• 23 May
    • もっと思いやりのある社会にしよう

      以前あるスピリチュアルの先生とお話し(論争?)をしました。その先生は、「心理学やスピリチュアルは、本当に苦しんでいる人の役には立たない」と言っていました。ある視点からは、僕もその通りだと思います。どんなに優れた教え、方法でも即効性はないからです。本当は、苦しんでいる人には、他者の思いやりが最も癒しになり、励ましになると思います。それに、本やブログは、人に合ったことを教えてはくれないですからね。たとえば、対面で、いま病で苦しんでいる人に「より良くするために努力しましょう」と教える先生は居ないはずです。いま病で動けない人に、、有酸素運動をしましょう。家事や雑事を瞑想の境地でやりましょう。仕事を御神業としましょう。などと語る人は居ないはずです。苦しい状況にある方は、自助努力も難しい場合があるので、他者の助けが必要なんです。本当に役に立つ心理学やスピリチュアルを広めることにより、、多くの人の心が静かになり、より自制心が高まり、優しくなることが僕の1つの目標、願いなんです。そうなれば、苦しむ人を助けよう、もっと思いやりを持とうという人が増えるはずです。病だったら、身体的に生まれつき障害がある人も居ますし、脳の発達に偏りのある子も居ます。そうでなくても、社会では、容姿や体質のことで馬鹿にされ、イジメられて苦しんでいる子供は数えきれないくらい居ます。個人に深く働きかけても、社会が変わらなければ、同じような苦しみを持つ多くの子供を救えません。多くの人が心理学を学び、努力して、もっと優しくなり、もっと思いやりのある社会にすることが必要なんです。個人差はありますが、大人でも心理学的な介入がなければ、そんなに内面は変わりません。自我が発達して、汚れ(エゴ)を隠すのが上手くなるだけです。いまの社会では、表面的には対立したりしてなくても、本当に愛し、愛されている関係は少ないでしょう。子供と同じで、差別や嫌がらせにより苦しむ人は世の中いくらでも居ると思います。心理学やスピリチュアルは、、予防医学的に、苦しみを生み出しにくい社会にするために役に立ちます。勿論、苦しんでいる人も心理学やスピリチュアルを学ぶことにより、苦しみを和らげることは可能です。たしかに、マインドフルネス認知療法や運動療法には科学的なエビデンス(根拠)があります。それで、うつ病の人が回復して元気になった実例は沢山あります。思いやりが増し、共感する力が高くなったというデータもあります。それでも、普通の人にとっては、他者の思いやり、共感、理解に勝るものはないと思います。いまは、心理学、スピリチュアルを長年学んでいる人でも、心を静かにするのが難しい時代です。苦しみを生まない社会に変えるために、出来るだけ多くの人に良質な心理学、スピリチュアルを広めることが必要です。いまの社会は、個人が幸せになることもすごく難しいのです。差別が当たり前になっていますが、その裁きは自分にも向けられ、人は苦しむからです。なんとかしなければいけませんね。人気ブログランキング↑良かったら、ぽちっと応援よろしくお願いします。

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    • 人に合ったことを伝える

      スピリチュアルだけでなく、あらゆることを学ぶときに大切なのは、誰がどんな立場の人に語ったか?だと思います。ある人には、本を読むこと、知識を増やすことを否定することが、実はより意識進化に繋がる場合もあると思います。知識に溺れて、知識を増やすことが目的になってしまい、実践が疎かになっている人には、「知識に溺れるな」という言葉が役に立ちます。ある人には、「あなたは頑張り過ぎだよ。もっと肩の力を抜いて生きようよ」と力を抜くことを伝えることがベストかも知れません。ストイックになり過ぎて、頑張り過ぎていて、心が硬くなり、遊ぶことや休むことに罪悪感を感じる状態の人には、力を抜くこと、心をほぐすことを勧めます。ある人には、「もっと働かないと駄目になってしまうよ。怠け心は悪魔の眷属なんだ」と努力を強調することが役に立つと思います。勿論、教師は、生徒の気持ちに寄り添い、心理学的になるべく根拠のあるお話をすると思います。・杓子定規では多くの人の役には立てない知恵のある教師は、心の仕組みを知っていて、人の心の状態に合わせて変幻自在に教えることを変えます。ブログなどで相手の状態が分からないならば、中観でバランスの取れた視点を中心に話すかも知れません。努力の大切さを説いたら、次に、人には寛いだり、気分転換することも必要だと語る。求めなければ得られないと説いたら、次は、幸せは心の状態であると語る。2つの真実を統合させる。あるがままを受容することも大切であり、たとえば、容姿や老いなどを努力で改善したり、予防するのは限界があり、人生では内的に克服するしかないこともあります。マインドは何を得ても満足しないし、外側は努力しても全てが自分の思い通りにはなりません。多くを所有していなくても、人生をあるがままに受け入れ、あるものに感謝すれば、心が静まり、平安になり、心理的な苦しみも少なくなります。心が静かになれば、行為にスピリチュアルな力が働き、能力を発揮しやすくなり、より良くの努力も良い結果が出やすくなるはずです。でも、常に心を静かにするのにも、たゆまぬ学びと実践(浄化)が必要だと僕は思います。現代では、心理学やスピリチュアルの分野で、あるがままに受け入れる、自己受容するという言葉は、安易に乱用され過ぎています。甘受や許し、瞑想は、そんなに簡単にインスタントな理解で出来るものではないはずです。・学ぶときの注意点スピリチュアルや心理学の本やブログを読むとき、他者に向けられた一面的なアドバイスは、自分に合うかどうか?をよく考えた方が良いと思います。自分ならば、、たとえば、ノンデュアリティを語る場合には、究極的な視点であると、注意点を明確にして伝えます。ノンデュアリティの教えも必要であり、なかったら悟った後の世界観はなかなか分からなかったでしょう。二元論、因果の法則を語る場合は、私はまだ不完全であるという不足感だったり、霊的な差別や裁きを助長しないように気を配る。善い、悪い、高い、低い、優劣という判断は、差別や裁きを生む原因にもなりますから。知ることにより悟る(気づく)知る悟り(気づき)とは、スピリチュアルや心理学の落し穴に学びや体験を通して気づくことです。一面的な視点、極端だけを語ると、学ぶ人の毒になってしまう場合があります。上手く使えば言葉は薬になります。でも、間違って使えば言葉は毒になります。人生は、危険予知、安全対策、自分を知ることの三点が大切かも知れませんね。マスターの言葉でも、考えなしに受け売りで話すのは、道を誤らせる原因になります。読んだ方が、出来るだけ安全に道を歩めますようにと願っています。人気ブログランキング↑良かったら、ぽちっと応援よろしくお願いします。

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  • 22 May
    • 運勢を良くする習慣 1

      今回の記事では、運勢を良くしたり、心の浄化につながる習慣を書いてみようと思いました。・心を浄化して運勢を良くする習慣1、歩行禅(歩く瞑想法)万人におすすめの習慣です。歩行瞑想は、マインドをほとんど使う必要がないので、心が静かになりやすいです。脳の働きを良くするし、健康にも良いので、歩行禅はやらなきゃ損だと思います。スロージョギングも併せてやると、より生命力が活性化し、脳力を高める効果が得られます。でも、ウォーキングだけを楽しむのも気軽で良いものです。立ち止まって景色や花、動物を観察したり、お店を見てまわったり、、、疲れたらカフェに入ったりと、自由にできるのもいいですね。現代はスマホがあるので、休憩しながら読書したり、ブログを読んだり、音楽を聴いたり、ゲームをしたりすることも出来ます。Googleマップを使って、食べ歩きをしたり、行ったことのないお店に入ってみるのも楽しいですよ。歩くことに様々な文脈、彩りを加えるとより頭脳が活性化して、心が潤うと思います。歩行禅のススメ↑こちらの記事で詳しく解説しています。2、掃除・整理整頓掃除も心を洗濯する効果が高いです。靴や車などをいつも綺麗にすることも心にとても良い影響を与えます。仏教でも、掃除をすることで悟りを得たチューラパンタカという人物が居ます。心を洗濯して、運勢を良くするのに簡単で効果的な方法はないか?と、誰かに聞かれたら、徹底的に掃除をして清潔にすることと僕はお答えすると思います。自我(マインド)には当たり前過ぎて軽視されがちなのですが、、聖典の内容をすべて暗記できても掃除が出来ない人より、知識が少なくても、掃除をしっかり出来る人の方が、良い結果が出るはずです。それだけ掃除をして清潔にすることは、スピリチュアル的な意味で大切だとされています。3、健康食について学び、実践する出来れば、スピリチュアルで言われている心に良い食の知識と科学的な栄養学の両方の知識があるとベストだと思います。僕は、忙しい現代人は、ネットで調べたりして、専門家、研究者の情報を調べるだけでも良いと思います。栄養学は、科学的なメカニズムを探求して覚えようとすると時間がかかり、大変な分野です。メカニズムの学びはそこそこに、何が良くて、何が悪いか?を専門家に学び、覚えれば、一先ず大丈夫だと考えています。近年は、何が身体に良くて、何が身体に悪いか?が、科学的にもかなり解明されてきたと感じています。たとえば、カフェインや砂糖、マーガリン、小麦、ジャンクフード、人口甘味料など、、、。残念ながら、調べると、いかに日本の現代の食がスピリチュアル的にも科学的にもよろしくないかが分かります。でも裏を返せば、心を浄化して運命を良く出来る余地があるということであります。多くの人の食習慣が変わるだけでも、日本はあらゆる面で良くなると思います。なぜならば、心が全てのはじまりだからです。人間の行動は無意識が占める割合が多く、食が乱れ、心が汚れ、騒がしくなると、無意識に良くない行動を取ってしまう可能性が高くなります。逆に、人は心が静かになると、頭が良く働き、ひらめきが生まれやすくなり、利他的になり、無意識に良くない行動を取ってしまう可能性が減ります。心が浄化されて、静かになると、潜在意識がプラスに働くようになります。マインド(自我)は、簡単に感じることには価値がない、と決めつける悪い癖があります。でも、世の中には簡単だけど、ものすごく価値があることもあるんですよね。運動や掃除、食事は人が思うより心に大きな影響を与えていると感じています。今回は、有酸素運動、掃除、食習慣について書いてみました。お役に立てたなら嬉しいです。人気ブログランキング↑良かったら、ぽちっと応援よろしくお願いします。

