★ 逆境 ★

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人生って、逆境の連続です
でも負けていられません
未来に向かって一歩踏み出しましょう

『「逆境」から「逆転」ははじまる』 ...


始まるのを待ってはいけない

自分からすすんでやるからこそ
何かが起こるのだ


今、そこで足を止めてはいけない

これでもか
これでもかと頑張って
一歩踏み込んで
それでも粘って
もうひと頑張りして

それで駄目だと思っても
もう一歩
ズカッと踏み込んで
そうしていると突き抜けるんだ


どんなに頑張ってきた
過去があっても、
そこに一切執着しないこと

だって「過去」は
「過」ぎ「去」ったものですから


上手くいかないことがあるというのは
何かに挑戦しているから


たくさん悔しい思いもするだろう
悔しくて
またやり直して
成し遂げて

そうやって一歩一歩成長する


今日の悔し涙は、未来の嬉し涙

今、できることは
どんどんチャレンジしよう

「逆境」から「逆転」ははじまる

 

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愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という
知的障碍者のための通所施設があります。
ここを自費で運営し、
ハンディのある人たちの...
人生の花を開かせている塩見志満子さん。
そんな塩見さんの人生は、
まさに試練に次ぐ試練の連続でした。
壮絶かつ感動的な人生体験、
そこから掴まれた信条を学ぼうと、
いま全国各地から
講演の依頼が舞い込んでいます。
塩見さんが語った
「降りかかる逆境と試練が
私の人生の花を咲かせた」とは──。
──そこから学かんの立ち上げまでは
どのように進むのですか。
一つのきっかけとなったのは
私が38歳の時に、
小学2年生の長男を
白血病で失ったことです。
白血病というのは
大変な痛みが伴うんですよ。
「痛い、痛い」と叫ぶと
脊髄から髄液を抜く。
そうすると痛みが少し和らぐ。
それを繰り返すわけですよ。
ある時、
長男はあまりの痛さに耐えかねて、
そんなこと言う子じゃないんですが
「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と
大声で叫んだんです。
主治医の先生は
30代のとても立派な方で
「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と
手を震わせておられた。
長男はその2か月半後に
亡くなりました。
49日が済んだ後、主人と2人、
お世話をかけたその主治医の先生に
御礼を言うために病院に行きました。
ところが、いらっしゃらないんです。
聞いてみたら、長男が死んだ後、
「僕は小児がんの研究をするために
アメリカに渡る」と
すぐにその病院を辞められたと。
私たちは「ボロ医者」と
いう長男の一言が、
この先生をいたく
傷つけたかもしれないと思うと
申し訳なさでいっぱいでした。
後で知ったのには、
その先生は10年間
アメリカで小児がんの研究をした後、
小児がんの権威となり
日本の国立小児病院に
帰ってこられたそうです。
いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね。
──そうでしたか。
長男が小学2年生で
亡くなりましたので、
4人兄弟姉妹の末っ子の二男が
3年生になった時、
私たちは
「ああこの子は大丈夫じゃ。
お兄ちゃんのように死んだりはしない」
と喜んでいたんです。
ところが、その二男も
その年の夏にプールの時間に
沈んで亡くなってしまった。
長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。
──プールの事故で突然……。
近くの高校に勤めていた私のもとに
「はよう来てください」と連絡があって、
タクシーで駆けつけたら
もう亡くなっていました。
子供たちが集まってきて
「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。
「どうしたんや」と聞いたら
10分の休み時間に
誰かに背中を押されて
コンクリートに頭をぶつけて、
沈んでしまったと話してくれました。
母親は馬鹿ですね。
「押したのは誰だ。
犯人を見つけるまでは、
学校も友達も絶対に許さんぞ」
という怒りが込み上げてくるんです。
新聞社が来て、
テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が
大泣きしながら駆けつけてきました。
そして、私を裏の倉庫に連れていって、
こう話したんです。
「これは辛く悲しいことや。
だけど見方を変えてみろ。
犯人を見つけたら、
その子の両親はこれから、
過ちとはいえ自分の子は
友達を殺してしまった、
という罪を背負って生きてかないかん。
わしらは死んだ子を
いつかは忘れることがあるけん、
わしら2人が我慢しようや。
うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
校医の先生に心臓麻痺で死んだという
診断書さえ書いてもろうたら、
学校も友達も許してやれるやないか。
そうしようや。そうしようや」
私はビックリしてしもうて、
この人は何を言うんやろかと。
だけど、
主人が何度も強くそう言うものだから、
仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も……。
──普通の人にはできないことだと思います。
こんな時、男性は強いと思いましたね。
でも、いま考えたら
お父さんの言うとおりでした。
争うてお金をもろうたり、
裁判して勝ってそれが何になる……。
許してあげてよかったなぁと思うのは、
命日の7月2日に墓前に
花がない年が1年もないんです。
30年も前の話なのに、毎年友達が
花を手向けてタワシで
墓を磨いてくれている。
もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえても
こんな優しい人を
育てることはできなかった。
そういう人が
生活する町にはできなかった。
心からそう思います。

 

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【愉快に働く法十カ条】

1、仕事をかならず自分のものにせよ
2、仕事を自分の学問にせよ
3、仕事を自分の趣味にせよ...
4、卒業証書は無きものと思え
5、月給の額を忘れよ
6、仕事に使われても人には使われるな
7、ときどきかならず大息を抜け
8、先輩の言行を学べ
9、新しい発明発見に努めよ
10、仕事の報酬は仕事である

 

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