2017年06月25日(日)

札幌にある映画「ハクソーリッジ」主人公「デスモンド・ドス」の教会です。

テーマ:【イエス・キリストの教え】

メルギブソン監督

映画「ハクソーリッジ」が公開されています。

わたくしたちの教会は
主人公「デスモンド・ドス」の所属した教会です。

正式名称は、セブンスデーアドベンチスト教会

と言います。SDAと略されています。

所在地:札幌市北区北37条西 2丁目 1-24

礼拝日:毎週土曜日 午前11時より

(どなたでも参加できます)

 


戦争映画というのは、葛藤が多いです。

戦争という問題は、なかなか中立の立場で

考えるのは難しいものだからです。

戦争映画を観て想う事、

戦争は絶対に起こしてはいけない。

このことは確かです。

 

また、個人的には映画の舞台が

沖縄戦であること、

映画を見た後、正直、大変複雑な思いになりました。

 

大切なのは、彼が聖書の「十戒」を大切に生きたこと

そのうち

「あなたは殺さない」(第6条)

「安息日を大切にする」《第4条)

という点について、どのような状況においても

大切にした点だということです。

そして、それは、わたしたちを生かしてくださる神様を

覚えつづけたことを表しています。


その証として、彼は、大激戦の中、命がけで

傷ついた仲間の救出にあたったということです。

「主よ、あと一人助けることができますように」と祈りながら。

その姿は、十字架にかかって血を流される

イエス=キリストに重ねることができます。

その主題を映画からご理解いただけたら

と思うのです。

 

映画をご覧になり、聖書に興味をお持ちになられたかたは

ご遠慮なく、教会をお訪ねください。

 

みなさまの上に神様の祝福とお守りが

豊かにありますように。

 

参考

「デスモンド・ドス氏」についての琉球新聞記事

琉球新聞社関連記事

第21話 ハクソー・リッジの奇跡

第22話 デズモンド・ドスの信仰

デスモンド・ドスをご存知ですか

 

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2016年11月16日(水)

「愛」は「水」こころを潤すもの

テーマ:【イエス・キリストの教え】

札幌での初雪を体験しました。

数日前、園庭で子どもたちとふわふわ飛ぶ「雪虫」を追いかけっこしたところでした。

自然の営みは不思議に満ちていますね。本格的な雪の時期はまだ先のようですが、

皆様のご生活の安全が守られますように。おかげで思ったより親知らずの抜歯は

上手く終了しました。励ましの声をかけてくださった方々、有難うございました。

 

**************************************

 

さて、聖書に「愛」が「水」にたとえられているところの2回目です。

前回「水」は大変貴重で、わたくしたちの生活、いのちにとって欠かすことのできないもので、その水に「愛」がたとえられていることをご紹介しました。

 

聖書の言葉に「イエスは答えて言われた。『このを飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与えるを飲む者は決して渇かない。わたしが与えるはその人の内で泉となり、永遠の命に至るがわき出る。』」(ヨハネ福音書4章13-14節)とあるのですが、ここに記されている「渇き」は「こころの渇き」を意味しています。おいしい「水」が「体の渇き」を潤すように、神様の愛が人の「こころを潤す」ことが書かれているのです。

 

このヨハネの福音書4章には、身も心もボロボロになっていた一人の女性とイエスとの交流の物語が記されています。紙面の関係ですべてはお伝えできないのですが、あらすじを少しお伝えします。

 

この女性は「サマリア」という地域に住んでおり、ユダヤ人にとっては「避けて通る地域」「敵対している地域」でした。また、さまざまな事情からこの女性は人目を避けて、確かに現況は人々から後ろ指をさされる生活をしており、いろいろな偏見の中、共同体からも村八分状態であり、寂しさ、孤独、孤立感の中で暮らしていたことが伺えます。その女性のこころは、砂漠のように「渇いて」いたのです。

 

しかし、イエスはそのような女性に「天の神様は間違いなくあなたを大切に思っている」ということを「水」をたとえに語られたのでした。「砂漠」のようであっても「井戸」を掘り当てるなら、そこは「オアシス」となるのです。すべての人のこころにまだ掘り当てられていない「愛の泉(井戸)」があるということが語られている物語です。

