2月27日の台北日本人学校六年生への講演の中で、李登輝氏は、2004年末の日本訪問について触れられた。

戦後60年の間、敗戦国としていろいろないじめにあいながらも、経済大国として立ち上がってきた日本。想像を絶するようなスピードで復興した日本は、工場ばかりが乱立しているのではなく、伝統文化がしっかりと残されていた。

コメントのメモ (写真:李登輝前総統が2004年末からの旅行最終日に西本願寺大谷本廟(京都市)にある故司馬遼太郎さんの墓前で読んだコメントの原稿 taiwan-tokuan撮影)


時間通りに運行され、ピタリと安全柵のゲートにあわせて停止する「新幹線」、トップレベルの「服務精神」をもって運営されている「加賀屋」・・・これらの技術を作り出す根本には、日本人の伝統を重んじる精神、その文化を大切にしようとする精神があるからだと思いました。
八田興一が作った嘉南大しゅうでも、台湾の人間が足りているのに、総予算の三分の一もかけて、アメリカから最新鋭の大型機械を取り入れて工事を行いました。そして、その大型機械は、ダム完成のあと、花蓮港の建設にも使われました。

そして従業員のためには、よい仕事をするにはよい環境が必要であるという考えから、宿舎とその周りに学校、娯楽施設も作りました。

熱弁李登輝氏02 (子供たちに講演中の李登輝前総統)


李登輝氏の講演で触れられた、「加賀屋」においても、100年の伝統の中にあるサービス(服務)精神の表われを紹介したい。

加賀屋 」は、今年創業100周年を迎えます。

ご存知の方も多いかと思いますが、今ではどこの旅館でも行われている、女将の各お部屋へのご挨拶は、加賀屋の先代女将の故小田孝さんが始めたものです。大変なご苦労の上、とにかく「お客様の満足を第一に」試行錯誤してこられました。ぜひ、加賀屋のHPをご覧になって見て下さい。

先代女将、小田孝がおもてなしの原点を語った「元気でやっているかい」


この先代女将のご長男が現在の加賀屋会長観光カリスマ、小田禎彦氏です。また、現在の社長が次男の小田孝信氏です。

お二方は、先代からの教えを引き継ぎながら、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選 」で、総合一位を連続26年間も達成されています。

確かに加賀屋に負けないようなサービスを提供されているホテル・旅館は数多くあります。加賀屋の規模(定員1500名)で、ここまで決め細やかなサービスが提供されるということは、簡単なことではありません。

経営者から現場第一線の人たちまで、「日本一の加賀屋」という看板と同時に同じ重さの「プレッシャー(緊張感)」をもって働いています。


実は、加賀屋と八田興一には、大変似通った経営精神があります。

八田技師がよい仕事をするためには、その環境が重要であると考えたように、加賀屋でも従業員の働く環境をたいへん重要に考えています。

これも、多くの方がご存知かと思いますが、サービス係(中居さん)の労働負担を軽くするために、独自開発した「自動搬送システム」が、お客様から見えない部分に走っています。(写真)

自動搬送システム01 自動搬送システム02

厨房で作られた料理は、各フロアーまでロボットによって運ばれます。これは、少しでもサービス係の負担を少なくしようとする考えと同時に、その節約された時間をお客様のおもてなしに回したいという考えからです。伝統と文化を重んじながら、常に改革を求めているのです。

また、旅館から程遠くないところに宿舎(寮)があり、カンガルーハウスという従業員の子供のための幼稚園まで併設しています。


台湾台南のあの許文龍氏の奇美実業 も、従業員のための設備を充実させています。週休二日制も台湾の政府が実施する10年も前から始めていましたし、従業員の持ち株制度も早くから取り入れ、退職する時には、株があれば、その配当が年金のように入ってくるようにするという目標を持って進めてきました。

また、利益の地元への還元ということから、世界から絵画や彫刻、楽器などを収集した博物館 を作り、無料で開放しています。


政治にしても、会社にしてもその土地の人たちに喜ばれる、還元されるものでなければトップには立てませんし、そうでなければ存続さえも難しいかもしれません。


日本一の加賀屋、世界一の奇美実業・・・国の祭りごとを司る人たちが、このような経営者の考えを持って事に当たれば、どんなにすばらしいことでしょう。

AD

台北日本人学校では、小学部四年生の時と、六年生の時に、八田技師について学ぶ。

今年度の六年生は、担任の先生方の情熱を受けてさまざまな体験ができた。


五月には、八田技師の墓前祭に参加した金沢の一行が、八田技師長男の晃夫夫妻と台北日本人学校を訪問し、六年生の皆さんにいろいろな話をした。(詳細は、以前のブログで。http://ameblo.jp/taiwan-tokusan/page-2.html

日本人学校にて (六年生に話しかける八田晃夫氏)

この後、六年生は、八田興一技師の烏山頭水庫を学び、その中で八田技師の銅像がなぜ残っているのかも学んだ。

そして、10月の学習発表会では、「劇 八田興一 烏山頭ダムにかける思い」を演じている。その学習発表会の第一部は、原住民族のバンブーダンスの披露(原住民の先生が毎週学校にこられ指導した)、第二部が八田興一の劇、そして最後に、六年生が作詞し、先生が作曲編曲した「麗しき烏山頭 ~八田興一賛歌~」を合唱した。


