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第十一項、手術

2007年12月29日(土) 15時45分57秒 Theme: 腰痛との闘い

ぶゎ~

整形外科一応終わった。ちょっと時間かかり過ぎ・・・↓↓


整形外科ってことで、また久しぶりにこのテーマいきます。




ここまでの経過はこちら→テーマ 「腰痛との闘い」




2004年5月(21歳)


大学病院での手術は、5月18日火曜日の午後に決まりました。


その前の週の金曜夜から入院、日曜には福岡から両親と姉が来て、

主治医の先生から手術の説明を受けました。


実はちょうどその週末の土曜日が野球部の新入生歓迎コンパ(焼肉)で、

それに参加できなかったのが悔しく、外出許可をもらって焼肉を食べに行きました。

学生だけでは滅多に行けない高級焼肉です。

ここぞとばかりに、親の金でがっつりいただきました。


そして、病院にはもちろん秘密ですが、ビールを一杯だけ、父と一緒に飲みました。

(秘密ってなると、これがまたさらに旨いんですよねー。笑)




18日、いよいよ手術の日を迎えました。

ここまでくると、意外と本人は落ち着いていた気がします。


午前中から注射などをいろいろやって、

台車に乗せられて病室から手術室まで運ばれました。


手術室に入り、麻酔の前投薬が効いてきたのでしょう、だんだんと視界がぼやけていました。

主治医の先生が、天井を向いていた僕の視界に入ってきたので、

「お願いします」 と言ったところまでは記憶があります。



意識が戻った時には、すでに病室のベッドの上でした。




第十二項に続く







さて、ここまでの話は、手術を受けた年(大学3年)の冬くらいまでに書いて、

そのままパソコンの中に保存していたものです。

そして実は、そのストックはこのエピソードまでで止まってしまっています・・・


なので、これ以降の話は、時間のある時に、すなわち国試後になると思いますが、

思い出してまた書いていこうと思います。

(当時ブログやってたら、リアルタイムでもっとありのままの本音を書けたんだけどな・・。)


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第十項、光射す

2007年10月29日(月) 20時19分33秒 Theme: 腰痛との闘い

これまでの経過はこちら→テーマ 「腰痛との闘い」





2004年4~5月(21歳)


大学病院(整形外科・麻酔科ペインクリニック)で治療を続けている間も、

それまで治療を受けていた診療所の I 先生にはメールで相談させてもらっていました。

正直なところ、大学病院での治療に対しては、これでいいんだろうかという不安が常にありましたが、

I 先生に相談して確認してもらうと、実際にやることは変わらないのに、

これでいいんだと安心できていました。



しかし、前回書いた通りペインクリニックでの治療でも先が見えなくなり、途方に暮れる中、

またその診療所に相談しに行きました。


大学病院で撮影したMRI の画像を持参し、状況を説明しました。

画像と僕のその時の状態を診てくれた I 先生は、

これは手術をした方がいい、手術をしても野球への復帰は可能だと言ってくれました。


大学病院では(または一般的には)、

手術をしたら100%までには回復しないかもしれない、と言われていましたし、

僕もそう認識していたので、それまでは選択肢として手術は考えていませんでしたが、

I 先生がそう言ってくれるのであればと、僕はすぐに手術を受ける決心がつきました。


先生は、大学病院で手術を受けられるように手配してくださり、

翌週、その旨を伝えに大学病院整形外科に行くことになりました。



帰り道、体の痛みは変わらなくても、それまで荒みきっていた僕の心は本当に軽くなりました。

真っ暗闇だった先行きに、明るい光が射したようでした。


医師と患者との間の信頼関係の重要さを、身をもって感じたエピソードでした。



2004年、5月1日のことでした。




第十一項に続く




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第九項、苦悩の日々

2007年04月02日(月) 14時05分26秒 Theme: 腰痛との闘い

第八項はこちら




2004年4月(21歳)


