2011年07月15日(金)

【星:神様からの祝福、救いの約束】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

暑中お見舞い申し上げます。


本日も心のエステ・フィットネスに立ち寄って

くださり、有難うございます。


前回の記事では、

聖書に記される星、その象徴は

創造主なる神様の人間に対する祝福

救いの約束の象徴であることを

お伝えしました。


数ある、約束の中からわたくしの好きな

約束を一つご紹介します。


「恐れることはない、

わたしはあなたと共にいる神

たじろぐな、わたしはあなたの神、

勢いを与えてあなたを助け

わたしの救いの右の手で

あなたを支える・・・」

(旧約聖書 イザヤ書41章10節)


「目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ

それらを数えて、引き出された方

それぞれの名を呼ばれる方の力強さ

激しい勢いから逃れうるものはない。


・・・主はとこしえにいます神

地の果てに及ぶすべてのものの造り主

倦むことなく、疲れることなく、

その英知は極めがたい。


疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に

大きな力を与えられる。

若者も倦み、疲れ、勇士もつまづき倒れようが

主に望みをおく人は新たな力を得、

鷲のように、翼を張って上る。

走っても弱ることなく、歩いても疲れない 」


(イザヤ書 40章26-31抜粋)


**************************

本日も、お読みくださってありがとうございました。

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2010年10月17日(日)

【こころの貧しい人は幸いです】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

【逆説の恵み・祝福】

*************************************

イエスは口を開き、おしえられた。


『心の貧しい人々は、幸いである。 天の国はその人たちのものである。


 悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。


 柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。


 義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは憐れみを受ける。


 心の清い人々は、さいわいである。その人たちは神を見る。


 平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。』


             (マタイ福音書 5章2-9節)


*************************************


「こころの貧しい人々は幸いである」という書き出しで始まるこの聖書の箇所は

『山上の説教』として、また、イエス様の教えの中枢をなすメッセージとして

知られているものです。


わたしは、はじめ、この言葉を聞いてびっくりしました。


「貧しいことがどうして幸いなのか・・・」


一般的に、人々は、「貧しさ」を回避しようとしますし、

また、「豊か」であることが「良し」とされる価値観の中で

生活し、「豊か」になることを目指しているというのが、

普通ではないだろうか・・・と思ったのです。


特に、「こころは豊かな方がいい」とも思われるでしょ・・?


確かにそうなんです。「心は豊かであること」

誰しもそうありたいと思われるでしょう。


今、少なくとも、日本において、わたくしたちは

「物質的な豊かさ」これは、豊かに享受しているように

思いますし、その目標をある程度達成しているように

思います。


しかし、「こころの豊かさ」については、どうでしょうか。


かつて、物質が豊かになるとともに、こころも豊かになるはず・・

と思われていたのではないでしょうか。


ところが、どうも、そうではないような・・・出来事が

起きているように思います。


自殺者の増加に歯止めがかからない・・・

ということ等もありますが、


ここ数年、有名大学の学生さんたちが、大麻事件で

逮捕されるという事件が続いています。


そのような大学に入れる、勉強できるとは

学力的にも優秀でしょうし、ご家庭の経済も豊かなはずでは

ないでしょうか・・・。


どうして、そのような「豊な」(はずである)学生さんが

大麻のようなものに手を出すのか・・・


物質では心は満たされない何か・・・

を満たそうとしているのでは・・

そのように思えるのです。


また、逮捕される数というのは、氷山の一角のように思いますから、

潜在的には、大麻事件で逮捕される大学生のもっている心の闇

と同様のものをもっている人々は多いのではないか

と推察しています。


「貧しい人々は幸いです。天の国はその人たちのものです。」


聖書は、「真に豊かになるために、まず、貧しさを知る必要がある」

ことを説いているのですが、

そのあたりは、また後日、考えてみたいと思います。

続きはこちらです。

http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10210378262.html

************************************

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2009年08月28日(金)

【九十九匹の羊と一匹の羊】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

*************************

イエスは次のたとえを話された。


「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、

その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に

残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らない

だろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで

家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて

『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』

と言うであろう。

言っておくが、このように、回心する一人の罪人に

ついては、

回心する必要のない九十九の正しい人についてよりも

大きな喜びが天にある」

(ルカ福音書 15章 4-7節)


**************************


大波乱の総選挙も一つの結果がでました。


【どれだけ、多数の議席を得るか・・・】

それぞれの選挙区の攻防の様子等が

放映されていまして・・・。


大変だなぁ・・・と思いました。


多数議席確保・・・数の力・・・

確かに民意は大切ですが・・・


選挙ということではありませんが・・


【数】が強調されたとき、

どうしても、その【多数】の中に入ることのできない

切り捨てられてしまう人々

があります。


ある候補者のマニフェストに


「国民一人一人が大切にされる政治を」


という文言があり、


ぜひ、そうなって欲しいと願いますが


はたして・・・現実的に


すべての人が大切にされることが

実現するのだろうか・・・


とも思います。


聖書の神、創造主は、誠に

「ひとりひとりの存在を大切にしてくださる方」

と聖書に記されていることを

想うのでした。


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2009年03月03日(火)

