2007年07月09日

宮沢元首相の死去を論評するベストのブログ記事~池田信夫氏のサイトから

テーマ:自由の価値

ジャーナリスティックなテーマを取り上げつつ、ジャーナリズムとは一線を画す論理的な洞察を加える池田信夫教授のブログ「IT & Economics 池田信夫 blog 」を愛読しています。(おススメblogです。)

池田氏のブログ記事「最後のケインジアン 」では、宮沢元首相の死去を機に、先進国で滅びたに等しいケインジアンがなぜ日本で生き残ったのかについて宮沢氏の脳みその中と絡めながら論評しており、ケインズ主義に未練のある人々にこそ、お読みいただきたいと感じました。(日本人の多くが過大評価している宇沢弘文博士についても言及があります。この事実は皆さんに知っていただきたいですね。)

また、このブログの特徴の1つはコメント者の素晴らしさです。池田氏がコメントについて厳しく精査しているために、コメント欄がまた、読ませるのです。

さて、ケインズ主義と宮沢元首相との関係についてはリンク先をご覧いただくとして、個人的に補足しますと、日本はいわゆる左翼が牛耳る経済学界が一体となって、自由主義思想を排除してきました。

過去に「ミーゼスの弟子、村田稔雄先生の講義を聴く 」などのエントリーでも多少触れていますが、マル経とケインズ主義の信奉者は手と手を取り合って自由主義の学究を叩き、排除し、冷遇してきました。まさに思想的なテロだと思っています。

また、これと併せて、日本人には根強い「良いエリート支配」待望論があり、それと社会主義・全体主義はなかば神話のような影響力を持ち続けていることにも注意が必要です。

しかし、現代の市場は従来の市場とは比較にならないほど機能面で洗練され、情報の偏在も大幅に是正されるなど、賢くなってきています。(富永健一教授のご子息で、TACの人気経済学講師だったりもした富永純一氏とじっくり語り合ったとき、彼も「市場が正しく機能しなかったいろいろな要因がITで解決されつつある」と非常明快に語っておられました。)

少なくとも、ソビエトの計画経済や日本の霞ヶ関官僚よりは現代の市場の方がはるかに賢いのです。

むしろ、この国に必要なのは市場が正常に機能するための不要な規制の排除(ディレギュレーションは「規制緩和」ではなく、「規制撤廃」。権限維持を狙う通産官僚が意図的に訳を捻じ曲げて国民を騙した)と、不正の厳罰、経済犯罪に対峙する、経済警察、IT警察の強化です(経済犯罪者やコムスンに代表される悪徳企業はこの国の政治権力中枢と強く結びついています)。

現在は「新自由主義」という言葉に変な色がつき、自由主義を語ることは「偏った人」というレッテルを貼られかねない状況です。自由主義と小泉主義を混同し、自由主義を貶める世論は、日本的社会主義体制の一翼を担うマスコミの最近達成した巨大な負の成果です。自由主義への誤解は不幸です。

宮沢氏の死去を機に、国民の意識がケインズの呪縛から脱出できることを祈りつつ、この記事はおしまいにします。

コメント

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1 ■素人コメントなので、消されそうですが・・・

宮沢元首相は、亡くなられました。が、まだ、あの方の魂は、さまよい生きていると思われうる残像が、日々の社会の流れから、見えるようです。とにかく、マスコミが加担するのを、どうにかしないと、日本の社会主義的体制は、どうしようもない、と悲観しています。そう、私のような経済素人が、流されてしまうので。

2 ■マルクスかケインズか、そんな時代に学生でした。

お薦めの池田教授のBlog早速読ませていただきました。読者になり勉強させていただきます。

老生は、1960年に大学生となり、マル経とケインジアンとの狭間にいました。へそ曲がりの為、どちらに組することなく、芝居に現を抜かしていました。

その当時はともかく、仰るように、現在はどちらも役割を終わっているのでしょう。官僚主導の経済運営は必要ありませんね。

3 ■極論します(^_^;)