 

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2016年10月14日(金)

『愛』は『水』

テーマ:【イエス・キリストの教え】

朝晩がすっかり寒くなりました。

本州から来た者にとっては冬が来た感覚なのですが、

北海道の方々に言わせると「まだまだ」なのですね。

季節の変わり目どうぞ、ご自愛ください。

 

私事ですが、来週、口腔外科で親知らずの抜歯をする予定です。

少々やっかいな生え方をしている為、抜歯方法について、

「あごの骨を少し削って・・・」というような説明を受けると、

いやでいやで仕方がないのですが、

 

園児から「園長先生がんばって」

「痛くないよ」「歯医者さんは怖くないからね」と

励まされています。(笑)

 

その時、ふと思いました。

そのような園児たちのやさしい言葉は、きっと日ごろ親御さん方が

お子さんたちに語りかけておられる言葉なんだろうな、

 

それをお子さんたちが真似て、わたしに言ってくれているのだろうな、と。

 

******************************

 

さて、「愛は○○」シリーズ、こちらを読んでくださっているみなさまの

ご家庭がより祝福されることを願って、続けてまいりたいと思います。

今回は聖書に「愛」が「水」にたとえられているところをご紹介します。

 

ところで、「水」はどれだけ貴重でしょうか。

これは、レストランで「無料の水」が何杯も飲め、「水」が豊かにある日本では、

少し、その大切さ、有難さが伝わりにくいかもしれません。

 

中東のある国では、「ガソリン」の方が「水」よりも安いところがあります。

ほとんどの国では、「水」は「お店で買って飲むもの」のようです。

 

では、ここで少し、もしも「水」がなくなったらと考えてみてください。

わたくしたちの生活はどれだけ不自由になるでしょうか。

 

朝、顔を洗うところから始まって、トイレ、料理、家事、入浴・・・といった日常生活が

とたんにマヒします。また、園庭でこけて、すり傷ができてしまった園児は、傷口を

まず「水」で洗います。ヤケドをしてしまったら「水」で冷やします・・・

 

そして何よりも、わたくしたちの体は成人で約60%(乳幼児は70%)が「体液(水分)」

で構成されています。「脱水」症状になると、酸素や栄養素が体内に行き渡らなくなり、

老廃物を排出することができなくなるなど、「命」にかかわる重篤な出来事になってしま

います。

 

「水」は大変貴重で、わたくしたちの生活、いのちにとって欠かすことのできないもの

なのです。聖書には、そのような「水」に「愛」がたとえられているのです。

 

聖書のことば「イエスは答えて言われた。『このを飲む者はだれでもまた渇く。しかし、

わたしが与えるを飲む者は決して渇かない。わたしが与えるはその人の内で泉となり、永遠の命に至るがわき出る。』」

(ヨハネ福音書4章13-14節)

 

ここに記されている「渇き」は「こころの渇き」を意味しています。

おいしい「水」が「体の渇き」を潤すように、神様の愛が人の「こころを潤す」こと

が書かれています。

 

************************************

 

本日もお読みくださって、有難うございます。 今日もみなさまの一日が良い日で

ありますように。 神様のお守りが豊かにありますように。

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2012年08月18日(土)

【わたくしたちの国籍は天にある】

テーマ:【イエス・キリストの教え】

本日もこころのエステ・フィットネスに

お立ち寄りくださり、有難うございます。


最近のテレビや新聞のニュースで

報道される諸問題を見聞きして思った

聖書の言葉を一つご紹介します。


*************************


「わたくしたちの国籍は天にある」

(新約聖書 フィリピの信徒への手紙2章20節)