【愛の骨髄移植】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので

愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。

愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。


神は独り子を世にお遣わしになりました。

その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。

ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。


わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して

わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしに

なりました。ここに愛があります。


愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛された

のですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。


いまだかつて神を見た者はいません。

わたしたちが互いに愛し合うならば、

神はわたしたちの内にとどまってくださり

神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。


神はわたしたちに、ご自分の霊を分け与えてくださいました。」


(新約聖書 ヨハネの第一の手紙4章7-13節)


********************************


【神はわたしたちに、ご自分の霊を分け与えてくださいました】


聖書には、神=愛 と記されています。

また、聖書はその【愛】のことを【霊】という言葉で

表現しています。


一般に日本語で使われる「霊」という言葉にはない概念

だと思われますが・・・。


よって、上の聖書の言葉は


「神はわたしたちに、ご自分の愛を分け与えてくださいました」

と読み替えることができます。


「霊」とは目に見えない存在 という意味なのです。


愛は目に見えるものではありませんが

しかし、確かに存在し


そして、人を活かすのは

あらゆる愛の源である「神の愛」であると

聖書は言うのです。


*********************************


さて、わたくしの家内の母(義母)は、

約10年前になりますが、

悪性の白血病で亡くなりました。


すべての人が受けることができるものではありませんが

白血病の有効な治療方法の一つに

「骨髄移植」という治療があります。


義母の闘病中、【骨髄バンク、ドナー登録】等の

パンフレットを読む機会があったりするなかで


イエス=キリストの血がわたくしたちを救うということについて

http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10206457811.html

いろいろと考えさせられました。


*****************************


身体的に、わたくしは白血病ではないけれども

心の部分(愛=霊)は、【こころの白血病】で


わたくしは、イエス様の血(骨髄)による、

骨髄移植を必要としている患者にたとえることが

できるなぁ・・


と思ったことがありました。


医学的に詳しくは、その治療のメカニズムについてわかりませんが

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%A8%E9%AB%84%E7%A7%BB%E6%A4%8D


骨髄移植を受けるためには、まず最初にガン化した細胞を

徹底的に取り除くために、前処置として

一度、到死量を超える抗がん剤の投与、放射線治療が

必要とのこと・・・。


そして、健康な方から提供される骨髄の移植が行われ、

定着を待ちます。


わたくしには、そのことは、教会で行われる洗礼式の象徴

のように思えました。


洗礼とは、その儀式を通して、象徴的にですが、

一度、今までの古い自分に死ぬこと、あらゆる

過去がすべて清算されることを意味します。


そして、イエス=キリストの愛によって

全く新しく、生まれ替わる(復活する)こと

の象徴が、その儀式にこめられています。


骨髄移植において、提供され移植される骨髄は

イエス=キリストが十字架で流された血の象徴であり


あたらしく移植される愛(こころ)は

神様の愛=聖霊の象徴のように

思えました。


*********************************


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2009年02月02日(月)

【自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

【逆説の恵み・逆転の人生】


******************************

「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。

だれでも自分を高くするものは低くされ、自分を低くするものは

高くされるであろう。」

  (マタイ福音書 23章11-12節)

******************************


聖書に次のようなお話があります。


「・・・ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒に

イエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。


イエスが、『何が望みか』と言われると、

彼女は言った。


『あなたが王座にお着きになる時、この二人の息子が

一人はあなたの右に、もう一人は左に座れると

おっしゃってください。』


イエスはお答になった。


『あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。

このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。』


二人は、『できます。』というと

イエスは言われた。


『確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。

しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、

わたしの決めることではない。


それは、わたしの父によって定められた人々に

許されているのだ。』


ほかの十人はこれを聞いて、

この二人の兄弟のことで腹を立てた。


そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。


『あなたがたも知っているように、異邦人の間では、

支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を

振るっている。


しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。


あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、

一番上になりたい者は、皆の僕(しもべ)になりなさい。


人の子が、仕えられるためではなく、仕えるために

また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために

来たのと同じように。』


(マタイ福音書20章20-28節)


*********************************


聖書は、イエス様のお弟子さんの中で、

権力、派閥争いがあった・・・

と記しています。


しかも、その親を巻き込んでの・・・

子がこなら、その親も親だな・・・と思わされるお話です。(苦笑)


