烏来 高砂義勇兵慰霊碑 その後

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昨日、私の台湾の友人も居ても立ってもおられないということで、烏来へ行ってきた。

見るも無残・・・何もない!

彼女たちは、残っている慰霊碑などを涙しながら、きれいに拭いてきたということだ・・・

メイン慰霊碑01 (メインの慰霊碑文字部分が板で覆われている 李登輝氏の揮毫までもが・・・)

慰霊碑25日01 (故伊庭野政夫氏の文字部分も・・・)

慰霊碑25日02 (なくなっている・・・)

慰霊碑25日03 (さざれ石だけが残っている)


実は、24日に黒いビニールをはずして撮影した写真がある。いったい何が問題なのか!中国時報(大陸系台湾の新聞)の誤訳が事を大きくしている。

慰霊碑24日01 慰霊碑24日01 慰霊碑24日02 慰霊碑24日04 慰霊碑24日05 慰霊碑24日06 慰霊碑24日07 慰霊碑24日08 慰霊碑24日09 慰霊碑24日10 慰霊碑24日11 慰霊碑24日13 慰霊碑24日14

中央の慰霊碑を除いて、これらは、今回新設されたものではない。以前の場所にあったものをこちらに移設してきたものです。

24日、元義勇兵の秋野氏が大声で叫んでいました。北京語でしたが・・・「李登輝は国民党だった!なぜ、同じ国民党の後輩の周がこれを撤去するのか!あの慰霊碑の中には、何千人という友が眠っているんだ!」

また、台湾の報道では、日章旗が翻っていたとあるが、それは、彼ら高砂義勇隊の隊旗であった。


台北縣長は、歴史認識に問題があるとか、軍国主義的であるとかのうたもうているらしいが・・・彼ら原住民の史実を歪曲してはならない。あえて美化する必要もないかもしれないが、少なくとも多くの日本人の彼ら義勇兵たちへの感恩は、ここに残すべきであろう。これが、この事実が台日の絆を更に深くするものだから・・・


お口直しに・・・いま、烏来で満開の山桜を・・・。山桜

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烏来 高砂義勇兵慰霊碑

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メイン碑 (写真:2月24日午前10時正面から)

2月8日に移設され除幕式を終えたばかりの高砂義勇兵慰霊碑が、2月24日を期限として、撤去されるかもしれないと聞き、居ても立ってもおられなくなり、烏来に向かって車を走らせた。

現場に到着したときには、思ったより人も少なく、メディアも原住民電視台、東森新聞、公視、産経新聞支局長が来ているくらいで、あとは烏来タイヤル族の方々が数人慰霊碑の前で雑談をしている程度だった。

(写真:台北県建設局長・蔡麗娟と高砂義勇隊紀念協会タリ・ワタン(簡福源)理事長)

そして、午前11時30分ごろ、台北県建設局長がメデイィアを前に、タリ・ワタン理事長に慰霊碑の撤去?の通達を始めた。

通達の内容は、「公共の公園内に慰霊碑を設置するための過程において、書類に不備があった」「また、公共の場にふさわしくない、日本語の表現がある」との理由で、本日中に一旦撤去を行うとの内容であった。また、撤去したものは十分に注意して保管するとのことであった。

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後から聞いた話であるが、23日の段階で、原住民の方々は県政府の意見に従おうという意向で動いていたらしいが、建設局長が話をしている最中には、周りの原住民から、力強い撤去反対の掛け声がとんだ。メディアからも申請に於ける何に不備があったのか具体的に説明しろという意見が出たが、局長の返事は「専門ではないので、その辺はわからない」との、わけのわからん返答があっただけ。そして、本日の午後には、問題のある碑を撤去することを言い残して、去っていった。約二十分間の出来事であったが、大きな騒ぎにはならなかった。

その後、高砂義勇隊記念協会の皆さんで会議を開き、基本的には政府の方針に従うこととしたらしい。


2月6日の除幕式のあと、またまた偽原住民(父親は外省人)の高金素梅によって、中国人らしい論法で日本軍国主義によって原住民の尊厳が傷つけられたなどとわけのわからんことを中国系のメディアが大きく取り上げだしたものだから、台北県政府も動かざる得なくなった。ちなみに、昨年末の統一地方選挙で、台北県長が民進党から、国民党の周(元国家調査局)と変わっていたことも大きいファクターである。


元義勇隊 秋野氏 (元義勇隊 秋野孝之氏(日本名)右と原正次郎氏(日本名)中央男性 背中の女性は、中央研究員民俗学研究所の 黄智慧女史)

長老のマサ・トホイ(日本名 原正次郎氏)といろいろ立ち話をしていたところ、突然後ろのほうから日本語で「バカヤロー お前らは何をしに来たんだ!」と叫びながら入ってきたのが、元義勇隊の秋野孝之(日本名)であった。彼は、ちょっとお酒が入っていたが、慰霊碑が撤去され始めたと思ったらしく、あわてて乗り込んできたようだった。そうでないとわかると、落ち着きを取り戻し、周りの人たちと雑談を始めた。

秋野氏は、昭和6年1月5日生まれで、終戦間際の数え年16歳で志願兵として入隊し、バタン、フィリピン、ニューギニアを転戦したという。彼と直接話をさせていただいたが、彼らこ高砂義勇隊であり、日本人より誇り高き精神を持つ人たちである。秋野氏は自分たちこそ「日本人精神」を持って戦ってきたものであると言いながら、「台湾は原住民のものである」「その原住民のものである台湾の緑、空気、土を守るために日本軍に入隊して、戦ったのだ」と力強く語ってくれた。

誇り高き戦士である。


24日午前の慰霊碑写真 一部が黒いビニールで覆われている。

慰霊碑01 慰霊碑02 慰霊碑03 慰霊碑04


(産経新聞記事) http://www.sankei.co.jp/event/takasago/0704.html
(台湾週報) http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/06/060209b.htm

(ヤフー新聞 産経記事より) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060225-00000011-san-int

(高砂義勇隊 ウキペディア) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%A0%82%E7%BE%A9%E5%8B%87%E9%9A%8A

(高砂義勇伝) http://www.takashago.com/index.html

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