台東区ビジネスアドバイザーのブログ

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「台東区中小企業振興センター」にて区内事業者の皆様の売上拡大サポートにチャレンジしています!

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こんにちは!
台東区ビジネスアドバイザーの
宝達(ほうたつ)です。

あ、
間違えました・・・今日から信用金庫に戻った宝達です。

昨日のブログにコメントを多くいただき、また、最終日には多くの方がわざわざ挨拶に来ていただき、本当にありがとうございました!
ご報告の通り台東区での業務は昨日で終了でしたが、今日でこのブログがキリ良く100記事目なので、区切りとして書かせていただきます。

改めて2年半を振り返り、本音を言うと最後まで不安がいっぱいでした。
それは「自分には創業経験も事業経験もない」からです。そんな自分が現実的なアドバイスが出来るのか?いつも不安でした。
ただ、民間企業から行政機関に出向すること自体が初めてのなかで、当然ながら「台東区ビジネスサポート」も初めての事業だったので、多くのことを0から作り上げてきました。
そういう意味では、自分自身も「創業者」だったのかも知れません。

そんななかで、私も早くお客さんが欲しくて当初は様々な「営業活動」をしました。
今思うのは以前のブログでも書きましたが、「目の前の相談者に全力で対応することが、最大の営業活動」ということです。
不安はしょうがない。紹介が欲しいなら、目の前のお客さんに全力を尽くすことが第一歩だと実感しています。

また、何か新しいことを始める際は、始めるまでが大変です。例えると、大玉を転がすのに最初は大きなチカラが必要で、転がす玉が大きければ大きいほど大きなチカラが必要です。
しかし、始まってしまえば、転がすチカラは最初より小さくで済みますよね。転がるスピードが速くなればチカラはほとんど必要なくなります。
なので、始める前にいろいろと考えるよりも、「まずは始めてみよう」と思います。


ご縁があってお会いできた皆様には、私の未熟さで満足いく対応が出来なかったことも多いと思います。
逆に、アドバイスするべき立場の自分が多くのパワーをもらいました。
この頂いたパワーを忘れずに、いつか皆さんに恩返しが出来るように頑張っていきます。

最後に、立場も変わったのでこのブログは今日で区切りとします。
ただ、100日続けてみると多くの方から「ブログ見てますよ~」と言っていただき、反響の大きさを実感しているので、皆さんのご希望が多ければ?、また復活して書きたいと思います!

今後とも、台東区ビジネスサポートを、後任の永井さんをよろしくお願いいたします!!

こんにちは!
台東区ビジネスアドバイザーの
宝達(ほうたつ)です。

今日で引き継ぎが一応終了しますが、2年半でお会いした全ての方にご挨拶が出来ていません。
ゴメンナサイ・・・(涙)。

そこで、多くのリクエスト?にお答えして、後任者の永井寛通(ながい ひろみち)さんを紹介します!


(向かって左が永井さん、右のおでこ光りが宝達です(笑))