イエス様には、12人のお弟子さんたちがいた

と記されていますが、


たった、12人の中で・・・・です。


派閥、権力争い・・・時代や国は違っても、

いつの時代も、どの場所でも

人が集まるところ、起こっているもののようですね。


それがあるために、互いに不信感、不快感

不和、争いが表に裏に、生じて・・・


一致協力して何かを成し遂げるどころではない・・・

というところです。


そのようなお弟子さん間の不和を目にして

イエス様は、お弟子さんたちを一同に集められ


「偉くになりたい者は、皆の僕(仕えるもの)になりなさい」

と諭されたのでした。


仕える者、これは、給仕するもの・・・

このイエス様の時代には、奴隷がその役目をしていました。


そんな役、誰もしたくありません。

仕えてはもらいたいけれど、仕えるなんて・・・・。


でも、そうならない限りは、どうも、派閥、権力争いは

なくならない・・・そうイエス様はおっしゃりたいように

思えます。


ただ、これは、「互いに仕え合うように」ということです。


イエス様のおっしゃるところの本質をとらえるならば、

どちらか一方が、一方的に損をする・・・ということには

ならないのです。


自分は相手のために(相手のことを考えて)

相手も、自分のためにしてくれて・・・


【お互いが・・・】

自分だけのことを考えない・・・


ということです。


たとえば、AさんとBさんが共同作業をするという場合


Aさんは、Bさんのことを想い、

Bさんは、Aさんのことを想いながら

ということです。


Aさんは、Aさん自身で自分の願望を満たすのではなく

Bさんによって、満たされる


一方、Bさんは、Bさん自身が自分の願望を満たすのではなく

Aさんによって満たされる


・・・ような関係・・・それが、仕え合うということです。


それが、共同作業の基となる・・。


そこには、平和があります。

互いに仕え合う、満たしあう・・姿勢


奪いあい、争いあう・・・という生き方とは反対のものですが

人は、本来、お互いがお互いのことを配慮し、

満たしあうことを願っている存在ではないでしょうか。


そんな甘いこといっていたら、

それでは、競争力が低下するのでは・・・


いえ、決してそうではないようです。


そこに信頼関係がうまれ、その信頼関係は、

実際の仕事を支える原動力になるものです。


競争力で、あおらなくても、競争力をあおって得られる成果

それ以上の成果を期待できるものと思いますが・・・。


信頼関係を土台としたものの方が強いですし、

長続きするのではないでしょうか。


権力抗争、立場や力でねじふせようとしても

人は、動くことはないように思います。


「仕えるものになりなさい」

これは、英語では【Servant Leadership】

【サーバント・リーダーシップ】という概念となって


一般社会においても、職場におけるリーダーシップのあり方

などを考えるセミナーにおいては、最近よく語られる思想となっています。


ほかでもなく、【Servant】(サーバント)

ここから、【サービス業】のサービスという言葉が派生していますから。


サービス・・・おもてなしの心、ご商売に限らず

そこに重点をおいて、人々に喜ばれないわけはありません。


人間関係において・・・

利益、不利益のため・・というところを超えたところで

なお、それが活かせるなら、さらにすばらしいですね。


*********************************


本日もお読みくださって、ありがとうございます。

新しい月、2月になりました。新しい月も、また

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2009年01月30日(金)

【九十九匹の羊と一匹の羊】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

【逆説の恵み、逆転の人生】

*******************************


「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄ってきた。

すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、

「この人は罪人たちを迎えて食事までしている。」

と不平を言いだした。


そこで、イエスは次のたとえ話をされた。


「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、

その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して

見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。


そして、見つけたなら、喜んでその羊を担いで

家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、

『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』

というだろう。


言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、

悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも

大きな喜びが天にある。」


(ルカ福音書 15章1-7節)


