takacciの「見た・観た・聴いた・読んだ」

音楽に関すること、観たこと、読んだことへの感想などを書いていきます。(文中敬称略) 
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マーラーの響きが鳴ってました。

作曲当時マーラーは、まさか極東・ジパングで、音楽の専門教育を受けていない若者たちの、趣味で音楽を奏している集団がこんな演奏をするとは夢にも思ってなかったでしょう。

CDで聴き付けている演奏と比べると、あそこが充分でない、とか、あそことあそこで間違えた、とか、いろいろ出てきますけれども、自分では今、何の演奏もしていないけれど、クラシック音楽を五十年以上聴いてきた耳で聴いて、ああ、マーラーをたっぷり楽しめた、と思える演奏を学生のオーケストラがしてしまうのだから、凄い時代になってきたのだなー、と感心しないわけには行きません。

 

例えば学生のクラブ活動に「オペラ部」というのが昔からあったとして、それが年々上手になって、プロには劣るけれど楽しめるレベルの「魔笛」だの「カルメン」だのを発表会でやり遂げる。それをオーケストラという分野で現実に体験しているように、私は思いました。それもこの楽団だけでなく他の団体でも。

 

マーラーの第5交響曲は数年前に他の学生オケでも聴き、その時も結構楽しめる演奏でした。しかしその演奏会ではマーラーの前に演奏した分は駄目で、それこそマーラーに集中して練習したのが見え見えでした。今回のはショスタコの祝典序曲もハチャトリアンの仮面舞踏会組曲も(それなりに)仕上がってました。凄い。

 

指揮者がアンコールに応える前のスピーチで言っていたこと。「25年前の50回定演では学生たちの熱意でマーラーの2番をやることになり、大変な練習をしました。今回の第100回では学生が演奏するマーラーの交響曲の中で一番難易度の高い5番を取り上げることになり、懸命に練習してここまで演奏できるようになりました。」 

確かこういう趣旨の挨拶だったの思うのですが、ではこの先はどうなるのか。例えば第150回定演は? 考えてみたらその頃生きてるかどうか分かりませんね、私は。

 

音楽専門ではない学生をここまで引き上げている指導者、トレーナーのシステムも凄いのでしょう。

たぶん半年くらいをマーラーにどっぷり浸かって練習に明け暮れてきたであろう団員の皆さんが羨ましく見えました。それでも、大変な集中力を長時間保たなければならない演目をやったのだからヘトヘトでしょう。しっかり休んで欲しいものです。マーラーを振り続けると身体を壊す、と言う指揮者も居たことだし、次の半年は多少休み休みやったほうがいいかも、などと勝手に心配してます。

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先日新聞でこの映画の紹介を読み、永井豪の「鋼鉄ジーグ」というアニメを取り込んだ映画だと知り、本日封切りのこの映画を観て来た。イタリア映画だ。へー、イタリアでも永井豪のアニメが流されたんだ。帰宅してから調べたら、ウェブではこの映画、「ダークヒーロー x フィルム・ノワール」の映画と紹介されていた。

 

恥ずかしながら私は「鉄鋼ジーグ」を知らなかったが、ウェブで見たアニメの画像を見て何となくホンワカした映画を想像していた。子供向けのアニメだったからだ。しかしこの映画は暴力シーン満載であり、好みのものではなかった。むしろテレビで何回か見たことのあるたけしの映画と雰囲気が似ている。永井豪で言えば、昔短期間だが愛読した「バイオレンス・ジャック」の雰囲気に似た映画だった。

 

明るさの面から考えて紹介すると「大人の童話」と言える映画だろう。但し暴力シーンを漫画的に解釈できる人が観れば、という条件付だが。

 

補足です。観覧車のシーンが良く撮れていて、名シーンと言えるのではないでしょうか。

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アメリカ人である著者は今、日本に住んでいる。子供時代を過ごした台湾で住んだ家は日本人が建てた家であり、そこでは当時幻の大陸だった中国のことばが自然に耳に入ってきた。今は外国人が旅行できるようになった中国を著者は繰り返し訪問し、その中で中国語のシャワーを浴びつつ日本語で感じ、それを新宿の路地裏の住まいに持ち帰って日本語の文章を書く。