*************************


みなさまは、「竹島」「尖閣諸島」に関する

いわゆる”領土問題”について何か見解を

お持ちでしょうか・・・・。


お恥ずかしながら、

わたくしは、実際の【国際関係論】的な

【経済論】的な・・・【政治論】的な

はたまた、【漁業利権】的な問題について


具体的な解決策や見解について

は持ち合わせておりません。。。。


どうしたらいいのだろう・・・・と頭を

抱えてしまいます。


それらの問題についての紛争記事や

心情的対立の諸相をニュースで見聞きするとき

深い悲しみを覚えます。


わたくし自身、韓国にはたくさんすばらしい友人が

います。中国にも、国際結婚した身内がいますし・・・


彼らとの間には、全く紛争はないのです。


個人レベル(民間レベル?)では・・・・


ところが、それが「国家」という枠組みになった

とたん・・・問題が噴出します。


*************************


さて、冒頭の聖書の言葉について・・・・


「わたしたちの国籍は天にある」


これは、どういう意味か・・・


まず「」という言葉ですが、

原語であるギリシャ語に忠実に訳すと

宇宙」という言葉になります。


また、「国籍」ということばにはいろいろな訳が

与えられているのですが、「ふるさと(本国)」

と訳している聖書もあります。


「わたしたちのふるさと(本国)は、本来、宇宙にある」


と聖書は告げているのです。


もしも、すべての人がこの認識に立つことができたら・・・


「わたしは日本人」「あなたは韓国人」とか「アメリカ人」

「アフリカ人」とか・・・という中での対立は

減少するのではないでしょうか。


そう個人的には思います。


わたくしたち、地球に生きる、宇宙に生き、存在する

すべてのものは、「同じふるさと(天)」をもつ、家族・・・

同じ宇宙、地球に暮らす兄弟姉妹という認識です。


いい言葉だと思われませんか?


”日本人の神”、”アメリカさんの神”・・・といった

バラバラの”神”がおられるのではなく


宇宙を創造され、地球を創造された

そのに生きるすべての生命体に愛と命を

与えられる、生ける神、創造主がおられる


と聖書は告げています。


ところで・・・この思想に関して少し。


本来、わたくしたちの日本人の先祖、

大和民族のリーダーたちは

この思想については、知っていました。


みなさまの中には、

【古事記】をお読みになった方もおられるかも

しれません。


その冒頭に

【天之御中主神】 (アメノミナカヌシナルカミ)

なる神様の名が記されています。


このお方は「宇宙の中心に鎮座なさる神」

という意味です。


日本人のご先祖様は、きちんと「宇宙の中心に

鎮座なさる神」について知っていた・・・のです。


******************************


本日もお読みくださって、有難うございます。

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2012年08月03日(金)

【決められた道を走り通し・・・】

テーマ:【イエス・キリストの教え】

本日も、こころのエステ・フィットネスに立ち寄ってくださり

ありがとうございます。

酷暑の毎日ですが、みなさまの日々の健康が

支えられますように。


さて、連日、テレビはオリンピック競技を放映し、

一生懸命、その競技に取り組む選手たちの

姿勢に感動を覚えます。


オリンピック競技観戦をするとき、わたくしは

いつも、次の聖書の言葉を思い浮かべます。


******************************


「・・・わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、

信仰を守り抜きました。今や義の栄冠を受けるばかりです。

正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださる

のです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら

待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます」

    (テモテへの手紙 Ⅱ 4章7-8節)