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  • 21 May
    • 全体のために努力する

      大乗仏教、特に密教では、煩悩を無くそうという思いが煩悩であり、障害となるのだとよく言われます。努力が必要だ、というのは、より心が静かになりやすい環境を作るためでもあります。また、仏教で言われているように、怠け心は魔の軍勢の1つであり、身魂磨きの障害になるからです。だから最近の記事では、より良くするための行動を促すために言葉を組み立ててきました。でも、努力が必要だ、瞑想が必要だ、浄化が必要だ、と語ると、「わたしはまだ到達していない」という条件づけが消えません。そのことが不満、欠乏感(=煩悩)を強め、心を騒がしくします。世界や個人(幻想ですが)の人生を真に変えるためには、以下の2つの視点を忘れないようにする必要があると思います。1、あるマスターはあなたは既に完璧であると語ります。2、あるマスターは、怠らずに精進しなさいと語ります。このどちらも真実だと思います。実は、この2つの真実を統合にしたところに、真の自由が存在すると言われています。いまは、世間的には瞑想が流行っていますね。それも役に立ちますが、自己観察、瞑想だけでは、心を静かにするのに途方もない時間がかかってしまいます。次に必要なのが、知る悟り(気づき)です。あなたは既に完璧であるというのは、意識を内側に向けるために説かれています。幸せを求めることで、人は幸せを失います。未来に幸せを求めるということは、いまを否定することですよね。いまに不満がある限り、人は何を得ても満足が出来ず、不満は反対方向のエネルギーを生むので人生に欠乏を引き寄せます。でも、これは一面的な真実です。あなたは完璧だ、外側は幸せとは関係がないという言葉は、心を静かにさせる働きがありますが、極端であり、努力を失いやすいです。ノンデュアリティの教えを学ぶ人がよく使う言葉ですね。神仏だったり、聖霊に委ねる、という言葉もよくお聞きします。委ねるのは何のためか?コントロールを手放し、心を静かにするためですね。マインドの期待や要求(思い通りにという気持ち)が心理的な時間を作り出すからです。でも、計画を立てたり、それに基づいて行動することは、委ねることを邪魔しません。委ねるとは内面の手続きだからです。神に全てを委ねると言って、主体的な努力を失う人も居ます。でも、種を蒔かなければ収穫は得られないというのがこの世界のルールだと思います。現実問題として、普通に生活するために人間はやらなければならないことが沢山ありますね。住まいや衣服、乗り物、食料、その他の生活に必要なものを確保したり、維持するにもお金がかかりますよね。心の浄化の道は長い道のりです。だから、外的な状況を整えることも大切だと僕は思うのです。自分だけでなく、社会が良くなるために、みんなが良くなるためにと願い、行動するのが菩薩道です。自分のためだけの努力ではなく、一切のためにと努力すれば仕事がスピリチュアルであり、御神業になります。大乗の道は自分も周りも豊かにしていく道です。自他力という言葉があります。自分で出来ることを精一杯やって、結果は神仏に委ねるということですね。より良くの行動をしても、瞑想(自覚)を心がけ、結果を神仏に委ねることで、心を静め、磨いていくことが出来ます。知る悟り(気づき)とは、スピリチュアルの落とし穴に学びを通して気づくことです。そのことにより、いまここの自分の状態が分かるようになります。過ちに気づけば、その気づきが愚かさを断ち切ると言われています。まだ未熟で課題が沢山ありますが、、いまの僕の精一杯です。人気ブログランキング↑良かったら、ぽちっと応援よろしくお願いします。

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  • 20 May
    • 日本人の美徳

      ・誠実に生きること前回までの記事では、在ることと行動することを結びつけることの大切さを書きました。でも、より良くする、努力するというだけでは、まだ抽象的であり、何時までに何をどうするか?といった明確な目的意識、時間の制約がないと、人はなかなか行動を起こせず、自らの潜在能力を引き出せないと言われています。計画のない人生は、それが始まったときから無用で、不満の温床にしかならないウィリアム・クーパー『希望』しかしながら、計画に固執してしまうことが人を不自由にしてしまう場合も多いと僕は思います。計画とはあくまで予定であり、状況の変化に合わせて、常に変化を伴うべきものです。この世界は諸行無常であり、一寸先は闇であり、人間の心では予測できないことが沢山起こります。週末に仲間とゴルフに行こうと計画をしていたが、当日はどしゃ降りの雨でゴルフに行けなくなった。天気は良かったが、友人に急にどうしても外せない仕事の予定が入り、ゴルフ行きは中止になった。こうした簡単で分かりやすい状況の変化なら予定を変更することは誰でも出来ると思います。でも、人生では、その後の運命を大きく左右する判断をしなければならない場面もあると思います。ちょっとした判断ミスが大きな問題になったり、ちょっとしたプラスの行動が大きなチャンスを引き寄せる場合もあるでしょう。その時、人間のマインドでは、なかなか因果律を見極められない場合が多いです。後から振り返って、ああすれば良かった、こうすれば良かったとある程度因果律が分かりますが、、、。人間のマインドの浅はかな考え、計画で、ちょっとした目先の利益を追求したために、長期的には大損してしまう場合もあるでしょう。近年、計画的に目先の利益だけを追求して、それで一時的には儲かったが、不正を暴かれ、信用を失い、大損をして失墜した企業のニュースもよくありました。もしバレないとしても悪意で人を騙すことはやるべきではありません。人を騙せても自分は騙せないのですから。たとえば、瞑想を売り物にして、高額な対価を受けとる人は法に対する賊です。目覚めた人ならボランティアにするか、人の負担にならない程度の金額にすると思います。人には計画性も必要ですが、計画に縛られない柔軟な心、センス、利他の心も同時に必要だと思います。計画とはあくまでもマインド(自我)が考える予定であり、人間の浅はかな考えである、という認識も必要ですね。心が静かになった時にもたらされる、思考より遥かに偉大なインテリジェンス、無限の叡智の方が重要だと僕は思います。・行動計画の立て方何時までに何をどうするか?といった明確な目的意識、時間の制約があると、人は、行動に着手しやすくなり、脳の力を最大限に引き出せると言われています。上手くやれば、明確な計画を立てることにより頭の中が整理されて、余計な思考、雑念が減り、よりいまこの瞬間にエネルギーを集中することが出来るようになります。そして、いまこの瞬間に在ることにより、行為にスピリチュアルな力が賦与されます。でも、計画作りに時間をかけ過ぎてしまい、肝心のより良くするための行動になかなか着手出来なくなる場合もあると思います。企業の運命を大きく左右するとか、医療の分野で人の命を扱う仕事だったら別です。建築の分野でも当たり前ですが、人命がいちばん大切なので、安全対策、危険予知には時間をかけるとお聞きします。商品開発の分野でも、みんなで考えて、考えて、アイデアを出し尽くした後に、ひらめきが訪れ、爆発的に売れる商品のセールスコピーが生み出されるそうです。場合によっては、時間をかけて考えた方が良い場合もあると思います。でも、多くの場合は、時間をかけずに紙に簡単な計画を書く方が良いと思います。『5分以内に計画を立てる』と時間の制限を設けて、やることリストを紙に書き出す訓練をするのも効果的です。そうしないと、人はダラダラと計画作りや考えることに時間をかけてしまうからです。たとえば、掃除ならば、段取りをサッと考え、15分以内に終わらせるという風に時間の制限を設けます。勉強ならば、量で目標を立て、一時間で参考書の何ページまでは終わらせると考える。出来る人は、やりながら「こうしたら早い、こうしたら効率が良いかな?」と常に考えているはずです。行動予定表が出来たら、すぐにいま出来る行動に着手する。マインドが嫌だ、面倒だ、億劫だという思考を延々と生み出すのは、具体的に動かないからだと思います。自己(マインド)に打ち勝ち、具体的に動くと、嫌だ、面倒だ、という思考が弱まってきます。車に例えるならば、エンジンがかかります。そして、行為に夢中になることで思考が静かになっていき、気分がノッてきて、逆にやるべきことが楽しくなってきます。所謂、フローとかマインドフルネスと言われている状態ですね。勿論、肉体的に疲れる仕事、頭を酷使する仕事もありますから、人間には休憩してリラックスすることも同じように大切です。行動力のある人は、最初のエンジンをかける点火が上手いと感じています。本当に少しのマインドセットの違いであり、訓練すれば誰でも行動力のある人になれると言われています。勤勉に一所懸命に働くことは、近年では泥臭いと思う人も増えたかも知れませんが、日本人の世界に誇れる美徳であると僕は思うのです。勤勉さは、スピリチュアルでも必要とされる力の1つであり、美徳だと言われています。世界を観察すると、人が望む引き寄せ(幸運)は、汗水を流す人、自分を出し切る人によく起こってると分かります。よく働く人、一生懸命な人って僕はカッコいいし、美しいと感じます。人気ブログランキング↑良かったら、ぽちっと応援よろしくお願いします。

