイなもので、だれもあんまり本気では問題にしなかったんじゃないか」と語っている。これも、時代観として一面の真実ではあろう。このころはまだ、日中戦争・「大東亜戦争」期のように、戦争動員にむけて国民生活を幅広く統制することは行われていなかったし、共産主義者の弾圧については、報道が制限されたせいで、国民の多くが詳細を知らない。むしろこの1933年には、戦争のせいで都市部では景気が上むき、世間の空気も明るくなっていた。大衆雑誌や繁華街の風景はエロ・グロ・ナンセンスの風潮に彩られ、人々の反感はむしろ、軍部や国粋主義者よりも、あいつぐ疑獄事件に表れた政党政治の腐敗に向いていたのである。 」
「しかし丸山は、表面では明るくのどかな社会の、その裏をかいま見てしまった。恐ろしい拷問が行われ、叫び声が響く留置場から解放されて外に出てみると、街の風景は、まったくいつもと変わらない、のどかな日常生活である。「バナナ屋は相変わらず、バナナを人々の前にぶらさげて叩き売り、ゴモク屋の前には人だかりがしてみな言葉もなく、ゴハンの「問題」をみつめている。そうして、本富士署の壁一つ隔てたあのなかでは、すさまじい拷問がいま行われているのだ」。平和な世界の裏側に、反体制分子を巧みに排除していく、権力のはたらきが蠢いていることを知ってしまった者にとっては、そのうららかな空気が、むしろ不気味な窒息感をもってまとわりついてくる。 」
「おそらく逮捕のあとの夏、大阪を訪れた丸山は、六月に起きた警察官と陸軍兵との間のこぜりあい、「ゴー・ストップ事件」に関して、「一般の市民」の間では、知識人とは異なって軍に対する共感が強いのを目撃することになった。そのこともまた、人々の感情の奥に浸透している、軍国主義の気分の根強さを痛感させたことだろう。 」
「したがって丸山の目には、「国粋主義」の主張を不合理と批評するだけですませ、その問題を自分とは無関係のものとして切り捨てる、中村のような態度は、呑気なものにしか映らない。神話に由来する「國體」の観念など、深く信じている者は少ないはずなのに、それが初等教育の現場をはじめ、一般の人々に強烈な威力を放ち、公開の批判を、国家権力だけでなく、社会の空気それ自体が強固に封じている。その上に、平和で穏やかな生活がなりたっている現実が、すでに恐ろしいのである。」(p.56-58)
(引用終了)
「バナナ屋は…」のくだりは、ダルフール、イラク、チベット、チェチェン、パレスチナ、ソマリア、と同じ地球上で、それらの場所とは遠く離れた華やかさで進行する現代の消費社会を、なんとなく連想させる。
丸山は「西洋近代の理念で大衆を高みから批判した」とか「西洋近代を愚直に賛美して日本に輸入しようとした」とかいったレッテルを介して理解されることがある。しかしこのようなレッテルは、一片の真実を含んでいるにせよ、政治的発言者としての丸山眞男の本質を汲み取りきれていないようにも思う。たしかに、丸山が「西洋近代」を高みから提示しているように見えることは少なくない。しかし、50-60年代の政治的発言の奥底に、丸山が1933年に見た日本社会――それは1945年を境に断絶することはなかったのだろう――の底知れぬ不気味さがあるのだとしたら。彼は「あえて」高みに立ったかのように振る舞っていたのであり、それは一種の「アイロニズム」であった――少なくともそういう側面があった――とは言えないだろうか?丸山は、高みから現実を裁断しようとしたのではなく、かといって現実の中に埋没することもできず、理想極限として措定された「西洋近代」と目の前にある「現代日本」との間で宙吊りにならざるを得なかった存在、境界線の両側を知りながらどちらの側に立つこともできなかった存在だったのかもしれない。そのような姿勢はエドワード・サイードのいう「亡命者」をどこか連想させる。そして丸山が提起した問題は、私達の世代と、現在の日本にも、依然として存在し続けているように思えてならないのである。