 

私が読んだ限りだと、著者は子供時代を親の仕事の関係で台湾や香港で過ごしたのだが、著者がなぜ日本に住み日本語で本を書くようになったのかがよく分からない。アメリカの大学で日本文学を教え、「万葉集」の英訳で賞を取ったあと、40歳を前にして東京に定住した、と巻末の略歴に記されているが、他のソースで著者は中上健次に勧められて日本語の文章を書くようになったと読んだ覚えがある。

 

それはさて置き、彼の目にする中国は刺激的だ。中国には外国人に行ってほしくない、又は通ってほしくもない地域・地区が多々あるようだ。私はこれを、知ってほしくない現状を隠すためだろうとばかり思っていたのだが、この本を読むとそればかりではなく、外国人旅行者の身の安全を保障するのが困難なところも多いのが原因である、と思うようになった。この本の中で著者は2回身の危険を感じる体験をしている。そのひとつは満員のバスの中で、著者が日本に住んでいると聞いた老人が「南京で何人の人が殺されたのか知ってるか?」と声をあげ、車内が緊張したとき。アメリカ人である著者でさえ身の危険を感じたのであるから、これが平和ボケした日本人であったらどうなっただろうか。

 

もうひとつは日が暮れてから宿泊地への幹線道に戻ろうとし、そのとき乗っていたタクシーが数人の男たちに止められたとき。運転手に言われ車内で身を隠していた著者は、車外の大声の応酬を聞く。あとから加わった一台を含めた長い騒動のあと運転者が戻り、説明するには、ここを縄張りにする者たちが法外な通行料を要求してきたのだ、とのこと。あとから来た一台は警察の車だったが、警官一人ではどうしようもなく、別の道(山道)から迂回するよう勧め、先導してくれたのだった。乗客が外国人だと知られたら無事で済んだかどうか、、、

 

著者の視点は当然日本人のものとは異なっており、その眼に映る中国は普段想像している中国とはかなり違う。それがとても面白いルポルタージュを作り上げている。

 

なぜ著者は日本ではなく中国を歩き回るのか。

彼にとって中国探訪は自分のルーツ探しに繋がっているのかもしれない。

 

彼の著作を読み続けていれば、ちびりちびりとではあるが、彼の前半生が浮かび上がってくるような気がする。これまで彼の本を読んできてそうだったからだ。今後も彼に関する謎を徐々に解いていくであろう新著を待望する。

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三ヶ月以上前の話で恐縮ですが、

 

一度はオペラを観てみたい、と言う子供のご要望に応え、去年の秋にこの春の藤原歌劇団によるカルメンの券を用意しておいた。東京文化会館大ホールでコンサートを聴くのは久しぶりだったが、それにもましてオペラを観るのは何十年ぶりなのだろうか。今考えてみたら、もらった券で体育館に観に行った「トゥーランドット」が最後。退屈なので途中退場してしまったのを思い出した。

 

この晩、座った席は天井桟敷の5階席。中学・高校・大学と当然のように最安席しか使えなかった頃、将来は一階で聴けるようになればいいな、と思いながら5階に座っていたことを思い出した。今回は、たまにしか聴かないオペラなのだから少し張り込んでもいいか、と思ったけれども、それにしてもオペラの公演の入場料は高額である。公演に掛かる費用のことを考えれば仕方がないのはよく理解できるし、税金から助成金を持ってくるのはキリの無い話であり賛同できない。同行者も「一番安い席でいい」と言うことだし、その場に居合わせられれば良いとするか、と判断して天井桟敷となった。それにしてもこの席は他のグレードの席に比べて著しく安かった。演奏の話を後に回して続けると、東京文化会館の5階席はよく聞こえます。音響的に問題ある席じゃないけど、舞台から見て右サイドの5階席で座った位置からは、残念ながら舞台の右端が隠れてしまい、見えないのでしたー。でもまあこれは仕方ないや。

 

