日本国建国と聖徳太子その2
前回聖徳太子は実は渡来人であり、キリスト教徒である、と書いた。 たぶん「なにを根拠にそんなことを言っておるのだ?」と思っている人がおおいと思う。
もともと大和朝廷時代の古墳など、渡来人によりその土木技術が伝えられた。と、ここまではマンガ日本の歴史などにも書いてある。
ではなぜ?わざわざ船を出して島国の日本にきたのだろうか?その時代(約1600年前くらい)日本は200年前くらいのアメリカのように未開の地だった。その土地、極東の国にヨーロッパ、中東、中国や朝鮮など迫害された人たちが希望をもってこの国にやってきた。それらの人は高度な文明をもっていたので当時倭という国だった日本にその技術を提供し、昔からすんでいた倭国の人と一緒にその後の日本を引っ張って国をつくった。つまり日本の基礎はその渡来人たちがつくったというわけだ。
さらにその後7世紀に入ると朝鮮半島で動乱がおき、それまでまで拮抗していた百済、新羅、高句麗の三国のバランスが崩れ、新羅が朝鮮半島を統一し、当時百済と結びついていた日本に百済よりどっと渡来人たちが押し寄せてきた。これは「日本書記」にも「百済、新羅の人が日本を慕ってやってくる人が多かった」などの記述されている。それらは建築技術者のみならず、一般の人や、学者などいろいろな人が帰化し、平城京はあっという間に国際都市に発展した。
聖徳太子がなぜ渡来人だと言えるのか?その根拠としてその時代に残された17条の憲法の原文が正確な漢文で書かれていたおり、この時代にそのような漢文が書けるのは日本にずっといる土着民が書いたとは考えにくいからだ。さらに日本の仏教というのはほかの国の仏教とはまったく違い、それはキリスト教の教えもふくまれているらしい。
その証拠に本来仏教には慈母観音(赤ん坊を優しく胸に抱く慈母の像)なるものがあるが、しれはキリスト教における聖母マリアがキリストを抱く姿にそっくりだという、さらに観音像なるものがあるが、本来仏教では女性が仏になるためには一度男性に生まれ変わらなければならない(これを変性男子という。)なるものがあり、観世音菩薩のように女性の菩薩というのは仏教上ありえないことだ。
渡来人の影響は日本語にも影響を与える。平安時代、ひらがな、かたかななるものが吉備真備により発明されたとあるが、不思議なことにこのかなというものは古代ヘブライ後にそっくりらしい。一例としてヘブライ語でコカコーラと書いたときとカタカナでコカコーラと書いたとき、文字はおろか、発音までいっしょになるらしい。つまり、ここでもその渡来人たちが漢字にあわせて、その適切な言葉を発明したとしてもおかしくはない。かなを発明した吉備真備でさえも渡来人である可能性がまったくないわけではない。
話は聖徳太子にもどるが、大子のいた600年代、宗教における紛争みたいなものがあったのだと思う。当時高貴な人間を弔う債、墓に葬る前に鎮魂の儀を行うのが普通でした(もがりという)しばらくこの儀を行い、それから墓に入れられるわけだが聖徳太子に関してはまったくそのような儀式が行われず、その月に墓に葬られている。じつは聖徳太子は暗殺されたのではないかと思う。
なぜなら太子が死んだあとすぐに蘇我氏の後継者蘇我入鹿は太子の子、山背皇子とその一族を襲い、全員自決に追い込んでいる。このために暗殺されたのではないかというわけだ。
これにより、太子の信仰していたキリスト教に(景教)に変わり、その後仏教信仰は蘇我氏が神教の物部氏と戦い、勝利し神教を吸収した仏教が出来上がった。ここいらへんから日本は仏教の国だとなったのだと思う。つまり古代日本にもこのような宗教戦争があり、それに勝利したものが歴史をつくっていったのだ。
歴史が変われば日本は極東のキリスト教の国だったのかもしれない。ただ、権力と宗教が混ざったとき、ろくなことはおきていない。
続きます






