「無垢」同士がシンクロ 評:福島敏雄(論説委員)
奇蹟の画家
一読して浮かんだのは無垢というコトバである。
人は、赤ん坊のときは無垢の魂のような存在だが、
精神を形成するにつれ、徐々に垢(あか)がつき、やがてただのオトナになる。
もちろん精神のある部分には無垢が潜んでいるが、ほとんど顧みられることもない。
芸術家とは、この無垢の容量が大きい人たちを指すのではないだろうか。
なかでも画家や造形家は、無垢の純度が高いような気がする。
たとえばピカソや円空には、時として子供が描いたり、彫ったりしたと
勘違いしてしまいそうな作品もある。
神戸の下町の古びた木造住宅に住む、石井一男という無名の画家が
ひとりの画商と出会い、49歳にして初の個展を開いた。
作品の多くは目を閉じた女神像で、見るものの魂の琴線に触れるような
不思議な画風だった。
大きな反響を集め、三十数点の作品のほとんどが完売した。
平成4(1992)年のことである。
本書は石井を中心に、画商や石井作品を購入した市井の人々を追った
ノンフィクションである。
石井は大学を出ると、定職に就かず、皿洗いや
地下鉄の駅への新聞の配送などのバイト生活を続けた。
結婚もせず、独り暮らしである。
無為な日々といってもいいかもしれないが、後藤氏は
「空白と沈黙の歳月も、石井一男という画家にとってはきっと必要な、
また必然の時間帯であったように思える」と書く。
筆者なりに解せば、絵を描くまでの四十数年間は、
石井は純度の高い無垢を大切に守り、育て続けたのであろう。
そして50歳代を前に、その無垢が絵筆をとらせた。
多くの購入者の中には、病室に石井の「女神像」を飾り、最期を迎えた元会社役員や、
死に近い難病の治療の際、病室に「女神像」を飾り、生還した公務員もいた。
2人の男が偶然にも、「最後の1枚」として女神像を選んだ。
死に直面したとき、精神の中に潜んでいた無垢が、硬い殻をやぶって
うねうねと波動しはじめ、それが石井という画家の無垢とシンクロナイズしたのであろう。
それを「奇跡」と呼んでもいい。
奇跡の画家 後藤正治著
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