劇の台本が手元にあるが・・・一部を紹介してみよう

「9つの民族はそれぞれ違う言葉を使っていました。」

「しかし、日本が台湾を治めていた時代には日本語が共通の言葉として、ここ台湾で使われていました。」

「ところが、日本人のやり方に不満を持っていた人々と日本人の間には衝突も起きました。」

「代表的なものに、霧社事件と言うものがあります。日本が治めている時代に台湾のほぼ中央 霧社という場所で起きた事件です。」

「日本警官の不当な横暴にタイヤル族の民衆が立ち上がり、日本人を襲うと言う事件が起きました。」

「この事件により霧社に住む多くの命が奪われました。」

「この結果今度は、日本軍に反対する多くの原住民の命が奪われました。」

「台湾の歴史を知ることにより、私たちは日本という国についても知ることができたり、違う角度から見つめることができたりするようになってきました。」

「そして、私たちは来月の修学旅行で、霧社事件について原住民の子孫の方から直接話を聞くことにしています。」

「しかし、台湾を治めていた日本人と治められていた台湾人の間で、日台友好の架け橋となった日本人もいると知りました。」

「それが、八田興一です。台湾最大の嘉南平原に烏山頭ダムをはじめ、嘉南大しゅうを作り上げた人物です。」


劇の内容では、台風や干ばつ、塩害で苦しんでいた当時の状況からはじまり、八田氏が烏山頭ダム建設を直談判しているシーン、いい仕事をするには、働く人のためにいい環境を作らなければならない、そして、建設中に亡くなられた人を差別なく殉工碑に名前を刻んだこと・・・・などを紹介しています。


劇の後の、児童代表からの作文を・・・・

 「私が日台の架け橋となるには・・・この宿題を与えてくださったのは五月に本校を訪れた八田興一の長男八田晃夫さんのお話からでした。

 なぜ霧社で多くの人がお互いに殺し合いをしなければならなかったのか、八田興一はなぜ、あれだけ大きな事業をここ台湾で行うことができたのか。これが宿題を解決するきっかけになりました。私は、二つの事がらを通して「他人を思いやる気持ち」がとても大切だと思えてきました。

 日台の架け橋になるのはそう簡単ではないはずです。でも学習を通して私はその重い壁を乗り越えて日台の架け橋になりたいと今まで以上に強く思うようになりました。そして今ではそのことが私の夢へとつながっています。

 ありがとう台湾   私のふるさと」


そして、11月の修学旅行では、霧社を訪れ、霧社で起こったことは何なのか、どうしてそのようなことが起こったのかを実際にその場にいってきた。そして、老人から直接その当時の話を聞けたと言う。

その後、烏山頭水庫を訪れ、水利会の徐さんの案内ですみずみまで見学してきた。最後に八田技師夫妻のお墓の前で、皆で作った「麗しき烏山頭 ~八田興一賛歌~」を合唱してきた。


彼ら六年生の最後の締めくくりが、2月27日に大きなイベントとして用意された。感動のイベントであった。

李登輝前総統から、直接「八田興一」について、お話を聞けたのでした。

一時間の予定が、予定通り予定をオーバーして1時間半にも及ぶお話でした。

講演を聴く児童 (講演に聴き入る児童・保護者)

熱弁李登輝氏 (熱弁される李登輝前総統)

李登輝氏と子供たち (李登輝氏と子供たち)

保護者の皆さんも (保護者の皆さんも一緒に・・・)

講演の内容は、幻の講演となった原稿に近いものでしたが、児童は真剣に聞き入っていました。

講演のあとの児童からの質問では、・・・

「李登輝さんは、八田興一から 何を学びましたか?」

「八田さんからは、誠実であれ と言うことを学びました。・・・・・・」(李登輝氏)

「李登輝さんは、いつごろから八田興一のことを知っていましたか」

「私の専門は農業です。農業には水が欠かせません、水のことについては台湾で一番よく知っている一人だと思いますよ。八田先生のことは、学生時代から話を聞いていましたよ。」李登輝氏)

「李登輝さんは小さいころは何になりたいと思っていましたか?

「小さいころは画家になりたいと思っていました。その後は、学者になりたいと思っていました。総統になったことは、まったくおまけのようなものです。ははは~」李登輝氏)

そのほかいくつかの質問があったのですが、割愛させていただきます。


質疑応答の後、子供たちが李登輝氏に歌の披露をしました。そう、皆で作った八田興一賛歌です。

李登輝氏は、いすに腰掛け、体でリズムを取りながら、ほほえましい笑顔で聴き入っておられました。

せっかくですから、その歌詞を披露させていただきましょう。


「麗しき烏山頭~八田與一賛歌~」

 (一番)
  青く透き通る烏山頭
  大きな夢抱きつつ
  ふるさとへの思いを力に変えて
  人々は輝きだした
  苦しみを忘れ去るために
  たった一つの希望のダム
  世界一のダム
  素晴らしき烏山頭
  嘉南大しゅう 嘉南大しゅう
  あ~嘉南大しゅう 嘉南大しゅう

 (二番)
  伝説を語る珊瑚潭
  守られ抜いたブロンズ(銅像)
  差別のない殉工碑優しさに満ち
  人のために尽くす技
  一生を尽くした男
  日台の架け橋
  嘉南大しゅうの父
  ありがとうと心こめて
  嘉南大しゅう 嘉南大しゅう
  あ~嘉南大しゅう 嘉南たいしゅう

作詞:平成17年度六年生 作曲:下育郎


生きた教育・・・机の上の勉強だけでなく、実際に自分たちで考え、行動し、そしていろいろな人に出会い、感動し、自分を見つめていく。


感動・・・傲慢な言い方かもしれませんが、人間の特権ではないでしょうか?


最近、感動していますか?自分にも問いかけてみてみては?

AD