*******************************


一般的な、社会的な価値観では測りにくい

理解してもらいにくい聖書の神様、

その愛の価値観を紹介しています。


さて、みなさまは、自分の一生懸命考えた意見が

認められなかった、また反故にされてしまったような

ご経験はおありでしょうか。



世の中は、また、民主主義の世の中にあって

時に、正当なものであっても、少数意見が認められない

また意図的に消されてしまう・・という場合があります。



いわゆる【数の論理】というものです。

多数決の結果がすなわち【正しいこと】だと

ゴリ押しされてしまうことです。



特に、政治の分野では、強行採決につながるなど

【民主主義の悪しき慣例】ともなってしまうことです。

また、そのことで、【派閥】間の確執などが生まれてしまう

要因の一つです。



民主主義、たいせつな原則だとは思います。



しかし、大勢の人間が抱く思い、民意、意見が、

すべて正しいかといえば、どうでしょうか・・・。




大勢の人を動かしているもの・・・の中には、

貪欲や無責任(苦労はしたくない)・・・


というような思いがあるようにも思います。



***************************



【99匹か1匹か・・・】


このお話は、読者にさまざまな葛藤を起こさせるお話

問いかけです。



羊を飼う、わたしを含めて、多くの日本の人にとって

また、このブログを読んでくださる方にとって、

実経験、体験としては、イメージしにくお話でも

あるでしょう。



ここに出てくる羊飼いは、創造主なる神様

イエス=キリストという存在の象徴です。



さまざまな解釈、メッセージが

この聖書の箇所にはこめられていますが、



■創造主の目に、不必要な人はいない。

すべてが、神様の宝として、

すべての人の存在を認められていること



また、



■創造主は、命がけで、人、その存在を助けようとされる方

たとえ、その一匹の羊をさがしだすのに、

たいへんな労力と時間、危険が伴うとしても・・・。


■イエス、キリストは、羊飼い、

迷い出た一匹をおろそかにされることなく

その存在を覚えて探し出してくださる方である


ということを知っていただきたいと思います。



わたくしたちが、どんなに小さな存在であったとしても、

人が誰一人、自分に目をとめてくれず、

気持ちや、意見を認めてくれなかったとしても


一人ももれることなく、存在を大切に思ってくださり

その訴えに耳を傾けて、心配してくださる救い主、

創造主なる神様なる神様がおられるのです。


*******************************


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2009年01月28日(水)

【1デナリ:イエス=キリストの命、十字架の贖い】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

本日も立ち寄ってくださり、有難うございます。

この記事は、こちらのお話からの続きです。

http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10197949112.html

さて、いつもは、わたくしは、こちらのブログ、記事は

聖書を全く知らない方、クリスチャンではない方向けに、

聖書のことをあまりご存じなくても、理解していただけるよう

意識して書いておりますが、


どちらかというと今回は、クリスチャンの方向けのメッセージ

となってしまいました。すみません。


よって、クリスチャンでない方には、少し馴染みのない

言葉を多用してしまうことをお赦しください。

何がいいたいのか、おわかりにくい記事となっているかも

しれませんが、お読みいただけるとうれしいです。


クリスチャンでない方には、また、いつか、別の機会に

それらについては解説していくことができれば

と思っています。


*****************************


本題です。

ぶどう園の労働者のお話に出てくる、【1デナリ】について、

わたしは、今回、この聖書の箇所を読みながら

新たに気がついたことがありました。


それは、この【1デナリ】は、

イエス様の尊い救い、十字架の贖い、

イエス様ご自身の永遠の命

を象徴していると、はっきりと思えたのです。


******************************


ぶどう園の労働者のお話には、

【夜明けに】、【朝9時頃】、【12時、正午】、【3時】、【5時頃、夕方】


という時間滞、時刻が出てきますが、

これらの時間について何か思い起こされる

ことはないですか・・・。





・・・これは、イエス様がイスカリオテのユダに裏切られ

大祭司、律法学者達の策略によって捕縛され、

一晩中、不利、不当な裁判にかけられ、

愚弄、侮辱された挙句に

ゴルゴダの丘へ十字架を背負わされて向かわれ

十字架で処刑され、絶命される・・・

そして、墓に埋葬される・・・


その描写に使われている時間なのです。


下記、できれば、それぞれ聖書の箇所を引きながら

読んでもらえたら・・と願います。


*******************************

【夜明けに】

夜が明ける と、祭司長たちと民の長老たち一同は

イエスを殺そうと相談した。

そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した・・。」

(マタイ27章1-2節)


また、夜明けには・・・鶏が3度鳴き、ペテロの裏切りの言葉を

主は耳にされたことでしょう。(マタイ26章75節)


【午前九時】

「・・・兵士たちは・・・イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでから

かぶらせ、『ユダヤ人の王、万歳』と言って敬礼し始めた。


また、何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、

ひざまづいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく

紫の服を脱がせて元の服を着せた、そして十字架につけるために

外へ引きだした。


【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-十字架の道


・・・そして、イエスをゴルゴダという所、・・・その意味は、

『されこうべの場所』・・・に連れて行った。

・・・イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。」

(マルコ 15章 1-25節)


群衆も、祭司長たち、律法学者たちも一緒になって

代わる代わるイエスを侮辱し、罵りつづけた・・・。


・・・イエスは言われた。

『父よ彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか

わからないでいるのです』 (ルカ23章34節)


【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-パッション

【十二時、三時】

「・・・昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで

続いた。・・・太陽は光を失っていた。


三時にイエスは大声で叫ばれた。

【エリ、エリ、レマ、サバクタニ】、これは、『わが神、わが神、

なぜわたしをお見捨てになったのですか』

という意味である。


また、イエスは大声で叫ばれた

『父よ、わが霊を御手に御手にゆだねます』

こう言って息を引き取られた・・・。


すると神殿の垂れ幕が上から下まで

真っ二つに裂けた・・・。」

(マルコ15章33-38節、ルカ23章46節)



