マラソン日記

浜野健の近況、中京学院大学女子陸上競技部試合結果等いろいろアップします。


テーマ:
午前練習
10:30〜
動きづくり+6000mペース走
200×3
今日は中学生と一緒にやりました。

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6:10スタート7キロ走
4:40〜4:30
3名参加。
だいぶ雨が強かった。
気象状況が悪条件でも何事もないように走りに意識を集中することができる選手が強い選手になる。
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これまでの陸上人生を振り返ってみて、

インカレでドベだった走り、

箱根駅伝での疲労骨折、

箱根駅伝でのブレーキ、

実業団駅伝でのブレーキ、

マラソンでの度々の棄権、凡走。

こうやって見てみると自分が成功したと思えるレースと同じくらい失敗のレースもあったなと思う。

これらはやっぱり思いがあったから失敗したと言えるのであって、思いがなかったらただ走ったで終わっていた。

そして、この失敗は成功以上に価値のあった失敗だと考えると、失敗ではなく、いい経験だったと思える。

成功の経験と同じくらい、失敗の経験も、人に勇気や共感を与えられるのではないかと思う。

そういう意味で走ること、挑戦することは素晴らしいと感じる。

 

競技者だったとき、競技の事だけしか考えてなかった自分は、まったく指導者になんかなれないだろうと思っていた。

そしたらある先輩が、「お前は指導者になるしかないだろう」っていうことを言われたことを思い出した。

競技者として、いろいろな「濃い」経験をできたことがよかった。

そしてそれを伝えて素晴らしい選手を育てることができる可能性が自分にはあることが、その言葉の意味だったのかなと思う。

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11月19日(日)
中山道東濃駅伝
1区7.7km浜野健26:57  32位(37人中)

女子の駅伝スタートの約2時間前、9:30に男子の中山道東濃駅伝のスタートがあった。

10月18日の岐阜県市町村駅伝でふくらはぎを痛め、治ったのが11月。
そこからジョグを始めてポイント練習は4キロ走4:30/1キロと坂ダッシュ300m×5と1000m1本(3:10)のみ。
この状態で出たのが無謀だった。
アップダウンの激しい中山道駅伝のコース。
4キロ過ぎでふくらはぎに激痛が走り失速。
15位あたりを狙えるかと思っていたが、どうにか完走の無念の区間32位であった。

しかし、やはり駅伝を走るということはエキサイティングである。
上りを頑張り、下りで休む、前のランナーに追いつき、リズムを整えて抜き去り、さらに前のランナーに追いつく。
そして体力を限界まで使い切って次の走者にタスキをわたす。

今回は20位あたりを走っていて、さあ、抜いていくぞと力を振り絞ろうとした時に、ふくらはぎに痛みが走り、失速してしまった失敗レースであった。だが、そのギリギリのところでの身体とのやりとりと、きっちり体を仕上げることの大事さを認識できたレースであった。

きちんと練習して、再度臨みたい。
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瑞浪陸友の皆さん、お疲れ様でした。

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自分がオリンピック代表を目指して挑んだ最後のマラソン。

その時に書いた記事が見つかったので載せておきます。
改めて読んでみると思いが甦ってきてヤバイっすね。

こういう経験をさせてくれたマラソンに感謝。

 

びわ湖マラソン


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日にちが経ちましたが、少し振り返ってみようと思いここに書きます。
最後のオリンピック挑戦、トヨタで走る最後のレース、びわ湖マラソンが終わりました。

タイムは2時間37分20秒  198位
15年間の完走したマラソンの中で、いやすべてのレースの中で最低の結果でした。

スタミナ切れで13キロから先頭集団から離れると、一気にペースダウン。体が動かなくなり足自体も細い棒になったような感覚になり、どうにか走りつづけるという厳しいレースでした。
後続のランナーに何十人も抜かれ、こんな無様な走りになってマラソンに挑戦した自分を情けなく思い、走ったことを後悔しました。
沿道からの声援も、頑張るに頑張れない自分にとってつらいだけした。
棄権するかタイムオーバーになるか、このつらい状態から一刻も早く抜け出したい思いで走っていました。
過去、このびわ湖で2時間9分台を2度出してマラソンの醍醐味を味わいました。その絶頂期から10年。
いい思い辛い思いのいろんな走りのレースがありましたがまだやれるという思いでやってきました。

今回は最後ということもあり何としても自分の力を出し切って終わりたいと思っていました。
しかし走ってみればレース半ばで心も体も消耗しきって、理想とは全く正反対で走っている自分がいました。
やめることもできず、ただ足を進めるだけの自分。もう後ろには数人のランナーしかいない。

しかし自分を責めながらも、走っているうちにつらいだけの気持ちがだんだんとそういうレースもありかなという気持ちに変わってきました。
情けない走りでもええやないか。タイムが悪くてもええやないか。これもマラソンやないか。
今の状態でできる走りをしようやないかと。
少しペースアップできました。

今度は沿道の応援もありがたく感じました。心の中でお礼をしながら走りました。
40キロ。もう先頭から30分近く遅れているのに雨の降る中応援し続けてくれる人がいる。
そしてトラックに入っても自分への声援が聞こえる。
ゴール。

