教科研講座第5巻に安達智則氏(自治体問題研究所)が、「『地域基盤社会』への転換と学校」という論文を書いている。

 

 ぼくの中心的・個人的関心は、子どもと教師、授業等についてだが、今回の論文を読んで考えさせられることが多かった。

 歴代日本政府による経済政策や資本の論理の徹底によって、日本各地の地域が切り捨てられるなかで、3・11が重なり、学校が統廃合されていく様子が、戦後の歴史にもふれながら詳しく描きだされている。


 ぼくの関心にふれたことをいくつか記しておきたい。


① 「65歳以上の高齢化率が50%を超えて、社会的共同の維持が困難な集落のことを」限界集落とよぶのだが、そのまま放置されると「消滅集落になる」。

 この「限界集落」という言葉は、大野晃が「過疎という用語では…衰退の深刻さをとらえることができない」ので、意図的に用いたことが記されている。

 そして以下の文章につながっていく。


≪この限界集落は、学校が統廃合されてしまっている地域が圧倒的である。

 地域から学校がなくなると、未来の希望がひとつはぎ取られてしまう…≫


 この関係からいうと、今回の被災後の学校の再建が、子どもの学習権保障のためには勿論だが、「学校は地域社会のコアになっているため、地域社会の再建と学校の再建はペアになっている」。

 その学校が防災拠点にもなっているわけで、「生命の避難所、臨時生活の場、住民相互が励まし合いながら生きていく希望を創り出す場になる。」


②学校のもつ雇用力について

 1970年代に正規雇用化されはじめた、学校の様々な職種の人たちが、80年以降の行革や給食民営化路線などによって次々に削られていった。


 学校が持つ地域の中の大切な役割に目を向ける時、子どもを支え、また、災害時の防災拠点と考えるなら、統廃合をやめて正規雇用の人間をここに位置すべきだと彼は述べる。

 実際、地方自治体が次々と合併を進めてきたが、その結果、今回の地震や原発災害に対し、その地域を深く知り、そこに暮らす住民によりそうような的確な判断を下す自治体の職員は、いなかったという。(別の論文から)


 これと同じ問題が学校にも起きていたと考えるべきなのだと思った。

 もしも、自校方式の給食が保障され、調理員さんたちも正規に雇用されているなら、避難時のたきだしなども可能なのだ。本当に地域の大きな防災拠点になる。

 また、用務主事さん、警備員さん、事務主事さん、カウンセラー他の人員配置の意義は災害だけでなく、雇用とその地域の文化や子どもと教育のための大きな役割を果たすだろう。


③地域産業と結びついた木造仮設住宅

 巨大な復興のために用意された予算が大企業のもうけにながれていったとき、地域の雇用や産業は復活しない。

 地域のなかのくらしと生活の復興に予算がつかわれ、雇用もまたそこで生まれるような「循環型」こそ必要だという視点は、講座第4巻をはじめ第5巻の各所で語られている。


 「岩手県住田町の仮設住宅は、木でできている」という。「木造の仮設住宅は、仮の宿ではなく、このまま住み続けることができる造りと風格を備えていた」という。しかも「プレハブとは違い、1軒1軒が独立し」ているのだ。

 安達は指摘する。

 「この住田町は、地場産業として林業を抱えているので、その林業を復興に利用している。復興事業と地域経済を結びつけた好例である」と。


 地域再生のあり方や学校が地域に存在する意味について、改めて考えさせられた。