高木誠司のブログ

シンガーソングライター、ソングライター、高木誠司のブログ。2014年11月からこちらで運用開始。


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あけましておめでとうございます。

2017年がやってまいりました。本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

元旦より実家に帰っていました。

盛りだくさん。会いたい人に会え、話したい方とお話でき、

歌いたい歌を歌え、伝えるべき事を伝えられた。

あと、食べるべき物も食べた。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

なんかね、今回は自分の心象風景と言うか・・多分これは音楽のマテリアルになってるんだけど、

そう言う物の輪郭をもっかいギュッとしてくれる様な経験をたくさん出来ました。

地元のシンボル的な山に上ったりね。青の山と言います。

最後に山頂まで登ったの30年くらい前じゃないかな・・家族で良く登ったんだよ。(車でだけど)

山頂から見下ろすと讃岐平野ってホントに真っ平ら。

 

 

ホント行けて良かった。幼少期に意味も分からず見てたモニュメントの意味を知ったり、何でも無い家族の風景の追憶があったり。

なくなってた物もあったな。好きだった遊具とか。あんな危ねー事よくやるなと言う遊具だったんですが、やっぱりなくなってましたね。昭和、ゆるかったんだよな。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

滞在最終日は・・今日、さっきの事だね。近所を散歩してきました。

なんでも無いとこです。友だちの住む団地まで歩いた道だったり、ピアノ教室までの道だったり。1時間足らずの思い出巡り。

 

祖父母の家の裏を抜けて、遊び場にしていた神社。入り口と反対方向に抜けると大きな川の土手で、そこは愛犬と毎日散歩して回ったコースです。歩いてると目の前をまだリードをグイグイ引っ張るあの子がいる様で涙が出ました。

 

コンクリの階段を下って河川敷へ。川沿いまで降りるといろんな音がするんです。

枯れたすすきがこすれ合ってカサカサと立てる音。その遠くの音と近くの音の重なり。

水がサラサラと流れる音に混じって、各々で規則的に鳴く水鳥の声。

遠くで音を立てる、水門を抜けて勢いよく落ちる水の固まり。

 

 

なんか十分でしたね。

どれもホントに、別にきっと感動的じゃないんです。

雄大に凪に落ちる燃える陽の色の様に、万人の心を打つ物では、どう贔屓目に見てもあり得ない。

でも、その全てが僕を肯定する物でした。

 

 

帰り道。うちのお隣、大きなお屋敷だった場所は駐車場になってしまったのですが、その脇に1m程度の幅にだけ、コンクリの目の荒い場所が残っていました。ここだけはずっと昔からこうだった。屋敷の裏の、抜け道の様な通路だった。

その脇に流れる小さな沢から、爪の真っ赤な沢ガニが時々雄々しく現れるのがあの日の僕は確かに好きだった。

 

 

変わったけど、無くならずに積もっています。全てが大事だなと思います。

魂とかそう言うのがあるなら、僕のは最後に必ずここに帰ってくる。

 

 

何か良かったなと思うんです。

写真よりも、多分僕は今打っているこの散文に故郷の様を見ると思う。

それはあの日と今日のがない交ぜになった物だけど、僕にとってはそれで良いのだなと。

とても腑に落ちる形で胸に収まってくれました。

 

 

・・・・・・・・・・・・

 

 

東京に帰る新幹線の中でこれを打ってます。

なんかね、すげー大丈夫。絶対もっともっと頑張れるし、みんなが夢を見るお手伝いが出来ると思う。心が帰る場所があると言うのは強いのだ。この滞在を経てマジで思ったよ。

 

 

うん。そんな感じの、素晴らしい新年を迎えられたよと言う話でした。

今年ね、すげー頑張るよ。それは多分、"これまで過ごしたどの1年よりも"と言う意味を込めてです。

この「頑張るよ」が、大きくても小さくても、これを読んでくれてるあなたの幸せの歯車になると信じて、ね。

 

 

 

よっし。ではでは、本年もどうぞよろしくお願いします!