******************************


ここしばらく、この聖書の箇所から、最近感じたことを

述べてみたいと思います。


聖書は、人生には、ある「戦い」がある

また、「決められた道」がある

と言います。


その「戦いを戦い抜く」こと、

「決められた道」を走り抜くこと

その時、人生は、充実したものになる


人生は、何か「走り抜く」競技

喩えられると記されているのです。


さて、みなさまの日々の「戦い」

「決められた道」とはどのようなもので

いらっしゃるでしょうか・・・。


なすべき課題、与えられている「課題」

「目標」と置き換えてもいいかもしれませんね。


****************************


さて、この聖句を記したのは「パウロ」という信仰者でした。


パウロは、聖書の神様、創造主の愛を伝えたがゆえに

時のローマ政府から反発をくらい、

処刑され、殉教することになります。


この文章は、パウロが亡くなる直前のもの、遺書、遺言

と言えます。自分に死がはっきりと迫っていることが

わかっている中で、パウロはこの文章を書きました。


パウロは、自分の使命に「命をかけていた」

「命がけでそれに取り組んでいた」

のです。また、それは、パウロにとって

命をかけても惜しくない働き であったのです。


「命がけ」少々大げさに響くかもしれませんが、


わたくしたちが、もしも、、「命がけで」

取り組める何か、熱心に取り組める人生の目標を

価値あるものを得ることができるなら、それは、

本当の意味で幸せなことではないでしょうか。

パウロにとって、それは、聖書の神様の愛、救い、赦しを

人々に伝えることであったのです。


*******************************


さて、連日オリンピック関連のニュースで少々残念な

記事を目にしました。


バトミントン競技、予選で、ある国の選手たちが

決勝のためにでしょうか、予選で精一杯、競技する姿勢を

見せなかった、いい加減に競技に臨んだと判断され

「失格」になったというものでした。


あと味の悪い、残念な出来事でした。


オリンピックという場、また、選手のような華やかなもの

でないかもしれませんが、


わたくしたちの日常、どのような小さい働き、出来事についても

もしも、誠心誠意、一生懸命取り組むなら

どのような働きも尊いものだと思います。


また、小さな努力の積み重ねにおいても

達成感、充実感は得られるものだと思うのですが・・・。


本日もみなさまの健康が守られ、

立てておられる目標、目的がより良い形で

達成されますようにと願っております。


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2012年07月21日(土)

【キリストの生涯<2>~”知ってるつもり”より~】

テーマ:【イエス・キリストの教え】
2012年07月18日(水)

【イエス=キリストの生涯<1>~”知ってるつもり”より~

テーマ:【イエス・キリストの教え】

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2012年02月15日(水)

【他人の声(評価)から解放されたザアカイ】

テーマ:【イエス・キリストの教え】

本日も、こころのエステ・フィットネスに立ち寄って

くださり有難うございます。


まだまだ、寒いですが、確実に春に向かって

季節は移り変わっている気配を感じます。


ザアカイの物語の続きです。


ザアカイは、創造主イエス=キリストという存在に出会い

劣等感から解放され、本来の良さ、自分自身を取り戻し

ました。


その時、もう一つ、彼が解放されたものがあると

聖書には記されています。


それは、【他者からの声(評価)】でした。

聖書に次のように記されています。


**************************


「・・・ザアカイは、急いで降りてきて、

 喜んでイエスを迎えた。


これを見た人々は皆つぶやいた・・・。


『あの人(イエス)は、罪深い男のところにいって

宿をとった』


しかし、ザアカイは立ち上がって、主(イエス)に

言った。


『主よ、わたしの財産の半分を貧しい人に施します。

また、誰かから何かだまし取っていたなら、

それを四倍にして返します。』


イエスは言われた。


『今日、救いがこの家を訪れた・・・。

 この人もアブラハムの子なのだから。

人の子(キリスト)は、失われたものを捜して

救うために来たのである。』


(ルカ福音書 19章6-10節)


****************************


ザアカイは人々から嫌われていました。


ザアカイはひょっとしたら、劣等感、負い目から

人からの評価に、人一番敏感だったかも

しれません。


負の評価を受けるたびに、それを払拭するために

東奔西走していたかもしれません。


誰も【負の評価】を好む人はいないでしょう。


【嫌われ者】のザアカイを認め 和やかに談笑し、

評価し、親しくし、家にまで泊まる


イエス様にも、

ザアカイを批判する人々の矛先が向きました。


今までのザアカイだったら、きっと

複雑な思いで、苦々しく、彼らの【評価】(つぶやき)