走り切ってよかった。ゴールできてよかった。
最後の大会で力を出せなかった悔しさ、なさけなさはあります。
一方で得たものも大きいレースでした。ある意味この走りの幅?の広さが自分らしいレースだったかなと思います。
応援してくださった方、そして途中後ろにつかせてもらったランナーの方に感謝です。

これからも浜野健は頑張ります。

 

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11/19

中山道駅伝出場の為のトレーニング

 

朝練の合間の時間を使って坂道でのトレーニング

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いい感じの上り坂。

通学の中学生が、足取り重くつらそうに登っていたが、

その嫌われ者?の坂もこちらにとってはいいトレーニング。

 

足で地面をしっかりとらえて登っていくことで、いい負荷が足にかかる。

心肺機能も短い距離で高められる。

短い距離、短い時間で効率が良いトレーニングができるありがたい坂だなあと思いながら、

中学生を尻目に走ったのであった。


今度学生にもやらそう。


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女子陸上部を指導して5年目となる。

少しずつやれることを増やし、自分なりにできることをして、選手の意識を上げて、チームの力をつけたいと思ってやってきているが、一進一退でなかなか成果が上がらないところもあるが、そこはあきらめずやっていく。

 

今日の朝練前のミーティングでのやり取りでこんなことがあった。

 

自分の指導力不足の露呈など、いろいろ思われることがあるかもしれないが、いい悪いは別にして今の状態として書こうと思う。

 

中山道駅伝を控えて、この10日間で、朝練寝坊などをする選手が続いた。

駅伝前にこういうことが続いたので、一度集まって本当に出たいのかどうか、寝坊などしないためにも各自どうしたらいいか集まって話をしろと指示をしたが、話し合いはしていなかった。

 

無力感に襲われたが、気を取り直してその場で、各選手に今度の中山道駅伝に出たいのかどうか確認した。

各選手出たいと返事した。

 

出場したい気持ちはある。でもチームがまとまらない。

まとまるために話し合いをしてみろと指示をしたが話し合いをしていない。

時間が合わないなどいろいろ理由をつける。

 

結局そこまでの気持ちしかないのかと思った。

自分たちは何のために陸上をやっているのか。

 

1つひとつのレースは陸上をやってきた者にとって大切な思い出となる。

毎日眠い目をこすり、寒い日は布団から出たくない気持ちを奮い立たし、朝練に出る。

張りつめた緊張感の中でポイント練習に臨み、ペースを守るために気持ちを集中し、離れそうになるところを踏ん張り粘る。

そういう気持ちを経験し乗り越えて出る試合。

 

そこでいい結果が出れば最高の気分、いい結果が出なくても、そこまでそれを目指して自分がやってきたという思いがレース後には残る。

このレースは、こうだったよね。その時は自分がこんな走りでこういうことを考えて走っていた。悔しかったけどいい経験になった。頑張ってよかった。

 

そういうドラマが1つひとつのレースにはある。

駅伝はみんなの気持ちを一つにして臨む競技だけに余計にその思いが深まる。

ただ何となくレースに出ました。終わりました。結果が悪かったです。で終わっていいのか。

 

良かったレース、悪かったレース、それぞれの経験と思いが、陸上をやってきた者にとってかけがえのない財産になる。

だから思いをしっかりと込めてやっていこう。

という話をした。

 

各選手に届いたかどうかわからないが、

この出来事も自分にとってはいい経験だった。

 

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2004/2/8 2:22:40東京国際マラソン33

2009/3/22 2:21:50東京マラソン28

2010/3/7      2:23:46びわ湖毎日マラソン39

2011/3/6 --- びわ湖毎日マラソン DNF

2011/4/10 2:16:49大邱国際マラソン14

2011/12/4 2:30:58福岡国際マラソン91

2012/3/4       2:37:20びわ湖毎日マラソン198


マラソンで2回目のサブテンを出した次の年、東京マラソンに出場した。

今の都庁をスタートするコースではなく、国立競技場スタートゴールの時の大会。

この時は、練習はつめていたが、出場1週間ほど前から膝に急に痛みが出て、痛みがある中での出場になった。

先頭集団についてレースを進めていたが、給水でシューズを踏まれシューズが脱げて、

シューズを履いている間に10秒ほどロスしてしまい集団から離された。

追いつくためにだいぶ足を使ったことで、膝の痛みも出始め、徐々に遅れはじめてゴールは2時間22分かかってしまった。

 

そこからアキレス腱を痛めたのもあり、5年ほどマラソンを走るのを封印し、駅伝、トラックに注力した。

そして5年ぶりの大会に東京マラソンが新コースになり第1回目大会に出場した。

だが2時間21分の惨敗。


その次のびわ湖でも2時間23分。


その次の年は棄権。


海外(韓国)のマラソンも走らせてもらったが、もう過去のような記録を出すことはできなかった。

 