【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-イエス様に栄光があるように

【午後5時ごろ】

「・・既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の

前日であったので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが

来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡し

てくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいた

のである。


ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、

百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。


・・ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に、

残しておかないために、足を折って、取り降ろすように

ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て

イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と

もう一人の男との足を折った・・・。


イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので

その足は、折らなかった。


しかし、兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺した。


すると、すぐ血と水が流れ出た・・・。


ピラトは、遺体を百人隊長に確かめさせた上で、

遺体をヨセフに下げ渡した。


【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-十字架1


・・・ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろして

その布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、

墓の入口には石を転がしておいた。



マグダラのマリアとヨセの母マリアとは

イエスの遺体を納めた場所を見つめていた・・・。


(マルコ15章42-47節、ヨハネ19章31-34節)


*******************************


【夜明け】【9時】【12時】【3時】【夕方5時】・・・


イエス様の十字架への道、

その命を、尊い贖いをすべての人に、差し出すために・・・

ご自身を献げるために・・・、

十字架刑に一歩一歩向かっていかれる時間と一致します。


「・・・わたしは、この最後のものにも

あなたと同じように払ってやりたいのだ。」

(マタイ20章14節)


この言葉がどれだけの重みをもつか・・・・

【1デナリ】・・・このぶどう園の主人が支払った代価が

どれだけ価値のあるものか・・・


クリスチャンのみなさまには

ぜひ、瞑想していただきたいと思います。


【こころのエステ&フィットネスジム】 ~貴方を内面から輝かせる愛 ~     聖書のことば・智 慧[EQサプリメント]-夕暮


*******************************

「1デナリ」をイエス=キリストの十字架の贖い、救いの象徴と

とらえるならば、このぶどう園の労働者のたとえは、

救いは、恵みであることをあらためて、考えさせられます。


恵みとは、「賜物」であり、「賜物」はわかりやすくいいかえると

「プレゼント」ということです。


イエス様の十字架を通して得られる「永遠のいのち」

は「プレゼント」であって、「報酬」ではないのです。


通常、わたしたちは、社会では働きに

それに対してもらえる「報酬」

という価値観の中に、生きていますので


「恵み」「プレゼント」ということが

わかりにくい場合があります。


プレゼントとは、「わたしにとってあなたは大切な存在」

ということを、ひとつ、形に表すものかと思いますが、


天地万物の創造主は、わたしたちひとりひとりの

ことを大切に思っておられる。。。


その形として、証拠として、イエス=キリストを

この世界に遣わされた・・と聖書には記されています。


それは、ある意味、創造主なる神様の一方的な

想いであるかもしれません・・・


でも、どうしても、その思いを伝えたくて

創造主は、イエス=キリストをこの地上に

遣わされた・・・。


しかし、その愛の究極の姿は

その御子を十字架につけて、

全人類の罪の身代わり(贖い)

とされることだった・・・。


ここがなかなか、多くの方に理解してもらえないこと

ではありますが、

最大の神の業、ご配慮、契約なのです。


イエス様の十字架を通して、わたしは、神の愛、

その本質をなんとかして、とらえ続けていきたい

そう思っています。


*******************************


【最初に雇われた(=契約を交わした)人】


これは、先にクリスチャンになった人を象徴しますね。


ところが、その一番先に召された人が

【1デナリ:イエス様の十字架】について、

主人に不平をいうのです。


「最後に来たこの連中と同じ扱いにするとは・・・」と。

また、「たったこれだけですか」と

【1デナリ:イエス様の十字架の贖い】について・・・。


これは、イエス様の救いが【報酬】ではなく、

【恵み:プレゼント】であることがわかっていない

ことを意味しています。


また、クリスチャンになっても、【罪人】であることは

変わりありません。


ただ、救いを知っている罪人、

永遠の命に希望をいただいた罪人

ではありますけれど・・・


イエス様の救いは、恵みであること、

その恵みを忘れてはならないと思います。


また、

【後のものが先になり、先のものがあとになる・・】


以下、個人的解釈ですが・・・


イエス様に救われた、(その経験をしたときの)喜び


長年クリスチャンであること・・・が時に、

信仰の倦怠期を迎えることがあります。


信仰の世界で、比較ということは、あまりこのましい

ものではないのですが、


もし

クリスチャンになったばかりの人が、

【=午後5時を過ぎて雇われた人】


その救われたことに喜びを感じている、

【=1デナリを受け取った時の喜び】


その喜び度・・・


と長年クリスチャンである方が、

【=夜明けに雇われた人】


が救い【=1デナリを受け取った時】に

感謝できる喜び度を比較したとしたら・・・、


どちらが高いか・・・


・・・なんて、いうのは、やめておきましょうね。


クリスチャンは、救われたときのこと(原点)を

決して忘れてはいけないと思います。


いつも、祈り、聖書を読み、主の恵みに感謝して

新鮮な感謝と喜びの応答を

共に主に捧げて参りましょう・・・。


【5時に雇われた人】:

