2011-03-01 21:05:02

忠犬ハチ公の知られざる裏事情(加筆)

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参考資料
Wikipedia
別冊宝島 世界ミステリー事件ファイル

ハチ公が毎日渋谷駅に通ったのは焼き鳥のエサが貰えるからだった?

もしその通りならハチ公神話が根底から崩れ落ちる事となる。

宮脇俊三氏「時刻表昭和史」によると、ハチの胃の中から焼き鳥の串が見つかり、ハチは皆から可愛がられ、エサを貰っていたらしい。
主人を待つというよりエサ目的、渋谷に行くのは単なる日課の散歩であったのか。

しかし異論もある。
ハチの鳴き声が収録されているレコード
「純情美談、忠犬ハチ公」(昭和9)
フジテレビのトリビアの泉でこの声を検証したところ、ハチは「寂しいよ」と鳴いているらしいとの結果が得られた。

また、ハチは有名になる以前は嫌われ者で人間たちから蹴飛ばされた事もあったのだという。そして2代目飼い主から大切に飼われ、十分なエサを貰っていた。にも関わらず渋谷に通ったのは、やはり飼い主を思う気持ちがあったからだとしている。

初代飼い主は東京帝大農学部教授の上野英三郎氏である。

オレはこう思う(日常生活から政治まで)-STIL0143.jpg

1924年からハチを飼い始めた。ハチの他、ジョン、エスの3頭を飼っていたが1925に脳溢血で上野氏が急死してしまった。

3頭は呉服屋に預けられたが、ハチは客に飛び付くなどするため高橋氏に預けられる。しかしまたすったもんだ(高橋氏と近隣住人の対立)があり、上野宅に出入りしていた植木職人の小林菊次氏が2代目の飼い主として預かった(1927)という紆余曲折があったのである。

オレはこう思う(日常生活から政治まで)-STIL0142.jpg

初めは邪険に扱われていたハチを可哀想に思った斎藤弘吉氏(日本犬保存会初代会長)が朝日新聞に投書したのがきっかけで全国的ブームになっていったという。

昭和7年10月4日付け

「いとしや老犬物語、今は世になき主人の帰りを待ちかねる七年間」
これを機に邪魔者にされていたハチが皆から可愛がられるようになったそうだ。

人間なんて勝手だな。その時の都合で態度がコロコロ変わるんだからな。

昭和9.4.21
渋谷駅前にハチの銅像が建った。除幕式にはハチ自身も「出席」している。ハチ公像がハチの生きている間に作られたのは、ハチの後見人と称する老人がハチ公像を建てるために絵葉書を売り始める事態になったため、急遽ハチ公像を建てたという裏事情もあったのだという。
しかし、初代ハチ公像は戦時中の金属不足から、軍によって徴収されている。
後に昭和23.8月に安藤工氏が制作し再建されたものが現在のハチ公像である。

再建時は駅前広場の中央に座っていたが、広場拡張に伴い平成1年5月 現在の位置に移動されている。
まあ、壊されたり、あっちこっちに移動させられたり、ハチも大変だったな。

ハチは、昭和10年3月8日、フィラリア病により、ひっそりと息を引き取った。

当時、青山墓地で盛大な葬儀が行われ、多くの人々が渋谷に詰めかけたのだという。

「ハチ公物語」
リチャードギア主演の
「HACHI約束の犬」
映画化もされた。

今となってはハチがなぜ毎日渋谷駅前にやって来たのか。それはあの世に行ったハチにしか分からないことである。

ハチ公云々よりも、裏で蠢くエゴの塊、人間の姿の滑稽さの方が目に付く。

ハチの骨、内臓は埋葬され皮だけを剥いで剥製にされ、現在は国立科学博物館に展示されている。

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当時の軍部は国威発揚の為、ハチを引き合いに出し、犬ですら主人の恩を忘れない。と煽動もしていたようだ。