ステレオタイプな議論をすると、日本は(特亜諸国ほど強烈ではない緩やかな)儒教社会、アメリカはプロテスタンティズム。パターナリズムもエリート待望論もそれが根っこにあるのでは、という気がします。

宮澤氏の頭の固さは、米本位制から脱却できなかった徳川吉宗並みでしょう。日本で自由主義が根付かないのは、田沼意次が失脚した時代からあまり変化していない、ということかもしれません(笑)。

ITによって市場が健全に機能しつつある、というのは事実でしょうが(ネット通販程度でもそのことは感じられます)、日本ではそのIT自体がNTTデータに代表されるような官製資本主義に牛耳られている、という皮肉な状況もあります。

宮澤氏の亡霊はこれからも財務省あたりを彷徨い続けるような気がします。

4 ■なにわのおっさんさまコメントありがとうございます

宮沢さんを見ていると旧ソ連のエリートを思い出します。
しかし、あのサイトの素人コメントの削除云々はちょっとビビリますね(笑。

5 ■tadurabeさまコメントありがとうございます

おっしゃるように時代時代で必要とされる思想は違うと思います。あのマルクス主義ですら、歴史的には意義なしとは思いません。

ちなみに、私も学生時代は趣味的なことに現を抜かしていました。ただ、それが今の肥やしに着実になっていると思います。

6 ■フロレスタンさまコメントありがとうございます

実は私も田沼時代の評価は不当だと思っています。いずれ田沼時代に関する文献も読みたいのですが、ゆとりがなくて・・・。
吉宗は明らかに「ア○」です。

また、恐るべきことに、NTTなどがネット環境を牛耳ること自体はかなり評価され、NTTの後退を悲しむ声は世間では大きいです。

7 ■共同体と経済(社会)制度

 思いますに、ケインズ主義における選良主義と計画主義が、日本の大勢の要求する共同幻想に沿う経済理論であったことが大きな要因として上げられるのではないでしょうか。
 歴史的に見れば、西欧のヘ-ゲル(哲学)・ケインズらに課された使命はつまるところ、宗教戦争後の共同幻想のゆらぎに直面した西欧大衆の不安解消に一役買うというものだったといってよいでしょう。
 大衆・人間なるものの本性への根本的懐疑を押し殺し、「人間の本性は理性的であり、すべては丸く収まる(一元論)」という命題の証明に尽力することが大義として招来された時代というものがあったのだと思います。
 宗教戦争で疲弊した西欧が必要としたように、日本もまた戦後日本を再構築する上で必要としたとしますと、宮沢元首相は、先達に習ってだだ共同幻想に沿うという古風に徹した、そのようにも解することができるのではないでしょうか。
 疑心を隠しながら共同幻想に沿うよう律儀に応え続けたとしますれば、それもまた政治といえなくもないと思います。

 自由主義について言えば、これは言わば自律系(少数者)の専売特許であることをきちんと認識する必要があると思います。  
 大多数は他律系と言ってよいのではないでしょうか。群れ合う必要がある。ヒトもまたサルからの一分派であり、群れをなすことで種の保存を図ってきました。
 自由主義は、この種の保存のため選択した群れの行動原理に抵触し、また、貨幣の走狗として機能するというその相関関係、この点が忌避される要因として上げられるかと思います。非言語レベルの知としての身体的防御本能が働いていると見ます。
 自由主義者も人の子、自由ゆえの産物その恩恵に与りながら創した自由主義者には砂をかける、といった理不尽に対し憤激するのは自然感情です。
 ただそうした感情次元からの自己解放志向では力を持ち得ないと思います。
 自由主義の両義性に鋭敏であるべきであると考えます。
 長々のコメント失礼しました。頑張ってください。

8 ■足柄小僧さまコメントありがとうございます

本当に共同幻想でしたね。
ところで、自由主義にしても社会主義にしても、ある程度極論を唱えないとなかなかインパクトを相手に与えられないため、私は多少極論を唱えるようにしています。
この世界の人間はある程度の分かりやすさがなければダメなものですから。

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