麻酔科ペインクリニックに外来通院し、硬膜外ブロックという注射を何回かやりました。

脊髄を取り囲んでいる一番外側の膜を硬膜といい、その硬膜と黄色靱帯との隙間を硬膜外腔といいます。

この硬膜外腔に、局所麻酔薬や抗炎症薬を注入するのが、硬膜外ブロックです。


前回の神経根ブロック程の劇的な回復はありませんが、注射直後は多少痛みは和らぎます。

ですが、麻酔が切れるとまた痛みは戻り始め、あっという間に元の状態と変わらなくなります。

一進一退の繰り返しでした。



この頃には、痛み止めの内服薬が手放せなくなっていました。


朝起きて飲んで、昼前後に切れ始めると飲んで、夕方飲んで、夜寝る前に飲んで…

といっても、飲まないよりはまし、という程度で、不快な痛みは消えることなく絶えず僕を苦しめます。

立った状態が少し続いたり、少し歩いたり、前屈みの状態になったりすると、

激痛とともに、怒りにも似たやり場のない感情が襲ってきます。

過去を誇張して言うわけではなく、本当にこの時期は心が休まる時間というものがなかった気がします。




消えない痛みと、先の見えない治療に、僕の心は荒んでいきました。


野球はもちろんのこと、普通に歩くことも、座って講義を聴くことも、日常の中の全てがまともにできません。

靴下を履くのも、ズボンを履くのも一苦労。

風呂に入って湯船に浸かるのも、体を洗うのも、バスタオルで足の方を拭くのも一苦労。


くしゃみをしようものなら、おそらく腹圧がかかるからでしょう、腰に一瞬の電撃痛が走ります。

この頃、くしゃみが出そうに感じるあの感覚が来るのは、恐怖でした。

さらに、汚い話ですが、大きい方の用を足す時も、腹圧がかかるため、なかなかうまく “息む” ことができません。


左側を下にして横になり、膝を軽く曲げる、これだけが唯一楽だと言える姿勢でした。

ですから、家にいる時間はその格好でテレビを見ているしかありません。



もう全てを投げ出したくなりそうでした。



そんなある日の夜、当時は滅多に飲むことのなかった一人酒を飲みました。

(今でこそよく飲んでますが、この頃はまだ進んで酒を飲むことはほとんどなかったのです。)


本棚にある野球関係の雑誌ばかりが、なぜかやたらと目に入ってきます。

しかもこの日の夜に限って、プロ野球2軍の試合が深夜放送されていました。


野球のできない辛さに付け込まれているようで、涙が溢れてきました。


二十歳も過ぎ、かつての同級生の多くは野球を辞めてしまっている中で、

自分はここまで続けて来られただけでも幸せだったのかもな・・・・

そう思い込もうともしましたが、そんなこと、簡単に割り切れるはずはありません。




さて、今日から臨床実習再開。今週から回るのは整形外科。臨床実習も、もう最後の診療科です。

このエピソードでは、もうすぐこの整形外科にお世話になることになるのですが、それはまた、先の話・・・



第十項に続く


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第八項、神経根ブロック

2007年03月23日(金) 17時37分56秒 Theme: 腰痛との闘い

第七項はこちら




2004年4月


MRIの結果、椎間板ヘルニアとの診断を受けて、大学病院整形外科で神経根ブロックという注射をしました。

これは、注射針を神経根に直接当てて、そこに局所麻酔薬や抗炎症薬を注射するというものです。

つまり、針を一度体内に入れた後、透視下で(X線画像を見ながら)神経根を探していくのです。

採血や静脈注射と違い、体の中で針先を動かすのですから、普通の注射でさえ嫌いな痛がりの僕にとって、

それだけでとんでもない苦痛です。


さらに、“神経根に直接当てる” のがどういうことかと言うと、

痛みや触った感覚を感じ取る役割を果たしている神経繊維に、細く鋭い注射針を直接当てるわけですから・・・

分かりますか??イメージしてみてください・・・(笑)


