スーツ | SF好きのアートナビゲーターが書く短編小説

スーツ

 

「ありがとう」美智子は、黒い就活用のスーツを大事そうに抱き締めて、そう、つぶやいた、ぴったりと合ったスーツ姿と、そう大きくないスラッとした体型が姿見に写った時、「お母さんに似てきたな」美智子は思った。スーツの襟のタグには、近くの古着屋の店のマークと8000円の値札が付いていた。でも、美智子には、お母さんから、送られたそのスーツは、どんな綺麗なドレスより、素晴らしく、価値のあるものに思えた。

 昨日の夕方、大学の授業を終えて、疲れ果て四畳半のアパートに帰ってきた美智子がベッドに倒れこんだ時に、ドアのベルが鳴った。宅急便だった。
「お届けものです、記念日宅急便です。」

 配達人が手渡したのは、段ボールに入った黒いスーツだった。美智子は驚いた。「どうして送られてきたの?」
母親のパートの給料では、スーツは高価すぎて、「買ってもらえないだろうな」と思っていたし、自分では買えそうもないと思っていたのだった。
 

 だから、今日、就活の初日に姿見に写る自分のスーツ姿が、どんな高価なドレスを纏った自分より、美しく思え、また、お母さんの面影が重なったのだった。

 「頑張るよ、お母さん」美智子は、ピンと背筋を伸ばし、前髪を整えた。アパートのドアを開けた。高台から駅へ向かう道は一直線で、空には雲ひとつない青い空が広がっていた。美智子はもう一度、空の向こうのお母さんに届くように「ありがとう」と大きな声で叫んで、会社の面談に遅れないよう元気に駅に向かって走り出した。

・・・美智子は、ポケットに入った、記念日宅急便に添えられた「見ることのできないあなたの記念日にスーツを送ります」と書かれた母親の手紙と形見のK18の指輪を握りしめていた・・・