に心を乱したのではないだろうかと

思うのですが、


所詮、他人は、自分勝手なことを言うものです。


**************************


イエス様と出会ったザアカイは、今までとは

違いました。


イエス様をしっかり見つめ、イエス様の愛のこころを

しっかり、胸に留めたザアカイは、

周囲の雑音(つぶやき、酷評)にも耳を貸さず、


自分の新しい【使命】【役目】【ミッション】【ビジョン】に

目を向け、そのことについて、イエス様に宣言するのです。


【不正を悔い改め、困っている人々のために

自分のできる精一杯の支援をする・・・】と。


その言葉を聞き、キリストは、

ユダヤ人にとっては、最高の名誉ある言葉を

ザアカイに投げかけられます。


「あなたも間違いなくアブラハムの子である」と


この意味しているところは・・・説明は長くなりますので

詳しくは割愛しますが、


アブラハムとは、ユダヤ人にとって信仰の父、人生生涯の

最高のお手本、モデル、また、天国行きを約束されている人

・・・なのです。


アブラハムが神様から受けた同じ恩恵を受けながら

生きること、これは、ユダヤ人にとって、とても名誉

なことなのです。


日本の状況に少し当てはめますと・・・

「皇室に迎え入れられる」ような感じでしょうか・・・


また、皇室よりの種々褒章を授与されるような

ものかもしれません。


”アブラハムの子”という称号は、

その数ある褒章の中でも、最高の褒章、

名誉なのです。


*****************************


しかし、何よりも、ザアカイにとって

本来の自分自身、良さ、純粋さ、能力が

創造主なる神によって、回復したことは

何よりの喜びでした。


「人の子は、失われたものを捜して救ってくださる方」


ザアカイとの関わりを通して、

創造主なる神は、すべての人の、良さ、能力、

生きる目的や意味を回復されることを

示されたのでした。


創造主を家に泊めたことを機に、

自分の生きるべき使命、意味、役割がはっきりした

ザアカイは、それから先、とても幸せで、充実した毎日を

送ったことでしょう。


創造主が、ザアカイに限らず、ザアカイのように信じる

すべての人に与えられる評価があります。


そのことについて聖書は、


「わたし(創造主なる神)の目に あなたは

 高価で、尊い(無限の価値をもっている)」

(旧約聖書 イザヤ43章4節)


というものです。


ザアカイは、【他人の評価】ではなく、

普遍的な、変わることのない【創造主よりの評価】

【愛】を信じたのです。


********************************


本日もお読みくださって、ありがとうございます。

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2012年02月07日(火)

【劣等感から解放されたザアカイ】

テーマ:【イエス・キリストの教え】

本日も、心のエステ・フィットネスに立ち寄って

くださり、ありがとうございます。


ザアカイの物語の続きです。


ザアカイは、家(こころ)にイエス・キリストを

迎え入れ、キリストは、ザアカイの家に

宿をとりました。


その時から、ザアカイのこころに大きな変化が

訪れたのです。


そのこころの変化とは・・・


ザアカイは、

イエス=キリストと出会うことによって

まず、【劣等感】から解放されたのでした。


【劣等感】は、人から、その本当の良さを

見えないようにし、


また、人と人との関係までギクシャクさせる

かなりの クセモノです。


【劣等感の克服のヒント】、

その観点から、今一度、ザアカイの物語を

振り返ってみます。


************************


イエスは、エリコに入り、町を通っておられた。

そこに、ザアカイという人がいた。


この人は徴税人の頭で、金持ちだった。


イエスがどんな人か見ようとしたが、

背が低かったので、

群衆に遮られて見る事ができなかった。


それで、イエスを見るために、走って先回りし

いちじく桑の木に登った。


(ルカ福音書 19章 1-4節)