まるで、その神経の支配領域(つまりこの時の僕の場合だと右臀部から大腿・下腿部まで)に

ビリビリッ!!と電気が走るような、まさに電激痛です。


まして、その痛みを避けるようにするのではなく、この痛みが出る所、というのが、

この注射の目標、つまり “神経根に当たっている” ことになるわけですから。


レントゲン室の台の上、下半身丸裸でうつ伏せになった格好で、

痛みと緊張でお尻を汗だくにしながら、僕は痛みに耐えました。



その注射直後、痛みは劇的に改善しました。



痛い注射に耐えた甲斐があった…

長く苦しめられたこの痛みからやっと解放される…

この上ない安堵感。心からほっとしました。感激しました。



しかし…、

病院から家に帰る頃には痛みが戻り始め、翌日には注射前と何ら変わらない状態に戻っていました。

希望のすぐ後に訪れた、失望。


手術は可能な限り避けたかったので、

今度は大学病院麻酔科ペインクリニックで保存的治療を行っていくことになりました。



第九項に続く


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第七項、椎間板ヘルニア

2007年03月11日(日) 13時57分10秒 Theme: 腰痛との闘い

第六項はこちら




2004年4月



AKA治療、および仙腸関節知覚枝ブロックに反応しないことから、発症(2003年3月)の時と異なり、

仙腸関節の機能異常以外に原因があるのではないかという先生の判断で、大学病院でMRI を撮りました。


結果、第4腰椎と第5腰椎の間にある椎間板(椎間軟骨)の右側にヘルニア像が見られました。

椎間板ヘルニアです。

また、第5腰神経根分岐部周辺に、浮腫が確認されました。

つまり、飛び出した椎間板が神経根を刺激して、その部位に炎症を起こしていたために、

その神経の分布域である右臀部、大腿後部に痛みが発生していたわけです。



「椎間板ヘルニア」、よく聞く病名です。

でも実は、ヘルニアが存在することが必ずしも腰痛の原因だと言えるわけではないそうです。

逆に言うと、ヘルニアがあっても腰痛のない人も実際にいるわけです。

なので、画像診断だけで腰痛の原因をヘルニアに求めることはとても難しいと言えます。

ヘルニアのように、器質的な問題で痛みが起こる場合と、

関節の機能的な問題で痛みが起こる場合があるわけですが、

一般的にはこの関節の機能的な問題というのがまだあまり知られていないので、

他にもっともらしい理由が見当たらず、仕方なく「椎間板ヘルニア」といった病名がつけられているという場合が

少なくないようです。

本当は痛みの原因は他にある場合でさえ、です。


関節の機能的な問題を治療する手法がAKAであり、AKA治療に反応すれば、

関節原性の痛みであると判断できます。

反応しなければ、他に原因があることが推測されます。


僕の場合、最初の腰痛はAKAに反応し、快方に向かっていたため、仙腸関節原性の痛みだったと言えます。

そして再発時は、AKAにも仙腸関節知覚枝ブロックにも反応しなかったので、他に原因があると考えられ、

MRI等の検査をするに至りました。

結果、その推測の通りヘルニア像およびその周辺の浮腫(炎症)が認められたため、

痛みの原因が椎間板ヘルニアにあると判断できたわけです。



第八項に続く



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第六項、消えない違和感

2007年01月21日(日) 10時52分35秒 Theme: 腰痛との闘い

第五項はこちら




2004年1~3月(21歳)