そして駅伝メンバーも外され、マラソン1本に集中させてもらったが、走れず。


最後に出たびわ湖は、後半まったく足に力が入らず、よぼよぼの爺さんになったかのような貧弱な走りだった。


駅伝トラックではある程度の成績は残したが、晩年のマラソンは結果を出すことができなかった。

そして15年の実業団生活に終止符をうった。

 

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最後のびわ湖マラソン
40キロ地点くらい。

 

 

 

 

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今日の設定

8キロ走430~ラスト1キロペースアップする。

7キロまでは、余裕をもって走り、ラスト1キロを切り替えてスピードアップして走る。

 

いつも朝の8キロ走は430400では安定して走れている。

 

今日のメンバーは4人+1(1人は7キロ)

1キロの通過が427

2キロの通過が4:30

3キロの通過が4: 33かかったことにより、先頭の者が少しペースアップした。

 

そのペースアップが思っていた以上に速く、後ろの3人が置いていかれる状態になった。

 

ペースを上げようと思って、先頭が思った以上にペースが上がってしまうことはよくある。

そこで後ろの者は急激なペースアップに対応することも対応力。

対応できないなら、追うのをやめて自分のペースを安定させるのも対応力。

 

先頭3キロから4キロが410(やや登り)、その後ろ2415、その後ろ420

先頭飛び出して1人、20m後ろに2人、その20m後ろに1人という状態。

 

先頭の者はペースを落とさない、落とせない。

 

23番手の者は先頭を追いかけずに2人で一緒にペースを合わせたいところ。

しかし2番手の者が3番手と合わせていく気配がなく、先頭に追い付こうとして追いつかない状態、

3番手も2番手に合わせたいが2番手が頑張って走っていてつけそうでつけない。

常に34m離れて走っている状態。

 

非常にもったいない。

 

今日の朝練はラスト1キロを上げるという練習。

それまでは余裕をもって7キロまで430以内でいかに走れるかというのが大事なところ。

そしてラストを切り替える、このギアチェンジの練習をさせたかった。

 

23番手の者は、7キロまで余裕を持って走るためにも2人でペースを合わせてほしかった。

ラスト1キロは先頭34223503357であったが、なんだかメリハリのない感じで終わってしまった。

 

最後尾4番手の者は意図してなのか430ペースあたりで走っていて、ラストを少しペースアップ(4分切くらい)して走りきったが、置いていかれたような気持ちになったのか、なんだか納得いかない様子があった。

そこはそこで割り切って自分の練習ができたんだと思ってほしい。

 

ただ集団について走りきるというのも大事だが、こういったペースが乱れた時も自分のペースを安定させる力や同じようなペースで行っているものと協力して走りやすくするという対応力を磨いていってほしい。

 

その対応力をつけることで心の余裕が生まれ、その心の余裕がスピード切り替えの力、トータルで走り切る力になり、

走ることの奥の深さ、楽しさを知ることにもつながる。

 

 

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2002/3/3   2:09:18 びわ湖毎日マラソン5

 

2002/12/1---         福岡国際マラソンDNF

 

2003/3/2   2:09:29 びわ湖毎日マラソン6

 

 

実業団5年目のびわ湖毎日マラソンで2時間9分台を出すことができた。

 

この時は合宿を故郷、和歌山県で行なった。

和歌山は1月から3月は比較的温暖なのと、和歌山というと「山!」という、強化合宿にはもってこいの地であった。

 

この合宿で走り込んだコースは1周10キロの非常〜にアップダウンの激しいコースだった。

 

スタートしていきなり2キロ登り、そして細かなアップダウンを繰り返し5キロ過ぎで壁のような登りが1キロ。そこを登りきると急降下の下り。

ジェットコースターのようなコースであった。

 

何人かで一緒に走ったのだが体調が良くなければ最初の2キロで置いていかれた。

そして1周ごとに体力が削り取られる。

このコースを4周、40キロを走りきった時は手応えはあった。そして45キロも一度走った。

 

この合宿の走り込みのおかげで2時間9分18秒が出せた。

 

最初は2時間11分あたりを目標にしていたのだが思いのほか足が動きサブテンを達成できた。

 

ついにマラソンで当時まだ日本人で何人も出せていなかった2時間9分台を出せたことで、自分の世界が変わった。ついにやれた。ランナーとして自信がついた瞬間だった。

 

次の年は福岡国際マラソンに今度は招待選手として出場させてもらった。

しかし、途中足に痛みが出てDNF。ニューイヤー駅伝もあったので無理をしなかったのだと思う。

 

そして、もう一度びわ湖毎日マラソンに出場。

再び和歌山のコースで走り込みをして臨んだ。

 

この時は世界選手権選考レース。

中大の藤原(現中大監督)が2時間8分で日本人1位。

 

中国電力の佐藤敦之(現京セラ監督)との日本人2位争いだったが、破れて6位でのゴール。2時間9分29秒。

二度目のサブテンではあったが、世界選手権の代表には届かなかった。

 

体力的にも精神的にも1番充実していた年齢だっただけに最後の詰めの甘さが出てしまい悔やんでしまったレースであった。

 

 

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