その日一日中、不安で不安でいっぱい過ごした人、

明日に絶望し、希望が与えられていない人です。


しかし、【夜明け方に雇われた人】は、その時点で、

その日は本当に安心して生きることができたし

明日に希望を得られている人なのですから。


******************************


【友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと

1デナリの約束(契約)をしたではないか】


主は、いつも、わたしたちのことを【友よ】と認め、呼んで

くださる方です。


1日、1日を支えてくださること、それで十分ではないでしょうか。


1デナリ、イエス様の十字架の救い、赦しは、

確実に、わたしたちの1日、1日を支え、満たしてくださり

赦しを与えてくださっている。


【その日の苦労はその日一日で十分である」

(マタイ6章34節)


の言葉を思います。


また、旧約聖書、出エジプトをした神の民を養った

マナのことを思います。(出エジプト記16章)


天からのマナは、一日分以上は与えられることは

ありませんでしたが、


確実に毎日、神の民を養うために、必要十分な量が

天から降ってきました。


しかし、残念なことに、イスラエルの民は

そのマナについて満足することなく

不平不満を言ったのです。


マナについて不平不満を言ったイスラエルの民のように

ならないように・・・と思います。


******************************


「わたしの気前良さをねたむのか・・・」


ねたみ・・・これは、クリスチャンとしては、なんとしても

避けたいこと、警戒しないといけないこと、

こころの中にわき起こる動きに敏感になり、

主の愛によって、排除しておいてもらわなければ

なりませんね。


なぜなら、イエス様が十字架につけられたのは、

大祭司、律法学者、パリサイ人らの【ねたみ】のため

であったのですから・・・。(マルコ15:10節)



「自分の分を受け取って帰りなさい」


この言葉を私的に解釈すると・・・

イエス様の十字架の救いを毎日、きちんと受取り

日々、イエス様のもとに帰ってくるように

(悔い改め、赦され、重荷を下ろし、安らぐように)

というお勧めの言葉のように思えます。


【帰りなさい】・・・とは、家に帰りなさいということですから

放蕩息子は、【家】に帰りましたね。


【家】:主のおられるところ、もっとも安らぐことのできる場所・・・

常に、主イエス様のもとに戻り、帰るようにいたしましょう。


以上、今回は、クリスチャンの方向けのメッセージ、解釈でした。


*******************************


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2009年01月25日(日)

【あとの者が先になり、先の者があとになる】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

逆転・逆説の恵み

***************************

「・・・このように、後にいる者が先になり、

先にいる者が後になる。」

(マタイ福音書20章16節)

***************************


聖書の示す価値観は、この世的な価値観だけでは測れない

逆転の発想、逆説の恵みという考え方があります。

ここ、数日、そのいくつかを紹介したいと思います。


そのひとつが、

「後(あと)にいる者が先(さき)になり、先にいる者が後になる」

という聖書の言葉です。


この言葉は、次のようなお話に続いて書いてあるものです。


***************************

イエスはお話になった・・・


「天の国は次のようにたとえられる。


ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために

夜明けに出かけて行った。


主人は、1日につき1デナリオンの約束で

労働者をぶどう園に送った。


また、9時頃行ってみると、

何もしないで広場に立っている人々がいたので

『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を

払ってやろう』と言った。


それで、その人たちは出かけて行った。

主人は、12時頃と3時頃にまた出て行き、

同じようにした。


午後5時頃にも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、


『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』

と尋ねると、彼らは、


『だれも雇ってくれないのです。』と言った。


主人は、彼らに

『あなたたちもぶどう園に行きなさい』

と言った。


夕方になって、ぶどう園の主人は監督に

『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて

最初に来た者まで、順に賃金を払ってやりなさい。』

と言った。


そこで、5時頃に雇われた人たちが来て、

1デナリオンづつ受け取った。


最初に雇われた人たちが来て、

もっと多くもらえるだろうと思っていた。

しかし、彼らも1デナリオンずつであった。


それで、受け取ると、主人に不平を言った。


『最後に来たこの連中は、1時間しか働きませんでした。

まる1日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、

この連中とを同じ扱いにするとは・・・。』


主人は、その一人に答えた。


『友よ、あなたに不当なことはしていない。

あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。

自分の分を受け取って帰りなさい。


わたしは、この最後の者にも、あなたと同じように

支払ってやりたいのだ。


自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。

それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』


このように、後にいる者が先になり、先にいるものが

後になる。」

(マタイ福音書20章1-16節)


******************************

(1月26日加筆分)