伴奏は山田和樹指揮の日フィル。40年以上前に文化放送放送用収録のための御招待演奏会で聴いて以来の日フィル、前奏曲の出だしの縦の線がバラバラで、これで大丈夫なのかよと心配になったが、すぐ持ち直して、最後まで楽しめる演奏だった。

 

歌は、タイトルロールのロシア人ソプラノが意外に地味な歌唱で目立たなかったが、ホセ役の声が朗々と響いていた。闘牛士役の韓国人は全然迫力無かった。正直なところ歌は少々物足りなかったけれども、歌劇全体の音楽の素晴らしさには実に圧倒された。良く出来てる曲だなあ、ビゼーってこんなに良かったっけ? バッハのマタイ受難曲とどちらがズシーンと来るのだろうか?などと思いが巡ったのだった。

 

幕間の休憩には会社時代オペラ好きで有名だった先輩に声を掛けられてびっくり。今でも欠かさず観て回ってるらしい。「藤原も国立も賛助会員になってる。こちらは公演の度に券をくれるのだけどあっちは全然もらえないんだ。」と語っていた。実に常連ですね。うっかり連絡先を伺い忘れたけれども、またオペラを観に行けば会えそうだから、これで今生の別れとはならないだろう。

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副題: 天才たちのカオスな日常

 

藝大の美校に通う妻を持つ作家による藝大紹介本。入試はどんな様子で行われるのか、とか、どんな人達が受験し合格するのか、から始まり、卒業後はどうなっていくのか、まで、在校生への聞き取りと藝大への現地取材を元に書き綴られている。

 

私でさえ、全く受かる可能性など無いのにちらっと憧れていた藝大であるから、読んでいてとてもとても面白かった。特に学園祭の様子を読むと藝大に集う人々の才能と情熱と、ある意味での人の良さが爆発しているようであり、何とも羨ましくなった。

 

三浪、五浪は当たり前という入試の厳しさは凄いが、それを難なく突破してくる天才も居るのだし、その入試のためには藝大の先生に付いて基礎技術を磨いていなければまず受からないと言う。そうか、自分の息の掛かった者しか合格させないのか、と私などは思ってしまうのだが、著者によるとこれは藝大の先生が一番高度に教えられるからだと思われるようだ。

 

本の副題である「天才たちのカオスな日常」というのは、読んでみると美校のほうに当てはまるようだ。教える側は基本的技巧を教授しつつ、むしろ「一緒に芸術を模索する」という姿勢が強いようで、規則・規律でがんじがらめという状態とは程遠いように読めた。

 

反対に音校のほうは師弟関係が強く、きっちりとした鍛錬を積んで卒業していくらしい。それでも途中で自らに見切りを付け芸術を諦める割合も相当あるみたいだ。

 

卒業後の進路のレポートは読んでびっくり。半分くらいは「進路不明」のまま卒業して行くらしい。芸術を志すための最高の環境で修練を重ねてもなお、それで「就職」に繋がるわけではないし、「就職」に意味があるわけでもない。どんなに才能に恵まれていても、どんなにそういう人が自分を磨き上げても、それが「成功」に繋がるとは限らない。自身の芸術の成就と生活の狭間でどういう人生を送っていくのか、考えただけでも気が遠くなりそうだ。でも、そうではあっても藝大はあったほうが良い。そう思ってこの本を読み終えた。

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他のアマチュアオーケストラの演奏会のプラグラムに挟み込まれるチラシで本日の定期演奏会を知り、行き易い会場なのと演目が好きであることに惹かれて聴いてきました。

 

曲目は軽騎兵序曲、ハチャトリアンの仮面舞踏会組曲、シベリウスの2番。

 

一曲目、二曲目は好きな曲だったし、特に二曲目は凝った感じのする新しい響きが魅力的だったが、やはり入魂の演奏だったシベリウスが素晴らしかった。指揮者の村本寛太郎さんはオーケストラフルチェで何回も拝見しているけれども、抑えるべきところは抑えて聴かせどころを聴かせる構成力が凄かったです。オケ全体をバランスよく響かせる腕もいいなあと思いました。さすがに弱音だとあれっと思うようなところがあったけれども、アマチュアとは思えないような弦の響きも堪能できました。(メンバー表を見直してみたらVnとCbには賛助出演が多かった。) ティンパニーも凄かった。こういうレベルの演奏会にフラッと行けて、只同然の入場料で音楽にどっぷり浸れるなんて、何とも豊かなことであるよ、と思いながら帰ってきたのであります。

