フランダースの犬 | 歩く雑誌・月刊中沢健のブログ

フランダースの犬


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自分は中学生の時に「うしおととら」を読んでから、藤田和日郎先生の描く少年漫画はずっと夢中になって読んでいる、藤田漫画の大ファンです。
結構いろんなところで「うしおととら」や「からくりサーカス」の話などもしているので、気が付いたら藤田漫画好きの友人知人も結構増えました。

だが現在、藤田先生が「週刊少年サンデー」で連載中の「月光条例」の話になると、どうにもテンションが落ちて(うしおととらや、からくりサーカスについて語る時のような熱さは失ってしまい)、「正直、月光条例はまずいんじゃないか?」みたいな話になると「いやいや、うしとらだって、からサーさって序盤は意外とそんなに面白いわけでも無かったじゃん? 藤田漫画はこれから面白くなってくるんだよ!」みたいに月光条例を擁護する意見が出たりはしつつも、やっぱり今のところ月光条例はいまいち楽しく読めていないという感じの意見に皆がなってしまうということも多かったのでした。

自分は「月光条例」は序盤は本当に藤田先生の新連載が読めるという喜びもあったし、最初の何エピソードかは勢いで、ぐいぐい引き込まれてしまう部分もあって楽しく読んでいたのですが、ある程度のエピソードが続いていくうちに勢いだけでは読めなくなってきたというか、月光条例の設定や世界観、レギュラーキャラクターの魅力などについてだんだん疑問に感じることも多くなってきて、別に「つまらない」とは思わないのですが、いやむしろ「面白い漫画」であること自体は確かだと思うんですが、かつての藤田漫画を読んでいた時のような飛び抜けた面白さは感じられずにいたんですね。


僕は「うしおととら」目当てでサンデーを購読し始めて、「からくりサーカス」の連載終了で、一旦購読はお休みして、また月光条例の再開と同時に少年サンデーも毎週読むようになっていたのですが、気が付いたら「単行本待ちで良いかな?」という気持ちになって毎週、月光条例を読むことも無くなっていたのでした。
もちろん単行本は買って読んでいたけど、これは僕が14歳~28歳までの間で、最も藤田漫画に冷めていた期間であったとも言えるでしょう。

ですが、
ですが、やっぱり、やってくれました。
「月光条例」の16番目のエピソード「フランダースの犬プラスうらしま太郎」編。
この話を読んだら、「月光条例」が自分はやっぱり大好きなんだと思いました。
鳥肌をめっちゃ立たせながら少年漫画を読む感覚、うしおととらや、からくりサーカスを読んでいた時の感覚がまた戻ってきましたよ。
うん、藤田和日郎はやっぱり裏切らない!

ちなみに「月光条例」を読んだことが無いという方に、簡単にどんな話の漫画なのかと説明をさせていただきますと、この漫画は「月打」という現象によって、世界中のおとぎ話が狂い出して、三匹の子豚や桃太郎、赤ずきん、シンデレラといった「おとぎ話」に登場するキャラクターが、現実の世界(読み手の世界)に現れて暴れまわるのを、主人公達が元に戻して「おとぎ話を正していく」という内容です。

なかなか面白くなりそうな設定ではあるのですが、「おとぎ話」を舞台としているためなのか、どうにも「何でもアリ」な展開になってしまっている部分が目立っているような気がしてしまったり、また、からくりサーカスなんかでは藤田先生は、今時の少年漫画では結構珍しいくらいに登場人物も死ぬ時にはしっかり死なせる漫画を描かれていたんですが、月光条例の場合、おとぎ話がテーマということもあり、物語の目的が「凶悪な敵を倒すこと」などではなく、「物語を正す」ことにあり、誰かが死んだとしても基本的には、その狂ってしまった部分を修正することによって、死んでしまったという本来のおとぎ話では無かった出来事は無かったことにすることが出来てしまうというのが基本のパターンだったんですね(ただし、その基本パターンの通りには行かずに、つまり物語を正すことが出来ずに完全に存在が消失してしまった登場人物などもわずかですが出てきてはいます)。
このことで、作中で誰かが死んだり、大ピンチに陥ったりと、本来ならハラハラドキドキの気分で少年漫画を読むためのポイントがどうにもいまいち盛り上がらないようになってしまっていたような気が僕にはしてしまったのです。

気が付けば現在連載中の「月光条例」よりも、「うしおととら」や「からくりサーカス」といった過去の名作を読み返す機会の方が多くなってしまっていた自分だったのですが、月光条例の7巻~8巻に収録されている「フランダースの犬プラスうらしま太郎」編を読んだら、「なるほど、藤田先生はこの作品でこれをやりたかったのか!」と思い、久々に心震わされたのでした。

そもそも、おとぎ話をモチーフに作品を書いてきた作家さんは(漫画、小説、映画など問わず)過去にもたくさんいましたが、もちろん元々の話が大好きだから、その設定を使い、自分なりにアレンジして描くというのが普通だったと思います。
「月光条例」もこれまでそういう部分は濃くありました。