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  • 18 May
    • 小さなことを大切にする

      大きなことは、小さなことを大切にするなかから生まれます。偉大だとか立派だとかいうのは精神抽象的な概念で、エゴの大好きな幻想です。偉大なことの基本は、偉大という概念を追いかける代わりに、いまこの瞬間の小さなことを大切にすることなんです。エックハルト・トール  (ニュー・アース  より引用)大きなことは小さなことを大切にするなかから生まれるとエックハルトは述べています。「小さなこと」というのは、日々の仕事、家事でのやらなければいけない細々としたことを指すと思います。人生というのは、細部の組み合わせで成り立っています。日々の小さなことをいい加減にやる人には決して大きなこと、偉大なことを成し遂げることは出来ないといわれます。・小さなことは大きなことに優先する建築を例にすると、美しく偉大な建造物は、細部まで考えられた心づかい、気配りがある仕事がなされているそうです。歴史的な建築物、美しい教会や寺院などを造る一流の職人と言われる人達、偉大な仕事をする人達は、皆、小さなことをとても大切にしているそうです。当たり前のことかも知れませんが、、一流の職人の方は、あいさつ、礼儀、マナー、掃除、整理整頓、物の管理などもシッカリしていて、出来た人間だというイメージがあります。ただ仕事の技術が一流なだけでなく、普通の人が取るに足らないと考えがちな、当たり前のこと、小さなことまで本当に大切しているな、と感じます。「仕事が出来ればそれで良いのだ」という考え方ではないのですね。「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組を観ていて気づいたことがあります。人によって個性がありますが、一流と呼ばれる人は、普通の人が泥臭い雑用とか面倒な雑事と感じるようなことを率先して行っているのです。鉄鋼王であり、歴史的な大富豪であるアンドリュー・カーネギーも成功者とは万人の召し使いにもなれる人であると語っていたそうです。夢を描き、大きな目標を持ち、実現に向けて行動するというのも良いと思います。でも、大きなこと、偉大なことを成し遂げることが出来る人になるには、日々の当たり前のこと、小さなことを大切にして、人間としての土台をシッカリと固める必要があると思います。日々の雑事や務めに意識を込めて、シッカリやることが、偉大なことの基本であり、はじまりであると。家事だったら、なんとなく自己流で料理や掃除、洗濯などをするのではなく、いまやっていることに意識を込めて、常により良く出来るように考えて、瞑想の境地で行ってみる。余計なことを考えずに、一心で雑事を行うトレーニングをします。雑念に巻き込まれてしまってもガッカリせずに、再び行為に意識を戻します。全く何も考えないのではなく、考え過ぎるのでもなく、マインドを召し使いのように使えるように訓練します。嫌だ、面倒だ、という思考、気分と同化したり、余計なことを考えてしまうならば、マインドに使われてしまっているということです。それでも、穏やかに何回でもいまやっていることに心を戻せば良いだけです。一心で、マインドフルに行為することにより、行為に偉大な力が流れ込みます。いまに在ることにより、心が浄化されて、集中力、自己を制する力が磨かれていきます。心が浄化されるということは、苦が減少して、愛が深まっていくということですね。この訓練は、運命にすごく良い影響を与えられると思います。なぜならば、人生で人に与えられるものは、心魂に応じたものと言われているからです。座る瞑想や歩行禅などに取り組んでいる人は多いと思いますが、それ以上に大切なのが、日々の小さなことを大切にすることだと思います。仕事嘉事として仕えまつれよ。不足申せば、不足うつるぞ。喜びは喜び生むぞ。下座の行大切。日月神示↓良かったら、ぽちっと応援よろしくお願いします。人気ブログランキング 

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  • 17 May
    • ”天地和合の道” 2

      常により良くしようと努力すると語るのは簡単ですが、向上心を持続することは難しいことですよね。求める(動き働く)ことは、心を動かし、騒がしくするので、エゴにとって苦しみを伴います。でも、心が騒がしくなることをすることは、そこに浄化されていない心の汚れや恐怖があるので、悟り(浄化)のチャンスにもなります。恐怖があるならば、逃げずに向き合い直面することで一時的に心が暴れますが、目覚めて感情を味わい尽くすことで、恐怖を克服することが出来ると思います。たとえば、歌手を目指す人が「ステージに立つことが怖い」と言って逃げていたら、いつまでたっても恐怖を克服することは出来ないはずです。たしかに失敗して恥をかいたり、否定的な評価をされるかも知れません。恐怖を克服するのには、何ヵ月も何年もかかる場合もあるかも知れません。それでも直面しなければ、恐怖を克服することは難しいと思います。心理学では逃げるという行為は、恐怖している対象を実際よりも想像の中で大きくして、恐怖を強めるし、自尊心を傷つけるそうです。多くの場合は、恐怖に直面してみれば、想像するよりも大したことではなかったと感想を持つ人が多いそうです。また、恐怖を感じながらも逃げずに直面するということは、自尊心にとって長期的な良い影響を与えるようです。たとえば、はじめて車を運転するとき怖かったはずです。それでも逃げずに向き合い、努力することで運転技術が身についただけでなく、心理的に強く(心が暴れなく)なれたと思います。恐怖に直面して、目覚めて味わい尽くす、これは心理学的なアプローチの一つです。悟りにも様々な道があるように恐怖を克服するのにも様々な方法があります。準備したり、心が静かになりやすい環境を作り、恐怖(エゴ)を克服するというのも良いと思います。瞑想や心理学を学ぶことも役立つと思います。運転が怖いなら、しばらく直面するのをやめて、知識を増やしたり、先人に運転のコツや心構えを教えてもらうなどします。運転の上手な家族や友人と一緒に車に乗って、手取り足取り教えてもらえたら、恐怖を克服するのは容易になると思います。それでも運転がどうしても苦手なら、(人並み以上の上達を)諦めてしまうのもアリです。(普通の車ならほとんどの人が運転出来ると思いますが、、車をよく使う仕事は向いてない可能性があるという意味です)逃げるのではなく、自分には向いてない、合わないのだから仕方ないと開き直る、気にかけない、悩まないことです。潔く諦めて、他の可能性を考えてみることです。歌手を目指す方もそうです。歌手になりたいという願望は、エゴ的な欲望であり、実は向いてない可能性もあります。出来ない自分を認め、受けいれ、なるべく悩まないことが大切です。そして、新しい道を探し、夢中になって努力すれば道は開けると僕は思います。世の成功者と言われる方も読字障害があったり、対人関係が不得手だったり、苦手なことが沢山あります。J・クリシュナムルティは、勉強が得意ではなく弟や側近の方が学問的には優秀だったそうです。エックハルト・トールは、約束をするのが苦手で、締め切りを守れずに怒られたり、悩んでいる普通の人にニコニコしながら「悩みは幻想なんですよ」と言って、怒られたりしています(笑)覚者(悟った人)も出来ないこと、苦手なことがありますし、失敗しています。人間の恐怖には、人から嫌われるのではないか?否定されるのではないか?という不安が多分に入ってると思います。人からの評価や現象は、完璧にはコントロール出来ないので、神仏におまかせして、起こるがままに任せる、気にかけないのも恐怖を克服する心の持ち方です。勿論、社会人としてのマナーだったり、自分の行ない、発言、振舞いに気を配る必要はありますが、人からの評価は決してエゴの思い通りにはなりませんから。努力だけして、起こることを神に任せきるのも役立つと学びました。自分もまだまだ未熟ですが、学んだことを再確認する意味で恐怖の克服について表現してみました。・求めることを恐れない悟りでも何でも求めなければ得られないというのは普遍的な真理だと思います。勿論、仕事での成果や恋人などを求めても得られる保証はないですし、究極的には幸せとは関係がないと思います。でもね、、求めて何が悪いのか?と僕は思います。たとえば、、世界の一切の人が精神的にも物質的にも豊かに幸せに暮らせる社会を求めることは悪いことでしょうか?1、何かを求めると心が騒がしくなるから求めないというのは不自由です。2、何かを求めて、未来に幸せを期待して、いま(自覚)を失うのも不自由です。外面的には求めながら、内面的にはいまに在ることが真の自由の境地だと僕は思います。いまを甘受しながら、外面的にはより良くなるように積極的に行動するということです。悟り系の人は、『外側は幸せとは無関係である』として求めること、外側をより良くする努力を軽視する人も居るように感じます。でもそういう人は考えてみてほしいのです。いま言葉が話せて、ブログを読んだり書いたり出来るのも、悟り系やノンデュアリティの教えだけが大切だったからではなく、両親や学校の先生などのおかげで国語を学ぶことが出来たからです。世界には教育を受けられず、文字を読んだり書いたりすることも出来ない人も居ます。日本は、先人のより良くしようという努力のおかげで平等に教育を受けることが出来る社会になっていると思うのです。みんなが「外側は幸せとは関係がない」として努力を失ったら社会はどうなるでしょうか?文字の読み書きすら出来なければ、社会でまともな仕事をすることが出来ないと思います。世界をより良くするために働くことは、神の定めた摂理に適うことだと僕は思います。家族や友人、恋人を求めたり、愛して何が悪いのでしょうか?求めに要求が入るとエゴ的な行為になると思います。自分が愛するから愛せ、では要求であり野獣(エゴ)です。求めながらも要求を手放し、人をまごころで愛せば、菩薩道であり、摂理に適う行ないだと思います。求めが悪いのではなく、いまここの自覚、神仏とのつながりを失うことが社会に悪を生みます。人気ブログランキング↑良かったらぽちっと応援お願いします(  ̄ー ̄)ノ