************************


【劣等感】というテーマ・・・


聖書には、どうしたことか、ザアカイについて

「背が低かった」 と記されているのです。


「背が低かった」・・・このことは、ザアカイにとって

かなり大きな劣等感、コンプレックスとなっていたに

違いないので、このように記されているのです。


ひょっとしたら、ザアカイは、この劣等感のことで


どうして、神は、わたしをこんなに、小さく

お造りになられたのか・・・と

恨みごともいっていたかもしれません。


この劣等感がどうも、発端となって


ザアカイは、

「金持ち」になろうとし、

人よりいつも、「先回り」していくような、狡猾な性質を

身につけ始めたのかもしれない・・・


しかし、だんだん、それがエスカレートし、

その結果、「人から嫌われ、敬遠され」

挙句の果てには、「木の上に登ってしまう」

状態になった・・・


**************************


「木の上に登っている状態」


これが何を意味するか・・・

実は、「木の上」とは「危険な状態・危険な場所」

の象徴なのです。


どうして危険か・・・何か危険なのか・・・


「木の上」とは、人の「おごり高ぶり、高慢、傲慢」

を示すのです。


***************************


もしも、「木の上」から落下したとしたら・・・

打ち所がわるければ、骨折にとどまらず

死に至る危険があります。


ザアカイの状況は、

たいへん危険な危機的な状況だった

といえるのです。


***************************


その理由①


ザアカイは、大金持ちと記されていますが、

いつの時代にも、【大金がうごめくところ】に

さまざまな【人の欲望】がうごめくものです。


賄賂、収賄・・・お金そのものは、汚くもキレイでも

ないのですが、問題は使い方です・・・


どうも、大きなお金は、人を良いほうには動かさない・・・

犯罪、トラブルの多くは、お金がらみです・・・。

悲しいことです。


【大金】の動くところ【人の欲望】の渦巻くところ

それが、 「木の上(危険)」な状態というのです。


大きなお金を所有することは、

人を高ぶらせ、傲慢にする場合が

あります。


実際、ザアカイは、なんらかの不正を行っていた・・・


それは、とても【危険】だったのです。


****************************


その理由②


これは、宗教的なテーマになりますが、

イエス=キリストとザアカイの位置関係を

イメージしてみてください。


聖書では、イエス=キリストを救い主

天地創造の神と信じていますが、


ザアカイは、木の上にいた・・・

イエス様は、ザアカイを下から見上げて・・・

と書いてありますから・・・


ザアカイは、自分を神より【高い位置】において

いた・・・ということになります。


これは、宗教的に「高慢の極み」という

ことになり、「たいへん危険な状況」

であったといえるのです。


*****************************


それら、大変危険な状況に陥らせた

根本原因・・・をこの物語から、考えますと


【劣等感】というクセモノが浮かび上がってくるのです。


これをザアカイは、「金持ちになることで」

「人より先回りすることで」

なんとか、跳ね除けようと、


人に対して【優越感】を得るために・・・

一生懸命になってしまっていた・・・


その結果、知らず知らずのうちに

【高慢・傲慢】になってしまい、


人から嫌われる結果を招いた・・・


悪循環のループに陥っていた・・・

のではないだろうか・・・


人間の悲哀が描かれている物語だと

思います。


**************************


ザアカイの住んでいた「町」がそれを

また象徴しています。


ザアカイの住んでいた町は、

『エリコ』といいますが、


この町は、かつて高い城壁が張り巡らされていて

その城壁は、難攻不落の城壁といわれていました。


「高い城壁」とは、また「人間の傲慢さ」

の象徴でもあるのです。


大きな劣等感を覆い隠すような

「高い城壁」(防護壁)


ザアカイは、懸命に自分自身の弱さや

小ささ、劣等感を覆い隠すために

知らず知らずのうちに、「高い城壁」

を自分自身の周りに張り巡らし、

自分と他者との関係を遮断していたのでしょう。


その結果、孤立、孤独の中で

寂しい思いをしていた・・・

ザアカイの姿が思い浮かびます。


しかし、そのような中、

なんとかキリストに会いたい・・・という

願いから、木の上に登ったザアカイに

キリストは、やさしく


「ザアカイ、急いで、降りてきなさい・・・わたしは今晩

あなたの家に宿をとることにしている」


と語られたのでした。


そのやさしい一言に、ザアカイの孤立感、孤独感

さびしさは、一瞬にして溶かされたのだと

思います。


***********************


家に泊まらせる相手・・・

みなさまも、そのような関係は、

とても親密な、親しい間柄でないと

泊めたりしませんよね。


ザアカイは、創造主なる神と出会い、

そのやさしさに触れたとき、

その方をこころに受け入れたとき、


今まで、彼の心の本当の良さを

覆い隠す原因となっていた

劣等感、孤独感、孤立感は、すぅっと

取り去られたのでした。

********************************


本日もお読みくださって、ありがとうございます。

今日もみなさまの一日が良い日でありますように。

神様の祝福、愛が皆様の上に満ち溢れますように。


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2012年02月02日(木)