もし新聞に載っていなければ、ハチは単なる野良犬で終わっていた。

その時の都合でコロコロ態度の変わる人間。
ハチ公をダシにして金儲けをしてきたマスコミ。
そのマスコミの報道ですぐ感情的になって煽動される一般人。

マスコミがネタに困った時は動物と子供をダシに使うのが常套手段なのである。

簡単にマスコミの美談に乗っかっているだけでは、他にもひどい目に遭わされている動物がいても知らないままである。

マスコミが大々的に取り上げるネタには裏があると思っても、それは言い過ぎではない。

「一杯のかけそば」
栗良平氏が実はとんでもない詐欺師であったことは有名な話だ。

動物好きの優しいおじさん、畑正憲氏にもとんでもない裏の顔がある事を知らない人もいるのではなかろうか。

マスコミに流されてはいけない。

この人間模様を一番笑っているのはハチ自身なのかもしれない。
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時事通信より

ハチ公の死因は肺ガンだった

東京大は1日、最新の医療機器で標本を調べた結果、肺と心臓の広い範囲に悪性腫瘍があったと発表した。従来は寄生虫によるフィラリア症が死因とされていた。

いやはや、医学の発達がさらなる新事実を引っ張り出してくれたようである。

ハチは結構なお年だったからな。
今頃は天国で飼い主とゆっくりのんびりとしているのかな。
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2011-03-01 00:30:09

孝明天皇暗殺説

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1867.1.30
孝明天皇、36才の若さで崩御

孝明天皇は公武合体派だった為、倒幕派から暗殺されたという陰謀説がある。
死因は公式発表の天然痘ではなく暗殺された?

当時の英国公使の通訳、アーネスト・サトウが暗殺説に言及している。

安重根が15箇条で伊藤博文が孝明天皇を殺した(刺殺)と声明
その伊藤博文の出自が怪しく長州の忍者(テロリスト)出身である
いわゆる鹿島昇史観

伊藤ではなく、岩倉具視が黒幕で毒殺した

いや長州を裏で操っていた外国勢力イルミナティが、攘夷の孝明天皇は邪魔だから消した


いろんな説があるようである。

さらに、倒幕派は孝明天皇の実子、睦仁親王までをも暗殺し、伊藤博文が護衛していた南朝の大室家の大室寅之祐を明治天皇としてすり替えたというのだ。

北朝の孝明天皇から南朝に移すためのクーデターだったという説
そして睦仁親王は病弱だったが、明治天皇は豪快であり別人だという。
大室寅之祐と幕末の志士達が一同に介して秘密会議をした写真まであるという。その写真には高杉晋作、坂本竜馬、西郷隆盛、大久保利通、大隈重信、桂小五郎…
そうそうたる顔触れである。

この謀略作戦で長州閥が影響力を得て、戦後、長州系の吉田茂から岸信介、そして安倍へと保守本流の流れが受け継がれているのだとか。
極めつけが睦仁親王と違い明治天皇は左利き、別人ではないかという説。
以上が陰謀説


小説としては興味をそそりそうなストーリーだが、この陰謀説ばかりは無理、飛躍がある。

想像の域を出ていなくて、新たな新事実がない。

幼少時代に病弱だったとしても、鍛えれば強くなる。

すり替わっていたなら、幼少時代から側についていた側近が気づかないわけがない。

まだ下っ端だった伊藤博文がどうやって天皇のそばまで近付けるのか。

証拠とされた写真は、寅之祐ではなく、フルベッキという英語講師と教え子が並んで撮った記念写真であったことも判明している。

この時代は混沌とした時代であった。陰謀説の一つや二つが出てきて何ら不思議はない。

ひょっとしたら毒を盛られた事はあったかもしれない。しかしそこから、クーデターに話を飛躍させるには根拠が乏しい。

人の噂は実に怖いものである。実体が無くても事実にされる場合もある。

米国による日本支配
小沢冤罪
などは単なる空想ではなく、根拠があるものだが、孝明天皇暗殺と明治天皇すりかえ説は眉唾物の感がある。
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