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    • 天地和合の道

      人生は、動かなきゃ何事もはじまらないと思います。人は積極的に動くと心が騒がしくなりやすいのですが、この世界は動かなければ基本的には何も得られないですよね。仕事では結果を求められ、結果を出すためには、余計なことを考えずに仕事に集中する、いまここに在る必要があるので、仕事は、サマタ瞑想のトレーニングにもなっていると思います。ですが、感情と同化してしまう普通の人は、うまく行かないとき、思い通りにならないときに心が騒がしくネガティブになり、在る意識、いま(自覚)を失いやすいのです。やはり、マインドを浄化して、社会に本当の意味での思いやりをもたらすには、人はどうしても心の法則を知る必要があると思います。なぜかというと、マインドは常に不満を作り出し、いま(本来の自分)を覆い隠そうとするからです。動きながら心の動きを観つめ、目覚めを持続すること、静かにすることができる人に、世界を真に変える力、より良くする力がもたらされると言われています。でも、心の仕組みと意識の目覚めを知っても、心配、悩みの種が多い現代では、心を静かに保つのはとても難しいことであります。世界から心配事を減らすために、もっと多くの人が目覚める必要があると僕は感じています。求めなさい。そうすれば、与えられます。探しなさい。そうすれば、見つかります。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求めるものは受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる(マタイ7ー7)この言葉は、真実の半面を表しています。いままでの成功哲学は求める(動く)ことだけを中心に教えてきました。だが、野心を持ち、より多くを求めることにより、人は神仏との繋りを失い、知慧と思いやりを無くし、世界には無慈悲な争いが生まれます。心が騒がしくなり、神仏との繋りを失った状態では、何を得ても満足が出来ないし、互いに利己的になり足を引っ張り合う、野獣のような世界になります。でも、心を静かにすること、神仏との繋りを取り戻すことは、この世界で最も価値のあることですが、それも真実の半面であります。悟り系を学ぶ人の多くは、心を静かにすること、内面を良くすることばかりに囚われてしまっているように感じられます。どちらも極端であり、中道を歩く人がすごく少ない印象です。この世界では、種を蒔かなければ収穫は得られない。一歩も走らずにマラソンランナーになった人は居ない。一行も書かずに小説家になった人は居ない。この世界は代償を必要としない報酬など存在しない。収穫の法則は、成功哲学でよく目にする言葉ですね。裏を返せば、ポジティブな行動を取れば、誰でも「高い確率で良い変化を起こせる」ということでもありますね。何かを得ること、自分を高めることは「幸せとは関係がない」として努力を失うのは勿体ないことです。努力を失ったら人は草木より役に立たなくなってしまうと日月神示では言われています。人間の頭脳や身体は使わなければ急速に衰えます。より良くする努力を失うと、人は普通に生活すること自体が困難になります。・継続は力なり現代では、「成功する方法」ならインターネットや専門書を読めば簡単に分かる時代になりました。勿論、何らかの分野で職人レベルの技術になるには成功する方法を知っても5年、10年の努力が必要になると思います。理屈で「成功する方法」を知っても、継続した努力、行動がなければ、人は進化、成長することが出来ない、というのがこの世界の仕組みだと思います。これは心の浄化にも言えることで、どんなに優れた師に瞑想や生き方を教えられても、一足飛びに心を浄化して悟りを得ることは出来ないということですね。この世界で望ましい結果を出すには、継続した努力、行動がどうしても必要になります。世界では、日月神示が示すように、霊性と形の両面で努力する、天地和合の道を歩く人が求められています。現代では、科学技術、文明の発達により、人は、因果(運命)に良くも悪くも大きな影響を与えられるようになりました。科学技術は人類に多くの恩恵をもたらしましたが、マイナスに作用している側面もまだ多いように感じます。たとえば、スマホやパソコンは人類に多大な恩恵をもたらしたが、インターネット依存症などにより、脳の司令塔と呼ばれる、前頭前野の脳力が低下したり、運動不足による健康への悪影響もあると言われています。目を動かさずに、平面ばかり観ている時間が長くなると、脳力の低下の大きな原因になるそうです。身体を積極的に動かし、『体験学習』することの価値を、現代ではもっと見直す必要があると思います。インターネットのおかげで暗記や情報収集、理論の研究に要する時間が減ったのだから、より体験学習や創造性、アウトプットを重視した方が良い時代になったと言えます。たとえば、身体の鍛え方と検索するだけで、それに関する質の高い情報が簡単に手に入るようになりました。現代では、机上の知識を頭に詰め込むことよりも大切なのが、いまに在る力、自分で考える力、行動力であると僕は思います。つまり、情報を活かす知恵と神仏との繋りからもたらされる『知慧』が世界に変革をもたらすのに必要だと感じています。知識を活かす『知恵』と心を静かになった時にもたらされる神仏の『知慧』を兼ね備えた人を、本物の賢者と呼びたいと思います。         

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  • 16 May
    • あきらめないことが大事

