伊達政宗の五常訓 | オレはこう思う

伊達政宗の五常訓



戦国武将の格言名言といったら、織田信長の「是非に及ばず」、徳川家康の「勝って兜の緒を締めよ」はよく知られている。
太田道灌の「当方滅亡」

石田三成の、大義を思うものはたとえ首をはねらるる期までも命を大切にしてなにとぞ本意を達せんと思う、は人気がある名言だとか?

黒田官兵衛(黒田如水)は、臣下の職に叶わざるものあれば、その主の目利き違いなれば、罪ある臣下より、なお恥とすべし
→ダメな臣下がいたら、その臣下を選んだ主の目利きが悪いのだ
※その通り

忠義を重んじる戦国武将
備前の池田光政は、礼儀をもって親しくすべきものが馴れ合いになってはならない、
※馴れ合いに陥っている集団、組織は今でもある。
肥後の加藤清正は、よその若者を褒めるのは身内の若者を貶すようなものだ

先人が残した至言には現代人が聞いても納得でき、とりわけ働く人、ビジネスマンがなるほどと頷けるものがある。

自分が仙台生まれということもあるが、東北王、奥州の龍などと言われ、もう少し早く生まれていたら天下取りにも参戦できたとされる伊達政宗の五常訓がわりと気に入っています。

儒教、孔子の「五常の徳」の仁義礼智信に絡めて言ったものですね。
五常の徳とは
仁、仁義、優しさ、慈しみ
義、筋を通す、義理
礼、礼儀
智、正しく判断する知恵
信、信じる、誠実さ

この人間として自律の徳目に、南総里見八犬伝で出てくる忠(忠誠、主君へ)、孝(親を敬う、孝行)、悌(兄、目上を敬う)が加わって八徳
五徳が自律の徳で、この三つは下の者から上への徳ですが、上に立つものが先ず自律の徳を見せることも必要でしょう。それで下から自ずと信頼されるようになる。

さらに勇、和が加わって十徳ともいう。

回りくどくなったが伊達政宗公の名言

仁に過ぎれば弱くなる
義に過ぎれば固くなる
礼に過ぎれば へつらいとなる
智に過ぎれば嘘を吐く
信に過ぎれば損をする

優しくし過ぎても弱くなりその人のためにもならない、義が過ぎれば融通が効かなくなり、礼儀正しくし過ぎても媚びへつらいとなり相手への嫌味にもなる、頭でっかちでは机上の空論で結果的に嘘となる策士策におぼれる、相手を信じすぎてもよくない、

何事もほどほどに、仁義礼智信は良いことだが、正しいことでも度が過ぎればかえって良くないものとなります。
一つに固執、偏り過ぎれば視野が狭くなりそれしか見えなくなって、偏屈でしかなくなる。

政宗は親父から能力を見込まれ若くして殿となり、東北の若僧の時から積極果敢にやる豪快なイメージがあるが、秀吉、家康相手に上手くやったり、けっこうマメな所もあったり。筆まめだったらしい。
政宗に限らず戦国武将が激動の中を生き抜いてきた重みが言葉に表されている。

さらに政宗の言葉
気長くして心穏やかにして、よろずに倹約を用い備うべし。倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまじ。今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申するがよし。

→もともと客としてこの世に生まれ生かされている身なのに好きだ嫌いだと言えるものではない。子孫兄弟にきちんと挨拶して感謝の気持ちを持ってこの世から旅立つことだ。
といった意味になる。
今でも情緒論や個人の思い込みだけで好きだ嫌いだ、といい年した大人が凝り固まって子供じみたことをやってるのもいる。
差別はいけませんと言っているその人からして排外的でいざこざの元だったりします。何でもかんでも批判するのが正義とは限らない。そうした勘違い、優等生ぶるのが最も恥ずかしい、政宗公の爪の垢でも煎じて飲め。
と言っているこの自分がまずしっかりではある。


政宗公曰く
どうなるか分からない未来のことばかり心配するより目前のことをきっちりする。

大事の義は人に談合せず一心に究めたるがよい

まともではない人間の相手をまともにすることはない
→政宗らしい?言葉
豪快なイメージながらも、片倉小十郎という有能な軍師が寄り添っていたことも大きいものでした。

ケチと倹約は違う

茶碗を割ったのではない、自分の器量の小ささを割ったのだ

歴史を読めば最大の敵は外から来ない、不平分子が家を滅ぼす
→きっちり見ている。


参考資料
極真会館長谷部道場サイト
彩図社、戦国武将100の言葉