 

 

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師走も中旬となった。

これまでの総決算とばかりに、人と会う日が続く。とてもありがたい事だ。

特にこの3日間は、共通して「言葉の達人」との邂逅となり、大変に考えさせられる時間になった。

 

 

改めて問われた、「言葉を残すとはどう言う事か?」

こうやってブログを書く事も、限られた文字数でつぶやいてみる事も、「詞」と言う形で花開かせる事も。

 

 

 

 

言葉には力がある。

殊更ネガティブな物の力は強く、他人を巻き込んで猛スピードで連鎖する。

「解消」のつもりが、伝染・連鎖。

発信元では束の間にマイナスエネルギーの減衰を見たとしても、世の中に出回る総量としては、むしろ爆発的に増えてしまう。

そう言う事はあるのだ。

 

 

酒の席、気の知れた者同士が言葉で交わす感情のロンダリングは有意義だ。

同調が傷を癒したり、客観化が問題の本質を露呈させる事もある。

 

だが、例えば一度に1000人以上の目に触れる形で同じ感情を言葉に残すと言うのは・・。

ごく個人的なやりとりならともかく、ある程度パブリックな規模では自分でも思いもよらぬ結果を招く事もあるだろう。

不特定多数の誰かを害する事は当然、誰にとっても本意でない。

 

 

 

 

・・・・ただ、その事を恐れ、「咀嚼」と「選別」を繰り返すあまり、

自分の言葉が無味無臭、毒にも薬にもならんつまらん物に成り果てているのではないか?

 

言葉の達人たちとのやり取りの中で、そう思わされる瞬間が幾度とあった。

 

 

 

 

言葉、刈られては下げ、刈られては下げ。下流の石ころ、似た様な形に削られた有象無象。

誰かが拾い上げても、果たしてそれが僕の物だと気付いてくれるものか。

 

 

個の性はまがいなりにも芸術や創作に関わる者にとっての生命線。

ここを防衛線として、生きる死ぬの話を僕らはしているのだ。

その危うい線を自覚なしに踏んでいたのかと思うと空恐ろしい。

 

 

・・・・・・

 

受け手にも色んな心がある事を、僕たちは知っている。

艶やかに潤っていて、全てを柔らかく受け止める心もあれば、乾いて傷がつきやすくなった心もある。

あかぎれみたいに、ほんの少しの力で弾けてしまう。そんな張り詰めた物だって中にはあるのだ。

意図せずに、誰かの心をパチンと割く、その最後の一押しを自分がしてしまう事だってあるかも知れない。

何かを発信すると言うのはそう言う事だ。

 

 

 

「  だから、言葉にしないでおこう  」

 

 

この、大多数にとってのベターアンサーが、作り手たる僕らを殺すワーストチョイスになり得る。

言葉にする事を諦めると言うのは、言うならば漁師が転覆を恐れて船を捨てる様な行為であって、本末転倒、緩慢なる自殺だ。

 

 

言葉の無垢な力が時に見せる残酷さと、それを受け止める心の可塑性を『知っているからこそ選べる言葉』が有る。

その見えないくらい小さな針の穴を射抜く、ほとんど魔法の様な言葉は、必ず、必ずある。

 

誰もが諦めた後にもそれを探し続け、そして見つけ出すのが、まがいなりにも言葉で生きる者の責任ではなかろうか。

「プロ」とはそう言うものだろう。

 

 

 

・・・・・・

 

思えば、言葉に苦しみ、言葉に喜んだ1年でもあった。

年の瀬にこう言うテーマを露骨に手渡され(少なくともそれとして受信し)た事にはそれなりに意味が有るのだろう。

「言葉と共に生きる者だと自覚せよ」と言う事だと、勝手ながらありがたく啓示と頂戴して大事に携えていこうと思う。

 

 

 

この数日間、時間と言葉とお酒を共にして頂いた皆さん、刺激的な時間をありがとうございました。

良い形で再会出来ます様、願っております。

 

 

 

 

 

 

良い年の瀬。きっと良く過ごせたのだろう。

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本日2015年11/12。記念日だ。

今日は赤坂ブリッツにDIAMOND☆DOGS様のライブを観に行って参りました。
今日づけで先行発売になった彼らのアルバム『Rhapsody Be ONE』、1曲目に収録の楽曲「Starlight Queen」を書き下ろしさせて頂きました。
制作チームの相方桑田君と共に作詞・作曲・アレンジに携わらせていただいた作品で、これが僕にとっての作家デビュー作と言う事になります。


自分の産み落とした曲が満員の赤坂BLITZで生バンド・生演奏で爆音で奏でられ、メンバーの皆さんがそれに合わせて鮮やかに踊り、歌ってくれる。
観客席の皆さんは本当に楽しそうな顔で声を上げ、身体を揺らしてくれている。
ご用意頂いた2階席から一望出来たその景色、その時間は4分半足らずの短い物ではありますが、僕にとっては夢の扉が一つ開いた瞬間で、特別な体験でした。
DIAMOND☆DOGSの皆さん、今回この機会を与えて下さった拓哉さん、夢を叶えて下さって本当にありがとうございました。
またいつかこう言う素敵な時をご一緒出来ます様にこれまで以上に精進してまいります!!