痛みが起きた経緯(第五項参照)を説明し、再びAKA治療を受けました。


結果、仙腸間接に炎症が生じているという診断でした。

やはり、ストレッチ中に行った前屈の際に大きな力が急激に加わったことが原因だったようです。


AKA治療で、多少楽になったかな、という気になった程度でした。

運動についてはストップはかからなかったので、様子を見ながら練習は続けていました。


それからしばらくは、練習後には毎回違和感が残り、時には軽く~激しく痛む、

そんな状態がふた月ほど続いたと思います。


そして3月、学校は春休みに入り、野球部では集中練習が始まりました。

この頃の痛みは、腰というよりも、右足付け根の後ろ側、その深い部分、

つまりお尻のあたりにあるような、そんな痛みでした。

動いている間はそれほど痛みを感じることはなかったので、また、

シーズン開幕前の大事な時期だったということで、少々の無理は仕方ないと思い、

運動量を減らすことなく練習していました。


前の時と同じように、ごまかしながらどうにかなるだろうと思っていました。



時が経つにつれて、そんな希望も徐々に崩れていきました。



痛みを感じる部位は右足付け根から右太もものあたりまで広がっていき、

歩くだけでも右足を引きずるようになり、ついに練習を中止せざるを得なくなりました。


そんな状況になり、再び治療を受けに行きました。

車の乗り降りや運転、歩行も、待合室で座って待つのも一苦労、といった状態でした。


この日は、仙腸関節知覚枝ブロックという注射をしました。

腰(実際にはお尻のあたりですが)に注射をするのは初めてで、

それだけ今のこの痛みがひどいのだということを改めて認識するとともに、

とにかく、これでいくらかは痛みが和らぐのでは、という期待と安堵感もありました。


しかし・・・

そんな期待も空しく、その注射も好転の兆しとはなりませんでした。




第七項に続く

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第五項、予感

2007年01月05日(金) 14時50分47秒 Theme: 腰痛との闘い
3年前の、この日でした。
その同じグラウンドで、今日もランニングをしてきました。



2004年1月(21歳)

腰痛を初めて経験し、そしてそれを克服した一年が終わり、新しい年を迎えました。
毎年正月2日に行われる、母校野球部のOB戦でも、前年に続きマウンドに上がりました。
オフの間のトレーニングも含め、心身ともに、本当に充実していました。
僕自身、この年の自分に期待していました。


その矢先・・・ 1月5日のことでした。

福岡に帰省中で、実家近くの公園のグラウンドでランニングをしていました。
そのランニングの合間、いつもと同じようにストレッチを始めました。
何も特別なことはなく、いつもやっているのと何ら違わずに。

地面に座り、足を伸ばして体をぐっと前に倒した時、腰に違和感を覚えました。

“違和感” という言葉はちょっと分かりにくいと思いますが、
はっきりと “痛い” というのともまた違う、妙な感じだったのです。
ただ、明らかに、前の腰痛とは異なる種類の痛みでした。
その後もランニングを続けようと試みましたが、この違和感が消えません。
やむを得ずランニングはそこで打ち切り、歩いて家まで帰りました。

その時の僕は、けっこう動揺していました。
克服したと信じきっていたのに・・・・
「再発・・・?」
そんな悪夢が頭をよぎりました。

家に帰り、湿布を貼るなどしましたが、改善されません。

福岡から一人暮らしのアパートに帰ってすぐ、再び診療所に予約を入れ、
状態を診てもらいに行きました。



第六項に続く

 
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第四項、快方へ

2006年12月12日(火) 21時42分36秒 Theme: 腰痛との闘い

久しぶりに、「腰痛の闘い」 のテーマで。

前回アップしたのは4月。

パソコンの中に保存している文章を構成し直すだけなのにな・・・

まぁぼちぼちいきましょう。


感想などいただけたら大変参考になります!


ここまでのお話はこちらから↓

第一項、発症

第二項、治療法は・・・?

第三項、初AKA治療


=====



2003年8月~12月(21歳)



夏休みに入り、8月の終わりに3回目のAKA(エー・ケー・エー)治療を受けました。


この時も1、2回目と変わらず、特別なことは感じませんでした。

ただこの頃には、6~7月の最悪な状態よりはわずかながらも良くなっているかな、

という風には感じていたと思います。


夏のオフが空け、9月中頃から再び練習が始まりました。

腰の痛みは時を追って和らいでいき、順調に練習していました。



また、腹筋を鍛えた方がいいと本で読み、集中的に鍛え始めました。

暇を見ては、腹筋、腹筋。ふんふんふんふん。

それが功を奏したのでしょうか?