ですが、「月光条例」の中での「フランダースの犬」という物語の描かれ方を見れば、藤田先生は、フランダースの犬という話に全く納得がいっていないことが、何でこんな物語展開なんやねん! ―という怒りがハッキリと感じられます。

ここに来て「月光条例」は「狂ってしまったおとぎ話」を正すのではなく、元々の話も納得いかなかった点を、元の話を作り直してしまうという展開へと進んでいってしまうのです。

正直、僕は「フランダースの犬」というお話は特別ファンなわけでも無いけど、まぁ世間でよく言われるように「感動的な物語の代表例」みたいな感じで見ていたところもあったので、まさかフランダースの犬に対して、こうも怒りを感じて、しかもその怒りを作品に昇華してしまう人がいるなんて思ってもいなかったので、正直言うと驚きました。

この少年漫画を読んで「予定調和でないもの」を感じて鳥肌を立たせるというのも、そういえば藤田漫画を読むうえでの醍醐味の一つであったと思い出したのですが、とにかく、月光条例の主人公である岩崎月光が、フランダースの犬の主人公であるネロに本気で熱いメッセージを伝える展開は、ギャグでもパロディーでもなく、そして批評でもなく、少年漫画の中で、こんなことをする人がいるんだ! と感動しちゃいました。

正直言うと、この展開(描き方)を見て、垢抜けてない漫画だな~とか、品が無い漫画だな~みたいに思う読者もいるかも知れません。

でも、漫画でも映画でも、もちろん、おとぎ話でもいいんですが、人間誰しも「物語」を見ていて「何でこんなことになるんだよ!」と、その展開に納得がいかなかったことが一度や二度くらい無かった人はいないでしょう。
僕も一度や二度なんてものじゃない、もう何十回、下手すら何百回と「何でこうなっちゃったんだ、ふざけんな!」と内心思いながら目にしてきた物語はいくらでもあります。

藤田先生はそんな気持ちを真っ直ぐに、パロディーにしたり、茶化したりすることなく、熱い少年漫画として仕上げてしまったのです。
これは・・・凄いです。

僕もたとえば「初恋芸人」を書く時には、いろんな気持ちがあって書いたんだけど、その中には今、世の中に出ている恋愛小説でも、恋愛映画や恋愛ドラマといった恋愛物を見ていて、納得いかない部分があって、そういった作品への怒り・・・まぁ怒りとはちょっと違うのかも知れないけどアンチテーゼとして書いた部分は正直ありました。

でも、そんな気持ちをここまで真っ直ぐストレートに書くことは僕には出来なかったなぁ。まぁ、ストレートにぶつけるのが必ずしも正しいわけじゃないし、正直「うしおととら」や「からくりサーカス」以上に作者の主張が直接的に表現されていることで、悪く言うと読みにくくなっている部分もあるとは思います。
僕も藤田先生の漫画は大好きだけど、藤田先生の主張(正義感)の全てに賛同することは出来ないし(それは個性ある別々の人間なんだから当たり前のことで)、剥き出しで主張が表現されるとちょっと引いてしまいそうになる部分も無いとは言いません。

まぁでもそれは、富野由悠季監督が説教モードに入っている時みたいなもので、それがちょっと作品を見難くさせてしまうのも事実なんだけど、それでも、そこを敢えてやってしまうという姿勢には胸躍らされるものがあるのも確かなんですよね。

大体、自分も含めて「自分で物語を作って世に出していきたい」なんて野望を持っている人は、自分の抱いているエンターティメント観に大なり小なりの信念のようなものは抱いているものだと思うし、藤田先生は「うしおととら」や「からくりサーカス」の時とはまた違う「新しい戦うべき物」を見つけたんだなって思います。

うん、月光条例は面白いです。
でも、欲を言えば著作権の問題もあるし、他にもいろんな問題があるから絶対に無理だろうけど、本当は月光条例を執行して欲しい作品は「おとぎ話」の中よりも、映画や漫画、小説の中にこそ、いっぱいあるような気もしますけどね。
「模倣犯」とか中盤までは凄い大好きだっただけに後半の展開を月光条例執行したいし、平成ライダーシリーズとかも月光条例を執行したい作品がいっぱいあるぞ(笑) 
ここまで藤田先生をリスペクトする内容を書いておいて何ですが、実は「からくりサーカス」のデウスエクスマキナ編も月光条例して欲しいと思っていたり(笑)(しかし、月光条例の設定って考えてみると、すごい同人誌向きの素材のような気がしてきた)
まぁ、他人様の作品を読んでいて「ここはこうして欲しかったー!」「何でこんな展開にしちゃうのよ!」と悔しく感じた気持ちを胸に、これからの月光条例を読むのが本当に楽しみです。

最初に言ったように僕は「フランダースの犬」という物語には特別深い思い入れはありません。

でも、月光条例が執行された「フランダースの犬」は名作だと思いました。

月光条例、お勧めです。