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2008年に出版された本。

 

「はしはよいものだ。」と書かれていても、箸なのか橋なのか端なのか分からない。韓国では1968年以来学校教育で漢字廃止・ハングル専用政策が行われ、それ以降の教育しか受けていない人は漢字を知らないのだそうだ。ハングルは表音文字なので日本で言えばひらがなとかカタカナに当たり、それ自体では意味を表さないから、冒頭のような文章に当たって戸惑っても、前後の文脈から推測するしか無いという。

 

この本の第一部ではこのことによって韓国がどのような事態に陥ったのかを論じている。読んでみて、日本では漢字が廃止されていなくて良かったと思った。今でも唱えている人が居るのかどうか知らないけれども、日本の公用語を英語にしたほうが良いという考え方があるが、ここまで漢字かな混じり文で蓄えられてきた文化は守るほうが得策だと思えるようになった。

 

第二部の「韓国の言い回し」は同じような事柄が繰り返されている感じで退屈したが、第三部「韓国のことわざ」は面白かった。韓国のお国ぶりが分かりやすく書かれている。特に男尊女卑や夫婦喧嘩の凄まじさに付いて知れたことは収穫だった。

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副題: なぜ「反日」なのに、日本に憧れるのか

 

日本史に関連する著作が多い井沢が「こちらではこう捉えている歴史に関し韓国では全く違う捉え方をしている。それはなぜなのか。」と問題を提起し、呉善花(おそんふぁ)が「それは韓国のこういう歴史背景に則りこういう考え方でこうなっている。」と応える形で進む対話本だった。出版されたのは平成18年9月。

 

井沢が「韓国内の歴史認識は不可解であり理解できない。」と問いを発し、呉が「そうでしょうとも。それにはこれこれの間違った背景があり、それを正せないまま今に至ったのです。」と答えるパターンが最初から最後まで続いた。同じパターンなので、読み疲れて本を閉じることが多かった。一気に最後まで読み進むのは難しかった。かと言って、書かれている指摘は現状を考えるとうがっていると思えるものだったので大いに参考になり、決してつまらない本ではなかった。

 

10年近く前に出された本ではあるが、マレーシアでのあの事件が起きた今でも、日韓関係の基本的問題点は変わっていないように思われた。

 

呉善花の本を読んでいると、韓国の改革派と呼ばれる方々の共通する考え方には「反日」の他に「親北」もあり、これも色濃い、と言うから仰天する。同じ民族である点は当然としても、韓国と共通する価値観である「儒教思想」を持っていることが大きいようだ。領土問題や「反米」への実践形態として北との連携、もしくは中国を巻き込んでの協力、なんてものも裏に潜んでいそうで、下手すれば抜き差しならぬ状況に陥るのではないか、と心配になった。

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副題: 「韓国人」はなぜ日本を憎むのか
 

たまたまではあるが、最近は日韓問題、日中問題を日本側に好意的な立場に立って論じる本を読み続けている。
 

今回の「侮日論」は韓国済州島出身で今は日本に帰化している呉善花(おそんふぁ)が、なぜ韓国人が日本を見下すのか、についてかなり丁寧に分析した考察の本だった。
 

著者は幼少期を親日的な雰囲気の郷土で育ったが、成長して都会に出ると反日の大勢に飲み込まれ、日本に親しみを持つのは教養がない人達だからだ、と思うようになる。そうは言っても女性には息苦しい韓国社会を飛び出しアメリカ留学に向かうことにするが、その途中立ち寄った日本で、思っていたのとは違う、暮らしやすい日本社会に出会い、自らの幼少期を思い出しつつ立場を変えていくことになる。
 