以下、永井さんからの自己紹介&コメントです↓。

10月から新たにビジネスアドバイザーとして就任する永井 寛通 (ながい ひろみち)です。 名前を聞かれたとき、よく江戸時代に流通した銭貨「寛永通宝」をちょこっと変えた感じといいます(笑)。 私は昭和47年2月15日生まれの43歳です。外国語は苦手ですが、趣味は海外旅行で今まで20か国以上旅してます。 埼玉県越谷市出身で、國學院大學経済学部を卒業後、平成7年に朝日信用金庫に入庫しました。 営業店は、押上支店と根津支店の2店舗に勤務しました。最初の店舗の押上支店では、新人の1年間は、今ではほとんどの金融機関が機械による自動化で無くなってしまった「元方」という係を任されました。
「元方」は、現金管理だけを行う係で、当時の支店ではガチャガチャ屋さんなど大量の硬貨を取り扱うお客様が多かったので、いつも硬貨巻ばかりしていた記憶が思い出されます。 また、金融機関が1日の締めに行う出納検査では、当時は現金出納帳に手書きで記入し、現物と合わせるため、そろばんを使ってましたが、その最後の世代かなぁと思います(異動で会社の私物を整理するたび(その時だけ)そろばんを見ますが、必要無いにもかかわらず捨てられません)。 1年後に営業に出てからは、営業係として活動しました。 営業店経験は2店舗ですが、担当地域がいつも区境地区だったので、担当区は「墨田区」「江東区」「文京区」「台東区」「荒川区」と効率良く?5区の経験が出来たことは、当時は正直面倒臭いなぁ(融資書類や金利が区毎に異なるため)と思っていましたが、今となってはいい経験が出来たなぁと思っています。 その後、平成19年10月からは本部勤務となります。まず最初に配属されたのは、融資企画部信用リスク管理課です。 当時のことを考えると、正直営業店を約12年間ほぼ営業係として勤務していたので、若いうちに本部勤務も経験してみたいなぁと思っていたのは事実です。ただ、営業しか今までやってこなかった自分が、融資の専門部署に配属するなんてと、当時は人事部を恨みました(笑)。 信用リスク管理課の業務は、その名の通り、融資の与信管理全般を行う部署で、企業の格付を管理する「信用格付」を規定・運用したり、適切な貸倒引当金を計上するための作業である「自己査定」を検証する業務を行いました。 また、金融機関が適正な業務運営を行っているか監督官庁が検査する「関財検査」(信用金庫の場合は金融庁検査ではなく、委託を受けた各地の財務局が検査を行います)や日本銀行が取引先金融機関等の業務・財産の状況を把握することを目的として、取引先との契約に基づいて行う立入調査である「日銀考査」も経験しました。 この時期にあった「中小企業金融円滑化法」に関しては、金庫の実務対応資料をたくさん作成したことが今では懐かしく思えます
ちょっと古いですが、ドラマ「半沢直樹」での金融庁との対立も一般の人とは違った視点で見てました。 その後、同じ部内での異動があり、企画開発課に勤務しました。この課は、営業店の融資係のよろず相談窓口的な部署で、事務的なことから法律的根拠、帳票作成等の業務、また新商品開発、本部管理の融資等いろいろなことを経験しました。
金庫の融資部門を担当するなか、突然転機が訪れました。前任の宝達さんが1期生として研修した「富士市産業支援センター f-Biz」への出向です。期間は平成25年10月~平成26年3月までの6か月間。 本部融資部門への異動に続き、経験の無い分野への異動。正直、融資(管理)部門とは真逆のイメージだったので、まさに寝耳に水な感じでした。 融資部門で約6年、いかにリスク負担を最小限に留めるかを考えて来たので、事業者のチャレンジを応援するコンサルティングにとまどっていたのは事実です。 ただ、出向期間中、どちらかというと対面する営業になりがちな金融機関の営業とは違い、相談者と伴走するコンサルティングの事例を数多く学べたのは、私にとっての大きな財産となりました。 出向期間終了後は、本部業務部のお客さまサポートセンターで、営業店のお客さまの個別相談を受けたり、セミナー・ビジネスマッチング開催、大学や研究機関と中小事業者様の連携の橋渡し等を行いました。
期間は約1年半でしたが、数多くの大学や公的研究機関、大手企業や企業支援の専門家等と交流を深められたのも、大きな財産となっています。 今回、約1ヶ月間に亘り、宝達さんと引継ぎを行ないましたが、「経営サポート」と一口に言っても金融機関と公的機関における違いや、自分の甘さ等も実感しています。 今までの経験が少しでも皆さまのお役に立てるよう頑張ります!

ということでした。
引き続き、台東区ビジネスサポートをよろしくお願いします!!
こんにちは!
台東区ビジネスアドバイザーの
宝達(ほうたつ)です。

初めて相談に来る方から、「決算書を持っていった方がいいですか?」と聞かれることがありますが、相談内容が資金繰りの場合を除き、見ることはほとんどありません。
この2年半で約350人の方にお会いしましたが、振り返ると決算書を拝見したのは数えるほどでした。

私が決算書を見ないのは、「売上や集客のアップ」という相談内容に対し、決算書にはその答えが無いからです。ご存じの通り、決算書の「貸借対照表」はある時点での資産・負債・資本のバランスを示すもの。「損益計算書」はある一定期間の損益状況を示したものです。つまりどちらも過去の結果なので、これから「売上を上げたい」と将来のことを話すのには不要なのです。

こう見えても?今の仕事に就く前は信金の現場で融資を担当していたので、毎日嫌というほど決算書を見ていました(笑)。
なので、ある程度お話しを伺えば、今の財務状況はある程度予想がつきます。ですが、それを詳しく聞いたところで、売上アップのアドバイスの参考にはなりません。

また、せっかくご縁があってお話しを伺っているのに、決算書を見て「ダメ出し」ばかりするのでは、お客さんも来た意味がありません。財務内容への指摘は、担当の税理士さんや金融機関などから受けているはずなので、私が改める必要もないのです。

私が目指していたのは、せっかく来ていただいた後に、「相談して良かった」と思ってもらい、来る前より元気になってもらうこと。
といってもまだまだ未熟ですが、これからもこの視点で頑張っていきたいと思っています。