星野源と大阪芸大と故・小川国夫のことなど | 作家・土居豊の批評 その他の文章

星野源と大阪芸大と故・小川国夫のことなど

星野源と大阪芸大と故・小川国夫のことなど


バラエティをみてたら、星野源の特集をしていて、彼が大阪芸大落ちてバンドやってた、とのことだった。それで一気に彼に親近感を抱いた。
なにしろ大阪芸大は昔から、関西在住の「将来ビッグになりたい少年たち」の最後の砦だった。かくいう私も、何かとてつもない夢を見ながら大阪芸大に入り、地の果てのキャンパスに通ったのだ。
(当時の教授は、自分の勤める大阪芸大を「文化果つる地」と呼んでいたものだ)
そんな大阪芸大も、いまや入試で学生を落とすようになったのか。えらくなったものだ。

ところで、
星野源さんとは関係ない話だが、私が某進学校から当時偏差値不明落ちこぼれ大学だった大芸に行ったのは、小松左京が教授だったからだ。大学受験に集中できず、進路を迷っていたとき、たまたま大芸のパンフレットをみて、敬愛する小松左京が教授にいることを知った。もし大学で何一つ有益なことが学べなくとも、小松左京の講義を直接受けられるなら無駄ではない、と思った。ひたすら、小松左京の教えを受けたかったがために、当時、ほとんどフリーパスで入れた大芸に入った。
だが、いざ入ってみたら、なんと、小松左京教授は、前年で退任していたのだ。これは私にとって、人生最大の肩透かしだった。
以後の、大芸での学生生活については、語ることは特にない。
(いまだからいうが、大学の入学案内に、退任予定の教授名を載せておくのはフェアではないと思うぞ、大芸)

だが、人生、捨てたものではない。
大阪芸大に行ったおかげで、作家の小川国夫さんとご縁が出来たのだ。もし、そうでなかったら、今の自分はない。
ちなみに、大阪芸大で小川国夫さんの授業を受けたわけではない。小川さんが大阪芸大の教授になったのは、私の卒業後なのだ。これまた、すれ違いだった。
ところが、後年、偶然、母校に遊びに行ったとき、たまたま小川国夫さんの出講日だった。初対面の私にも分け隔てなく接してくださって、先生方の後ろにひっついて飲みについて行った。
あの時、たまたま芸大に遊びに行かなかったら、小川国夫さんとの接点などあるはずもなかった。飲みの席で、小川さんの語る話に最後まで食いつき、終電の終わった天王寺で始発を待った。
あの夜、人生は変わったのだと思う。
以来、勝手に作家・小川国夫の追っかけになり、最後の弟子の一人と自称した。
小川さんは、偉大な作家でありながら威張ったところが全くなく、私のことも大らかに受け入れてくださった。弟子を自称していても、黙認してくださり、それどころか、私の小説を読んであれこれ感想をいただいた。私のことを同道者、と呼んでくださったときは、あまりに畏れおおくて気が遠くなった。
作家・小川国夫と出会っていなければ、今の自分はない。それは確かだ。
しかし、ひそかに自負していることがある。自分は小川国夫さんに引き立てられてデビューしたのではない、という一点だ。
小川さんはもちろん大手出版社に顔が効いただろう。だが私がデビューしたのは、関西の某同人誌の賞をいただいたからだ。更に持ち込みで刊行した。
一時、某有名文芸誌に書いたことがあるのも、そこの編集長だった人が私の本を読んで、仕事を依頼してくれたからだ。そこの新人賞でいいとこまでいったのも、小川さんとは関係ない。
小川さんから学んだのは、もの書きとしての心の持ちよう、生きる姿勢のようなことだ。
あと、お酒の飲み方。
小川国夫さんの長酒に幾夜もお付き合いしたおかげで悪酔いを防ぐ方法を学んだ。ひたすらゆっくり飲むのだ。つまみを必ずとってただゆっくり飲むだけで、悪酔いは避けられるようになった。

 

※2005年、拙著『トリオ・ソナタ』刊行記念パーティ席上で、小川国夫と筆者

 

 

土居豊 作 音楽小説『トリオソナタ』(AmazonPOD版 グッドタイム出版刊)


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