今はもう手元に無いが、私は彼女の最初のエッセーと思われる「スカートの風」を読んでいる。女性が自立した生活を送りにくい韓国社会には困ったものだ、というようなことが書いてあったと記憶している。普通に自身の感想を書いている、という感じの本であったと思うのだが、のちに著者が母の葬儀のため里帰りしようとした際、反韓的な活動を日本でしている人物として入国を拒否されたそうである。「スカートの風」からこの入国拒否に至るまでの期間にどのような活動があったのか知らないにせよ、さほど韓国の尊厳を傷付けるほどの活動をしているとは思えなかったので、この話には驚かされた。
 

この本の最初のほうでは、この入国拒否事件を中心に著者への激しい非難や、韓国内に僅かながら存在した「親日派」への総攻撃が紹介され、著者もそれに応じるように強い調子で反論している。
 

しかしその後の分析では強い調子は抑えられ、彼女自身の調査に基づく説明がなされていて、なかなか読み応えがあった。
 

著者の主張は読んでもらえれば分かるので、それを紹介することはしない。ここでは私が「えっ、そうだったの!?」とびっくりさせられた二点を紹介しておく。
 

その一。
反日政策は第二次世界大戦以降変わらず一貫して存在したのかと思っていたのだが、政権によって随分違っていたようだ。李承晩政権時代は意外に親日派も登用されていたし、その後の軍人政権時代には思いのほか「未来志向」であったように書かれている。その後文民政権に移ると、金泳三、金大中、盧武鉉、李明博と続くその政権ごとの特徴的な性格を示しつつ、どんどん現在のような姿勢を強めてきたようである。金泳三政権と言えばそんなに昔という認識は無いから結構最近のことに思える。そんな頃に対日政策の転換点があったというのは意外だった。マスコミの報道だけを見ていても大事なポイントは私の中に入ってこなかったようである。

 

その二。
韓国人が日本の家庭に招かれて日本に対する心証を悪くする原因の一つに、ホストファミリーが客の脱いだ靴を直すことがあるという点。日本人は整頓が好きだし、客が帰る時にすぐ履けるよう、当然のように直すのだが、韓国では脱いだままにしておくようで、直して靴を外に向けるというのは「早く帰ってくれ。」と言われているのと同じなのだそうだ。そうであれば当然むーっと来る。同じ姿かたちで、玄関で靴を脱いで家に入る習慣も同じ。だから同じ価値観を有していると思ってしまうところに、近いが異なる価値観を持つお隣さんとの付き合い方の難しさがあるようだ。

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先日聴きに行ったアマチュアオーケストラのプログラムに挟み込まれていたチラシを見て興味を持ち、本日標記の演奏会を聴いてきた。曲目は「死の舞踏」、「魔法使いの弟子」、「幻想交響曲」の3曲というフランスもの。

 

「死の舞踏」ではコンマスの情感に溢れたソロに驚き、「魔法使いの弟子」では結構複雑で難しそうな曲を演奏しきる楽団の力量に、すごいなあと思った。弱音でも音程があまり乱れない弦楽器群って、私がイメージしていたアマチュアオーケストラの範疇ではない。

 

こうして期待が増した最後の幻想は意外にも表現にメリハリが足りなく感じられ、部分的にうとうとしてしまった。そうは言ってもこちらは只ただ好きで聴いているだけの素人なのであるから、聴くほうに問題があったのかもしれない。この曲が好きで好きで、思い入れが強すぎたのかもしれないし、2年ほど前に別のアマチュアオーケストラで聴いた幻想交響曲の演奏が素晴らしかったので、今回に過度な期待をしたせいなのかもしれない。それでもティンパニーや大太鼓の炸裂する強音に酔いしれることが出来た。

 

いったいこのオーケストラはどういう人達が集まってやっているのだろうと思い、楽団のホームページ(http://palette.wpblog.jp/)を覗いてみたら、首都圏の様々な学生オーケストラ出身の人達と書かれてあった。音楽の専門教育を受けた方々も混ざってやってるのかどうかは分からないが、他のアマチュアオーケストラの演奏会でプログラムを見ても概ねこのくらいしか書かれていない。「来歴を調べるよりも演奏を聴いて判断してくれ」ということなのかもしれないが、こちらとしては興味を持たざるを得ない点である。

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