      瞑想でマインドを止めて観るのは、心を静かにするために行います。瞑想は、人生をあるがままに受けいれること、甘受ですね。そのことにより、過去の痛みや苦しみが少しずつ消えていき、引き寄せにも変化が起こると思います。次に大切なのは、これからの人生をどのように生きるか?より良くするには何をしていけば良いのか?日々、自分を省みて、考えて、プラスの行動を取れれば最善だと思います。1、在ること、心を静めること2、努力して人生をより良くしていくことどちらも簡単ではありませんが、バランス感覚が大事だと僕は感じています。やるべきことに追われ、どうしても心が騒がしい時は、いまここを忍受してやるべきことをやってから、時間ができた時に心をじっくり観察するという場合もあると思います。人生には何をしても心が騒がしくて、苦しい時もあるし、忙しくて瞑想する時間がないときもあります。でも、どんな苦しみも生きていればいつかは解決出来ます。「これもまた過ぎ去る」心を静めること、状況を変えるのに、物理的な時間がかかる場合があるだけです。苦しみ気づいていること、目覚めて感情にスペースを作っていることで、意識の変容は既に起こっている。鏡を覗いても昨日の自分と今日の自分の変化は分からない。でも、ダイエットや筋トレと同じように、何事もやればやっただけ報いがあるのだ。何事も農夫の心構えで、すぐに投げ出さず、続けることが大事なのだと。僕は、たとえ明日に今回の生が終わるとしても心を静かにする努力には意味があると思います。完成してなければ、人は輪廻するのだから、来世にプラスになるのだから、物事を途中で投げ出さずに、どんな状況でもベストを尽くしたいと思います。・甘受して処理すること行動を効果的なものにするために、紙に簡単な計画だったり、やることリストを書いてみるのも良いかも知れません。マインドは過去の「私」を維持しようとしますが、止観の瞑想や日常生活で目覚めていることで、少しずつ、過去の記憶の束縛から自由になっていけます。心を静めると同時に、より良く、より良くと積極的に行動することで、自分だけでなく、一切の幸せに貢献できたら素晴らしいですよね。仕事に一所懸命になり、夢中になり、我を忘れて打ち込むのも立派な瞑想の境地だと思います。内にあるもの変えれば、外から響いてくるもの映ってくるもの変わるぞ。よく祈るものは、よく与えられる。日々の祈りは行であるぞ。仕事しなければならん。芸術しなければならん。運命と宿命は同じではない。人は磨けばどんなにでも光るぞ。日月神示

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  • 06 Apr
    • 心を浄化して運勢が良くなる食生活

      日月神示では、少食にして、五穀野菜の類を食べることが心の浄化に大いに役に立つと言われています。それだけでなく、神示では正しい食生活にすると運勢が良くなり、心身が健康になり、病も治りやすくなると言われています。聖者であるラマナ・マハルシは、菜食にすることが心を静かにするのに資すると帰依者に教えていました。ブッダは、食事の内容は分かりませんが、一日一食で、食べる量もそれほど多くなかったと伝えられていたように思います。聖なる存在が『異口同音』に正しい食生活について言及しているのですから、食生活が心や運命に与える影響はすごく大きいと考えられます。でも昨日まで食べたいものを好きに食べていた人がいきなり少食にしたり、肉を断つのはなかなか難しいと思います。急に少食にしたり、肉を完全に断つことは、かえって心を騒がしくして逆効果になる場合もあります。ですから、少しだけ毎日の食事の量を減らしたり、哺乳類の肉を食べない日を意識的に設けるというのも良いと思います。僕は肉を食べないときの主なおかずは納豆、めかぶ、豆腐、漬物、梅干し、海苔、味噌、昆布、キムチなどです。スーパーのいなり寿司や味噌おにぎりも好きです。でも人より食べる機会、量が少ないだけで、肉や魚も感謝して頂きます。好んで焼肉だったりトンカツの店に行ったりしないだけです。次にスピリチュアルの視点だけでなく、科学的な視点から正しい食生活をすることのメリットを書いてみます。1、少食はやる気を高め、脳の働きを良くする空腹の時に胃から出るグレリンというホルモンは、ドーパミンの分泌を促し、脳を活性化させて、行動力を高めます。また、グレリンは脳の海馬という記憶に関わる部分を活性化させて、記憶力を高める効果もあります。ハングリー精神とボクシングの世界では言われますが、科学的にもハングリー(空腹)だとやる気、行動力、脳力を高めることが明らかになりました。どうしても目標を達成したい、好きな異性と結ばれたい、という願望がある方も少食にしてハングリー精神を生み出し、トライしてみるのも良いかも知れません。2、少食は免疫力を高め、病を予防する少食にするとNK細胞(ナチュラルキラー細胞)が活性化して、免疫力が格段に高くなり、病を予防したり、治りやすくなるようです。食費が減るだけでなく、様々な病を予防する効果もあるので、食費だけでなく、、医療費というお金も同時に稼いだと考えるのも良いですね。一回少食にするだけで、2000円のプラスになると仮に考えたらどうでしょうか?これは少食は、食費や医療費を減らすだけでなく、頭脳の働きを良くして、やる気を高め、仕事や私生活でもプラスの働きをするからです。食事を減らすだけで、様々なプラスの効果がある魔法の薬を飲んでいるとイメージするのもオススメです。3、少食は若返り効果がある少食にすると若返り遺伝子が活性化して、老いを遅くする効果があるそうです。その効果を若返りのプチ整形とかの金額に換算したら、これまたお得ですよね。特に女性には嬉しい効果ではないでしょうか?上記は科学的な少食・健康食の効能ですが、スピリチュアル的な効果も併せて考えると驚きます。・スピリチュアルで言われている少食の効果と併せて考える1、心を浄化する2、運勢を良くする3、病が治りやすくなる4、大難を小難にする5、心が勇んでくる6、若返り効果がある7、やる気、記憶力を高め、頭の回転が早くなるたかが食を慎むだけで、こんなに良いことがあるんですね。如何でしょうか?自分でも書いてみてビックリしました(笑)良かったら、最強の開運法の1つである、少食・健康食にトライしてみてくださいね。仕事での努力や奉仕、自己観察(いまに在る)と組み合わせたら、より運命に良い影響を与えられると思います。今回の記事もお役に立てたならば幸いです。オススメ記事なので、リプログしてもらえたら嬉しいです。ではまた

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  • 04 Apr
    • 因果の法則のワナ

      ・因果の法則のワナを知る因果の法則を学ぶことは良いことなんですが、神仏の智慧の部分情報であり、実は正しく理解しないとエゴに利用され、運勢を悪くする危険性があるんです。たとえば、仏教では不妄語(ふもうご)といって嘘をついて人を騙したり、陥れたりすると負のカルマになり、何れ悪い報いをもたらすと言われます。では嘘をつく人を裁いたり、非難することは正しい行為でしょうか?「嘘をついて人を騙したアイツには天罰が下る」「あいつは詐欺師で最低な野郎だ」「私を騙した○○は許さない」などなど、多くの人が罪を犯した人を裁くこと、許さないことは、当たり前であり、正しい行為だと感じています。ですが、実は多くの人が『当たり前』だと感じていることに、心を汚し、運勢を悪くする落し穴があったんです。人のマインドは、みんなが裁いたり、非難するなら正しいことであり、悪業ではないと勘違いしますが、その多数決に悪魔が潜んでいます。生きるうえで、自分の考えを主張すること、間違いを正すことは必要ですが、憎しみや怒りを心に根づかせ、人を非難して攻撃するのは悪業になります。悪はそのままで良いというお話ではありません。自分の考えを主張しても良いし、間違いを正すのも良いのです。憎しみや怒りに気をつけましょうということです。滅びに至る門は大きく、その路は広く、これより入る者多し。聖書若いうちにスピリチュアルの落し穴に気づける人が居たらラッキーだと思います。僕みたいな探求に時間を費やした人間の役割は、スピリチュアルの落し穴を知ってもらうことで、安全に道を歩めるようにすることだと考えています。人類は、スピリチュアルの分野でも数え切れない過ちを犯し、失敗をしてきました。過ちをこれからの自分や後世の人に役立てることで、進化の時間の短縮をもたらすことが大切だと感じています。聖典や聖者の教えも完成形ではなく、より分かりやすく、より道を誤りにくいようにと洗練させる必要があると考えています。エックハルト・トールやどんなに実力のある人の教えでもいくらでも改良の余地はあるということです。そう考えると、ある意味、希望がありますよね。いまの科学で治らない病でも人類が努力していれば、治る病になる可能性があります。同様にいまのスピリチュアルの教えで解決が難しいことでも、改良していけば、容易になることも増えるはずです。長くなるので、このお話はまた今度にします。・スピリチュアルの落し穴スピリチュアルをよく学んだ人でも無意識の裁き、不満、怨恨を克服するのは、なかなか難しいことです。なぜならば、エゴのワナは巧妙で、気づきにくい形も多いからです。分かりづらい形で言えば、、、・人を裁く人を法に反するとして裁く・人を非難する人を間違っていると非難する・悪口を言う人の悪口を言うこのような分かりづらいワナもあります。「汝裁くなかれ」と聖典にはありますが、人を裁く人を「お前は間違っている」と怒り、裁き、非難するという間違いを犯してしまうケースがまあ世の中よくあるんです。僕も「あっ無意識に裁き、非難してしまっていた」イカンイカンと反省すること多々あります。(笑)因果の法則を学び、物事を良いこと、悪いことと判断したり、人に主張することは、この世界で役割を果たすために必要ですが、スピリチュアルの知識ですら、エゴに利用される危険性があります。・私は人より知っている・私は霊的に優れている・私は特別だこういった慢心、思いあがりにも気をつけていく必要があります。なんですが、自分を裁き、非難するのもエゴの策略です。神仏に懺悔すること、反省すること、改心して行ないを改めることは役に立つので必要です。でも自分を裁き、非難し、うじうじ悩むのはエゴに餌をやり、心を汚し、苦しみを強めるので役に立たないんです。簡単に言えば、、自分や他者に対するあらゆる不満、怒り、非難、怨恨を根づかせないように常に手放す努力をします。千回でも一万回でもネガティブに気づいたら役に立たないとして手放す努力をするこれは内面の努力です。怒りや憎しみを全て無くすのは無理でも、手放す努力により、苦しみを減少させ、なるべくエゴに餌をやらないことが大切だと思います。そうすれば、我(エゴ)という病が小さくなっていき、人に何かを言われても心が影響されなくなっていきます。神示では人は磨かれれば、他者に何か悪口を言われたり、打たれる可能性も少なくなると言われています。逆に怒りや憎しみを持つと悪から打たれるめぐりを作ってしまうようです。(^_^;)誰かに非難された時、、手放す努力をしながら、沈黙するか、受け流すか、言うべきことを主張するなど状況により適切だと思う行動を選択すれば良いのですね。手放すことと適切なアクションを結びつけましょう。心の浄化は時間のかかる作業です。怒りや憎しみをパッと無くせると思わない方が良いです。仏陀ですら七年かかりました。だから、人は少しずつ着実に進歩していければ良いのだと僕は思います。ちょっと長くなりましたが、お役に立てたならば幸いです。