あるいは、治っていった時期とたまたま一致しただけなのかもしれません。

確かなことはわかりません。



とにかく、この頃は本当に快調で、腰痛はもう克服したと思っていました。

8月の3回目以来、治療にも行っていませんでした。

治療がもう必要ないと思うくらい、よくなっていたのです。


秋の練習、練習試合、12月のオフに入ってからの自主トレと、

不甲斐無かった2年目のシーズンの悔しさを晴らすべく、

「3年目こそは真のエースに」 という、それまで以上に強い気持ちで臨んでいました。




第五項に続く




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第三項、初AKA治療

2006年04月18日(火) 22時39分28秒 Theme: 腰痛との闘い

第一項、発症

第二項、治療法は…?




2003年6~8月(21歳)



後輩が教えてくれた県内の診療所へは、車で50分ほどです。



2003年6月、初めてその診療所へ行きました。

その頃(2年前期)は朝イチの講義から午後の実習まで、時間割に空きはなかったので、

どうにか代返の効く午前の講義をサボって行けるよう、予約を入れました。


一回の治療で三千円ほどかかると聞き、少々ためらいはしましたが、

それで治るのなら安いもの。

そんな気持ちで、初めてのAKA治療を迎えました。



正直なところ、最初の頃の治療について詳しいことはあまりよく憶えていません。

ただ、仙腸関節に問題がある、ということを言われたことは認識していました。


全体として、世間的に挙げられている腰痛治療と呼ばれるものとは全く違う雰囲気を

感じたことは、なんとなく記憶しています。



1回目の治療では、劇的な変化はありませんでした。

その段階では僕もそこまでは期待してなかったので、なんとなく、あぁこんなものなのか、と。


とにかく、後輩の結果を信じてしばらく通ってみることにしました。


この治療は2~4週間おきくらいで受けるものらしく、

僕は大学の時間割の都合で7月終わりに2回目の予約を取り、治療を受けました。


この間、野球の練習については、先生からストップはかかりませんでしたが、

僕自身が体と相談して、メニューを決めていました。



そして、8月初めには年間で一番大きな公式大会に臨みましたが…

初戦でコールド負け。 惨敗でした。


明らかな練習不足。準備不足。

腰の状態そのものというより、それによる精神的な問題だったと思います。


腰の痛みのため、学校のハードなカリキュラムのため、

野球に対して気持ちが切れてしまっていました。

反省。


ここからひと月ほど、部活はオフに入りました。

夏休みです。




第四項に続く




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第二項、治療法は…?

2006年02月24日(金) 22時26分26秒 Theme: 腰痛との闘い

第一項、発症 から続く



2003年4~5月(20歳)



ごまかしながら練習を続けるのと同時に、僕は治療法を模索していました。

整骨院にも通いました。マッサージも試しました。


ですが、一時的に少し楽になる気がするだけで、それの繰り返し。

完治に向かうようには思えませんでした。


野球部のOBの先生のご紹介で、大学病院にも行きました。

が…

X線撮影で骨に異常はないということを言われただけで、消炎鎮痛剤と湿布薬の処方のみ。

全く目処は立ちませんでした。


総合受付、整形外科の受付、レントゲン、再び整形外科、待ち時間、長かったなぁ…



そうして途方に暮れる中、高校時代、腰痛で苦しんでいた野球部の後輩がいたのを思い出し、

すがる思いで彼に電話してみました。


その彼が高校時代に腰痛を克服したのは、AKA(エー・ケー・エー)という耳慣れない治療法でした。

数回の治療で治ったとのこと。


しかも、彼がその治療を受けたのは、今(当時も)僕が住んでいる県内の診療所。

そう遠くないところに住んでいる僕にとっては、この上ないチャンスに思えました。


彼が福岡から結構な遠い距離を治療のために通っていたことに驚きましたし、

そのことが、その治療に対する僕の期待をより大きいものにしました。




第三項に続く


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