ほいみんの のんびり日記

人生は旅である。誰もが言っているつまらない言葉だけど
本当なんだからしょうがない。


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今年は、自分にとっては今までで
一番つらい年だったなあと思います。

 

ぴこちゃんを半年ちょっとの間、
出来る限りの手段と時間をすべて
費やして看病して、結局自分まで
倒れてしまい、ぴこちゃんにも
奇跡は起こらず。

 

今は自由な時間も治療に必要な
お金もありますが、それでもどう
しょうもないものはあるわけで。

 

看病する側に精神的にも肉体的にも

限界が見えてきた頃、ぴこちゃんは

まるでそれを察したかのように

天に還ってしまいました。

 

25年前、父親が死んだ年に、
家族が順繰りに仕事を休んで
24時間体制で看病した事を
思い出しました。

 

あの時は皆仕事が忙しく、
治療に使えるお金もなく、結局
近所の病院で何の手だても
できないまま対症療法だけで
最期を看取りました。

 

家族としては、たとえ有効な
治療法がなくても、もっと良い
病院に入院できれば何とかなった
のではないかと、その後も長い間
ずいぶん後悔していました。

 

今回、そんな昔の事をちょっと
思い出してしまったのですが、
今考えるとあれで良かったんだなと
思えるようになりました。

 

父親は、遠い病院で期待できも
しない奇跡を期待して無駄にあがく
より、ほんの短い間でも、家族が
いつもそばにいてくれて見守られ
ながら死んでゆきたいと、きっと
思っていたでしょう。

 

だとしたら、見送る側ができること
など何もなく、せめていつも傍に
いて、その時にできる限りの事を
してあげるしかない、その結果は
運命であって、受け入れるしか
ありません。

 

我が家のぴこちゃんはペットという
には余りも特別な存在だったので、
今も自分たちを納得させられない
毎日を過ごしてはいます。

 

病院の先生も気付いていなかった

事を半年以上も前から奥さんは

気付いていました。

 

でも何度それを伝えても、私も病院の

先生も検査を先延ばししてしまい、

やっと検査した時に「手遅れだ」と言われた

時の奥さんの無念は察するに余りあります。

 

看病でクタクタになってしまい、ぴこ

ちゃんの前で初めて喧嘩をしてしまった

その翌日に逝ってしまった事も、思い出す

たびに後悔の念で胸が詰まります。

 

それでも、常にそばにいてあげられた
事、自分達が最善だと思った事を
すべてやった結果は、ぴこちゃんに
とっても幸せな結果だったのだと、
そう信じるしかない、と心に言い
聞かせています。

 

我が家はまだしばらく静かなまま
だと思います。そろそろ前を向かないと
いけないかな、と思いながら新年を
迎えます。

 

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私の家は、今考えればとても貧乏だった。世の中の
どの層にあたるかはわからず、食い詰めるほどの
大変さを私が感じたことは無かったが、父親は若い
頃から病気で、私が中学に入った頃には飾り職の
仕事(指輪職人みたいなもの)を辞め、母親が
看護師をやったり、時に端金にしかならないような
内職もして生計を立てていた。


いつも喧嘩が絶えなかったが、その割には不思議と
家族の調和は取れていて、傍目にも仲の良い家族に
見えていたような気がする。

おそらく、私以外の家族が、お金に全く執着が
なかったというのが、仲が良かった理由かも
しれない。


父は自然と自由を愛する人間であったが、
自身の病気や(当時は全く思わなかったが)
お金の事情もあって)近所の川に釣りに行く
以外は外に出る事もあまりなかった。


父は、祖母の故郷であり、子供の頃や疎開で
過ごした新潟(燕)が大好きで、できれば
一生をここで暮らしたいと思っていたそうだ。


戦後、重症の結核になり、医者にもうダメだと
言われたとき、どうせ死ぬならと、東京から
新潟の寺泊にある療養所に移る事を希望し、
そこで過ごした話なども良く聞かされた。


いつか体調と時間とお金に余裕が出来たら、その
「第二の故郷」に連れて行ってあげようと思って
いたが、私が大学を卒業するころにはCOPDも酷く、
旅行に行けるような状況ではなかった。


私も、どういう所なのかとても興味があったので、
社会人になってから、父親に話を聞いて、旧家の
あった場所に行ったり、燕の家から、弥彦山まで
延々と歩いたり、その昔、父親が感じた何かが
わかるかもしれないと思って、数度訪ねた。


父親は22年前の今日亡くなったが、葬儀を
済ませた後、家族でお骨を持って新潟に旅立ち、
泣きながら父が大好きだった弥彦山に登った
のは、今も鮮明な記憶として残っている。


貧しい家庭ではあったが、上を見ない限りでは、
私は何不自由なく育った。今思えば、親は食べ
てもいないのに、自分だけ贅沢なものを食べて
いたりもした。


子供の時には全く気付かなかった親の苦労と
愛に気付いたのは、既に恩返しも出来なくなった
頃で、当時はまだお金もなく、満足な治療も
入院もさせてあげられず、苦しんで苦しんで、
苦しみぬいた上に死なせてしまった。


この時期になると、眼の色を変えて、金以外に
何も得るものがない世界で、これ以上必要か
どうかすら怪しいお金稼ぎをしている自分が
虚しくなって、昔を思い出してしまう。

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数日前に、沖縄に住んでいる義弟が亡くなった。


弟と言っても義理で少し年上なのだが、彼が病気
だという事を知らされてからわずか二カ月だった。


年末に我が家に遊びに来た時はなんでもなくて、
年明けの検査でもなんでもなくて、毎年の定期
検診も受けていた。


春先に、腰があまりに痛くなって検査をしたら
骨折していると言われ、普通はあり得ないので
すぐに精密検査をするように言われた時点で

既に手遅れの末期胃がんだったという。


おそらく、検診を密にしても、これほどの早さで
進行している事を考えるとダメだったのでは
ないかと言われるほどの早さだった。


2度お見舞いに行って、最後の手段で免疫細胞
療法を提案した。しかし、病気の進行があまりにも
早く、医者に許可を取って、クリニックに相談に
行って、ようやく治療開始にこぎつけるという
所で体調を崩し、結局治療はできなかった。


最期は、体調悪化の連絡を受けて親戚が駆け付け
ようとしている途上、疼痛緩和のモルヒネを
始めた所、静かに息を引き取ったという。


あまりにも突然の事で、心の整理もつかぬまま

逝ってしまったと聞いた。


数年前に、一つ年上の従妹も亡くなっている。
知らず知らずのうちに、自分もそういう歳に
なっている。


なんとなくいつまでもそれなりに元気でいられる、
そんな気がするのはおそらく妄想なのかもしれない。


悔いのない人生を送る、などというのは綺麗ごとで、
きっと人は皆、後悔をたくさん抱えて消えて
ゆくのだろう。


物静かで、あまりしゃべらない人だった。


現実とも思い難い、あっという間の出来事だった。
暑い夏の、儚い一瞬の出来事だった。


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