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  • 30 Mar
    • ひふみ祝詞のススメ

      若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ日月神示ひふみ祝詞を唱えると神の息と合い、大難を小難にしたり、心の病が治ると言われています。重苦しい感情があるとき、生きる気力が湧かないときは、ひふみ祝詞を唱えることで邪気を祓い、心を鎮めるのが特に効果的です。心が騒がしい時、座る瞑想をする前など、普段からひふみ祝詞を唱えることを習慣にするともっと良いと思います。神示では、3回唱えよと言われていますが、神の息と合うまで、心が安らかになるまで、必要な時は10回でも20回でもひたすら唱えてOKです。ひふみ祝詞の唱え方  オススメ記事僕は以下の動画の1分30秒くらいまでのメロディを、鈴の音に合わせて、手拍子をしながら唱えています。

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    • 究極の運動法を考える 1

      先ずは、最初に読んでもらいたい記事のリンクです。歩行禅のススメスロージョギングまとめ運動の効果  まとめ科学的には、運動では、スロージョギングが、最も健康増進、成人病の予防、脳力開発に効果があると言われています。スピリチュアル的には、歩行禅、歩く瞑想法が最もお手軽で効果が高い、身魂磨きの方法です。ヨガや気功、太極拳、ダンスなども邪気の発散、浄化に役立つと思いますが、プロに習わなければ実践するのは難しいです。ウォーキングやスロージョギングは、独学でも危険が少ないうえに、簡単で効果的なのが良いですね。・最新の運動法のご紹介今回は、スピリチュアルと科学を統合した最新の運動法を、ご紹介します。それは、すごく簡単なんですが、歩行禅とスロージョギングを交互に行うことです。ジョギングでちょっと疲れたな、と思ったら、歩行に切り替えるという簡単な運動法です。歩行禅の心を静め、意識を浄化する効果とスロージョギングの脳力を高め、生命力を活性化させる効果の両方が得られます。歩行禅とスロージョギングにより、霊性と形の両面の弥栄(いやさか)を生み出す力がもたらされるのです。心の静けさと積極的な行動力女性的な柔軟性、落ち着き男性的な行動力、勇ましさインド哲学でいえば、サトワ(純性)という陰と陽のエネルギーが統合された、神人合一の意識状態に一時的になります。その力は、仕事や私生活で大いに役に立つと思います。静と動の運動法でエネルギーを高めて、意識状態を良くすれば、あらゆることにプラスに作用すると思います。たとえば、音楽家は、音楽が仕事であり、中心ですが、運動と瞑想はその活動を大きく支援するエネルギーと心の安定をもたらすということですね。ただし、瞑想とはいまこの瞬間に在ることで、何かを得ようとすると本当の瞑想にはならないんですね。いま~をすることで、未来に~を得られるという野心、欲望も心を騒がしくして、瞑想の障害になります。本来の自分を覆い隠す、心の汚れを洗濯するために、静かにするために、この運動や瞑想はするわけです。だから、ひたすら行為とひとつになり、心を静かにすることを意識してくださいね・歩行禅のやり方歩行禅では、テイク・ナット・ハンさんの言葉ですが、、「大地にキスをするように」受動的に、さりげなく、歩行に意識を集中させます。自動思考や感情などに巻き込まれないようにしながら、大地にキスをするように、一歩、一歩に意識を込めます。この際、閉め出すような、力みのある集中では「本当の瞑想状態」になれません。「受動的な集中」と言いますか、リラックスして、さりげなく、歩行に意識を向けます。閉め出すのではなく、開放的な集中です。同時に、いまここの状況の全体に気づいている状態です。リラックスして、鋭敏であることです。人生では、いつ何が起こるか予想外のことが多いですよね?だから、人生に瞑想しましょう。歩行に意識を向けつつも、いまこの瞬間の「人生」にも同時に鋭敏であることが理想的な状態です。仕事をする時も同じですよね。仕事という木に意識を込めながら、「人生」という森にも気づいていること。これを開放的な集中、受動的な集中と呼びます。雑念に巻き込まれたら、気を抜いてしまった自分を批判せずに、またすぐに歩行&いまこの瞬間の生に意識を戻せば大丈夫です。自分も未熟ですが、これからも身魂磨きに励んでいきたいです。

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  • 28 Mar
    • 日月神示の紹介

      日月神示   黄金の巻黄金の巻は、日月神示の中で最も読みやすい巻だと思います。本当の祈りとは、身・口・意で表す行為であると書かれています。このサイトでは神示の内容が全文掲載されていますので、良かったら読んでみてくださいね。声に出して読むだけでも霊的な進化に役立つと言われています。なわふみひと氏の日月神示の解説なわふみひと氏の日月神示の解説です。神示が伝えたいことが、とても分かりやすく、凝縮されて解説されていてます。はじめて読む方に役に立つと思います。・日月神示は生き方を教えてくれる日月神示は身魂磨きの方法だけでなく、本当の意味での『引き寄せの法則』も書かれています。永遠の立場から、本当の幸せな人生を歩むためには、スピリチュアルの理屈を知るだけでなく、生き方、行動に表すことが大切であると分かります。心が静かになり、不満がなくなれば、人はいまここでも幸せだと言われますし、僕もそう思います。ですが、そのことを頭では分かっていても、なかなか体現出来ないのが人です。『理屈は泡の如し』いま流行りのノンデュアリティとかの理屈だけを何回聞いても、あまり役には立たないと僕は思います。ノンデュアリティ系の教えには、この二元の世界でどのように生きるか?という指針が欠けているからです。・起きてることしかない・あなたは存在しない・幸せは現象とは関係ないこれで人の心が静かになり、不満がなくなれば、いまここで幸せですが、実際はどうでしょうか?ブッダが何のために八正道という八つの正しい生き方、道を説いたかというと、この世には、心を清らかにする行動と汚す行動があるからです。悟り、幸せはいまここに在るが、いまここに在ることを邪魔する障害、心の汚れを克服するために、『日常の生き方』が大切になるということです。ノンデュアリティは理屈としては真実ですが、それだけでは不充分です。日月神示などの聖典やブッダなどの聖者から生き方を学び、実践することが、遠回りのようで近道であると僕は考えています。それでは是非、良かったら、日月神示を読んでみてくださいね。神示を信じる必要はなく、1つの参考書、数ある中の1つの道として捉え、読んで頂けたらと思います。