さて、まず、上記のお話の登場人物や

ポイントになる用語について

少し整理しておきますね。


・ぶどう園の主人

・夜明けに雇われた労働者

・9時に雇われた労働者

・12時、3時に雇われた労働者

・5時に雇われた労働者


・1デナリ


それぞれが何を意味しているか・・・。


●ぶどう園の主人:聖書の創造主なる神様を象徴します。


このお話の時代、人々は、仕事を得るために

朝、早く、今でいえば、人材派遣業者がリクルートに

くるような場に、出かけていたようです。


そのようなところへ、このお話のぶどう園の主人も

働き人を求めて出かけて行ったというのです。


●夜明けに雇われた労働者・・健康な人、有能な人、若い人


そして、9時、12時、3時と・・・・順に健康、有能、若さ、

それぞれの度合が下がり


●5時に雇われた人・・・病気、能力の低い人、年をとってしまっている人・・・


の象徴と考えていただいていいと思います。


今の時代も、そうだと思いますが、

最初に採用されていく人々は、労働力として、

会社に利益を出す人、より長い時間働くことのできる人

若く、力のある人・・・でしょう。


弱く、病気だったり、技能のない人は、どうしても

採用されず、取り残されていきます。


5時に雇われた人は、ぶどう園の主人が

その人のもとにきたときに、こういいます。


「誰も雇ってくれなかったのです」・・と。。。


●1デナリについて

1デナリは、聖書の書かれた当時の通貨の単位で

ほぼ、一日の労働賃金に相当するもの


現代日本に換算すると、もし、月収30万円の方が

いらっしゃるとすると、1デナリ=約1万円と

考えてください。


*******************************


さて、この箇所をいろいろな方々と共に読みます時に、

多くの人は、やはり、この話に首をひねられます。


なんだか、よくわからない・・と


そう言われる方の多くは、たいてい、ご自分を

【夜明けに雇われた労働者】の立場において考えて

おられます。


聖書のおもしろいところは、いろいろな物語に登場する人物に

自分を置いて読むことができることです。


読者は、無意識の中で、登場人物の誰かに自分を投影して、

その物語をお読みになるものです。


*******************************


さて、なんだか、このお話は、おかしい、変だ

この社会の価値観的には・・・そう思われても当然でしょう。


通常のわたしたちの生活している価値観の中では、


5時に雇われた人と、夜明けから働いている人の

【労働賃金】が同じとは・・・納得できるものではないですね。


しかし、このお話は、【労働賃金の問題】のお話ではなく

聖書が示そうとしている【天の国(愛の国)の価値観】が

どのようなものかを伝えようとする

お話なのです。


1デナリ、とは、労働に対する【報酬】のことではなく、

すべての人々に与えようとしておられる【神様の愛】

がどのようなものであるか、

また、その【神様の愛】は、平等である・・・


ということを伝えたいのです。


・・・と申し上げても、ん~、ちょっと納得できない・・

そうおもわれているかもしれませんね。


今回は、まず、その愛のご配慮について、

お伝えしておこうと思います。


********************************


神様の愛は、まず、一番辛い思いをしている者、

苦しい、みじめな思いをしている者に注がれます。


上の、登場人物の中で、最も辛い思いをしていた人は誰でしょうか。


それは、5時まで、仕事が与えられなかった人です。


5時、それは、また、夕暮れを意味しています。


今のように、夜間照明設備もない時代の話ですから、

夜、照明の下で働くということはできません。

日暮れとともに、寝ていた時代です。

日暮れは、その日の【終わり】をあらわしています。


この人々は、その日ぐらしの人々でした。


もし、朝に、仕事が与えられなかったら、

その日の命の保証が得られないのです。


また、明日、食べることのできる保証がないのです。


一生懸命雇ってもらえるように、きっと努力したことでしょう。

でも、病気で、年をとっていて、充分な技能がなくて・・


・・・とうとう今日も雇ってもらえなかった・・・。


希望を失った人、終わってしまった、あきらめ、

空腹の上に、絶望していた人、むなしさに満たされている・・・


そのような人を象徴しているのが

【5時に雇われた人】なのです。


この主人は、人々にぶどう園に行くように勧めます。


また、そのぶどう園の管理人に命じます。


【まず、最後にきたものから順に、賃金を払うように】と。


聖書の神様は、最も辛い思いをしている人から、

絶望している人から、空腹の人から


まず、一番最初に・・

その辛さを取り除こう、希望を与えよう、

空腹を満たしてあげよう・・・


そう考えてくださるお方なのです。


1分でも早く、楽にしてあげたい、満たしてあげたい

安心させてあげよう・・・としてくださるのです。


この世的な価値観では、切り捨てられるような立場の人、

見向きもされない人、価値を与えられないような人を

決して見捨てられることなく、その【存在】に目を注がれ、


そして、【わたしの目にあなたは大切で、高価で尊い】

としてくださるの方が、聖書の神、創造主なのです。


******************************

このお話のつづきは、こちらです。

http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10199469064.html

******************************


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2009年01月22日(木)

【わたしの存在する根拠】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

*************************

(創造主なる神は言われる)


「あなたたちは生まれた時から負われ、

胎を出たときから担われてきた。


同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、

白髪になるまで背負って行こう。


わたしはあなたたちを造った。

わたしが担い、背負い、救いだす」


(旧約聖書 イザヤ書46章3-4節)


*************************


わたしは、わたしが存在する根拠を

創造主に、その配慮、ご計画においています。


揺れ動く人間の価値観や状況に置かないようにしています。

(それらを無視しているということではありません)