【ザアカイの<<家>>に愛が宿った】

テーマ:【イエス・キリストの教え】

みなさま、本日も心のエステ・フィットネスに

立ち寄ってくださり、ありがとうございます。


たいへん寒い一日となっていますね。

くれぐれもご自愛ください。


さて、ザアカイの物語の続きです。


******************************


イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。


「ザアカイ、急いで降りて来なさい。

今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」


ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。

これを見た人たちは皆つぶやいた。


「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。


「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。

また、だれかから何かだまし取っていたら、

それを四倍にして返します。」


イエスは言われた。

「今日、救いがこの家を訪れた。

この人もアブラハムの子なのだから。

人の子は、

失われたものを捜して救うために

来たのである。」


(ルカによる福音書 19章5-10節)


******************************


高い木の上からキリストの来られるのを眺めていた

ザアカイに、その木から滑り落ちそうになるぐらいの

驚きの出来事がおきました。


ザアカイの上っていた木の下まで来ると

イエス=キリストは、上を見上げて

ザアカイにやさしく、呼びかけられたのです。


「ザアカイ、急いで降りてきなさい。

 今日は、ぜひ、あなたの「家」に泊まりたい」


「えっっーーーーなんで、俺の名前を知ってる???」


ザアカイはきっと面食らったことでしょう。

なにがなんだか、わけがわからないまま

だったかもしれませんが、


しかし、ザアカイは、キリストの呼びかけに応じて

木から降りてきました。


そして、自宅にイエス=キリストを迎え入れたのです。



そこから、ザアカイに劇的な変化が訪れました。



なんと、今まで行ってきた不正をやめて、


不当な利益をだましとっていた人には弁償して・・・・

これからは、自分のできる限り、精一杯、

人を助け、人のために生きる


と宣言したのです。


いったい、ザアカイの家で、キリストが何をザアカイに

語られたかは、はっきり書かれていませんが、


いつも、イエス=キリストの語られていることを

話されたとすれば



天地万物の創造主は、あなたを愛しておられる

あなたの罪を赦される方であること


このことをきっと語られたのだと思います。


ザアカイは、今までは人から何かを

「奪い取る」ことに奔走していました。


しかし、キリストと出会ってから 

「与える人」に変えられたのです。


「奪う人」から「与える人」へ・・・・。



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聖書では、「こころ」(魂)が「家」にたとえられています。


聖書には、イエス=キリストは大工の息子であった

とも記されています


家づくり=魂の形成 心を建てる・・・

ことにたとえられるのです。



聖書では、「イエス=キリスト」に神様の本質

「愛」が表されている・・・と信じますので、


その「家」に「キリスト」が宿をとられる・・・とは

その人の「こころ」に「真の愛」が宿ること 

を意味しています。



ザアカイのこころに真実な愛が宿ったのです・・。


いや、イエス=キリストが心に来られたことで

ザアカイのもっている、本来の「純粋さ」が回復した

という方が正しいと思います。


さまざまな事情で、「失っていた本来の良さ」

をザアカイは回復したのでした。


人は、こころに必ず、愛というもの、尊い宝

純粋な心をもっているものです。


しかし、それが、さまざまな事情で失われている

もったいないことです。


どうして、人のこころは、そのような純粋さ

愛を失ってしまうのでしょうか・・・


そのあたりを、次回、もう少し、

ザアカイの物語から

考えてみたいと思います。


【このお話の続きは>>こちらです】


【ザアカイこのお話の前のお話は<<こちらです】


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本日もお読みくださって、ありがとうございます。

今日もみなさまの一日が良い日でありますように。

神様の祝福、愛が皆様の上に満ち溢れますように。


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