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  • 26 Mar
    • 日月神示の言葉

      神に心皆まかせてしまって肉体慾捨ててしまって、それで嬉し嬉しぞ神限りなき光、喜び与えるのぞ。日月神示  風の巻・本当の明け渡しとは?肉体慾を捨てるというのは、現世利益を期待する心、エゴ的な欲望を手放すことです。「宇宙にお任せすれば良いことが起こる」「宇宙に任せれば願いが叶います!!」みたいな現世利益を期待する明け渡しを説く教えは、一見正しいようで、エゴを温存させる魔の教えだと思います。欲望を叶えようと宇宙にお任せするのは、明け渡しではなく、取引です。正しい教えか?を見極めたい場合は、その教えは、心が静まるか?に焦点を置くと真贋を見極められると思います。「宇宙にお任せすれば願いが叶う!!」「予想外のラッキーがたくさん起きる!」イミテーションの教えでは、エゴにとって甘く魅力的な、上記のような言葉がよく使われます。悪魔は甘い言葉で人のエゴ的な欲望を煽り、いまを失わせ、幻想(マインド)の世界に留めさせ、眠らせます。そして、怠け心を助長して、努力を失わせて、人の心を骨抜きにするのです。末法の世には、一見、人を悟りや幸せに導くようで、『霊的な進化の足止め』をさせる魔の教えが流行すると言われます。少し前の時代は、悪霊は、カルト宗教や引き寄せの法則、成功哲学を流行らせて、人の煩悩を煽り、憑依しやすくなるように洗脳していました。実は、欲望を煽ること、エゴ的な願いが叶うイメージングなど、妄想をさせることは、悪霊との感応を強める危険な行為です。悪霊も時代に合わせて、悟り系やノンデュアリティなどの教えに紛れたりして、巧妙に変化していくということですね。歴史を考えても、聖者や聖典の教えをねじ曲げて、都合の良いものにして、人を洗脳して金儲けをしたり、反社会的な活動をしたりした団体はいくらでもありますよね。全ては悪神、悪霊の仕業です。でも魔の教えを引き寄せるのは、その人のマインドに不純性や弱さを持っていたからです。楽して甘い汁を吸いたい。身勝手な欲望を叶えたい。こうした不純な想いがもともとあったから、不純な教えに惹かれてしまうわけです。本当のお任せとは、、内面的には、神仏を心から信頼して、「思い通りに」というエゴ的な期待や要求を捨てて、舵を放すことだと思います。たとえば、仕事や恋愛、大学入試、人生を左右する出来事などは、人は良い結果を強く期待してしまうと思います。期待や要求が強いほど心が騒がしくなり、苦が大きくなると思います。そんな大事な時でも、神を心から信頼して、どんな結果でも永遠の立場からは必要な体験だとして受け入れます。恋人に振られる、入試で不合格になるという悪い結果でも、いままでの想念と行為の結果であるとして甘受します。起こったことに不満や恨みを持っても状況は変わらず、心と身体に苦しみを与えるだけだからです。所謂、悪いことが起こったとき、それで過去のカルマが解消されたと考えるのも良いと思います。その時に、ネガティブ性を手放すことにより、新たなカルマを作らなければ、負のカルマがより早く無くなります。明け渡しは、より良くする努力をして、結果に不満を持たず、人生に抵抗せず、いまをあるがままに受けいれる生き方と言われます。難しいですが、日々の小さなことから練習していきたいですね。勿論、社会には、受けいれるのが困難な苦しい出来事はいっぱいありますし、僕も未熟で、難しく感じていて、修行中です。次回は現実的にあるがままを受けいれることを考えていきましょう。神に任せきると申してもそれは自分で最善を尽くして後のことじゃ努力なしに任せるのは悪任せじゃ悪任せ多いのう日月神示  春の巻善任せ、つまり状況をより良くする努力をして、そのうえで、神仏を信頼しておまかせしていきましょうね。そうすれば、心が静まりやすくなり、人生の苦が減り、行為にスピリチュアルな力が賦与されるはずです。

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  • 25 Mar
    • 真のスピリチュアルとは?

      心理学やスピリチュアルを長年学んできてお伝えしたいことがあります。真のスピリチュアルとは日々、怠らずに精進して、身魂を磨くことだと僕は感じています。つまり、自分自身(エゴ)に打ち勝つことです。ブッダも自己(エゴ)に打ち勝つことは、「最大の勝利である」と言っていたようです。怠け心は魔軍の軍勢の1つで、悪魔の眷属であり、エゴを制するために打ち勝つ必要があるものとされています。そのため、仏教では怠ることなく精進しなさいとよく言われます。僕が様々な聖典や心理学で学んだことは、自己を制して、人生を誠実に、一生懸命に生きることが最高のスピリチュアルであるということでした。たとえば、部屋を掃除せずに散らかり放題にすることは、究極的には善でも悪でもありませんが、心に汚れがあり、意志力、自制心が弱いということが分かります。逆に常に居住空間を清潔に保つ努力をすることで、意志力、自制心が強くなり、心の汚れが洗濯されて、運命にも良い影響を与えます。仏教では掃除をして清潔にすることを重視しますが、それは外面へのプラスの働きかけにより、内面が清らかになるからだと思います。1、内側が変われば外側も変わる。2、外側が変われば内側も変わる。若い頃の苦労は買ってでもしなさいとよく言われますが、スピリチュアル的にも自己を制する力を育むために、プラスになる苦労が人には必要だったのですね。具体的には何をすれば良いか?というと、いまの自分にとって少しだけキツイ負荷をかけることが有効だとされています。目標設定をして簡単な行動リスト、時間割を作り、日々、怠け心に打ち勝つトレーニングをします。やることを決めたら、意志を強く働かせて、確実に決めたことを実行するようにする。忙しくても掃除は2日に1回、自分が決めた時間にやるとか、決めた曜日に朝早く起きて有酸素運動をする、というのも良いかも知れません。ご飯は腹八分目にして食べ過ぎないとか、お酒は週末だけにする、スマホは目的を決めて使うとか、、小さな目標を複数作り、実行するだけでも意志力、自制心は強くなります。このトレーニングの利点は、意志力、自制心を強くするだけでなく、原因と結果の法則がプラスに働き、良い報いが確実にもたらされることですその報いが人生に楽をもたらすので、実は怠け心に使われるよりも楽だし、自由感を感じられる生き方と言えますね。より多く頑張る、苦労するというより、長期的には、創意工夫して努力する方が人生に楽をもたらすから、怠け心に負けない努力をします。偉大なことの基本は、成功という概念を追いかけることではなく、いまこの瞬間の小さなことに心を込めることです。エックハルト・トールあなたが逃れたがっている勤めこそ、口うるさい天使です。あなたが追いかけ回している快楽こそ、こびへつらう悪魔なのです。ジェームズ・アレン悪魔は、人間の怠け心や身勝手な欲望を熟知していて、甘い言葉で、簡単に願いを叶えてあげるられるとささやきます。エゴにとっての甘いささやきは、悪魔の声です。その偽りの言葉が実ることはありません。天使は、自己に打ち勝ち、良い苦労をすることで、人は本当の喜びが得られると語ります。それは、最初は厳しく感じる道ですが、段々と楽になる道、真実の道です。

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    • 大乗

      悟りについて、これ以上ないほどの教えが書かれているブログをご紹介します。ひとのこさんの大乗というブログです。大乗  ひとのこ  ブログ大乗では、探求者が間違いやすいポイントや仏教の奥義など沢山のことを学ぶことが出来ました。ひとのこさんには、とても感謝しています。ブログの他に交流掲示板や大乗まとめwikiなどもあり、とても分かりやすく親切に教えを説かれています。大乗のおすすめ記事悟りとは完全なリラックスラマナ・マハルシの教えと仏教

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  • 23 Mar
    • ジェームズ・アレンを学ぶ

      ジェームズ・アレンさんは、仏教や道教、聖書、エマソンやシェイクスピア、ゲーテその他、様々な聖典や東西の偉人の思想からの引用が多く、かなりの読書家だと感じます。彼が特定の宗教や思想に囚われていないのは、聖典や偉人の思想に共通する普遍的な真理、宇宙の法則性を見出したからだと思います。だから、どんな思想を学んでいる方にも普遍的に役に立つことが出来ると思い、学びをシェアしようと考えました。青で書かれている部分は引用であり、黒字は僕の解説です。小さな物事こそが全体をつくる最も小さなあやまちを、最も大きなこととみなす人は、聖者になります。彼は、全ての思考と行動からいい影響も悪い影響も、広範囲に広がると考えます。最も小さなあやまちを、最も大きなこととみなす人とは、多くの人が当たり前のように(?)やっているあやまちに気をつけることだと思います。たとえば、陰で悪口を言うとか、見栄を張るためにちょっとした嘘をつくとか、TwitterやLINEなどで、バレない形なら問題ないと思い、人を非難する、馬鹿にするということを多くの人がやってしまっています。ですが、この世では、あらゆる行為を24時間観ていて、記録している者(人格神)が居ます。そのことを偉大な詩人であり、神学者である、ラルフ・ワルド・エマソンは物言わぬ第三者との取引と言いました。それだけでなく、縁起の法則により、あらゆる行為の影響は、波紋のように周りに広がり、何倍にもなって自分に報いが返ってきます。因果の法則とは、縦軸の因果であり、縁起の法則は、横軸の因果を表します。誰かを傷つけたら、その家族や友人も悲しむ可能性がありますし、そうでなくとも傷つけられた人の負の感情が周りに伝わります。誰かを幸せにしたら、その影響も縁起により、広範囲に広がり、小さな善でも何倍もの良い報いをもたらし、社会にとって大きな価値があることなのですね。その際に大切な心構えは、自他の分離を強化しないように、慢心しないようにと心を観つめ、注意することだと言われています。他者ではなく、善いことも悪いことも自分に与えていると思うと良いそうです。仏教でも無我という言葉で、本当は個人は存在しないと伝えられていますね。自我に餌をやらないように、慢心を起こさないように、心を観つめながら善いことが出来ればベストですね。・小さなあやまちに気をつけること人の考える『小さなあやまち』も縁起により、大きなあやまちになるので、気をつけていかなければと思います。そもそも、陰口や嘘をつくことを、小さなあやまちと考えるのは、人間の身勝手な考え(エゴ)からかも知れません。どんな行為の報いも、法則により、何倍にもなって返ってくる考えれば、私たちは常に自分のちょっとした発言や行いに気をつけていく必要があると分かります。車を運転している時のように、暗夜に雪で凍った道を歩くときのように、怠らずに、油断せずに人生に目覚めていきたいと感じます。そうすれば、幸せに通じるひそやかな道を歩くことが出来ると思います。そして、たゆまず正しい道を歩いていれば、何れ、人は聖者になることが出来るとアレンは言っています。そうして、この人は少しずつ、着実に、自分自身を監視し、抑制し、浄化し、完成させていくのです。ジェームズ・アレン