わたしの存在する根拠は、

創造主なる神様にある。

わたしはそう信じています。


次のようなことを少し、考えてみてもらえるでしょうか・・


人は、生まれようと思って生まれてくるでしょうか。

死のうと思って死ねるでしょうか(自殺行為は除く)


生も死も、ある面では、

人は少し、コントロールできるかのようですが、


究極的に、


人は、それらをどうすることもできない存在

です。


人間は、その始まり・・そして、その終焉について

究極的には、どうすることもできないのです。


その、どうすることもできないことについて

創造主なる神は、


「あなたたちは生まれた時から、胎を出たときから担われてきた」


と創造主は、語られます。


「担われてきた」とは、

わたしが、保護してきた・・・という意味です。


さらに、「白髪となるまで背負って行こう」とは、


最期の最後まで、【わたしが責任を果たすから】


とおっしゃっているのです。


【わたしがあなたを造った】のだから・・・責任を果たす・・・。


それは、いわば、創造主の全人類に対する

マニフェスト(公約)といえます。


「わたしの人生について、神様が責任を取ろうと

してくださっている・・・」


わたしは、そう信じ、契約し、ゆだねているのです。


これは、とても心強いことです。

この保護に支えられて、わたしは、自分のできることを

精一杯、行動しよう、そう思っています。


*******************************


今、未曾有の不況の中に、職を追われる方々のニュースを

目にし、耳にし、とても心配で、心苦しくなります。


かつては、日本の企業雇用形態は、「終身雇用制度」というものでしたが

それは、もう今、成り立っていくことができません。


会社は、その人を最後までケアし、守ってくれません。

社会、政治、学校も・・・残念ながら・・・そうです。


それぞれ、懸命なってくださる政治家の方、行政の方、

学校の先生、おられます。それらの方々のお働きには

頭が下がります・・・。


ただ、その方々が、一生涯、自分の人生について関わり、

責任をもってくださるか・・・といえば、そうではありませんし

また、その方々にそうする義務はないのです。


********************************


わたしが今、存在すること、命が与えられていること

その根拠は、創造主なる神にあります。


また、そのお方の思い、愛は、永遠に変わることがない

と契約書(聖書)に保証されているものです。


その保証に、保障、補償されながら、わたしは、

自分に与えられた命について、

それをどう使うか・・・が問われています。


与えられている「命」をどう「使うか」

これを、「使命」といいます・・・。


わたしの存在する確かな「根拠」を創造主におき(【ビジョン】)

http://ameblo.jp/taizo-bokushi/entry-10188440958.html


与えられている「命」をどう使うか・・・その使命(【ミッション】)

を厳粛に考えたいと思っています。


●聖書のことば●


「シオン(神の民の意)は言う(嘆いた)。

主はわたしを見捨てられた・・・、

わたしの主はわたしを忘れられた・・・と、


(しかし、創造主は答えられた)

『女が自分のその乳飲み子を忘れるであろうか、

母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか、


たとえ、女たちが忘れようとも、

わたしがあなたを忘れることは決してない。

見よ、わたしはあなたを

わたしの手のひらに刻みつける』


(旧約聖書 イザヤ書49章14-16節)


***********************************



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2009年01月20日(火)

【変えられない・・・・】

テーマ:【わたしの好きな聖書の言葉】

********************************


「わたしの目にあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

              (イザヤ 43章 4節)


「主はあなたを決して見放さず、あなたを見捨てられない。」

             (申命記 31章 6節)


********************************


本日、テレビのニュースでは、どのチャンネルも

アメリカ新大統領 オバマ氏の就任演説関連

の内容が多かった日でしたね。


ご存じのようにオバマ氏のキーワードは、

「変化:change」です。


・・・決して皮肉でも、オバマさんに対抗しているのではない

ことをお断りしつつ(笑)


あえて、「変えられないこと」っていう題をつけました。


わたしにとって、聖書のことば、

神様の約束の言葉は「変わらないもの」です。


創造主は、いつも

「わたしにとってあなたの存在は、なくてはならない大切な存在」


としてくださっていること


「決して見放すことも、見捨てられることもない」

ということ・・・


創造主は、創造主の人間に対する約束、愛

その愛を変えられないのです。


変えることがおできにならないのです。


太陽が、常に東から昇り、西に沈むように・・・


太陽が西から上り、東に沈むことがあるでしょうか・・・

(バカボンの唄ではありますが、笑)


時計(アナログ)が、右回り(時計回り)で

進んでいること・・・・。



【普遍的なこと】・・・について考えることが、

人間的、かたくなさ(よくない意味での頑固)

独善にならないようにとは気を遣い

・・・思っていますが、


でも、変わらない、普遍的な、何かに土台をおいてこそ

【安心して】、変えるべきことを【変えることができる】のでは・・・


と、わたしは、思っています。


********************************


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