目を閉じて描いていた風景が眼前に現れたなら、それはもう信じて良いと思う。
夢は叶うぞ。まだまだまだまだ叶えるぞ。
もっともっともっともっと音楽を愛する皆さんを夢中にさせる、その力になりたい。
夢は野望は大志は膨らむばかりです。

音楽を愛する物で良かったな。
これからもこの力を、誰かをああやって夢中にする力に変えて行けます様に。
ささやかではありますが、この身をこの命を捧げて行こうと思います。


楽屋で皆さんといただいたお酒、とても美味しかったです。
目を閉じて思い出すと胸がドキドキする。幸せな夜だ。
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アルカラチームから、ポスターデザインのお礼に代官山の創作料理屋さんで、美味しいご飯をご馳走してもらいました!




湯葉焼売!(* ´ ▽ ` )ノ
湯葉焼売



揚げ餅と茄子の海老あんかけ!(* ´ ▽ ` )ノ
揚げ持ちと茄子



何とかの西京焼き!(笑)(* ´ ▽ ` )ノ
西京焼



シメは鯛茶漬け!(* ´ ▽ ` )ノ
鯛茶漬け


ご馳走さまでしたー!(* ´ ▽ ` )ノ
次も何かあれば頑張りますねー!







誠司

くぅーー!


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2015年の9月30日が過ぎた。上京して1年になる。
あまりにもあっという間で、これで大丈夫かとも思ったが、
振り返ればずいぶん沢山の事を成せていたし、始められていた。

大丈夫だ。

・・・・・・・

2014年9月29日、大阪最終日。荷物の出払ったカラっぽの我が家。
手荷物を枕に、硬い床で眠ったせいで体中が痛かった。
(公共料金の最終清算がなんとかで、朝までいる必要があった。)

朝9時になるとインターホンがなり、管理会社の立ち会いで5分程度の短い退居手続きが行われた。
鍵を手渡し、部屋を後にする。玄関を内から外へ。
音を立ててゆっくり閉まったオートロック扉に一つ礼をした。
ここはもう我が家ではない。
16年間の関西での生活の中で大阪に住んだのはわずか1年余りだったが、とても気に入っている家だった。

アコースティックギターと簡単な手荷物だけで街に出ると
住み慣れた土地なのにもう住所がないのだなと言う実感がジワリと身の内から染み出す。
自由と不安が同じくらいの張力で僕の心を引き合い、ちょうどその真ん中でかろうじて均衡が取れている様な、
緊張感を携えた、しかし静かな心持ちだった。

・・・・・・・

上京への転機は2度あった。
1度目は2013年の12月23日、クリスマス前夜。今振り返ってもとてもつらい思いがする。

当時、僕は大阪でデザイン会社に勤めていた。日々激務に追われ、睡眠時間や休日も返上して働いていた。
巣立って行く先輩方や、もの凄いペースでドロップアウトして行く後進たち。
激しく人が入れ変わる急流の中、気がつけば部署の最上席として責任を取る身となっており、頭の中は仕事一色に変わりつつあった。

その日、祝日で自宅にいた僕は、見るともなくテレビで全日本フィギュアを見ていた。
ソチ五輪の最終選考会を兼ねたこの大会。新鋭の羽生選手・町田選手が素晴らしい演技を見せる中、高橋選手は右すねのケガが完治していない状態での演技を強いられ、5位と言う記録に終わる。

テレビはスポーツ番組の時間へ。年末と言う事で最近の振り返りが行われていた。
サッカー、J1最終節。中村俊輔率いる横浜マリノスは一位でその日を迎えたにも関わらず、最終節を勝ちきれず、2位に勝ち点差での逆転を許し、寸前の所で苦杯を喫する。
あまり大きく感情を表に出さないイメージだった中村俊輔選手がグラウンドに両膝をつき、額を擦り付けて慟哭する映像が繰り返し流された。

画面は切り替わり、クラブワールドカップの特集へ。
ブラジルのクラブチーム代表、アトレティコ・ミネイロ vs モロッコのクラブチーム代表、ラジャ・カサブランカの試合。
アトレティコ・ミネイロには、ナショナル代表の座から遠のいてしまったが、ブラジルサッカーの一時代を築いたロナウジーニョ選手の姿があった。
試合を前に「ロナウジーニョは終わってなんかいない」と自らを鼓舞し、それに値する活躍を彼自身も見せるのだが、チームは3対1で敗戦を喫する。
試合終了を告げるホイッスルが鳴ると、勝利したモロッコの選手が一斉にロナウジーニョの元に駆け寄り、抱きつき、握手を求め、声をかけた。
「あなたは私たちの伝説であり、スーパースターです。ありがとうございました。」