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  • 22 Mar
    • 悪を知ること

      この社会で上手く生きるには、起きてることをよく観察して、他者の感じてること、考えていることを察して、適切な発言、行動ができる能力を育むことが必要だと感じています。具体的には、心の法則を学び、人生に活かすということですね。僕は、若い頃は人の言葉を安易に信用して疑わずに騙される、甘ちゃんの中の甘ちゃんで、メープルシロップでした。(笑)この社会は、奇麗事だけを言ってられず、人の表面的な言葉や態度を安易に信用していては駄目なんですよね。疑ってばかりでは疲れますが、、目覚めを知らない人は、赦すということがなかなか出来ません。目覚めを知っていても人を赦すのは難しいのですから尚更、普通の人は無理です。人間は、かなり身魂を磨かないと心を統制することは出来ないと思うんです。人のエゴは、ちょっと人に嫌なことを言われただけで、怒りや憎しみを強く持ち、倍にして非難したり、陰口を言います。なので、人は基本的にそういうものだと割り切って、出来るだけ他者の感情(エゴ)を刺激しないように気をつけ、人と仲良くしようと努めたら、精神的に楽になると思います。特に日本人のエゴは、嫌っていても、感情を抑圧して嫌ってないふりをして、陰で悪口を言ったり、馬鹿にしたりするタイプも多いです。陰での悪口も人が思うより、大きな負のカルマになるので、自らの幸運を遠ざける行為なんですけどね。エゴはバレなければいいし、カルマなどないと思っていますが、負のカルマが多いと、なんとなく悪い方にストーリーが展開してしまうんです。忘れた頃に、無性にギャンブルをやりたくなり大きく負けるとか、恋愛で好きな人に振られる、仕事でミスして怪我をするとか、病気になる、誰かに陰口を言われ、馬鹿にされるとか、、。全く関係なく思えて、カルマの解消とは気づかないような展開がほとんどです。幸せな人が少ないのは、悪事はバレなければいいし、自分が得すると勘違いしてるからです。悪事をすることは、目の前の少しの快楽を得るために、利子つきの大きな借金をするようなものです。返ってくるのが遅いほどカルマは大きなものになります。罪が大きい人は悪い報いが遅くなり、大きなものになりがちです。今生で報いが少なくても、次の人生になったら、自分が悪に打たれたり、騙されたりして生涯、苦労することになります。また、善業や努力をしたことの良い報いも基本的に遅いです。遅いですが利子がつくので、善業の報いは何倍にもなって報われます。なんとなく良いことが起きて、映画のストーリーが上手く展開するような感じになります。・悪を理解する知力の高い詐欺師、悪は、善い人にみせる擬態をしたり、人の心を恐れさせたり、罪悪感を抱かせたりする、マインドコントロールが得意です。悪神、悪霊に感応が強い人は普通のエゴより狡猾で、目的を達成するために、善の仮面を被ったり、相手を威圧したり、騙したり、陥れたりすることを平気でやります。普通の人のエゴでも情欲や憎しみに駆られると一時的に狂気になり、人を陥れたり、傷つけることをする場合もありますから、甘く考えない方が良いですね。悪をする者は罪悪感や罪がバレる恐怖により、心がいつも騒がしくなるから、幸福度はすごく低いのです。そもそも心が静まり、幸せならば、悪業をやるわけがないです。悪業をする者は罪の意識により、心が静かにならず、苦しいので、外的なものをより多く求め、心を満たそうとするわけです。でも、結局は捕まって社会的な信用を失ったり、目的を遂げられない場合も多いです。神仏の法則に反する悪を為せば、一時的に上手くいっても確実に大損するようになっています。独裁者だろうが、詐欺師だろうが、宗教家だろうが関係なく、100%為したことは利子をつけて払うことになります。ブッダもそのように教えていました。でも、悪もエゴに使われているわけですから自由意志ではなく、本質的には罪はないのです。病気の症状が重い、あるいは悪神に使われているということです。より高い視点から観れば、悪は善の推進力になり、めぐりを取り、悟りに導く存在です。・悪を憎むが悪(?)悪に憎しみや怒りを持つ人が居たら、その人は悪になってしまいます。悪を憎み、裁き、何をしても良いというのは外道の善であり、偽りの正義であり、もう1つの悪です。スピリチュアル的には、人類の憎しみや怒りが社会に悪を生み出します。憎しみや怒りで世の中の悪をなくすことは出来ません。外道の善(偽善)と悪を改心させるには、聖なる教えを広めるしかないと思います。こんな世界でも腐らず、誠実に生きなければと思います。

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    • 人間に自由意志はあるか?

      結論から言えば、自由意志はあるともないとも言えず、完璧に真ん中で釣り合っていると言えます。人は自分の意志、思いに基づいて自由に行動するから、自由意志はあると言えばあります。ですが、その意志や思いが自由ではなく、思い通りにならないので、本質的には人は不自由であり、自由意志はないとも言えます。ある視点では、行為はあるが行為者は居ないというインドの聖者の言葉は真実であり、人の努力も含めて、全ては自然現象であるというのが真実です。ですが、自由意志はない、自由意志は幻想だ、誰にも責任はないという言葉は、間違って解釈されると努力と反省を失わせます。自由意志はある、全ては自己責任という言葉も極端であり、努力や反省を促すが、裁きや非難を強めます。人は誰しも、不自由感を感じ、悪い癖がなかなか治らないと思っているのではないでしょうか?でも、反省して気をつけていれば 悪い癖を改めて、自分を変えることが出来ます。なんですが、その反省して改心しようという思いすら、本質的には自由意志ではなく、自然現象であると言えます。(笑)ややこしいですよね。機能として考えてください。人間に究極的には自由意志はない、という本質的な視点で、他者に対する裁きや非難は弱まるでしょう。同時に、この世界は意志を強く持ち、努力や反省をしなければ何も変わらない、ということを忘れずに、反省と努力を無くさないことが大事です。・悟りとは真の自由の境地全てが自己責任ではなく、全てが環境や他者のせいでもありません。自由意志がある、ないという極端ではなく真ん中に居ることが大切です。極端をどちらも否定した時に、真ん中が表れます。人は変わろうと本気で思い、たゆまぬ努力をすれば変われるが、変わろうという思いすら自由には持てない。悪い癖を治すことは可能だが、難しく、誰もが大変な思いをしている。理屈が分かれば、僕たちは他者の過ちにもっと寛容になり、優しくなれると思います。本質的な視点により、心を静かにして、慈悲の心から、こうしたら上手くいくよ、こうしたら社会はもっと良くなるよと優しく伝えれたら上手くいきやすくなるはずです。人の社会や他者に対する意見や主張には、裁きや非難、慢心が含まれていることが多いので、対立や反発を生みやすいのです。同じ内容の主張でも、心的態度や含まれるエネルギーにより、私達が受け取るものは大きく変わります。自他を裁いたり、非難せずに、反省と努力が出来るのが聖者の境地であると僕は考えています。裁かない、非難しない、というのは、かなり高い境地ですが、、、日々、自分の心を観る努力をしていけば、少しずつ、少しずつ、心が清らかになっていき、運命にも良い影響を与えると思います。ノンデュアリティでは自由意志はないと言われますが、究極的な視点です。自由はないとして、反省と努力をやめたら人は成長しないし、この世界で生きられません。やりたいことがあればやり、行きたいところがあれば行き、欲しいものがあれば求めてください。人は水や食物すら身体を動かし、求めなければ手に入りません。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開けてもらえる。聖書運命と宿命は同じではない。人は磨けばどんなにでも光るぞ日月神示

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認知心理学やポジティブ心理学、マインドフルネス、クリティカル・シンキング、情報リテラシーなどを研究会...

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