中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ

久しぶりに金融日記に面白いエントリーが登場だ。
元ネタになった松本徹三氏のブログには私もちょっと違和感を覚えた。

教育の改革は火急の問題 - 松本徹三

確かに金融日記に書いてあるとおり、日本の中学受験のレベルは異様に高い。経験者の私が言うんだから間違いない。ま、私は東京の有名進学塾じゃなくて福岡の全教研っていうローカル進学塾の生徒だったけど、小学校4年からずっとトップのクラスに在籍してた。そうなると選択肢は私の母校だった久留米大学附設中学か、ラサール中学くらいしかない。

一部灘中学校とか受ける生徒が居なくもなかったが、開成とか武蔵は遥かかなたの中学という認識でどれくらいのレベルの中学かも知らないくらい情報に乏しかった。で、ラサールと附設はなんと受験日が同じなのだ。仕方ないから自宅から通える附設を選んだが、算数とか二次方程式とか使わずに解かないといけないから、結構面倒くさいんだ。

ともかく、あの塾に行っていたからこそ今の自分があると思う。小学校3年生の時にその情報をくれた担任の先生には今でも感謝している。あのまま地元の小学校に居たらつまらなかったと思うし学力のレベルも上がらなかっただろう。なんせテストではいつも100点ばかりだし5分くらいで終わることが多かった。だから授業はいつも退屈だったし、先生は確かにたまに間違った事を教えていることがあったりした。

その時にレベルの高い受験を経験したからこそ、実質半年程度の勉強で東大に現役合格できたのかもしれない。あの時のトップクラスにいたという自信がモノを言っているのかもしれない。しかし、日本には飛び級制度が無い。だから中高6年間ほとんど遊びほうけていた。今みたいにインターネットが普及していれば別だが、田舎の知識欲旺盛な少年には全く満足できない環境だったように思う。

野球やサッカーが上手い少年には、スポーツ推薦で有名校に行ってそれに明け暮れ甲子園や高校サッカーからプロデビューできる道が用意されている。学力の高い学生だって飛び級やらいきなりビジネスを始められるようなパスがあっても良いように思える。

それぞれ能力の適性は違うわけだし、どこかの分野で突出した才能を持つものを掬い上げ、その才能を育てることのできる有能な指導者の下で悠々と育てられる環境の整備が急務なのではないか?一部スポーツ界などではその仕組みは機能しているように思えるが、他の分野ではまだまだだ。

と、なんか退屈な地元の小学校を抜け出して進学塾に通っていた頃が楽しかったことを思い出した。

なぜ、ウチの子だけ合格するのか?―中学受験「かしこい塾の使い方」
西村 則康
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