高橋選手は少し年下だが、中村俊輔選手は1つ年上。(今調べると誕生日も1日違いだった)
ロナウジーニョ選手とは全くの同い年。彼らは僕の世代のスーパースターだ。

ずっとそのままだとはもちろん思っていなかった。でも、本当に気付かぬ間にその時は来ていた。
僕らのスターの時代が閉じようとしている。気がつけば少しずつ、時代は次の扉を開けようとしている。
未来へ行こうと流れに抗う意思が、閉じて行く扉に押し戻されて、過去にされ、蓋をされていく。

僕が呼吸も忘れて、思考を止めて、ただただ日々の仕事に時間と命を捧げる間に、もうその時はそこに来ていた。
世界的なスーパースターなど、本来シンパシーを感じる様な相手ではない。
そんな事は百も承知なのだが、心のどこかで敏感になってしまっていたセンサーに引っ掛かってしまったのだと思う。

その日は一睡も出来なかった。
「自分はこんな事がしたかったのだろうか?」「もう自分には何も残す事は出来ない?いや、何も残せなかった?」
「自分は知らない内にもうプレイヤーではなくなっているんじゃないか?もう実は何もかも終わってしまったんじゃないか?」
そう言う絶望的な気持ちと恐怖の渦巻きが止めどなく押し寄せ、一晩中ベッドの中で文字通りにガタガタと震えていた。
今思えば、心がずいぶんと疲れていたのだと思う。

年が明けて、僕は退職を決めた。
一番の原因は半年余り前から断続的に続く目眩と耳鳴りだった。音が良く聴こえない。
先はなにも決めていなかったが、とにかくここが死地でない事は明確に分かった。
先の事はこれから考えれば良い。そして心に従えば良い。

・・・・・・・

二度目の転機は2014年5月。
退職が6月に決まり、まさしく人生の選択期にあった僕に、アルカラ・タイスケが電話をくれた。
電話はアルカラ主催のネコフェスに絡んだ、フライングポストマンプレス誌の対談企画へのお招きで、急な誘いではあったが何となく行くべきだと感じた僕は数年ぶりに東京に足を運ぶ機会を得る事になった。

久々に顔を合わす同期のアルカラ、大石昌良君を初めとした神戸チーム上京組、
初めて顔を合わせる業界の最前線で仕事をされている方々。そこに流れる空気感。
全てがポジティブで、別の選択を生きてきた僕との間で生じるはずの違和感を、微塵も感じさせない寛容さがあった。

「東京」

その選択肢に火が灯った瞬間はこの日だった様に思う。
35歳になろうと言う寸前の所で、自分の中にその選択肢を見据えるだけの熱量が残っていた事が、とても嬉しかった事を覚えている。
自分はまだ、次を見たがっている。明日を生きたがっている。こんなにもハッキリとだ。

何年も前から行きたいと言っていたが、現実に踏み越えなかった気持ちのラインをこの日、スッと越えた。
そこから、上京に至るまでの準備が始まった。
8月になると作品を作り、アルカラと九州を回り、大石昌良君と香川で歌った。
上京直前の9月、最後にchaqqの大介と大阪で歌った頃、気がつけば耳鳴りが止んでいた。

・・・・・・・

上京初日。何もない部屋に荷物をおろす。到着の電話を両親にかけるその声が、空っぽの部屋にはワンワンとよく響いた。
鍵を持っているだけで、まだ誰の物でもなく、心が落ち着くはずもない部屋で僕の東京での生活は始まった。

あれから1年して、同じ部屋で今、久しぶりに当時の事を思い出している。
状況はずいぶん変わった。仲間や気にかけてくれる方も増えた。
僕の音楽に価値を見いだしてくれる方も少しずつ増え、仕事になり始めている。
なんとありがたい事だろうと心から思う。

良い年齢になっているのだし、譲り得る物はほとんど譲った様に思う。
そんな中で、渡してはいけない物にまで触れられた事もあった。
その瞬間に味わった恐怖を、まだ身体は、心は忘れていない。

ここから先にも大きな挫折は何度もあるだろうし、願い叶って大きな光に照らされる日も来るかも知れない。
だが、僕は忘れない。
もう絶望には帰らない。希望に生きるために来た。
誰かの目の前で果てるより、生きてまた会うために別れて来た。
僕は必ずなりたい者になる。

時折、読み返すつもりで書いたので、これを読んでいる少し先の自分へ。

頑張れ。頑張れ。
どれだけつらく感じる事があろうが、今ほど幸せな時はないのだから。
悲観も慢心も決してするな。常に前向きであり、探究心を持ち続け、努力を惜しむな。
謙虚であり、感謝の心を大事に常に傍に携えよ。
心から迷ったならば進むと言う選択をとれ。
成りたい者に必ず必ず必ずなれ。
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